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聖書 Part11
▼ページ最下部
人間社会を司る体系化された思想信条の聖書として、
全世界においてその立場を揺るぎないものとしている権力道徳聖書、通称四書五経。
今となっては、その主要な編纂者や登場人物である孔子や孟子が至上の学聖として
崇められてもいるが、決して本人たち自身は恵まれた人生ばかりを送ったわけでもない。
すでに徳治の実践自体が疎かにされていた春秋戦国時代の中国で、せめてでも古来からの
権力道徳を保全しておこうとする目的で、儒者(学究者)という身分に即した学問の興隆
を試みていた。その結果として、周代までは専ら王侯の嗜むものであった権力道徳学が
市井に到るまで広く受容されることとなり、儒学道徳が「権力のための道徳」に止まらない、
「人間のための道徳」としてまで人口に膾炙されることとなったわけだから、孔子や孟子が
在野の学者として儒学を温めてくれたことも、人類にとっては「怪我の功名」になったのだといえる。
とはいえ本来は、儒学が考究対象とする道徳学もまた、国家権力を司ることこそを第一の
目的とした帝王学でこそあるわけだから、ただの学者や庶民としての受容に止まるよりは、
天下国家に名を馳せる大権力者として儒学を受容することこそが本望ともなるのである。
だから、孔子や孟子を儒学の大成者として尊ぶべきであるとはいえ、在野の学者に甘んじさせられた
その境遇までをもわざわざあえて見習ったりする必要はない。特に、孔子は妾腹の私生児という
それはそれは恵まれない境遇に生れ落ちながら、その逆境をばねにしての自学自習によって儒学の
始祖ともなったわけだから、その努力的な姿勢にあやかるべきである一方で、妾腹の私生児のような
立場であることを自ら恥としたその奥ゆかしさをも見習うべきなのである。故に、孔子がそのような立場
だからといって、妾腹の私生児のような立場自体を崇めたりするようなことがあってもならないのである。

全世界においてその立場を揺るぎないものとしている権力道徳聖書、通称四書五経。
今となっては、その主要な編纂者や登場人物である孔子や孟子が至上の学聖として
崇められてもいるが、決して本人たち自身は恵まれた人生ばかりを送ったわけでもない。
すでに徳治の実践自体が疎かにされていた春秋戦国時代の中国で、せめてでも古来からの
権力道徳を保全しておこうとする目的で、儒者(学究者)という身分に即した学問の興隆
を試みていた。その結果として、周代までは専ら王侯の嗜むものであった権力道徳学が
市井に到るまで広く受容されることとなり、儒学道徳が「権力のための道徳」に止まらない、
「人間のための道徳」としてまで人口に膾炙されることとなったわけだから、孔子や孟子が
在野の学者として儒学を温めてくれたことも、人類にとっては「怪我の功名」になったのだといえる。
とはいえ本来は、儒学が考究対象とする道徳学もまた、国家権力を司ることこそを第一の
目的とした帝王学でこそあるわけだから、ただの学者や庶民としての受容に止まるよりは、
天下国家に名を馳せる大権力者として儒学を受容することこそが本望ともなるのである。
だから、孔子や孟子を儒学の大成者として尊ぶべきであるとはいえ、在野の学者に甘んじさせられた
その境遇までをもわざわざあえて見習ったりする必要はない。特に、孔子は妾腹の私生児という
それはそれは恵まれない境遇に生れ落ちながら、その逆境をばねにしての自学自習によって儒学の
始祖ともなったわけだから、その努力的な姿勢にあやかるべきである一方で、妾腹の私生児のような
立場であることを自ら恥としたその奥ゆかしさをも見習うべきなのである。故に、孔子がそのような立場
だからといって、妾腹の私生児のような立場自体を崇めたりするようなことがあってもならないのである。

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純粋な、自力での善行に励む者こそは、雄雄しくもあるべきである。
他力依存の傾向が強い人間ほど柔弱で非主張的であるべきなのであり、
これらの位相が覆ってしまう所にこそ、陰陽法則に司られている
この世界この宇宙における、最も根本的な凶相が生じもするのである。
男は自分だけでも生きられるが、女は自分だけでは生きられない。
だから男のほうが雄雄しくあるべきである一方、女のほうは柔弱であるべきである。
一人当たりの資源占有率が世界平均の四倍を超えるような突出した富裕さを持つ
資本主義国などでは、膨大な富の投入によって、女ですらもが自活できるような社会的
待遇が無理やりにでも捏造されていたりするが、それが結局、世界規模での極度の
富の偏在という弊害によって、人口爆発などの人類滅亡の危機をも招いてしまっている
わけだから、決していつまでも続けていられるようなことではない。雄雄しい男が
柔弱な女を、子供や老いた親などと共に扶養して行くという「最もコストパフォーマンス
の高い男女関係のあり方」に即してこそ、世の中も保たれて行くこととなるわけだから、
近現代にがなり立てられた男女平等主義なども、ただの幻想だったのだと知らねばならない。
同様に、世の中の存続や繁栄を直接司っているのは公職者である一方で、
そこまでの権能は決して持たないのが民間人であるものだから、公職者こそが
率先して雄雄しい為政に励むことで世の中の安寧や繁栄が促進される一方で、
自己主張の強い暴民に公職者が足を引っ張られて職務を不全化させてしまったり
したならば、その分だけ社会福祉が綻びを来たして行くこととなってしまう。その、
民間人による政治的専横を、これまた膨大な富の投入によって無理やり保たせている
のが昨今の民主主義社会でもあるわけで、もしもエジプトのような、資源占有率が
世界平均ともほとんど変わらないような国が、民主制だけは取り入れたりしたならば、
独裁制のほうがまだマシだったと思われるほどもの荒廃を来たしてしまいもするのである。
他力依存の傾向が強い人間ほど柔弱で非主張的であるべきなのであり、
これらの位相が覆ってしまう所にこそ、陰陽法則に司られている
この世界この宇宙における、最も根本的な凶相が生じもするのである。
男は自分だけでも生きられるが、女は自分だけでは生きられない。
だから男のほうが雄雄しくあるべきである一方、女のほうは柔弱であるべきである。
一人当たりの資源占有率が世界平均の四倍を超えるような突出した富裕さを持つ
資本主義国などでは、膨大な富の投入によって、女ですらもが自活できるような社会的
待遇が無理やりにでも捏造されていたりするが、それが結局、世界規模での極度の
富の偏在という弊害によって、人口爆発などの人類滅亡の危機をも招いてしまっている
わけだから、決していつまでも続けていられるようなことではない。雄雄しい男が
柔弱な女を、子供や老いた親などと共に扶養して行くという「最もコストパフォーマンス
の高い男女関係のあり方」に即してこそ、世の中も保たれて行くこととなるわけだから、
近現代にがなり立てられた男女平等主義なども、ただの幻想だったのだと知らねばならない。
同様に、世の中の存続や繁栄を直接司っているのは公職者である一方で、
そこまでの権能は決して持たないのが民間人であるものだから、公職者こそが
率先して雄雄しい為政に励むことで世の中の安寧や繁栄が促進される一方で、
自己主張の強い暴民に公職者が足を引っ張られて職務を不全化させてしまったり
したならば、その分だけ社会福祉が綻びを来たして行くこととなってしまう。その、
民間人による政治的専横を、これまた膨大な富の投入によって無理やり保たせている
のが昨今の民主主義社会でもあるわけで、もしもエジプトのような、資源占有率が
世界平均ともほとんど変わらないような国が、民主制だけは取り入れたりしたならば、
独裁制のほうがまだマシだったと思われるほどもの荒廃を来たしてしまいもするのである。
男や公職者こそは雄雄しく、女や民間人こそは柔弱であることによってこそ、
富の偏在が世界の破滅を来たさない程度にまで均された世の中における最大級の
安寧や繁栄が実現される。世界中の富の八割以上を二割以下の人口比率で寡占
している資本主義社会の内側で男女平等や民主主義などが実現された所で、決して
それが均しの世における男女平等や民主主義の有用性や実現可能性を証明している
わけではない。世界中から富を巻き上げての狭隘な物質的繁栄を謳歌している
資本主義社会こそは、世界の破滅の元凶たる「ガン細胞的社会集合」ともなって
いるわけだから、男女平等や民主主義などは、ガン細胞人種の活動を活性化させる
猛毒でしかなかったことが証明されたという以上のことでは決してないのである。
当然のことながら、自らが我田引水によって世界を破滅に陥れるガン細胞人種
であることが男らしいなどということもありはしない。食糧資源を含む膨大な
富の寡占にことかけて、食物に成長剤を混ぜてまでの旺盛な体格の獲得などが
欧米や韓国でも企図されているが、それでも結局、自分たちが世界からの富の
収奪なくしては自活することもままならない依存的人種のままであることには
変わりないわけだから、これまた根本的に依存的な存在でありながら雄雄しく
あろうとする陰陽法則上の凶相を来たすととなってしまっているのである。
男女平等や民主主義といった、均しの世では決して通用しない理念を無理やり
にでも実現するために、これまた過ちそのものなイデオロギーである資本主義
によってその補強を試みた。まさに、過ちを過ちで塗り固める負の連鎖によって
今の破滅的危機も呼び込まれているわけで、まさに原因に相応の結果だといえる。
何が正しくて、何が間違っているのかを、本物の道理や真理に即して正しく
認識したならば、どこにも疑問の差し挟みようのない悪因苦果がいま到来して
いるのだと、素直に諾うほかないことが丸わかりとなるのである。
富の偏在が世界の破滅を来たさない程度にまで均された世の中における最大級の
安寧や繁栄が実現される。世界中の富の八割以上を二割以下の人口比率で寡占
している資本主義社会の内側で男女平等や民主主義などが実現された所で、決して
それが均しの世における男女平等や民主主義の有用性や実現可能性を証明している
わけではない。世界中から富を巻き上げての狭隘な物質的繁栄を謳歌している
資本主義社会こそは、世界の破滅の元凶たる「ガン細胞的社会集合」ともなって
いるわけだから、男女平等や民主主義などは、ガン細胞人種の活動を活性化させる
猛毒でしかなかったことが証明されたという以上のことでは決してないのである。
当然のことながら、自らが我田引水によって世界を破滅に陥れるガン細胞人種
であることが男らしいなどということもありはしない。食糧資源を含む膨大な
富の寡占にことかけて、食物に成長剤を混ぜてまでの旺盛な体格の獲得などが
欧米や韓国でも企図されているが、それでも結局、自分たちが世界からの富の
収奪なくしては自活することもままならない依存的人種のままであることには
変わりないわけだから、これまた根本的に依存的な存在でありながら雄雄しく
あろうとする陰陽法則上の凶相を来たすととなってしまっているのである。
男女平等や民主主義といった、均しの世では決して通用しない理念を無理やり
にでも実現するために、これまた過ちそのものなイデオロギーである資本主義
によってその補強を試みた。まさに、過ちを過ちで塗り固める負の連鎖によって
今の破滅的危機も呼び込まれているわけで、まさに原因に相応の結果だといえる。
何が正しくて、何が間違っているのかを、本物の道理や真理に即して正しく
認識したならば、どこにも疑問の差し挟みようのない悪因苦果がいま到来して
いるのだと、素直に諾うほかないことが丸わかりとなるのである。
「之れを益すこと莫し、或いは之れを撃つ。心を立つるに恒勿し、凶なり。
之れを益すこと莫しとは、辞偏ればなり。或いは之れを撃つは、外より来るなり」
「自分の利益ばかりを考えて、天下の公益を増すことを少しも考えない。
心から強く雄雄しく立つ所はあるが、そこに普遍的な道理が伴っていない。
凶であり、時には武力での撃退を受けることにすらなる。自分の利益ばかりを考えて
天下の公益を増すことがないのは、そのようなあり方を正当化するような言い訳ばかり
を考えることに偏っているからである。撃退も外部から不意にやって来ることとなる」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・益・上九‐象伝)
之れを益すこと莫しとは、辞偏ればなり。或いは之れを撃つは、外より来るなり」
「自分の利益ばかりを考えて、天下の公益を増すことを少しも考えない。
心から強く雄雄しく立つ所はあるが、そこに普遍的な道理が伴っていない。
凶であり、時には武力での撃退を受けることにすらなる。自分の利益ばかりを考えて
天下の公益を増すことがないのは、そのようなあり方を正当化するような言い訳ばかり
を考えることに偏っているからである。撃退も外部から不意にやって来ることとなる」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・益・上九‐象伝)
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鶴岡w
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道家においても、寝転がっての無為自然への帰一というものが老荘画なども通じて謳われている。
睡眠は睡眠でよく取って、それで生気を養って務めに励めとは、孟子も推奨するところである。
ある種の麻薬が「覚醒剤」などと呼ばれる通り、過度の覚醒は中毒にも相当するものである。
ただ眠らないというのも一つの中毒だし、起きている中にもさらに極度に目を見開くなどして、
何かにかけてがっついていようなどとするようであるのなら、それもまた一種の中毒なのである。
仏像や菩薩像の多くは、目を半開きにしたような目つきで心の安定をよく表現している一方で、
明王像や仁王像などは、かっと目を見開いたこわもての形相で怒りを表現しているものが多い。
本質的には、目を見開くという状態は、喜怒哀楽のうちでも「怒」の発露であるのが典型的な
わけで、それをよく把握している東洋社会などにおいては、あまり目を見開いて相手を
凝視したりすることは失礼に当たるとして忌み避けられたりもしているのである。
起きている内にも仏や菩薩のように平静の境地でいて、当然安らかに寝付けもし、死ぬことと
なってもまるでいつもの就寝のように自然と永眠する、それこそは、涅槃の境地であるといえる。
生きている内にも有余涅槃であるし、死に際しても無余涅槃となるのみである。それこそは
仏法の理想とする所であるからには、麻薬中毒の如き極度の覚醒状態こそは涅槃の敵だといえる。
諸般の快楽こそが、そのような覚醒状態を誘発してしまうものだから、仏門でも快楽の貪りが
厳重な戒めの対象とされている。快楽が悟りを妨げるというよりは、快楽による覚醒状態の
誘発こそが悟りを妨げるために、その共犯者としての快楽をも戒めの対象とするのである。

異性経験による男性の覚醒状態の常態化が、牛馬の如き重労働への従事にも有用となるから、
(これは、女子供を養うことを本分として来た男性にとっての必然的な生体機能でもある)
労働による経済発展を全てとする近現代の風潮にも即して、異性経験豊富な男こそは偉くて、
そうでない童貞の男などは卑しいというような考えまでもが通用してしまったのである。
経済発展などを価値観の全てとして扱ったりしなくなれば、そのような形で異性経験による
覚醒などを至上化したりする必要はなくなる。そこにさらに、極度の覚醒状態を涅槃の障り
として卑しむ風潮すら行き渡らせたなら、もはや異性経験を偉ぶるような余地もなくなる。
あまりにもやり手過ぎるような男などは「好色一代男」の主人公のような嘲笑の対象にすら
なることとなる。一生婚姻も絶っての修行に励む坊さんなども、だからこそ崇敬の対象になる。
性交による覚醒が悟りの障りとなることを絶って(密教の場合は乗り越えて)の涅槃三昧の境地で
いるわけだから、必要があって子沢山でいるような武家の家長からの尊崇の対象にもなるのである。
涅槃を妨げるような過度の覚醒すら控えられれば、快楽はまだ享受しても構わないぐらいの
ものである。実際に飲酒程度だとそれが可能であったりもするものだから、神酒文化のある
日本の仏門などでは飲酒にも寛容であったりする。ただやはり、快楽に過度の覚醒は付き物で
あるから、快楽全般はやはり忌避の対象としていく程度の心持ちでいなければならない。何事も、
覚醒が過剰化してしまわない程度の楽しみに止めることを、在家の人間までもが重んじるべきである。
「芒芒たる禹跡、画して九州と為し、経して九道を啓く。
民に寝廟有り、獣に茂る草有り、各おの処せらるる攸有りて、徳用て擾れず」
「偉大なる禹王の治めた土地を、区画整理によって九州と九道に区分した。民には十分な寝床と
宋廟が与えられ、畜獣たちにも十分な牧草が与えられた。それぞれによく対処される処があった
ために、得が乱れることもなかった。(衣食住の『住』たる寝所を整えることも重要なことである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・襄公四年より)
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人間以上の存在にも以下の存在にもぶれることなく、人間そのものに
とっての自明なる道を歩んで行くことが人道に当たる。そしてその人道こそは、
人間が本来歩むべき最も大いなる道であり、天道や仏道のようなより高尚な道と
いえども、人間にとっては、人道を補佐するためにこそなければならぬものである。
「己れの欲せざる所を人に施すことなかれ」、この一言だけでも人道である。
