
政商自体、国や天下の貧窮と引き換えに甚大な権能を手にするものであるし、軍隊もまた、軍産複合体の如き
政商の配下に下ることで、侵略能力を伴うような絶大な軍事力を手にするに至る。そのような構図はすでに、
2000年以上前の中国などでも確立されていたことであり、実際に、政商兼秦国の宰相だった呂不韋のように、
政商としての手腕によって武力による中国統一の貢献者となった事例すらもがある。ただ、政商ありきの
ペースで中国を統一した秦帝国は、その政商活動を保たせてやるための甚大な土建事業などによって
人々を酷使し続けて困窮に陥れたために、天下全土の人々から「まだないほうがマシなもの」としての
扱いを受けて、全国規模の反乱によってたった15年で崩壊させられることとなってしまった。
いま、アメリカやイギリスがその秦帝国とほぼ同じような末路を辿りつつあるが、結局、世界中の
人々を富ませてやることができないだけでなく、自分たちが根城とする国すらをもろくに保たせて
やれないのが政商という存在であるわけだから、これ程にも「できなければ困ること」が
ピンポイントにできない不具的存在もまた、他にないといえる。
ぶっちゃけ、国や政府というものは、商売人を統制することを第一の任務とするものである。
人々にとっての本業である農業や必需工業を奨励し、末業である商業やガラクタ工業を控えさせることでこそ、
国というものもまた長期の泰平や繁栄を獲得することができるものなのだから、政商の介在を許して
しまうことなどは、まさに本末転倒の所業以外の何物でもないということが言えるのである。
国が政商を容認したりすることが、国にとっての本末転倒の所業となるからこそ、それによって
国も貧しくなり、挙げ句には傾いて滅ぶこととすらなってしまう。唐代の中国や江戸幕府のような、
隆盛期には極めて良質な治世を築き上げた政権すらもが、末期には塩の闇商人や大坂豪商の組織的暗躍を
許すことで崩壊に見舞われてしまったわけだから、何も秦や北宋や織豊政権の如き。政商を真っ向から
容認していたような政権ばかりが、政商的存在によって滅びているわけでもないということまでもが言える。
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