その寛恕の心を実際の人間関係や為政にまで落とし込めば、自ずと天下に大道が
拓かれもする。そこに、正統な神仏への崇敬などに基づく地固めが伴えばなおのこと
良いが、必ずしもなければ済まないというものでもない。古来からの正統な神道文化
も廃れて、まだ仏教も流入していなかった前漢頃の中国たるや、むしろ鸞大のごとき
ペテンの宗教家に皇帝までもがたぶらかされて、大いにその名誉を傷付けられるような
ことがあった。そんな中で、真人道の把捉で一貫している儒学文化が興隆もしたものだから、
前漢の中華帝国の統治こそは、「神や仏にも頼らない、純粋な人道による統治」の模範と
して至上のものとなっており、実際に江戸時代の日本などがそれにあやかりもしたのである。
神仏への崇敬も未だ疎かな状態における人道のみによる統治というのは、それはそれで、
自力作善として急進的に過ぎるような部分がある。漢代の中国や江戸時代の日本における、
公職者の引責自殺の多発などがその例であり、それはそれで「粋」という文化として
捉えられなくもないものではあるわけだが、今そのような純人道統治のさ中にあるわけ
でもない時代の人間からすれば、現実化が空恐ろしい代物であるのにも違いないのである。
つったって、人道統治の時代に引責自殺を果たしていたのも、公職者たる王侯将相や
武士に限られていたのであり、公職者がそのような剣呑さに甘んずるのと引き換えに、
一般庶民は民主制下以上もの安楽に与れていたのである。殺しや盗みなどの大罪を
犯した場合の民間人に対する刑罰はそれなりに厳しいものだったが、そもそもが、
とっての自明なる道を歩んで行くことが人道に当たる。そしてその人道こそは、
人間が本来歩むべき最も大いなる道であり、天道や仏道のようなより高尚な道と
いえども、人間にとっては、人道を補佐するためにこそなければならぬものである。
「己れの欲せざる所を人に施すことなかれ」、この一言だけでも人道である。
その寛恕の心を実際の人間関係や為政にまで落とし込めば、自ずと天下に大道が
拓かれもする。そこに、正統な神仏への崇敬などに基づく地固めが伴えばなおのこと
良いが、必ずしもなければ済まないというものでもない。古来からの正統な神道文化
も廃れて、まだ仏教も流入していなかった前漢頃の中国たるや、むしろ鸞大のごとき
ペテンの宗教家に皇帝までもがたぶらかされて、大いにその名誉を傷付けられるような
ことがあった。そんな中で、真人道の把捉で一貫している儒学文化が興隆もしたものだから、
前漢の中華帝国の統治こそは、「神や仏にも頼らない、純粋な人道による統治」の模範と
して至上のものとなっており、実際に江戸時代の日本などがそれにあやかりもしたのである。
神仏への崇敬も未だ疎かな状態における人道のみによる統治というのは、それはそれで、
自力作善として急進的に過ぎるような部分がある。漢代の中国や江戸時代の日本における、
公職者の引責自殺の多発などがその例であり、それはそれで「粋」という文化として
捉えられなくもないものではあるわけだが、今そのような純人道統治のさ中にあるわけ
でもない時代の人間からすれば、現実化が空恐ろしい代物であるのにも違いないのである。
つったって、人道統治の時代に引責自殺を果たしていたのも、公職者たる王侯将相や
武士に限られていたのであり、公職者がそのような剣呑さに甘んずるのと引き換えに、
一般庶民は民主制下以上もの安楽に与れていたのである。殺しや盗みなどの大罪を
犯した場合の民間人に対する刑罰はそれなりに厳しいものだったが、そもそもが、
民たちが公職者たちの毅然としたあり方に感化されて、常日頃からの自重にも
務めていたために、警察要員が現代日本の十分の一程度の人数で済むほどにも、
凶悪犯罪の発生件数からして最小限に抑えられていたという事実もあるのである。
人道統治は、良くも悪しくも人間社会の基本である。神仏への厳重な崇敬によって、
流血沙汰から最小限に控えられていたインドや平安時代の日本などの在り方のほうが
より良いということも言えるわけだが、それを今のような荒廃しきった世界に一挙に強制
したりするのも無理があることである。かといって、今のように、邪神への精神依存や、
それに準ずるような粗悪な精神状態に世界中の人々が陥ったままでい続けたのでは、
世の中のほうが持ちはしない。だからまずは、自明なる人道によって、人々が自力での
社会統治に専念して行くということが、人間社会の基本として認められて行く必要がある。
インド社会や平安日本のような神仏への崇敬の篤い社会といえども、人々はそれぞれの
身分に即して最善の自助努力を果たして来ている。ウーツ鋼や日本刀のような、世界最高級
の鉄鋼文化を編み出したりもしているわけで、決して共産主義国の生産者のような自堕落に
工業従事者が陥ったりしていたわけでもない。まず純人道統治並みの自力の志しがあった上で、
さらにそこに神仏への崇敬をも育むというのが、正統な神仏文化に基づく社会統治でもあるわけ
だから、そのような統治を目指す上でも、人道統治を実現して行くことが下準備となるのである。
要は、「自力作善こそは他力本願よりも優先されるべきだ」という結論に全てが集約される
こととなる。人として、何者かに頼るということが絶対になくて済むなどということも
あり得ないが、それにしたって、他者への依存以上に自分自身の努力を積み重ねて行かねば
ならないという心持ちではいるべきである。そしたらそれが自然と人道統治の発端ともなるし、
正統な神仏文化に基づく平安の世への渡し橋とすらなる。少しでもよりよい世の中を目指そうと
思うのであれば、必ずそれに連動して、自分自身の自助努力の割合をも高めていかねばならないのだ。
務めていたために、警察要員が現代日本の十分の一程度の人数で済むほどにも、
凶悪犯罪の発生件数からして最小限に抑えられていたという事実もあるのである。
人道統治は、良くも悪しくも人間社会の基本である。神仏への厳重な崇敬によって、
流血沙汰から最小限に控えられていたインドや平安時代の日本などの在り方のほうが
より良いということも言えるわけだが、それを今のような荒廃しきった世界に一挙に強制
したりするのも無理があることである。かといって、今のように、邪神への精神依存や、
それに準ずるような粗悪な精神状態に世界中の人々が陥ったままでい続けたのでは、
世の中のほうが持ちはしない。だからまずは、自明なる人道によって、人々が自力での
社会統治に専念して行くということが、人間社会の基本として認められて行く必要がある。
インド社会や平安日本のような神仏への崇敬の篤い社会といえども、人々はそれぞれの
身分に即して最善の自助努力を果たして来ている。ウーツ鋼や日本刀のような、世界最高級
の鉄鋼文化を編み出したりもしているわけで、決して共産主義国の生産者のような自堕落に
工業従事者が陥ったりしていたわけでもない。まず純人道統治並みの自力の志しがあった上で、
さらにそこに神仏への崇敬をも育むというのが、正統な神仏文化に基づく社会統治でもあるわけ
だから、そのような統治を目指す上でも、人道統治を実現して行くことが下準備となるのである。
要は、「自力作善こそは他力本願よりも優先されるべきだ」という結論に全てが集約される
こととなる。人として、何者かに頼るということが絶対になくて済むなどということも
あり得ないが、それにしたって、他者への依存以上に自分自身の努力を積み重ねて行かねば
ならないという心持ちではいるべきである。そしたらそれが自然と人道統治の発端ともなるし、
正統な神仏文化に基づく平安の世への渡し橋とすらなる。少しでもよりよい世の中を目指そうと
思うのであれば、必ずそれに連動して、自分自身の自助努力の割合をも高めていかねばならないのだ。
「君子は頃歩も敢えて孝を忘るること弗きなり(既出)。今予れ孝の道を忘るれば、予れ是れを
以て憂色有り。壹たび足を挙げて敢えて父母を忘れず。〜壹たび足を挙げて敢えて父母を忘れずんば、
是の故に道よりして径せず、舟よりして游がず、敢えて先父母の遺体を以って殆きに行かざるなり」
「君子は半歩歩む間にすら孝を忘れることはない。もしも孝の道を忘れたなら、それによりひどい
憂患に見舞われることともなる。一たび足を踏み出す瞬間にすら父母を忘れない。そのようで
いたならば、少しだって道を外れることはないし、船から飛び出て泳ぎ出すようなこともない。
父母の遺産たる自らの身と共に危うきに近寄らないためである。(人の道はこれほどにも
自明なものであるが故に、半歩歩む間にすら忘れずに居るべきなのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭義第二十四より)
以て憂色有り。壹たび足を挙げて敢えて父母を忘れず。〜壹たび足を挙げて敢えて父母を忘れずんば、
是の故に道よりして径せず、舟よりして游がず、敢えて先父母の遺体を以って殆きに行かざるなり」
「君子は半歩歩む間にすら孝を忘れることはない。もしも孝の道を忘れたなら、それによりひどい
憂患に見舞われることともなる。一たび足を踏み出す瞬間にすら父母を忘れない。そのようで
いたならば、少しだって道を外れることはないし、船から飛び出て泳ぎ出すようなこともない。
父母の遺産たる自らの身と共に危うきに近寄らないためである。(人の道はこれほどにも
自明なものであるが故に、半歩歩む間にすら忘れずに居るべきなのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭義第二十四より)
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o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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生命の最たる構成要素は、「水」である。
太古の昔に波打ち際のあぶくが有機生命体を形成し始めたのが生命の起源であるし、
水の一滴もなくして生きられる生物などというものも存在しない。(そのため、
火星に水の痕跡が存在することが生命体の存在する可能性の根拠ともされている)
人間の体重の六割がたは水分の重さであり、数日水分を取らないだけでも
脱水症状で死んでしまう。含水率や水分摂取の必要頻度自体には多少の差異が
あっても、生命体が水こそを最重要の必須要素としていることには変わりない。
水の次に、生命を司っている必須要素といえば、「火(熱量)」である。
これは特に動物にこそ必要性の高い要素であり、諸々の食糧も熱量(カロリー)の
獲得のためにこそまず摂取される。ただ、熱量の過剰摂取こそは人間という生命体
にとっての重大な問題の元凶となっている場合が多いため、「漢書」五行志でも、
火徳を損ねた諸々の歴史的人物の不行跡の事例の列挙こそが目白押しとなっている。
(単純に、カロリーの摂取過剰や退蔵での太りすぎや熱中症などの問題も来たす)
さらにその次あたりが、諸々の物質的要素であり、これらは人間の食料となる穀物や
野菜や畜獣のための牧草などを通じて、「土」からも間接的に摂取されるものである。
その内でも、特に骨を形成しているカルシウムが遺体の火葬後に到るまで遺灰として
変質しながら残存するために、生命体の本質を「チリ」などとも見なしたがられる
場合がある。ただ、それはあくまで「遺体」の名残りなのであって、生存中に本人の
生命を司っていた水火や諸々の物質要素のほとんどを遺失してしまっているものである。
遺灰や遺骨などの遺骸を、遺体の名残りとして崇めるのはまだ道理の通ったことである。
涅槃こそを重んずる仏門が仏舎利や仏歯を珍重したりするのも、どうせ本物の釈迦の遺骸
ではないにしたって、まあ気持ちの察しようがあるものである。ただ、すでに水火の流動
などの生命ならではの機能を失ってしまっている遺体や遺骸などを、また命を吹き返し得る
生命の本質か何かのように捉えるは道理に適っていない。古代オリエント社会での精巧な
太古の昔に波打ち際のあぶくが有機生命体を形成し始めたのが生命の起源であるし、
水の一滴もなくして生きられる生物などというものも存在しない。(そのため、
火星に水の痕跡が存在することが生命体の存在する可能性の根拠ともされている)
人間の体重の六割がたは水分の重さであり、数日水分を取らないだけでも
脱水症状で死んでしまう。含水率や水分摂取の必要頻度自体には多少の差異が
あっても、生命体が水こそを最重要の必須要素としていることには変わりない。
水の次に、生命を司っている必須要素といえば、「火(熱量)」である。
これは特に動物にこそ必要性の高い要素であり、諸々の食糧も熱量(カロリー)の
獲得のためにこそまず摂取される。ただ、熱量の過剰摂取こそは人間という生命体
にとっての重大な問題の元凶となっている場合が多いため、「漢書」五行志でも、
火徳を損ねた諸々の歴史的人物の不行跡の事例の列挙こそが目白押しとなっている。
(単純に、カロリーの摂取過剰や退蔵での太りすぎや熱中症などの問題も来たす)
さらにその次あたりが、諸々の物質的要素であり、これらは人間の食料となる穀物や
野菜や畜獣のための牧草などを通じて、「土」からも間接的に摂取されるものである。
その内でも、特に骨を形成しているカルシウムが遺体の火葬後に到るまで遺灰として
変質しながら残存するために、生命体の本質を「チリ」などとも見なしたがられる
場合がある。ただ、それはあくまで「遺体」の名残りなのであって、生存中に本人の
生命を司っていた水火や諸々の物質要素のほとんどを遺失してしまっているものである。
遺灰や遺骨などの遺骸を、遺体の名残りとして崇めるのはまだ道理の通ったことである。
涅槃こそを重んずる仏門が仏舎利や仏歯を珍重したりするのも、どうせ本物の釈迦の遺骸
ではないにしたって、まあ気持ちの察しようがあるものである。ただ、すでに水火の流動
などの生命ならではの機能を失ってしまっている遺体や遺骸などを、また命を吹き返し得る
生命の本質か何かのように捉えるは道理に適っていない。古代オリエント社会での精巧な
ミイラの作製だとか、近代以降の欧米でのエンバーミングによる遺体の保全だとかは、
そういった考えに基づいてこそ試みられている所があるので、いただけないのである。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、
またかくのごとし。」という、「方丈記」の川水への人間の比肩こそは、生命の本質
をも捉えた名文だといえる。生命の本質が川を流れる水ほどにもはかないものであるのは、
人間を含む生命の本質が本当に水分によってこそ司られているからでもある。人の命は、
土から生まれて土に返るという以上にも、川の流れからほとばしってはまた飲み込まれる
といったようなもの。月にも土はあるが水や空気がないから生命が存在しない。宇宙から
見れば「青い星」のように見えるほどにも、氷結も蒸発もしていない水が豊富であるから
こそ、この地球には多用な生態系が開かれもした。水を尊んで砂漠化の拡大を防ぎ、
水の火に対する優越を尊ぶことで温暖化を防止することが、地球環境の保全とも
なるために、人間を含む生命体の保護にも実際になるのである。
水なんて、尊んだりしなくたって実際に必要なものだから、ただそれだけのものとして
おざなりに扱ってしまいがちなものであるけれども、水こそを生命の本質として尊ぶ
こともまたできて、それでこそ真に生命を尊ぶことにも繋がるという事実もまたある。
生命の本質を土だなどと勘違いして、実際に誰しもを核戦争で土に返してしまったり
するよりは、まだ水の如く潤った人々の営みこそを企図して行くべきであるには違いない。
「骨肉の土に帰復するは命なり。魂氣の若きは、則ち之かざることなし、之かざることなし」
「骨肉が死して土に返るのは宿命である。それでも魂気は天上天下、赴けない所はない。
(イエスのように復活して遺体ごと昇天したりすることを認めるものではないが)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・檀弓下・第四より)
そういった考えに基づいてこそ試みられている所があるので、いただけないのである。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、
またかくのごとし。」という、「方丈記」の川水への人間の比肩こそは、生命の本質
をも捉えた名文だといえる。生命の本質が川を流れる水ほどにもはかないものであるのは、
人間を含む生命の本質が本当に水分によってこそ司られているからでもある。人の命は、
土から生まれて土に返るという以上にも、川の流れからほとばしってはまた飲み込まれる
といったようなもの。月にも土はあるが水や空気がないから生命が存在しない。宇宙から
見れば「青い星」のように見えるほどにも、氷結も蒸発もしていない水が豊富であるから
こそ、この地球には多用な生態系が開かれもした。水を尊んで砂漠化の拡大を防ぎ、
水の火に対する優越を尊ぶことで温暖化を防止することが、地球環境の保全とも
なるために、人間を含む生命体の保護にも実際になるのである。
水なんて、尊んだりしなくたって実際に必要なものだから、ただそれだけのものとして
おざなりに扱ってしまいがちなものであるけれども、水こそを生命の本質として尊ぶ
こともまたできて、それでこそ真に生命を尊ぶことにも繋がるという事実もまたある。
生命の本質を土だなどと勘違いして、実際に誰しもを核戦争で土に返してしまったり
するよりは、まだ水の如く潤った人々の営みこそを企図して行くべきであるには違いない。
「骨肉の土に帰復するは命なり。魂氣の若きは、則ち之かざることなし、之かざることなし」
「骨肉が死して土に返るのは宿命である。それでも魂気は天上天下、赴けない所はない。
(イエスのように復活して遺体ごと昇天したりすることを認めるものではないが)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・檀弓下・第四より)
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/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
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o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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鶴岡www
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人間にとっての欲望の対象こそは、主に「土」や「地」から提供されるものである。
死後にも少しの間はその形状を保つ人間の肉体こそは、肉欲の対象ともなっているが、
その肉体の糧となって来た穀物や野菜や肉類といった食物こそは、土からの養分に
よって養育されたものである。物欲の対象となる金銀や宝石なども、元はといえば
地中から掘り出されたものであるし、近代以降の高エネルギーの物質文明の原動力
となっている石油や石炭といったエネルギー源もまた、地中に眠っていたものである。
凡そ、人間の無軌道な欲望を喚起するような物質的肉体的栄華を提供してくれるのは、
土の堆積としての地であり、風雨や日光などはかえって、その地からの恵みたる財宝を
風化させて朽ち果てさせたりもするものだから、古来から洞窟や巨大な陵墓の奥深くの
穴倉などに財宝を匿うことが試みられて来たし、今でも頑丈な金庫などに貴重な財物を
保管することが嗜まれているのである。(ただしこれらには防盗という目的も当然ある)
天地の交わりなくして生物や財物もまた生じ得ないからには、母なる大地というものを
尊ぶことにも一つの意義があるものである。ただ、大地の恵みへの貪欲さばかりが余って、
大量の財物と共に日光も届かない穴倉の奥底へと隠れ込んだりするのでは、日月の照らす
大地のほうでの化育が疎かにすらなってしまいかねない。そもそもが、大地もまた日光
によって作物を生い茂らせ、月の引力が生じさせた波によって、波打ち際での原生生物の
発生に賛助できたりしているわけで、いくら大地が恵みの宝庫であるとはいえ、天からの
影響によってこそ、それらの恵みを生じさせて来ていることにも十分に注意せねばならぬ。
日本神話のスサノオ伝説の中盤、スサノオが地母神オホゲツヒメを斬り殺して天下に
作物を生い茂らせるという下りは、大地の恵みの独り占めを断ち切る寓話としてこそ
秀逸なものである。オホゲツヒメが尻から食物をひり出すことをスサノオが卑しんだ
ように、実際の大地の恵みもまた、背中が丸まるほどもの百姓の苦労だとか、落盤で
次々と死んで行くような鉱山労働者の苦労だとか、劣悪環境での重労働を強いられる
工場労働者の苦労だとかいったものがあった上で、消費者の元にも届けられるものである。
死後にも少しの間はその形状を保つ人間の肉体こそは、肉欲の対象ともなっているが、
その肉体の糧となって来た穀物や野菜や肉類といった食物こそは、土からの養分に
よって養育されたものである。物欲の対象となる金銀や宝石なども、元はといえば
地中から掘り出されたものであるし、近代以降の高エネルギーの物質文明の原動力
となっている石油や石炭といったエネルギー源もまた、地中に眠っていたものである。
凡そ、人間の無軌道な欲望を喚起するような物質的肉体的栄華を提供してくれるのは、
土の堆積としての地であり、風雨や日光などはかえって、その地からの恵みたる財宝を
風化させて朽ち果てさせたりもするものだから、古来から洞窟や巨大な陵墓の奥深くの
穴倉などに財宝を匿うことが試みられて来たし、今でも頑丈な金庫などに貴重な財物を
保管することが嗜まれているのである。(ただしこれらには防盗という目的も当然ある)
天地の交わりなくして生物や財物もまた生じ得ないからには、母なる大地というものを
尊ぶことにも一つの意義があるものである。ただ、大地の恵みへの貪欲さばかりが余って、
大量の財物と共に日光も届かない穴倉の奥底へと隠れ込んだりするのでは、日月の照らす
大地のほうでの化育が疎かにすらなってしまいかねない。そもそもが、大地もまた日光
によって作物を生い茂らせ、月の引力が生じさせた波によって、波打ち際での原生生物の
発生に賛助できたりしているわけで、いくら大地が恵みの宝庫であるとはいえ、天からの
影響によってこそ、それらの恵みを生じさせて来ていることにも十分に注意せねばならぬ。
日本神話のスサノオ伝説の中盤、スサノオが地母神オホゲツヒメを斬り殺して天下に
作物を生い茂らせるという下りは、大地の恵みの独り占めを断ち切る寓話としてこそ
秀逸なものである。オホゲツヒメが尻から食物をひり出すことをスサノオが卑しんだ
ように、実際の大地の恵みもまた、背中が丸まるほどもの百姓の苦労だとか、落盤で
次々と死んで行くような鉱山労働者の苦労だとか、劣悪環境での重労働を強いられる
工場労働者の苦労だとかいったものがあった上で、消費者の元にも届けられるものである。
にもかかわらず、天下の恵みを自分ばかりが独占しようとするような卑しさを、一切の
偽善を排した「地母神の斬殺」という劇的な描写によってこそ断ち切っているのである。
実際に、大地が恵む多くの資材への欲望を断ち切る時にまず必要となるのも、高尚めいた
諦観などよりは、地母神を斬殺する瞬間のスサノオのような思い切りであるに違いない。
出家者が精進修行によって諸々の欲求を諦観するような手法がすでに整えられている
ような時代にはもう、一部の権力者が膨大な富を寡占するほどもの重権力犯罪はすでに
解決されているものである。それ以前の、未だ富の寡占が横行してしまっているような
状態において、差し当たって必要となるものこそは、件のスサノオの如き激憤である。
そのような激憤によって、天下の富の寡占などが是正されて後に、恵みを直接もたらして
くれる大地以上にも尊いものとしての、天上の日月の運行などを尊ぶようにもして行く。
共産主義者のように、大地の恵みを製品に仕立てる労働者の権威を絶対化したりするの
でもいけない。それ以上により根本的な恵みの提供者としての、天こそを尊ぶのである。
さすれば、天から隔絶された穴倉ばかりに富を隠し込むことへの抑制も利いていって、
最も根本的な部分から富の偏在が予防されて行くことともなるのである。それからさらに、
一切を空として諦観する仏法に帰依することで、天下に敷かれた浄土をより磐石なものと
して行くのでもよい。欲望を諦観したりする選択肢は、そこからこそ開けて行くものである。
「財を生ずるに大道有り。之れを生ずる者衆くして、之れを食する者寡なく、
之れを為す者疾くして、之れを用いる者舒やかなれば、則ち財恒に足る」
「財政を豊かにするのにも大いなる常道というものがある。生産者は多くてなおかつ勤勉、
消費者は少なくてなおかつ倹約であれば、財も常に足りるものである。(これが財政に
かけての最善であり、むしろ財を満たすことにかけては努力し続けなければならない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——大学・十より)
偽善を排した「地母神の斬殺」という劇的な描写によってこそ断ち切っているのである。
実際に、大地が恵む多くの資材への欲望を断ち切る時にまず必要となるのも、高尚めいた
諦観などよりは、地母神を斬殺する瞬間のスサノオのような思い切りであるに違いない。
出家者が精進修行によって諸々の欲求を諦観するような手法がすでに整えられている
ような時代にはもう、一部の権力者が膨大な富を寡占するほどもの重権力犯罪はすでに
解決されているものである。それ以前の、未だ富の寡占が横行してしまっているような
状態において、差し当たって必要となるものこそは、件のスサノオの如き激憤である。
そのような激憤によって、天下の富の寡占などが是正されて後に、恵みを直接もたらして
くれる大地以上にも尊いものとしての、天上の日月の運行などを尊ぶようにもして行く。
共産主義者のように、大地の恵みを製品に仕立てる労働者の権威を絶対化したりするの
でもいけない。それ以上により根本的な恵みの提供者としての、天こそを尊ぶのである。
さすれば、天から隔絶された穴倉ばかりに富を隠し込むことへの抑制も利いていって、
最も根本的な部分から富の偏在が予防されて行くことともなるのである。それからさらに、
一切を空として諦観する仏法に帰依することで、天下に敷かれた浄土をより磐石なものと
して行くのでもよい。欲望を諦観したりする選択肢は、そこからこそ開けて行くものである。
「財を生ずるに大道有り。之れを生ずる者衆くして、之れを食する者寡なく、
之れを為す者疾くして、之れを用いる者舒やかなれば、則ち財恒に足る」
「財政を豊かにするのにも大いなる常道というものがある。生産者は多くてなおかつ勤勉、
消費者は少なくてなおかつ倹約であれば、財も常に足りるものである。(これが財政に
かけての最善であり、むしろ財を満たすことにかけては努力し続けなければならない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——大学・十より)
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/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
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,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
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/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
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得た分だけ費やす自転車操業状態ではなく、
多くを得て多くを費やさぬ堅実な財政であれという。
それでこそ、飢饉のような不安定要素によって苛まれがちな
為政が恙無く営まれて行くものであるのだから。
多くを得て多くを費やさぬ堅実な財政であれという。
それでこそ、飢饉のような不安定要素によって苛まれがちな
為政が恙無く営まれて行くものであるのだから。
欧米でも、ロスチャイルドのような悪徳政商が蓄財を好むというが、
そのユダ金への憎悪もあって、一般レベルでは蓄財を心がける意識に乏しい。
だから国家レベルでの経済破綻を頻繁に来してしまうし、
プロスポーツ選手の自己破産なども日常茶飯事となってしまっている。
むしろ、国家と平民は蓄財を重んずるべきである。
天下と利害を共にするものこそは堅実なやり繰りに務め、
天下と利害が相反してしまっているような富裕者のみが散財に務めるべきである。
宵越しの金は持たないとされる江戸っ子ですら、
着物の襟に非常用の小判を忍ばせるなどしていた。
それが天下の公益を害さぬ限りにおいては、
ある程度の蓄財をたしなんでおくのも一興だといえる。
そのユダ金への憎悪もあって、一般レベルでは蓄財を心がける意識に乏しい。
だから国家レベルでの経済破綻を頻繁に来してしまうし、
プロスポーツ選手の自己破産なども日常茶飯事となってしまっている。
むしろ、国家と平民は蓄財を重んずるべきである。
天下と利害を共にするものこそは堅実なやり繰りに務め、
天下と利害が相反してしまっているような富裕者のみが散財に務めるべきである。
宵越しの金は持たないとされる江戸っ子ですら、
着物の襟に非常用の小判を忍ばせるなどしていた。
それが天下の公益を害さぬ限りにおいては、
ある程度の蓄財をたしなんでおくのも一興だといえる。
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なりすまし地蔵www
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なりすまし地蔵www
「盗人にも三分の理」で、悪徳金融といえどもそれなりの理屈を
付けての蓄財に務めていたりする。その理屈の偽善さ加減だとか、
悪徳金融そのものへの憎悪が極まって、蓄財という行為全般までをも
一からげに嫌悪の対象として、今のギリシャのような破綻し通しの国家経営
に陥ったりするのでは、それもまた一つの自業自得の愚行となるのである。
旧約のトーラーが徒法の塊であるからといって、法律を遵守すること
全般を卑しみの対象にしたりすることも、やはり無分別ゆえの愚行となる。
もちろん全ての徒法に至るまで頑なに守らせたりすることも杓子定規と
いうことになるわけで、そこには両極への振り切れという過ちがあるばかり
なのであり、そのような選択肢しか用意されていないからには、そこでは
過ちを犯すことしか許されていなかったということになるのである。
そういう、過ちにしか結び付かないような選択肢ばかりを強制され続けて
来た人間というのを哀れんでやった所で、だからといって本人たちの好きな
ようにさせてやったりしたのでは、かえって過ちの積み重ねによる自滅を
助長してやることにしかならない。自分たちの知りうる限りの言行規範に
即する以上は、どうしたって過ちを犯さざるを得ないのだから、本人たち
のためにこそ、手痛い矯正すらをも施してやらねばならなくなるのである。
まずは、己れの決定的な無知さというものを思い知らせて、恥じ入らせる
のでなければならない。現状、新旧約の権威なども世界的に認められて
しまっているものだから、旧約信仰に即しようが新約信仰に即しようが、
人は致命的な過ちを積み重ねることしかできないということが、恥じらい
の理由にされることすらない。そこに救いなどどこにもないということを
わきまえぬ無知さ加減を権威によって開き直ることも可能だから、そんな
恥知らずな相手をその言行規範から矯正してやることなども覚束ないのだ。
付けての蓄財に務めていたりする。その理屈の偽善さ加減だとか、
悪徳金融そのものへの憎悪が極まって、蓄財という行為全般までをも
一からげに嫌悪の対象として、今のギリシャのような破綻し通しの国家経営
に陥ったりするのでは、それもまた一つの自業自得の愚行となるのである。
旧約のトーラーが徒法の塊であるからといって、法律を遵守すること
全般を卑しみの対象にしたりすることも、やはり無分別ゆえの愚行となる。
もちろん全ての徒法に至るまで頑なに守らせたりすることも杓子定規と
いうことになるわけで、そこには両極への振り切れという過ちがあるばかり
なのであり、そのような選択肢しか用意されていないからには、そこでは
過ちを犯すことしか許されていなかったということになるのである。
そういう、過ちにしか結び付かないような選択肢ばかりを強制され続けて
来た人間というのを哀れんでやった所で、だからといって本人たちの好きな
ようにさせてやったりしたのでは、かえって過ちの積み重ねによる自滅を
助長してやることにしかならない。自分たちの知りうる限りの言行規範に
即する以上は、どうしたって過ちを犯さざるを得ないのだから、本人たち
のためにこそ、手痛い矯正すらをも施してやらねばならなくなるのである。
まずは、己れの決定的な無知さというものを思い知らせて、恥じ入らせる
のでなければならない。現状、新旧約の権威なども世界的に認められて
しまっているものだから、旧約信仰に即しようが新約信仰に即しようが、
人は致命的な過ちを積み重ねることしかできないということが、恥じらい
の理由にされることすらない。そこに救いなどどこにもないということを
わきまえぬ無知さ加減を権威によって開き直ることも可能だから、そんな
恥知らずな相手をその言行規範から矯正してやることなども覚束ないのだ。
そういった手痛い矯正を施して行く過程において、救済対象となるような
人々は、かえって自分たちが虐げられているような気分にすらなりかねない。
自分たちの思い通りにやることが、内心の部分から抑圧されて行くことが、
独裁者の横暴だなどとすら思い込まれかねない。邪教邪学によって思考規範
から粗悪なものと化せられ続けて来ているわけだから、そのような逆恨みを
抱かれないで済むなどと楽観するほうがおかしいこととなったりもする。
むしろ、よかれと思ってやっていることが、かえって逆恨みの原因にすらなる。
根本的無知にも即した致命的な過ちを正して行ってやったりするところには、
そういった不条理が付き物ともなる。そのような不条理を見越した上での、
救済の円滑化を企図した他力信仰が念仏信仰だったりするわけで、信者たる
人間が自らを煩悩愚縛の凡夫であると自覚して、微妙不可思議な仏の救済に
与ろうとするその姿勢なども、キリスト信仰などと比べてお世辞にも格好の
いいものではない、にもかかわらずではなくだからこそ、救済のフリをした
破滅への陥れなどではない、真の救済ともなるのだと知らねばならない。
思考規範や言動規範から劣悪化させられてしまっている人々の救済
のためには、まずは徹底的な妄動の制止が必要ともなる。それがまた
「強制収容」のような非難の対象となりやすい事象に発展したりも
しかねないわけで、なおかつそこで対象者に手心を加えてやったりしたのでは、
相手のためにもならなかったりする。致命的な過ちを正してやるためにこそ、
こちらが心を鬼にせねばならないということがあるのである。
人々は、かえって自分たちが虐げられているような気分にすらなりかねない。
自分たちの思い通りにやることが、内心の部分から抑圧されて行くことが、
独裁者の横暴だなどとすら思い込まれかねない。邪教邪学によって思考規範
から粗悪なものと化せられ続けて来ているわけだから、そのような逆恨みを
抱かれないで済むなどと楽観するほうがおかしいこととなったりもする。
むしろ、よかれと思ってやっていることが、かえって逆恨みの原因にすらなる。
根本的無知にも即した致命的な過ちを正して行ってやったりするところには、
そういった不条理が付き物ともなる。そのような不条理を見越した上での、
救済の円滑化を企図した他力信仰が念仏信仰だったりするわけで、信者たる
人間が自らを煩悩愚縛の凡夫であると自覚して、微妙不可思議な仏の救済に
与ろうとするその姿勢なども、キリスト信仰などと比べてお世辞にも格好の
いいものではない、にもかかわらずではなくだからこそ、救済のフリをした
破滅への陥れなどではない、真の救済ともなるのだと知らねばならない。
思考規範や言動規範から劣悪化させられてしまっている人々の救済
のためには、まずは徹底的な妄動の制止が必要ともなる。それがまた
「強制収容」のような非難の対象となりやすい事象に発展したりも
しかねないわけで、なおかつそこで対象者に手心を加えてやったりしたのでは、
相手のためにもならなかったりする。致命的な過ちを正してやるためにこそ、
こちらが心を鬼にせねばならないということがあるのである。
「予れ、〜塗山を娶るも、辛壬癸甲のみ。啓呱呱として泣くも、予れ子弗しとす。
惟れ土功を荒いに度る。〜帝曰く、朕が徳を迪むは、時れ乃じの功、惟れ敘すればなり」
「禹『私は、妻の塗山を娶りながらも、会うのは辛壬癸甲に相当する四日間のみとし、
わが子の啓がエンエンと泣き叫んでもも、まるで自分に子などいないかのように無視して、
ただひたすら土木事業に専念してまいりました』 舜帝『おまえの仕事が見事なものであった
から、天下もよく保たれている』(そのため舜帝は禹に位を譲り、禹を始祖とする夏王朝は
世襲での長期にわたる治世を獲得した。瑣末な泣き叫びなどに囚われるべきでなかった実例)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・虞書・益稷より)
惟れ土功を荒いに度る。〜帝曰く、朕が徳を迪むは、時れ乃じの功、惟れ敘すればなり」
「禹『私は、妻の塗山を娶りながらも、会うのは辛壬癸甲に相当する四日間のみとし、
わが子の啓がエンエンと泣き叫んでもも、まるで自分に子などいないかのように無視して、
ただひたすら土木事業に専念してまいりました』 舜帝『おまえの仕事が見事なものであった
から、天下もよく保たれている』(そのため舜帝は禹に位を譲り、禹を始祖とする夏王朝は
世襲での長期にわたる治世を獲得した。瑣末な泣き叫びなどに囚われるべきでなかった実例)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・虞書・益稷より)
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/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
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o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
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植草にしろ俺にしろ、次代を担う立場にある若手に対して
執拗な妨害や愚弄を加えて来る連中の心境を察するに、要は、
「自殺への助走」
ということなのだろうな。
その時その瞬間、何の迷いもなく一思いに自殺するための。
執拗な妨害や愚弄を加えて来る連中の心境を察するに、要は、
「自殺への助走」
ということなのだろうな。
その時その瞬間、何の迷いもなく一思いに自殺するための。
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/ \オエーー!!!! / ヽ
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。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
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,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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念仏一つで極楽浄土へと導かれようとする浄土門の信者とて同じことである。
ただ、>>180などでも述べたとおり、決して浄土信仰などは格好のいい信仰でもない。
最低度の品性の人間がそうであるままに救われることを完全に開き直ったものであるが故、
寺の本堂に荘厳された浄土の世界描写なども、それはそれは下世話なものとなっている。それが
キリスト教徒などからの心理的な拒絶の対象となることもあるのだが、それは、キリスト教徒の
ほうが身の程をわきまえぬ思い上がりにまみれてしまっているがためでこそあるのであり、その
思い上がりこそは、他力本願での救いすらをも決定的に不能なものと化してしまっているのである。
「格好が悪くてもいい」と受け入れられるものこそは、他力本願によっても救われる。
自力作善を志すのなら、格好の良さすらをも共に追い求めて行ってもいいわけだが、
ことに、他力本願一辺倒である以上は、そうであることをダサい愚か者の有り様であるとも
認められるのでなければ、致命的な身の程のわきまえの欠如故に、救われることもありはしない。
自力作善を心がける者の格好の良さと、他力本願でいる者が虚飾として講ずる格好の良さも、
相当に異質なものである。前者は内面からの格好の良さである一方、後者は外面だけを取り繕う
格好の良さであるわけだから、その対比関係はまさに真贋の関係にあるといえる。内面からの真の
格好の良さを好む者は、外面だけの贋の格好良さなどをさして好みもしない一方、外面だけの贋の
格好良さを好き好むような者は、そもそも内面からの真の格好の良さなどを全く知らないままで
いる場合がほとんどであるといった違いもある。見てくればかりの格好良さに囚われてしまって
いる人間には、内面からの格好良さなど「意味不明」なものにしか映らない。意味不明な上に、
オッカムの剃刀的な不埒な判断をも講じたりして、即座にそれへの理解を絶ってしまう。
それがもう、近代の西洋文明に侵された世の中における万人の常態とすら化してしまって
いるわけで、内面からの真の格好の良さなど、本当に忘れ去られかけていもするのである。
内面からの真の格好の良さのヒントとなる材料は、それこそ、かつての日本の武士たちが無数に
用意してくれてもいる。思想信条に、有職故実に、各種武術に、それらの実践と、おおよそ
自力作善を心がけるつわもののあるべき姿というものを、800年の長きに渡って研鑽し、
伝承して来てくれている。そこに、他力本願を虚飾する類いの文化によって汚染されて
しまっている近現代という社会の行き詰まりを打開する秘訣すらもが含まれている。
楽して大利を得る他力本願系の思想信条は、禁止されるとまでは行かずとも、虚飾によって
推進されるようなことまではもうあってはならないのが実情である。他力本願にこそ格好付けの
要素を提供するキリスト信仰などは省かれねばならず、他力本願である以上は卑しい凡夫で
あることをわきまえさせる浄土信仰などだけが許容されるようになるのでなければならない。
一方で、自分は格好良さを追求して行きたいというのであれば、これからはスーツで決めた
ビジネスマンなどではなく、二本差しの武士こそを目指して行くようにすべきでもある。
信仰でも、商売でもなく、仁徳に叶った為政の実現のためにこそ、格好良くあるべきである。
対象が格好いいかダサいかなどということは、頑是無い少年でも察知できることである。
だからこそ、そのような最低度の域からの、「魅力の善用」というものにも務めるべきなのだ。
用意してくれてもいる。思想信条に、有職故実に、各種武術に、それらの実践と、おおよそ
自力作善を心がけるつわもののあるべき姿というものを、800年の長きに渡って研鑽し、
伝承して来てくれている。そこに、他力本願を虚飾する類いの文化によって汚染されて
しまっている近現代という社会の行き詰まりを打開する秘訣すらもが含まれている。
楽して大利を得る他力本願系の思想信条は、禁止されるとまでは行かずとも、虚飾によって
推進されるようなことまではもうあってはならないのが実情である。他力本願にこそ格好付けの
要素を提供するキリスト信仰などは省かれねばならず、他力本願である以上は卑しい凡夫で
あることをわきまえさせる浄土信仰などだけが許容されるようになるのでなければならない。
一方で、自分は格好良さを追求して行きたいというのであれば、これからはスーツで決めた
ビジネスマンなどではなく、二本差しの武士こそを目指して行くようにすべきでもある。
信仰でも、商売でもなく、仁徳に叶った為政の実現のためにこそ、格好良くあるべきである。
対象が格好いいかダサいかなどということは、頑是無い少年でも察知できることである。
だからこそ、そのような最低度の域からの、「魅力の善用」というものにも務めるべきなのだ。
「嗚呼、君子は所として其れ逸すること無し。先ず稼穡の艱難を知りて乃ち逸すれば、則ち小人の
依るところを知る。小人を相るに、厥の父母稼穡に勤労するも、厥の子乃ち稼穡の艱難を知らず。
乃ち逸し乃ち諺し既に誕ず。否らずんば則ち厥の父母を侮りて、昔の人は聞知すること無しと曰う」
「君子は何時いかなる時も羽目を外したりはしないものである。たとえばまず、農耕作業の艱難さを
知った上で羽目を外したりしたなら、小人の拠り所としているものをも知るだろう。その父母は
農耕への勤労に励んでいるというのに、その子供は未だ農耕の艱難さを知らないでいるようなもの。
そのため羽目を外して不埒な態度となり、挙げ句には虚言すらをも重ねるようになる。あるいは
自らの父母を馬鹿にして、『昔の人はものを知らない』などとすらほざいたりするのである。
(大いなる人々の艱難の下でのみ世の中も成り立っている。決してそれを忘れてはならない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・無逸より)
依るところを知る。小人を相るに、厥の父母稼穡に勤労するも、厥の子乃ち稼穡の艱難を知らず。
乃ち逸し乃ち諺し既に誕ず。否らずんば則ち厥の父母を侮りて、昔の人は聞知すること無しと曰う」
「君子は何時いかなる時も羽目を外したりはしないものである。たとえばまず、農耕作業の艱難さを
知った上で羽目を外したりしたなら、小人の拠り所としているものをも知るだろう。その父母は
農耕への勤労に励んでいるというのに、その子供は未だ農耕の艱難さを知らないでいるようなもの。
そのため羽目を外して不埒な態度となり、挙げ句には虚言すらをも重ねるようになる。あるいは
自らの父母を馬鹿にして、『昔の人はものを知らない』などとすらほざいたりするのである。
(大いなる人々の艱難の下でのみ世の中も成り立っている。決してそれを忘れてはならない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・無逸より)
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o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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面白いなあ
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o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
本当になぁ、逃げまくりペアはねwww
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
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。 | レ 。ヽ / U :l
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o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
本当になぁ、逃げまくりペアはねwww
弥生時代以降に、中国大陸から日本に流入して来た渡来人にも、大別すれば二種類の流派があった。
その一つが、春秋戦国時代に呉や越の付近から渡来して来た、天皇家や藤原氏や橘源平の
先祖であり、これは、本来夏殷周の正統な礼楽を継承する祭祀集団であったのが、乱世が
深刻化したせいでの中国本国での礼楽文化の荒廃から避難する目的で日本へと流入して来た
ものである。決して、自分たちが中国で失敗したものだから、日本でやり直すために渡来して
来たりしたのではない。むしろ、古来からの正統な礼楽文化を保全する志しがあればこそ、
地勢が文化文明の長期保存にもうってつけである、この日本にやって来たのである。
もう一つが、主に秦帝国などで苛政を極めたならず者の残党が、漢代以降に本国でその地位を
追われた結果、日本へと逃亡して来たという流派である。秦氏や蘇我氏などがその代表格であり、
これこそはまさに、中国での大失敗の結果、日本で新しくやり直そうとした類いの輩だと言える。
春秋戦国時代に数多の食客を養成していたりしたこともあって、ある種の技芸に長けていたりも
するために、そのような技芸の習得に特化していた者が長らく重用されるなどのこともあったが、
(雅楽の東儀家などもその実例である)為政にかけては残虐非道の限りを尽くすものだから、
乙巳の変や大化の改新以降にはその代表格が一掃されて、各地で被差別部落に追いやられたり、
長宗我部のような落ち武者勢になるなどした。辛うじて朝廷に残った為政者の秦氏も地下ジゲ
の下級官僚に追いやられ、そこから武家に転向した島津なども、まるで本姓が秦氏であること
を隠さんがためのように、「島津」という苗字を本姓も同然の扱いとし、領地である薩摩
では島津からの改姓者で臣下までをも塗り固めるような真似に及んでいたのである。
(島津を天皇家に見立て、町田や新納や山岡といった島津からの改姓者を源平藤橘の如き
「皇別の臣下」とすることで、自分たちで勝手に擬似朝廷を作り上げていたのである)
その一つが、春秋戦国時代に呉や越の付近から渡来して来た、天皇家や藤原氏や橘源平の
先祖であり、これは、本来夏殷周の正統な礼楽を継承する祭祀集団であったのが、乱世が
深刻化したせいでの中国本国での礼楽文化の荒廃から避難する目的で日本へと流入して来た
ものである。決して、自分たちが中国で失敗したものだから、日本でやり直すために渡来して
来たりしたのではない。むしろ、古来からの正統な礼楽文化を保全する志しがあればこそ、
地勢が文化文明の長期保存にもうってつけである、この日本にやって来たのである。
もう一つが、主に秦帝国などで苛政を極めたならず者の残党が、漢代以降に本国でその地位を
追われた結果、日本へと逃亡して来たという流派である。秦氏や蘇我氏などがその代表格であり、
これこそはまさに、中国での大失敗の結果、日本で新しくやり直そうとした類いの輩だと言える。
春秋戦国時代に数多の食客を養成していたりしたこともあって、ある種の技芸に長けていたりも
するために、そのような技芸の習得に特化していた者が長らく重用されるなどのこともあったが、
(雅楽の東儀家などもその実例である)為政にかけては残虐非道の限りを尽くすものだから、
乙巳の変や大化の改新以降にはその代表格が一掃されて、各地で被差別部落に追いやられたり、
長宗我部のような落ち武者勢になるなどした。辛うじて朝廷に残った為政者の秦氏も地下ジゲ
の下級官僚に追いやられ、そこから武家に転向した島津なども、まるで本姓が秦氏であること
を隠さんがためのように、「島津」という苗字を本姓も同然の扱いとし、領地である薩摩
では島津からの改姓者で臣下までをも塗り固めるような真似に及んでいたのである。
(島津を天皇家に見立て、町田や新納や山岡といった島津からの改姓者を源平藤橘の如き
「皇別の臣下」とすることで、自分たちで勝手に擬似朝廷を作り上げていたのである)
たとえば、何の変哲もない百姓の立場から、素直に「日本に来てくれてよかった」と思えるのは、
天皇家や源平藤橘といった流派のほうである。彼らこそは、日本にないよりもあったほうが好ましい
ような良質文化をもたらしてくれたのだから、心の底からの感謝と尊敬を捧げられるものである。
一方、秦氏や蘇我氏などの流派はといえば、ほとんど「来てくれないほうがマシだった」であり、
辛うじて技芸者などに評価のできるものが散在する程度である(しかも技芸者は、為政目的の
秦氏などに連行されて来た人材なのであり、自分から日本を目指したとも知れないのである)。
ただ自分たちが新しくやり直したいからなどという理由で、世を乱すような暴虐な為政をこの
日本に持ち込んで、聖徳太子のような大文化人の系統を亡ぼすなどの惨暴にすら及んでいた。
中臣鎌足や藤原不比等がその大半を放逐してくれたからよかったものの、明治以降にはまた
その息を吹き返して政財界を乗っ取るなどの所業に及び、米英に諂う佞臣として、日本国の文化
の荒廃と、民への経済的な痛め付けを積み重ね始めることとなった。都市に林立する大企業の
高層ビルなども連中の創作物ではあるが、それも寿命からいって200年と持つものではないし、
それらこそが平民たちからの膨大な富の巻上げの象徴でこそあるのでもある。(十九世紀の
アメリカなども都市部は繁栄していたが、一歩郊外に出るとスラム街が広がっていたという。
明治以降の日本の政財界もまた、ありのままにそのような米英のあり方を真似したのである)
日本への渡来人という実例一つをとっても、古来からの伝統を守ろうとする流派の価値は
認められる一方、何もかも新しくやり直そうなどとしたような流派の価値は認められない。
せいぜい米英などからの侵略に自爆覚悟で対抗し続ける爆発反応装甲として利用するぐらいの
価値しか認められないということが言える。全く新しくやり直すことに価値があるなどと思って
いるのは、過ちを積み重ねて来た本人たち自身のみであり、傍から見れば迷惑千万なだけである。
天皇家や源平藤橘といった流派のほうである。彼らこそは、日本にないよりもあったほうが好ましい
ような良質文化をもたらしてくれたのだから、心の底からの感謝と尊敬を捧げられるものである。
一方、秦氏や蘇我氏などの流派はといえば、ほとんど「来てくれないほうがマシだった」であり、
辛うじて技芸者などに評価のできるものが散在する程度である(しかも技芸者は、為政目的の
秦氏などに連行されて来た人材なのであり、自分から日本を目指したとも知れないのである)。
ただ自分たちが新しくやり直したいからなどという理由で、世を乱すような暴虐な為政をこの
日本に持ち込んで、聖徳太子のような大文化人の系統を亡ぼすなどの惨暴にすら及んでいた。
中臣鎌足や藤原不比等がその大半を放逐してくれたからよかったものの、明治以降にはまた
その息を吹き返して政財界を乗っ取るなどの所業に及び、米英に諂う佞臣として、日本国の文化
の荒廃と、民への経済的な痛め付けを積み重ね始めることとなった。都市に林立する大企業の
高層ビルなども連中の創作物ではあるが、それも寿命からいって200年と持つものではないし、
それらこそが平民たちからの膨大な富の巻上げの象徴でこそあるのでもある。(十九世紀の
アメリカなども都市部は繁栄していたが、一歩郊外に出るとスラム街が広がっていたという。
明治以降の日本の政財界もまた、ありのままにそのような米英のあり方を真似したのである)
日本への渡来人という実例一つをとっても、古来からの伝統を守ろうとする流派の価値は
認められる一方、何もかも新しくやり直そうなどとしたような流派の価値は認められない。
せいぜい米英などからの侵略に自爆覚悟で対抗し続ける爆発反応装甲として利用するぐらいの
価値しか認められないということが言える。全く新しくやり直すことに価値があるなどと思って
いるのは、過ちを積み重ねて来た本人たち自身のみであり、傍から見れば迷惑千万なだけである。
自分たちが失敗者であったということをろくに反省することもなく、さっさと次に行こうなどと
するその神経が、かえって何もしないほうがマシなほどにも粗悪な成果にしか結び付かないもの
であることを弁えるか、もしくは万年被差別階級に引き戻されるかの、どちらかしかないと思え。
「周は旧邦と雖も、其の命は維れ新たなり。有周は顕らかならず、帝命は時ならず」
「周は古い国ではあるが、その天命はいつでも新たなものである。周がどこまであるか
などということは判明しないし、命がいつ尽きるのかなどということも知れないのである。
(周の精神は儒学に、祭祀文化は日本の神道に今でも受け継がれている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・文王之什・文王より)
するその神経が、かえって何もしないほうがマシなほどにも粗悪な成果にしか結び付かないもの
であることを弁えるか、もしくは万年被差別階級に引き戻されるかの、どちらかしかないと思え。
「周は旧邦と雖も、其の命は維れ新たなり。有周は顕らかならず、帝命は時ならず」
「周は古い国ではあるが、その天命はいつでも新たなものである。周がどこまであるか
などということは判明しないし、命がいつ尽きるのかなどということも知れないのである。
(周の精神は儒学に、祭祀文化は日本の神道に今でも受け継がれている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・文王之什・文王より)

高禄の臣下までをも同族で塗り固めて来たことを原因としている。
「薩州島津家分限帳」などの名簿録を見てみても、
千石取り超の上士はみんな島津からの改姓者。
本姓から別の重臣も指折る程度はいるにしたって、スズメの涙程度の取り分しか与えていない。
皇別臣下で上層部を固めていたのは朝廷も同じだが、
朝廷には、日本という完結した天下国家全体の命運を担う重責が備わっているわけだから、
身内同士で馴れ合っているようなわけにもいかない。実際、源平にしろ堂上家にしろ、
さらには天皇家自体までもが同族間での血みどろの争いを繰り広げて来ているわけだが、
薩摩ていどの規模の社会で、その物真似をしてみれば、そんなわけにもいかなかった。
身内同士では殺人犯も罰せられないほどの内部腐敗を来してしまったのだった。
,,-—- 、 ,, -—-、
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
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「いざ鎌倉」は鎌倉で何か事が起こったときには、何を置いてでも鎌倉へ行くということですが、「いざキャバクラ」はキャバクラで何も事が起きなくてもキャバクラへ行きます。
つまり、「いざキャバクラ」の方が積極性が高いといえます。
つまり、「いざキャバクラ」の方が積極性が高いといえます。
私利私益に聡いような小人にも、それなりに見えているものはある。ただ、
その視力は決してよくないし、そもそも本人自身の見通しの心がけが甘かったりする。
近代以降の欧米聖書信者が、自分たち白人を中心とし、有色人種を自分たちの奴隷や
畜人も同然の存在とした牧場化社会というものをこの地球上において実現しようとした。
その試みはある意味成功したわけで、地球社会のほぼ全ての資本や資源が、白系
の聖書信者のためにこそ取り回される事態がほぼ完璧に実現されたわけである。
しかし、その結果としてどうなったかといえば、自分たち欧米聖書信者全員が
禁治産者や参政権被剥奪者となって、有色人種の保護下に置かれたほうがマシと
なるほどにも、世界中が人類滅亡レベルの荒廃に見舞われてしまったのである。
私益のために公益を蔑ろにするような小人の望みも、実際に叶えられる。しかし、
叶えられた所でさらにその次があり、そこにこそ、小人たちが予期もしていなかった
ような落とし穴が待ち受けることとなる。物事が見えているか見えていないかではなく、
遠くまでよく見通せているかどうかが真に重要な命題となるのであり、多少目先まで見通せた
ぐらいでいい気になったりするような思い上がりを控えることこそが肝要となるのである。
欧米聖書圏による地球規模での我田引水も、人類史上最大規模のものであるが、
そこまで行かずとも、見通しの甘い小人たちによる集団規模での落とし穴への
邁進というのが、世界史上にも多々見受けられる。その原因のほとんどは、帝や王侯、
さらには君子階級全般といった、人々を導くべき立場にある人物による教導が蔑ろにされて、
卑俗な立場の人間同士での談合によって利権が取り回されたりすることを原因としている。
その視力は決してよくないし、そもそも本人自身の見通しの心がけが甘かったりする。
近代以降の欧米聖書信者が、自分たち白人を中心とし、有色人種を自分たちの奴隷や
畜人も同然の存在とした牧場化社会というものをこの地球上において実現しようとした。
その試みはある意味成功したわけで、地球社会のほぼ全ての資本や資源が、白系
の聖書信者のためにこそ取り回される事態がほぼ完璧に実現されたわけである。
しかし、その結果としてどうなったかといえば、自分たち欧米聖書信者全員が
禁治産者や参政権被剥奪者となって、有色人種の保護下に置かれたほうがマシと
なるほどにも、世界中が人類滅亡レベルの荒廃に見舞われてしまったのである。
私益のために公益を蔑ろにするような小人の望みも、実際に叶えられる。しかし、
叶えられた所でさらにその次があり、そこにこそ、小人たちが予期もしていなかった
ような落とし穴が待ち受けることとなる。物事が見えているか見えていないかではなく、
遠くまでよく見通せているかどうかが真に重要な命題となるのであり、多少目先まで見通せた
ぐらいでいい気になったりするような思い上がりを控えることこそが肝要となるのである。
欧米聖書圏による地球規模での我田引水も、人類史上最大規模のものであるが、
そこまで行かずとも、見通しの甘い小人たちによる集団規模での落とし穴への
邁進というのが、世界史上にも多々見受けられる。その原因のほとんどは、帝や王侯、
さらには君子階級全般といった、人々を導くべき立場にある人物による教導が蔑ろにされて、
卑俗な立場の人間同士での談合によって利権が取り回されたりすることを原因としている。
特に、民間の商売人などは、世の中の大局を十分に見通すような視力と引き換えに、
自分やその連れ合いだけに暴利を呼び込むための見通しというものを専門的に
立てていたりする。この二つの見通しはどうしたって相容れないものであり、
一方を立てる以上はもう一方が立たないという普遍法則が存在している。だからこそ、
商売人同士が組合などを結成して集団規模での我田引水を企てたりすれば、それにより
巨万の富が得られたりする一方で、自分たちのうちの誰一人として気づくこともない
ままに、国家社会規模での経済破綻を招いてしまうようなことにすらなるのである。
そのような集団規模での小人の暴挙を推進するための正当化材料となって来たのが
資本主義だったり、民主主義だったり自由主義だったりする。特に、民主主義や
自由主義が掲げられたからといって、それが即座に小人たちの集団規模の自滅行為
に発展するなどとは考えづらいわけだが、残念ながら、そのような相関関係が
普遍化してしまうように、人間や人間社会というものはできているのである。
正式な公職にある為政者が硬軟織り交ぜた手法で民たちを導く所でこそ、
上に列挙したような破滅が防止されることとなる。それは歴史上の実例にも枚挙に
暇がない事実であるし、上に書いたような問題が予防できるというただそれだけの
理由を取っても、その効能に自明な普遍性が期待できるものである。君子が小人を
導く場合を含めて、「人間が人間を導くことは、盲人が盲人を導くようなものだ」
などと一律に独断するような者がいるとすれば、そのような僻みの持ち主こそは
入念な君子による教導での統制が必須となることまでもが明らかだといえる。
「蒙を包ぬ、吉なり。婦を納る、吉なり。子にして家を克む」
「盲目な親に代わって家を治めるようにして、盲目な相手をも包容してやる。
吉であり、妻を得るのであってもよろしい。(堯舜神話が原型となっている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・蒙・九二)
自分やその連れ合いだけに暴利を呼び込むための見通しというものを専門的に
立てていたりする。この二つの見通しはどうしたって相容れないものであり、
一方を立てる以上はもう一方が立たないという普遍法則が存在している。だからこそ、
商売人同士が組合などを結成して集団規模での我田引水を企てたりすれば、それにより
巨万の富が得られたりする一方で、自分たちのうちの誰一人として気づくこともない
ままに、国家社会規模での経済破綻を招いてしまうようなことにすらなるのである。
そのような集団規模での小人の暴挙を推進するための正当化材料となって来たのが
資本主義だったり、民主主義だったり自由主義だったりする。特に、民主主義や
自由主義が掲げられたからといって、それが即座に小人たちの集団規模の自滅行為
に発展するなどとは考えづらいわけだが、残念ながら、そのような相関関係が
普遍化してしまうように、人間や人間社会というものはできているのである。
正式な公職にある為政者が硬軟織り交ぜた手法で民たちを導く所でこそ、
上に列挙したような破滅が防止されることとなる。それは歴史上の実例にも枚挙に
暇がない事実であるし、上に書いたような問題が予防できるというただそれだけの
理由を取っても、その効能に自明な普遍性が期待できるものである。君子が小人を
導く場合を含めて、「人間が人間を導くことは、盲人が盲人を導くようなものだ」
などと一律に独断するような者がいるとすれば、そのような僻みの持ち主こそは
入念な君子による教導での統制が必須となることまでもが明らかだといえる。
「蒙を包ぬ、吉なり。婦を納る、吉なり。子にして家を克む」
「盲目な親に代わって家を治めるようにして、盲目な相手をも包容してやる。
吉であり、妻を得るのであってもよろしい。(堯舜神話が原型となっている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・蒙・九二)
,,-—- 、 ,, -—-、
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
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。 | レ 。ヽ / U :l
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o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
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/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
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,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
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o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
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U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
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本当に堅実な人間は、自分から危機を呼び込むようなことから避ける。
核戦争のような破滅的事態を招いておいて、自分だけシェルターに避難する
ような真似もせず、始めから核戦争などを呼び込まないための最善こそを尽くす。
自分で社会規模の危機を招いておいて、そこでの自己避難を決め込むようなことを
散々繰り返して来た挙げ句に到来したのが、聖書信仰が原因での人類滅亡の危機である。
そこで仮に、破滅の元凶たる聖書信者こそが徹底避難を講じた所で、もはや地球社会という
大局的な環境からの荒廃が免れ得ないわけだから、避難の結果として幸福に与れることもない。
核大戦後にもシェルターでゴキブリたちと共に生き延びたりするよりは、ひと思いに核爆発で死んで
しまったほうがマシなぐらいのもので、自分たちこそが破滅をもたらしておきながら、その中での
自分たちばかりの避難を決め込むような非道を続けて来たことの悪因苦果が、そこで極まるのだといえる。
「難を避ける」というあり方を徹底的に網羅し尽くしているのが、やはり道家思想であり、
列子などは、仕官を断って妻のヒモ状態でいることで、亡国に巻き込まれる難を逃れたとすらされる。
仏門のように遁世を出家として体系化するわけでもなく、あまり格好が付いているとも言えないような
所にこそ隠遁の道を模索している。だからこそ、秦帝国で逃亡犯として隠れ潜んでいた漢の高祖劉邦の
あり方などまでもが道家思想によってこそ承認できるところがある。たとえば今の日本のように、
仏門が宗教法人法で金満漬けにされることによって形骸化されてしまっている状態では、出家による
清廉さの獲得などもあまり期待できない。まだニートや生活保護者でいたほうが本来の出家隠遁に近い
効果が得られたりするわけで、そこで承認材料を与えてくれるのもむしろ仏教より道家のほうである。
必ずしも隠遁や出家の価値などが認められるわけでもないこの社会において、まず隠世そのものの
純粋な価値をゲリラ的な実践法と共に提示してくれている道家思想が、出家修行という荘厳を
講ずる仏門以上にも、差し当たって必要なものを提供してくれる場合があるのである。
核戦争のような破滅的事態を招いておいて、自分だけシェルターに避難する
ような真似もせず、始めから核戦争などを呼び込まないための最善こそを尽くす。
自分で社会規模の危機を招いておいて、そこでの自己避難を決め込むようなことを
散々繰り返して来た挙げ句に到来したのが、聖書信仰が原因での人類滅亡の危機である。
そこで仮に、破滅の元凶たる聖書信者こそが徹底避難を講じた所で、もはや地球社会という
大局的な環境からの荒廃が免れ得ないわけだから、避難の結果として幸福に与れることもない。
核大戦後にもシェルターでゴキブリたちと共に生き延びたりするよりは、ひと思いに核爆発で死んで
しまったほうがマシなぐらいのもので、自分たちこそが破滅をもたらしておきながら、その中での
自分たちばかりの避難を決め込むような非道を続けて来たことの悪因苦果が、そこで極まるのだといえる。
「難を避ける」というあり方を徹底的に網羅し尽くしているのが、やはり道家思想であり、
列子などは、仕官を断って妻のヒモ状態でいることで、亡国に巻き込まれる難を逃れたとすらされる。
仏門のように遁世を出家として体系化するわけでもなく、あまり格好が付いているとも言えないような
所にこそ隠遁の道を模索している。だからこそ、秦帝国で逃亡犯として隠れ潜んでいた漢の高祖劉邦の
あり方などまでもが道家思想によってこそ承認できるところがある。たとえば今の日本のように、
仏門が宗教法人法で金満漬けにされることによって形骸化されてしまっている状態では、出家による
清廉さの獲得などもあまり期待できない。まだニートや生活保護者でいたほうが本来の出家隠遁に近い
効果が得られたりするわけで、そこで承認材料を与えてくれるのもむしろ仏教より道家のほうである。
必ずしも隠遁や出家の価値などが認められるわけでもないこの社会において、まず隠世そのものの
純粋な価値をゲリラ的な実践法と共に提示してくれている道家思想が、出家修行という荘厳を
講ずる仏門以上にも、差し当たって必要なものを提供してくれる場合があるのである。
すでに遁世の価値も公的に認められた治世においては、より本格的な仏門興隆などに頼ったほうが
よいが、未だ遁世の価値も認められていないような乱世においては、むしろ道家の簡便さがより
役に立つということがある。遁世を決して美化しているわけでもなく、醜女や虫食いだらけの巨木
のような(荘子)、どうあっても好き好んだりはし難いような実例までをも引いて、「それでも
あからさまな選別志向に陥るよりは、万物の肯定者であったほうがマシ」という切実な部分を
訴えている。それでまず、ろくに遁世の価値も認めないような荒んだ世の中に対する徹底抗戦の
構えを取り、本当に秦帝国の崩壊と漢帝国の樹立のような形で、世の中を変えることにすらなる。
世界中が破滅に巻き込まれている中で、自分ばかりが避難によって助かろうとするのではない。
むしろ、世の中全体を破滅から救い上げるための「クールダウン」の率先者たるためにこそ、
ゲリラ的な手法を講じてでもの遁世を構ずる。そしたら結局、乱世を率先してもたらしていた
ような権力犯罪者こそは丸裸にされてしまうわけで、いくら自分たちばかりが避難しようと
してもどこにも逃げ場がなくなるわけだから、そのような破滅の元凶たる連中にこそ活路を
与えてやるような邪教と道家的な隠遁志向とは、対極的な関係にすらあるものだといえる。
世のため人のためにこそ隠遁を講ずる、そんなことは、自分ばかりが助かろうとするために
避難を企てようとするような連中にとってこそ、想像も付かないことであるに違いない。しかし、
実際にそういうことがあるのであり、そのほうが隠棲のあり方として本格的である上、人間が
講ずる隠棲のうちでも王道に相当するものなのである。自分がもたらした乱世で自分ばかりが
助かろうと避難する者はといえば、「天網恢恢疎にして漏らさず(老子)」ということで、
いつかはその無道が処罰にかけられるのが歴史的な定石ともなっているのである。
「君子は隠れても顕わなる」
「君子はたとえ身を隠していてもその徳が顕わとなる。(道家思想も結局、隠棲こそを修己治人
の道具としている。まんまと隠れ込んでいられたりするのも、自らに徳がないからである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・表記第三十二)
よいが、未だ遁世の価値も認められていないような乱世においては、むしろ道家の簡便さがより
役に立つということがある。遁世を決して美化しているわけでもなく、醜女や虫食いだらけの巨木
のような(荘子)、どうあっても好き好んだりはし難いような実例までをも引いて、「それでも
あからさまな選別志向に陥るよりは、万物の肯定者であったほうがマシ」という切実な部分を
訴えている。それでまず、ろくに遁世の価値も認めないような荒んだ世の中に対する徹底抗戦の
構えを取り、本当に秦帝国の崩壊と漢帝国の樹立のような形で、世の中を変えることにすらなる。
世界中が破滅に巻き込まれている中で、自分ばかりが避難によって助かろうとするのではない。
むしろ、世の中全体を破滅から救い上げるための「クールダウン」の率先者たるためにこそ、
ゲリラ的な手法を講じてでもの遁世を構ずる。そしたら結局、乱世を率先してもたらしていた
ような権力犯罪者こそは丸裸にされてしまうわけで、いくら自分たちばかりが避難しようと
してもどこにも逃げ場がなくなるわけだから、そのような破滅の元凶たる連中にこそ活路を
与えてやるような邪教と道家的な隠遁志向とは、対極的な関係にすらあるものだといえる。
世のため人のためにこそ隠遁を講ずる、そんなことは、自分ばかりが助かろうとするために
避難を企てようとするような連中にとってこそ、想像も付かないことであるに違いない。しかし、
実際にそういうことがあるのであり、そのほうが隠棲のあり方として本格的である上、人間が
講ずる隠棲のうちでも王道に相当するものなのである。自分がもたらした乱世で自分ばかりが
助かろうと避難する者はといえば、「天網恢恢疎にして漏らさず(老子)」ということで、
いつかはその無道が処罰にかけられるのが歴史的な定石ともなっているのである。
「君子は隠れても顕わなる」
「君子はたとえ身を隠していてもその徳が顕わとなる。(道家思想も結局、隠棲こそを修己治人
の道具としている。まんまと隠れ込んでいられたりするのも、自らに徳がないからである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・表記第三十二)
,,-—- 、 ,, -—-、
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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o U ° // | / | | \\゚。、。、o
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゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
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/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
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o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
聖書信仰を、世界規模の人類の和解に絶対に取り入れることができなくなるだけの
原因を、聖書信仰のほうが自分たちで勝手にもたらしている。世界規模の破滅を
最低限以上に食い止めるためには、聖書信仰ぐらいは絶対に根絶されねばならない
という程にも劣悪な存在性を聖書信仰のほうが勝手に帯びているのだから、人類の
和解に自分たちが参画できないのも、全くの自業自得であるという他はない。
仮に、聖書信仰の存続を許容したままの状態での人類の和解などを試みたところで、
信仰をも盾に世界資源の八割以上を独占している欧米聖書圏の過ちが十分に改められる
見込みも立たない。たった二割程度の些少な資源で、食うや食わずの生活を強いられ
続けている八割以上の世界人類の心底からの怨みも晴らされることがないために、
今の世界の権力者(主に欧米聖書信者)に対する報復攻撃としての人口爆発を
中止させることもない。(中国のように国家規模での一人っ子政策を講じた所で、
それでも未承認の黒亥子を多産しての人口爆発を続けて行ったりすることとなる)
聖書信仰が、ろくに改められることもない過ちを信者に許容させる材料として来たのも、
十字架刑への恐怖が極まっての精神薄弱でしかなかった。だからこそ、ここ二千年来、
聖書圏がろくに自分たちだけで自活して来られたこともないし、今でも中国生産や
イスラム圏などからの移民に依存しつつの社会的安定に頼っている。ろくに自活能力も
ないくせに経済的発展だけは無制限に進行させ続けようとするような自分たちの志向性から
改めていかないことには結局、異教圏の人口攻勢などにも頼っていかざるを得ないわけで、
聖書圏こそは世界の破滅の最たる元凶となっている人口爆発を必要としてもいるのである。
聖書信仰こそは、世界が破滅に陥るペースの社会情勢を必要としている。そのような粗悪な
社会情勢と共にでなければ、信仰を存続して行けなくなるような邪義を自分たちの信仰こそが
湛えているのだから、世界の和解と共に生き延びて行ける可能性も微塵たりともないのである。
原因を、聖書信仰のほうが自分たちで勝手にもたらしている。世界規模の破滅を
最低限以上に食い止めるためには、聖書信仰ぐらいは絶対に根絶されねばならない
という程にも劣悪な存在性を聖書信仰のほうが勝手に帯びているのだから、人類の
和解に自分たちが参画できないのも、全くの自業自得であるという他はない。
仮に、聖書信仰の存続を許容したままの状態での人類の和解などを試みたところで、
信仰をも盾に世界資源の八割以上を独占している欧米聖書圏の過ちが十分に改められる
見込みも立たない。たった二割程度の些少な資源で、食うや食わずの生活を強いられ
続けている八割以上の世界人類の心底からの怨みも晴らされることがないために、
今の世界の権力者(主に欧米聖書信者)に対する報復攻撃としての人口爆発を
中止させることもない。(中国のように国家規模での一人っ子政策を講じた所で、
それでも未承認の黒亥子を多産しての人口爆発を続けて行ったりすることとなる)
聖書信仰が、ろくに改められることもない過ちを信者に許容させる材料として来たのも、
十字架刑への恐怖が極まっての精神薄弱でしかなかった。だからこそ、ここ二千年来、
聖書圏がろくに自分たちだけで自活して来られたこともないし、今でも中国生産や
イスラム圏などからの移民に依存しつつの社会的安定に頼っている。ろくに自活能力も
ないくせに経済的発展だけは無制限に進行させ続けようとするような自分たちの志向性から
改めていかないことには結局、異教圏の人口攻勢などにも頼っていかざるを得ないわけで、
聖書圏こそは世界の破滅の最たる元凶となっている人口爆発を必要としてもいるのである。
聖書信仰こそは、世界が破滅に陥るペースの社会情勢を必要としている。そのような粗悪な
社会情勢と共にでなければ、信仰を存続して行けなくなるような邪義を自分たちの信仰こそが
湛えているのだから、世界の和解と共に生き延びて行ける可能性も微塵たりともないのである。
自分たちが聖書信者であるわけではないが、聖書圏の経済的軍事的横暴に追従者として
加担することで駄賃を得ていた世界各国のならず者というのも存在する。日本だと、
古代中国の秦人の流れを汲む今の政財界の重鎮などが挙げられるし、中東だと、
欧米石油メジャーとの結託で巨万の富を得ていた富豪などが挙げられる(このような
連中は、一般イスラム教徒の考えを代弁している「普遍的イスラーム宣言」などでも
異端者として糾弾されている。アフリカ諸国で浮雲のように生まれては消えて行っている
軍事政権なども、欧米からの武器提供などによって刹那的な権力を得ているのだし、
中国共産党ですらもはや、株式経済を取り入れたせいでの欧米への依存を強めている。
(幹部たちが資産をドルで海外に貯蓄したり、親族をアメリカに住まわせるなどしている)
そのような、欧米聖書圏への追従に専らでいて来ているようなならず者こそは、内政に
かけての民たちへの暴虐によって、世界規模の破滅をもたらしている「実行犯」でもある。
その実行犯もまた、主犯たる欧米聖書圏の権力者が聖書信仰と共に屈服することでこそ、
掃討して行く目処が立つものである。醜い日本、醜い中国、醜いイスラム、醜いアフリカ
といった、世界中の負の側面に相当するような存在もまた、「醜い世界」の元凶たる
聖書圏の権力者が白旗を上げることでこそ、共に征討されて行くものである。
聖書信仰を存続させたままでおいた場合の害も甚だしい上に、聖書信仰を
根絶した場合に世界にもたらされる好影響もまた、計り知れないのである。
「伯夷は聖の清なる者なり、伊尹は聖の任なる者なり、
柳下惠は聖の和なる者なり、孔子は聖の時なる者なり。孔子は之れ集大成と謂えり。」
「伯夷は清廉主義の聖人、伊尹は責任主義の聖人、柳下恵は調和主義の聖人、孔子は
時宜主義の聖人だった。この中でも孔子こそは他の聖人の集大成であったといえる。
(調和は尊いものだが、清濁併せ呑む和解ばかりが全てでは孔子には及ばない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・万章章句下・一より)
加担することで駄賃を得ていた世界各国のならず者というのも存在する。日本だと、
古代中国の秦人の流れを汲む今の政財界の重鎮などが挙げられるし、中東だと、
欧米石油メジャーとの結託で巨万の富を得ていた富豪などが挙げられる(このような
連中は、一般イスラム教徒の考えを代弁している「普遍的イスラーム宣言」などでも
異端者として糾弾されている。アフリカ諸国で浮雲のように生まれては消えて行っている
軍事政権なども、欧米からの武器提供などによって刹那的な権力を得ているのだし、
中国共産党ですらもはや、株式経済を取り入れたせいでの欧米への依存を強めている。
(幹部たちが資産をドルで海外に貯蓄したり、親族をアメリカに住まわせるなどしている)
そのような、欧米聖書圏への追従に専らでいて来ているようなならず者こそは、内政に
かけての民たちへの暴虐によって、世界規模の破滅をもたらしている「実行犯」でもある。
その実行犯もまた、主犯たる欧米聖書圏の権力者が聖書信仰と共に屈服することでこそ、
掃討して行く目処が立つものである。醜い日本、醜い中国、醜いイスラム、醜いアフリカ
といった、世界中の負の側面に相当するような存在もまた、「醜い世界」の元凶たる
聖書圏の権力者が白旗を上げることでこそ、共に征討されて行くものである。
聖書信仰を存続させたままでおいた場合の害も甚だしい上に、聖書信仰を
根絶した場合に世界にもたらされる好影響もまた、計り知れないのである。
「伯夷は聖の清なる者なり、伊尹は聖の任なる者なり、
柳下惠は聖の和なる者なり、孔子は聖の時なる者なり。孔子は之れ集大成と謂えり。」
「伯夷は清廉主義の聖人、伊尹は責任主義の聖人、柳下恵は調和主義の聖人、孔子は
時宜主義の聖人だった。この中でも孔子こそは他の聖人の集大成であったといえる。
(調和は尊いものだが、清濁併せ呑む和解ばかりが全てでは孔子には及ばない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・万章章句下・一より)
以下も参考までに。
「和を知りて和すれども、礼を以って之れを節せざれば、亦た行われず。(既出)」
「調和の大切さを知って和解してみたところで、そこに礼儀で節度を保たせて
行くのでなければ、うまく行くこともない。(無辜と市民と重罪人の和解なども、
礼に適ったものでは決してないから、うまく行くことはないのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・学而第一・一二より)
「夫子の邦家を得れば、〜之れを動かせば斯ち和す。(既出)」
「(子貢)もしも孔師が国政を任されたなら、民たちを予め調和して行くように
仕向けられるだろう。(民たちを敵対させてから和解させるような真似はしない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子張第十九・二五より)
「和を以って貴しと為す」といえども、その道は決して容易いものではないのだ。
全国規模での調和が保たれていた平安時代の日本においてにこそ、
出家者たちの厳しい精進修行が最隆盛期を迎えていたりもしたようにな。
「和を知りて和すれども、礼を以って之れを節せざれば、亦た行われず。(既出)」
「調和の大切さを知って和解してみたところで、そこに礼儀で節度を保たせて
行くのでなければ、うまく行くこともない。(無辜と市民と重罪人の和解なども、
礼に適ったものでは決してないから、うまく行くことはないのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・学而第一・一二より)
「夫子の邦家を得れば、〜之れを動かせば斯ち和す。(既出)」
「(子貢)もしも孔師が国政を任されたなら、民たちを予め調和して行くように
仕向けられるだろう。(民たちを敵対させてから和解させるような真似はしない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子張第十九・二五より)
「和を以って貴しと為す」といえども、その道は決して容易いものではないのだ。
全国規模での調和が保たれていた平安時代の日本においてにこそ、
出家者たちの厳しい精進修行が最隆盛期を迎えていたりもしたようにな。
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/ \オエーー!!!! / ヽ
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「得る者あれば産む者あり」で、豊満な消費の裏には必ず血みどろの生産がある。
生産業にまで福祉を行き渡らせるなんてのは非現実的なことで、そんな国は、
共産主義国や今の欧米諸国のように、生産性を極度に低下させてしまうこととなる。
それでも甚大な消費だけは続けていたいものだから、共産主義から実質資本主義に
移行した中国の人民などに、低賃金重労働での大量生産を押し付けるようになった。
すると、かつての欧米諸国や日本も体験したような極度の環境破壊を、中国という
人口大国がかつてを遥かに上回る規模で深刻化させてしまった。メディアやネット
から漏れ出てくるニュースだけでもその被害の深刻さが見て取れるものだし、実際
にPM2.5などと呼ばれる大気汚染が隣国の日本などにまで被害を及ぼし始めている。
それは、自分たち資本主義先進国の莫大な消費を中国生産が賄ってくれた
結果なのだから、道理からいえば労わってやらなければならないものですらある。
しかし、そんな人間は先進国の内にはついぞ見られず、かえって中国という国を
鼻つまみ者扱いすらする始末である。そういった神経は結局、国際権力犯罪による
外界からの富の収奪すらをも「神からの恵み」として開き直る聖書信仰の邪義に
よってこそ培われて来ているものである。聖書信者が全人口の1%に満たない日本に
おいても、資本主義国ならではの巨万の富を直接司っているような財政界のトップ
あたりにキリスト教徒が多く、やはり富の偏在を開き直ることにも長けている。
国際権力犯罪を聖書信仰で開き直ることは、人口爆発という最重要課題にも
即してもはや途絶しなければならないものである。ただ、じゃあ環境破壊まみれ
と共に世界中の生産をまかなっている今の中国などにひれ伏さねばならないのか
といえば、それも少し違う。実際に大量生産に従事して来てくれた中国人民を
労わらねばならないということはいえるが、中共政府などはむしろ、資本主義国の
走狗として甘い汁を吸って来た部類の人種であるから、その中共がトップを張って
いる中華人民共和国という国に屈従すべきだなどということは決して言えない。
生産業にまで福祉を行き渡らせるなんてのは非現実的なことで、そんな国は、
共産主義国や今の欧米諸国のように、生産性を極度に低下させてしまうこととなる。
それでも甚大な消費だけは続けていたいものだから、共産主義から実質資本主義に
移行した中国の人民などに、低賃金重労働での大量生産を押し付けるようになった。
すると、かつての欧米諸国や日本も体験したような極度の環境破壊を、中国という
人口大国がかつてを遥かに上回る規模で深刻化させてしまった。メディアやネット
から漏れ出てくるニュースだけでもその被害の深刻さが見て取れるものだし、実際
にPM2.5などと呼ばれる大気汚染が隣国の日本などにまで被害を及ぼし始めている。
それは、自分たち資本主義先進国の莫大な消費を中国生産が賄ってくれた
結果なのだから、道理からいえば労わってやらなければならないものですらある。
しかし、そんな人間は先進国の内にはついぞ見られず、かえって中国という国を
鼻つまみ者扱いすらする始末である。そういった神経は結局、国際権力犯罪による
外界からの富の収奪すらをも「神からの恵み」として開き直る聖書信仰の邪義に
よってこそ培われて来ているものである。聖書信者が全人口の1%に満たない日本に
おいても、資本主義国ならではの巨万の富を直接司っているような財政界のトップ
あたりにキリスト教徒が多く、やはり富の偏在を開き直ることにも長けている。
国際権力犯罪を聖書信仰で開き直ることは、人口爆発という最重要課題にも
即してもはや途絶しなければならないものである。ただ、じゃあ環境破壊まみれ
と共に世界中の生産をまかなっている今の中国などにひれ伏さねばならないのか
といえば、それも少し違う。実際に大量生産に従事して来てくれた中国人民を
労わらねばならないということはいえるが、中共政府などはむしろ、資本主義国の
走狗として甘い汁を吸って来た部類の人種であるから、その中共がトップを張って
いる中華人民共和国という国に屈従すべきだなどということは決して言えない。
資本主義国のほうが、特に悪辣な資本主義者や聖書信者を追討するなどして
体制を刷新し、それに準じて、資本主義国の走狗状態だった中国の権力者なども
駆逐の対象とする。消費国か生産国かによらず、権力者は軒並み総倒れ状態となり、
新たな社会が全世界規模で再構築されて行くようになる。その時に、また一部の人間に
深刻な環境破壊すらをも伴うような大量生産を押し付けて、一部の人間が大量消費する
ような同じ過ちを繰り返さないようにする。>>171の「大学」からの引用の通り、問題は
大量生産以上にも大量消費にこそあるのであり、消費に節度が保たれれば、生産のほうも
過不足なく適正化されるのである。生産者の権利ばかりを重大視して、大量消費にかけて
は資本主義国などとも対等であろうとした共産主義国が挫折したのもそのためである。
女も死ぬような思いをして子を産むように、生産という行為はどこまでも苦心や苦労が
あることで成果を挙げるものであるから、生産者の権利ばかりを尊重してやっていても
埒が明かない。だからこそ、消費者のほうが節度を持って、生産の必要性を控えさせて
行くことのほうが、国家規模国際規模の経済を健全化させる上での鍵ともなるのである。
「君子は恵して費やさず。〜
民の利とする所に因りて之れを利す、斯れ亦た恵して費やさざるか」
「君子は人に恵むことがあっても、やたらめったらと費やしたりはしない。
民たちが本当に必要としているものこそを的確に恵んでやるようにするのだ。
(君子はやたらめったらな恵みで民の浪費癖を煽ったりしないようにする)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・堯曰第二十・四より)
体制を刷新し、それに準じて、資本主義国の走狗状態だった中国の権力者なども
駆逐の対象とする。消費国か生産国かによらず、権力者は軒並み総倒れ状態となり、
新たな社会が全世界規模で再構築されて行くようになる。その時に、また一部の人間に
深刻な環境破壊すらをも伴うような大量生産を押し付けて、一部の人間が大量消費する
ような同じ過ちを繰り返さないようにする。>>171の「大学」からの引用の通り、問題は
大量生産以上にも大量消費にこそあるのであり、消費に節度が保たれれば、生産のほうも
過不足なく適正化されるのである。生産者の権利ばかりを重大視して、大量消費にかけて
は資本主義国などとも対等であろうとした共産主義国が挫折したのもそのためである。
女も死ぬような思いをして子を産むように、生産という行為はどこまでも苦心や苦労が
あることで成果を挙げるものであるから、生産者の権利ばかりを尊重してやっていても
埒が明かない。だからこそ、消費者のほうが節度を持って、生産の必要性を控えさせて
行くことのほうが、国家規模国際規模の経済を健全化させる上での鍵ともなるのである。
「君子は恵して費やさず。〜
民の利とする所に因りて之れを利す、斯れ亦た恵して費やさざるか」
「君子は人に恵むことがあっても、やたらめったらと費やしたりはしない。
民たちが本当に必要としているものこそを的確に恵んでやるようにするのだ。
(君子はやたらめったらな恵みで民の浪費癖を煽ったりしないようにする)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・堯曰第二十・四より)
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「形而上なるものを之れ道といい、形而下なるものを之れ器という(易経・繋辞伝)」
という原典からいって、「形而上」という言葉には、形而下の事柄とも密接な関係性を
伴う理念などを展開して行く領域こそが本来当てはめられていることが分かる。一方、
「形而上学」という和訳があてがわれている「metaphysics」という英単語は、直訳
すれば「超物理学」である。物理現象を超越すらしていればそれは全てmetaphysics
の領域に当てはまるわけで、物理現象と密接な関わり合いを持っている場合に限って
当てはめられる「形而上」という言葉とは、大幅に意味がかけ離れているといえる。
日月の運行が地球上に四季をもたらし、穀物を実らせたりすることも、地球上での
そういった物理現象に対する形而上的な道のようである。故にそれが「天道」として
古来より尊ばれ、今でも日本神道などにおいてはそれこそが至尊のものとされている
わけだけれども、別に天道たる日月の運行が物理現象でないわけではない。完全に
物理から逸脱したものこそを考察するmetaphysicsの領域などからすれば、なんら
尊重されるに値しないものとしてすら扱われてしまう。本来の意味での「形而上」
という言葉に即してそれを尊ぶことはできても、metaphysicsの和訳としての「形而上」
を尊重するような立場から、そんなものを尊ぶこともまたできはしないのである。
(初代教育大臣でプロテスタントだった森有礼が伊勢神宮で無礼を働いたように)
形而上といっても、形而下の物理現象と密接な関わり合いを持つものに限って考察し、
中でも代表的であるものを「道」として扱う。上に挙げた天道などと同じように、
人間性の自明性に即した「人道」というものを模索して行くこともできる。それを
世界的に主導して来たのが他でもない儒学道徳であり、儒学の祖である孔子が述べた
「己れの欲せざる所を人に施すことなかれ」という教条もまた、深く人道に根ざした
徳目であるといえる。そしてこれもやはり、物理を超越しきったような浮ついた神秘性は
どこにも伴っておらず、「何らかの奇を衒うような秘訣の提供」という意味合いを帯びて
という原典からいって、「形而上」という言葉には、形而下の事柄とも密接な関係性を
伴う理念などを展開して行く領域こそが本来当てはめられていることが分かる。一方、
「形而上学」という和訳があてがわれている「metaphysics」という英単語は、直訳
すれば「超物理学」である。物理現象を超越すらしていればそれは全てmetaphysics
の領域に当てはまるわけで、物理現象と密接な関わり合いを持っている場合に限って
当てはめられる「形而上」という言葉とは、大幅に意味がかけ離れているといえる。
日月の運行が地球上に四季をもたらし、穀物を実らせたりすることも、地球上での
そういった物理現象に対する形而上的な道のようである。故にそれが「天道」として
古来より尊ばれ、今でも日本神道などにおいてはそれこそが至尊のものとされている
わけだけれども、別に天道たる日月の運行が物理現象でないわけではない。完全に
物理から逸脱したものこそを考察するmetaphysicsの領域などからすれば、なんら
尊重されるに値しないものとしてすら扱われてしまう。本来の意味での「形而上」
という言葉に即してそれを尊ぶことはできても、metaphysicsの和訳としての「形而上」
を尊重するような立場から、そんなものを尊ぶこともまたできはしないのである。
(初代教育大臣でプロテスタントだった森有礼が伊勢神宮で無礼を働いたように)
形而上といっても、形而下の物理現象と密接な関わり合いを持つものに限って考察し、
中でも代表的であるものを「道」として扱う。上に挙げた天道などと同じように、
人間性の自明性に即した「人道」というものを模索して行くこともできる。それを
世界的に主導して来たのが他でもない儒学道徳であり、儒学の祖である孔子が述べた
「己れの欲せざる所を人に施すことなかれ」という教条もまた、深く人道に根ざした
徳目であるといえる。そしてこれもやはり、物理を超越しきったような浮ついた神秘性は
どこにも伴っておらず、「何らかの奇を衒うような秘訣の提供」という意味合いを帯びて
いる英語の「moral」に準じさせた言葉としての「道徳」などにはあまり当てはまらないもの
であるといえる。故に、「moral」を「道徳」と訳したのも、「metaphysics」を「形而上学」
と訳したのとも同じ、世紀の誤訳であったといえ、もはや日本語の「道徳」や「形而上」の
ほうが、本来の正規な語意を誤解された状態にすら追い込まれてしまっているのである。
道徳がmoralの訳語として曲解され、形而上がmetaphysicの訳語として曲解されたために、
もはや日本人すらもが人道の何たるか、天道の何たるかをろくに理解もできなくなってしまった。
本来の道徳や形而上といった言葉の意味は、今の日本人が考えるよりも遥かに限定されたもの
だったのであり、故にこそ、その意味に即した正当な人道や天道をこそ選別して尊ぶことが
できたのである。今ではもはやそれも叶わず、本物の人道を守ることの厳粛さや、本物の
天道を崇敬して行くことの貴さなどを、ろくに実感することもできなくなってしまったのだった。
物理現象を完全に超越しきった夢物語の領域に思いを馳せて、そこから人として守るべき
徳目などを編み出そうとするような真似に及んだならば、物理現象に合致する天道や、
そこから反映される人道の価値などを計り知ることも覚束なくなる。後者のほうが前者よりも
限定的であり、自分勝手な創作などの自由も利かないものだから、その堅苦しさに辟易
させられて、麻薬中毒者が麻薬を断たれるほどもの苦痛を抱かされることとなるのである。
そのようなmetaphysics of moralsの中毒者が今一度、切実な天道や人道へと立ち返るためには、
まず物理現象からの完全な逸脱などへの幻想から脱却して行く必要がある。そのためには、
物理を逸脱した概念論を無記に付し、諸法実相、諸行無常といった現実こそをありのままに
定立の対象として行く仏教などにまず帰依して行く必要性までもが生ずるかもしれない。
概念論への夢想を抱きがちなコーカソイド人種の国であるインドで生まれた教学である
こともあって、純極東産の神道などよりも、「治療過程」としての効能がより期待できる。
であるといえる。故に、「moral」を「道徳」と訳したのも、「metaphysics」を「形而上学」
と訳したのとも同じ、世紀の誤訳であったといえ、もはや日本語の「道徳」や「形而上」の
ほうが、本来の正規な語意を誤解された状態にすら追い込まれてしまっているのである。
道徳がmoralの訳語として曲解され、形而上がmetaphysicの訳語として曲解されたために、
もはや日本人すらもが人道の何たるか、天道の何たるかをろくに理解もできなくなってしまった。
本来の道徳や形而上といった言葉の意味は、今の日本人が考えるよりも遥かに限定されたもの
だったのであり、故にこそ、その意味に即した正当な人道や天道をこそ選別して尊ぶことが
できたのである。今ではもはやそれも叶わず、本物の人道を守ることの厳粛さや、本物の
天道を崇敬して行くことの貴さなどを、ろくに実感することもできなくなってしまったのだった。
物理現象を完全に超越しきった夢物語の領域に思いを馳せて、そこから人として守るべき
徳目などを編み出そうとするような真似に及んだならば、物理現象に合致する天道や、
そこから反映される人道の価値などを計り知ることも覚束なくなる。後者のほうが前者よりも
限定的であり、自分勝手な創作などの自由も利かないものだから、その堅苦しさに辟易
させられて、麻薬中毒者が麻薬を断たれるほどもの苦痛を抱かされることとなるのである。
そのようなmetaphysics of moralsの中毒者が今一度、切実な天道や人道へと立ち返るためには、
まず物理現象からの完全な逸脱などへの幻想から脱却して行く必要がある。そのためには、
物理を逸脱した概念論を無記に付し、諸法実相、諸行無常といった現実こそをありのままに
定立の対象として行く仏教などにまず帰依して行く必要性までもが生ずるかもしれない。
概念論への夢想を抱きがちなコーカソイド人種の国であるインドで生まれた教学である
こともあって、純極東産の神道などよりも、「治療過程」としての効能がより期待できる。
「父母在せば、老を称さず、孝を言いて慈を言わず、閨門の内には戯れて
嘆かず。君子此れを以って民を坊ぐとも、民猶お孝に薄くして慈に厚し」
「自らの父母が健在である内は、妄りに老獪ぶったりしない。孝行こそを心がけて
他人への慈しみなどに専らともならない。父母の近くでヘタに嘆いて父母を心配させる
ような真似もしない。たとえ君子がそのようなあり方を心がけて民に倣わせようとしたところで、
それでもまだ民たちは孝を蔑ろにしてまでの慈しみばかりを好んでいようとしがちである。
(身の程知らずな他人への慈しみなどよりも、大恩ある親への孝養を心がけるほうが大事なことである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・坊記第三十より)
「礼記」坊記の「坊」とは、「民たちの風紀を司る堤防としての役割を果たす」という意味だとさ。
日本で仏僧が「坊さん」と呼ばれているのもここから来ている。確かに、昔の仏僧は、
日本社会の風紀を武士たちと共に守る役割を果たしていたわけでな。今はそうでもないが。
嘆かず。君子此れを以って民を坊ぐとも、民猶お孝に薄くして慈に厚し」
「自らの父母が健在である内は、妄りに老獪ぶったりしない。孝行こそを心がけて
他人への慈しみなどに専らともならない。父母の近くでヘタに嘆いて父母を心配させる
ような真似もしない。たとえ君子がそのようなあり方を心がけて民に倣わせようとしたところで、
それでもまだ民たちは孝を蔑ろにしてまでの慈しみばかりを好んでいようとしがちである。
(身の程知らずな他人への慈しみなどよりも、大恩ある親への孝養を心がけるほうが大事なことである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・坊記第三十より)
「礼記」坊記の「坊」とは、「民たちの風紀を司る堤防としての役割を果たす」という意味だとさ。
日本で仏僧が「坊さん」と呼ばれているのもここから来ている。確かに、昔の仏僧は、
日本社会の風紀を武士たちと共に守る役割を果たしていたわけでな。今はそうでもないが。
,,-—- 、 ,, -—-、
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
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/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
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メール送ったぜ!
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孔子や孟子も、四書中で自らこそは礼楽文化や儒学の正統な後継者であると
自負するようなことをいくらか言っている。血のにじむような自助努力の積み重ねで
知見やその実践方法を磨き上げて来たからには、上辺ではなるべく恭しさを
取り繕ってみたところで、やはり内面からの自信にも満ち溢れていたのである。
その自信によって、取り入れられれば自らも巨万の富に与れるような大諸侯相手にも
対等かそれ以上の態度で接し、あえて自ら仕官を断るようなこともあった。仕官した
途端に自らの素養が蔑ろにされて、権力者の操り人形も同然の臣下と化せられてしまう
ぐらいなら、私塾の経営者程度の貧賤な境遇に甘んじていることのほうをよしとしたのだった。
大丈夫たるもの、その程度の自律性を持ち合わせているのが当然であるとは、
中国以上にも君子階級の世襲の頻度が高いこの日本においてですら、同じことであった。
故あって権力から身を引こうとする者の早急な隠遁や出家もしばしばであったのが、
明治以降の国家神道の一本化によって変節し、誰しもが天皇に絶対帰依の盲信者と化した。
権力者のトップが庄屋や豪商といった、低い身分であるが故に自律性も低かったような
職業の出身者にも成り代わってしまったために、その配下に置かれた日本人の誰しもが、
客にこびへつらう商売人のような態度の卑屈さを帯びてしまうことともなったのだった。
立派な君子たろうとする人間が、どんなに恭しくあった所で、
その内面には自律性を備えた旺盛な男気を帯びている。ちょうど、
恭 恭
男 ・・・①
恭 恭
とでもいった所で、これと比べれば、
本当に相手に媚びているだけの女々しい小人などは、
媚 媚
女 ・・・②
媚 媚
とでもいったような存在性を帯びてしまっているのである。
自負するようなことをいくらか言っている。血のにじむような自助努力の積み重ねで
知見やその実践方法を磨き上げて来たからには、上辺ではなるべく恭しさを
取り繕ってみたところで、やはり内面からの自信にも満ち溢れていたのである。
その自信によって、取り入れられれば自らも巨万の富に与れるような大諸侯相手にも
対等かそれ以上の態度で接し、あえて自ら仕官を断るようなこともあった。仕官した
途端に自らの素養が蔑ろにされて、権力者の操り人形も同然の臣下と化せられてしまう
ぐらいなら、私塾の経営者程度の貧賤な境遇に甘んじていることのほうをよしとしたのだった。
大丈夫たるもの、その程度の自律性を持ち合わせているのが当然であるとは、
中国以上にも君子階級の世襲の頻度が高いこの日本においてですら、同じことであった。
故あって権力から身を引こうとする者の早急な隠遁や出家もしばしばであったのが、
明治以降の国家神道の一本化によって変節し、誰しもが天皇に絶対帰依の盲信者と化した。
権力者のトップが庄屋や豪商といった、低い身分であるが故に自律性も低かったような
職業の出身者にも成り代わってしまったために、その配下に置かれた日本人の誰しもが、
客にこびへつらう商売人のような態度の卑屈さを帯びてしまうことともなったのだった。
立派な君子たろうとする人間が、どんなに恭しくあった所で、
その内面には自律性を備えた旺盛な男気を帯びている。ちょうど、
恭 恭
男 ・・・①
恭 恭
とでもいった所で、これと比べれば、
本当に相手に媚びているだけの女々しい小人などは、
媚 媚
女 ・・・②
媚 媚
とでもいったような存在性を帯びてしまっているのである。
「君につかえるに礼を尽くせば、人は以って諂いと為す(八佾第三・一八)」
とはまさに、①と②を見間違えてしまった場合のことを指している。
内面の自律性の有無を抜きにして、外面のあり方だけを見てみれば、
恭しいことと媚びることというのは、そんなに見分けの付きやすいものでもない。
特に、正統な礼法などを知らない人間からすれば、拝礼と土下座の違いもさして
理解できないなどのせいもあって、とんと両者の区別が付きやしないのである。
自負ばかりでも扱い辛いが、全く自律性のない「心の奴隷」状態であるのも
ろくでもないことである。一つの自信を、四つの恭敬で潤色する程度の中庸を守れる
人間こそは、君子階級としても、ただの一般人としても至上の存在であるといえる。
今はそんな人間よりも、完全な奴隷状態の人間のほうが持て囃されている時代である
けれども、そんな状態の世の中がいつまでも持つはずもない。内面の自信と外面の恭敬の
均衡を取るような人間が尊ばれるような世の中こそは、長期の安定をも獲得するのである。
内面の自信と外面の恭敬の均衡を保った①のような人間こそは、「和して同ぜず」の
人間関係をも構築して行く一方、内面にも自律性がなく、外面も媚び諂い止まりである
②のような人間こそは、「同じて和せず」の人間関係を構築してしまうものである。
その人間関係からして異質なものであるから、君子の交わりと小人の交わりというのも
同一性を持ち得ない。君子同士が権力者階級を形成していれば、自然とそこから小人が
省かれて行く一方、小人ばかりが権力を牛耳っていれば、そのせいで君子が
権力に寄り付けなくなってしまうのも、それこそが理由なのである。
一人の人間ではなく、二人以上の人間が集まった場合にこそ真に問題となることである。
親族への孝悌に励んでいた舜なども、在野時の礼節は「深山の野人」も同然だったという。
それなりの地位を得て職務に励んだりする場合にこそ、外面の礼節による潤色なども
重要となってくるものであり、なおかつそこで完全に自律性を失ってしまうのでもいけない。
そこでこそ、自律と礼節の均衡を取ることの重大さが極まるのである。
とはまさに、①と②を見間違えてしまった場合のことを指している。
内面の自律性の有無を抜きにして、外面のあり方だけを見てみれば、
恭しいことと媚びることというのは、そんなに見分けの付きやすいものでもない。
特に、正統な礼法などを知らない人間からすれば、拝礼と土下座の違いもさして
理解できないなどのせいもあって、とんと両者の区別が付きやしないのである。
自負ばかりでも扱い辛いが、全く自律性のない「心の奴隷」状態であるのも
ろくでもないことである。一つの自信を、四つの恭敬で潤色する程度の中庸を守れる
人間こそは、君子階級としても、ただの一般人としても至上の存在であるといえる。
今はそんな人間よりも、完全な奴隷状態の人間のほうが持て囃されている時代である
けれども、そんな状態の世の中がいつまでも持つはずもない。内面の自信と外面の恭敬の
均衡を取るような人間が尊ばれるような世の中こそは、長期の安定をも獲得するのである。
内面の自信と外面の恭敬の均衡を保った①のような人間こそは、「和して同ぜず」の
人間関係をも構築して行く一方、内面にも自律性がなく、外面も媚び諂い止まりである
②のような人間こそは、「同じて和せず」の人間関係を構築してしまうものである。
その人間関係からして異質なものであるから、君子の交わりと小人の交わりというのも
同一性を持ち得ない。君子同士が権力者階級を形成していれば、自然とそこから小人が
省かれて行く一方、小人ばかりが権力を牛耳っていれば、そのせいで君子が
権力に寄り付けなくなってしまうのも、それこそが理由なのである。
一人の人間ではなく、二人以上の人間が集まった場合にこそ真に問題となることである。
親族への孝悌に励んでいた舜なども、在野時の礼節は「深山の野人」も同然だったという。
それなりの地位を得て職務に励んだりする場合にこそ、外面の礼節による潤色なども
重要となってくるものであり、なおかつそこで完全に自律性を失ってしまうのでもいけない。
そこでこそ、自律と礼節の均衡を取ることの重大さが極まるのである。
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/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
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「昔、堯、舜を天に薦め、天之れを受く、之れを民に暴し、
民も之れを受く。故に曰く、天は言わずとも行事を以って之れを示すのみと」
「昔、堯帝が舜を自らの後継者として天に薦めたところ、天もこれを受け入れられた。
(まず摂政として舜を用いるなどして)それを民に示した所、民もこれを受け入れた。だから、
『天は自分からはものも言わず、ただ現出する事象によってその返答を示すのみ』であるというのだ。
(人が天に誰かを薦めるようなことはあっても、天が誰かを人に薦めるようなことはない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・万章章句上・五より)
民も之れを受く。故に曰く、天は言わずとも行事を以って之れを示すのみと」
「昔、堯帝が舜を自らの後継者として天に薦めたところ、天もこれを受け入れられた。
(まず摂政として舜を用いるなどして)それを民に示した所、民もこれを受け入れた。だから、
『天は自分からはものも言わず、ただ現出する事象によってその返答を示すのみ』であるというのだ。
(人が天に誰かを薦めるようなことはあっても、天が誰かを人に薦めるようなことはない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・万章章句上・五より)
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./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
o U ° // | / | | \\゚。、。、o
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゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
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, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
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/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
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/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
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゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
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o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
,,-—- 、 ,, -—-、
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
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o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
要は、人間、2割の自負と8割の謙りでいるのが最適ということよ。
俺もそのような、「自負心の具足」としての謙譲を
実社会では講じて行くつもりでいる。決してそれを、
付和雷同な媚びへつらいであるなどと勘違いするでないぞ。
俺もそのような、「自負心の具足」としての謙譲を
実社会では講じて行くつもりでいる。決してそれを、
付和雷同な媚びへつらいであるなどと勘違いするでないぞ。
,,-—- 、 ,, -—-、
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
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, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
,,-—- 、 ,, -—-、
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
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o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
,,-—- 、 ,, -—-、
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー- ヽ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o ,,-—- 、 | / \ 。 | ,, -—-、‘゚。、` ヽ。、o
,∴ : / \ オエーー!!!!| ∴っ / ヽ゚。、。、o
,。U / /⌒ヽ \/ ̄ ̄\∵ ゚ U  ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| : U オエーー!!!!
U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
,,-—- 、。゚ ’。o ..、./ U : 。゚ ヽ ト、.,../ ,ー-、。 ,, -—-、
/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ∵ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
o U ° // | / | | \\゚。、。、o
o 。 U:/⌒ヽ | | | /⌒ヽ ヽU o
゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
/ \オエーー!!!! / ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
。|/ ヽ \ ヽ(゜) ヽ / ヽ / (゜)/ / /
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U: |/ ヽ \ ヽ(゜) U ヽ。J° (゜)/ / /o 。 U 。
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/ \∴ / / 。 : 。ヽ \ \‘゚。、` ヽ/ ヽ
./ /⌒ヽ \/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄` 、 / ̄ ̄ヽ/ /i⌒ヽ、| オエーー!!!!
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o ,rー-ヽ ..、.,/ Y (゜) ,_, (゜) Y ト、.,../ ,ー-、
。゚ ∴’。o // | / \ | \ \‘゚。、` ヽ。、o
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゚U \ ∵ | | | ∴ / `ヽU ∴l
。 | レ 。ヽ / U :l
, o \ /Jヽ。 |:!
o U ヽ/: ゚ 。ヽ U
世の中の陰陽調和が健全であれば、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣と、修羅・人・天の三善趣もまた
明確に切り離されて、三悪趣の根絶と三善趣の振興が意図的にすら推進されて行くようになる。一方、
陰陽調和が不健全であれば、まるで月が太陽の光を遮る日食のようにして、三善趣と三悪趣が深刻な
癒着を来たす。 天道は畜生道と、人道は餓鬼道と、修羅道は地獄道との癒着を来して、それぞれの
区別が全くと言っていいほど付かないようになり、三善趣と三悪趣の区別が明確に付けられていた
世の中などとは甚大な世相の乖離を来してしまうようになる。
天道と畜生道の癒着は、明治以降の日本の国家神道の捏造などがその顕著な事例であるといえる。
本来は先祖崇拝や家庭円満の補助的な役割を果たしていた日本神道に、キリスト教の一神教信仰的な
要素を無理に合体させて、全国民を天皇一人のみに帰依する家畜か奴隷も同然の存在と化してしまった。
満州帝国創立に際して、先祖崇拝を捨ててまでの国家神道への帰依を強制された清朝末帝の溥儀も、
そのせいで精神を病み、午前十一時より前には起床できなくなったり、小間使いをいじめ殺したり
といった異常行動を来してしまったのだという(ラストエンペラー自伝「我が半生」を参照)。
ただ、上記の国家神道の事例などは、元来畜生道と明確に切り離されていた天道が、新たに畜生道と
癒着してしまった実例としてこそ分かりやすいものであり、キリスト信仰の下での王権神授説による
権威の正当化によって、西洋の王族が地主や豪商といった富裕者の親分格として放辟邪侈の限りを
極めていた事例などは、始めから完全に天道と畜生道が同一化してしまっていた実例であるといえる。
明確に切り離されて、三悪趣の根絶と三善趣の振興が意図的にすら推進されて行くようになる。一方、
陰陽調和が不健全であれば、まるで月が太陽の光を遮る日食のようにして、三善趣と三悪趣が深刻な
癒着を来たす。 天道は畜生道と、人道は餓鬼道と、修羅道は地獄道との癒着を来して、それぞれの
区別が全くと言っていいほど付かないようになり、三善趣と三悪趣の区別が明確に付けられていた
世の中などとは甚大な世相の乖離を来してしまうようになる。
天道と畜生道の癒着は、明治以降の日本の国家神道の捏造などがその顕著な事例であるといえる。
本来は先祖崇拝や家庭円満の補助的な役割を果たしていた日本神道に、キリスト教の一神教信仰的な
要素を無理に合体させて、全国民を天皇一人のみに帰依する家畜か奴隷も同然の存在と化してしまった。
満州帝国創立に際して、先祖崇拝を捨ててまでの国家神道への帰依を強制された清朝末帝の溥儀も、
そのせいで精神を病み、午前十一時より前には起床できなくなったり、小間使いをいじめ殺したり
といった異常行動を来してしまったのだという(ラストエンペラー自伝「我が半生」を参照)。
ただ、上記の国家神道の事例などは、元来畜生道と明確に切り離されていた天道が、新たに畜生道と
癒着してしまった実例としてこそ分かりやすいものであり、キリスト信仰の下での王権神授説による
権威の正当化によって、西洋の王族が地主や豪商といった富裕者の親分格として放辟邪侈の限りを
極めていた事例などは、始めから完全に天道と畜生道が同一化してしまっていた実例であるといえる。
そのような、根っからの陰陽不全を来していた西洋社会において提唱されたのが、民主主義や共産主義
といったイデオロギーであり、これはこれで、人道と餓鬼道が深刻に癒着してしまった結果として
ぶち上げられたものだといえる。仁徳ある主君が、金持ちなどよりも平民のほうをより慈しんでの
堅実な経世済民を心がけたなら、封建制もないよりあるほうがいいものとすらなるのに、
西洋の王族たるや、そんなことを一度たりとも心がけたことすらないものだから、封建制全般を完全に
否定する口実をルソーやマルクスのような思想家に与えてしまった。君主など全くいないに越した
ことはないという極論の下で、民衆の欲望を無制限に叶え尽くすような暴論をこしらえた連中の所業は、
これまた節度をわきまえぬ餓鬼のそれであったと言え、人権のような人道的概念をも持ち出しつつ
それらを正当化していったからには、人道と餓鬼道の癒着でもあったといえる。
そして、極めつけが修羅道と地獄道の癒着である。
自分では道義ある戦闘を心がけているつもりでいながら、全く道義性に欠けているような戦乱行為、
古くは、アレクサンドロスの東征あたりにすらその傾向が見られるし、それ以降にも十字軍遠征や
大航海時代の外界侵略、そして今の中東諸国に対する不実な攻撃といった風に、これまた西洋諸国こそは、
戦闘行為と犯罪行為の区別もないような残虐行為を二千年以上の長きに渡って繰り返し続けて来ている。
無論、東洋においても蒙古の世界征服のような道義性に欠ける侵略行為をやらかした連中がいるわけだが、
それとも共通しているのが、自分たちが暮らして来た世の中(西洋やモンゴル)というのが、
平時と有事の区別も付かない程に戦乱まみれであり続けて来たという点である。それもやはり、
天道と畜生道、人道と餓鬼道の区別すらよく付けられもしない陰陽不全の世相のままであり続けて来たから
なのであり、修羅道と地獄道の癒着もまた、上二つの癒着と不可分な存在性を帯びているのだと言える。
といったイデオロギーであり、これはこれで、人道と餓鬼道が深刻に癒着してしまった結果として
ぶち上げられたものだといえる。仁徳ある主君が、金持ちなどよりも平民のほうをより慈しんでの
堅実な経世済民を心がけたなら、封建制もないよりあるほうがいいものとすらなるのに、
西洋の王族たるや、そんなことを一度たりとも心がけたことすらないものだから、封建制全般を完全に
否定する口実をルソーやマルクスのような思想家に与えてしまった。君主など全くいないに越した
ことはないという極論の下で、民衆の欲望を無制限に叶え尽くすような暴論をこしらえた連中の所業は、
これまた節度をわきまえぬ餓鬼のそれであったと言え、人権のような人道的概念をも持ち出しつつ
それらを正当化していったからには、人道と餓鬼道の癒着でもあったといえる。
そして、極めつけが修羅道と地獄道の癒着である。
自分では道義ある戦闘を心がけているつもりでいながら、全く道義性に欠けているような戦乱行為、
古くは、アレクサンドロスの東征あたりにすらその傾向が見られるし、それ以降にも十字軍遠征や
大航海時代の外界侵略、そして今の中東諸国に対する不実な攻撃といった風に、これまた西洋諸国こそは、
戦闘行為と犯罪行為の区別もないような残虐行為を二千年以上の長きに渡って繰り返し続けて来ている。
無論、東洋においても蒙古の世界征服のような道義性に欠ける侵略行為をやらかした連中がいるわけだが、
それとも共通しているのが、自分たちが暮らして来た世の中(西洋やモンゴル)というのが、
平時と有事の区別も付かない程に戦乱まみれであり続けて来たという点である。それもやはり、
天道と畜生道、人道と餓鬼道の区別すらよく付けられもしない陰陽不全の世相のままであり続けて来たから
なのであり、修羅道と地獄道の癒着もまた、上二つの癒着と不可分な存在性を帯びているのだと言える。
三悪趣と三善趣の深刻な癒着を来してきた社会といえども、三善趣を廃しての三悪趣を追い求めて
いたのではない。自分たちでは天道に叶うもののつもりで、西洋の王族も富裕者とつるんでの放辟邪侈を
極めていたのだし、民主主義者や共産主義者も、自分たちではそれらが人道に適うものと思い込みながら
自前のイデオロギーを推進していたのである。今まさに中東での戦乱を繰り広げている
米欧やイスラエルの軍隊や、CIAやモサドの組員なども、自分たちではそれが道義に適った行いであると
本気で思い込みながらの乱戦に及んでいる(もちろん金に困ってそうしている場合もあるが、
金のためにどんな仕事でもやることもまた聖書教義によって正当化されといる)。そこには、
自分たちなりにそれらが天道や人道や修羅道にも適っていると思い込みながらそれらの所業を
積み重ねて来たという事情があるわけだから、まずはその勘違いから正して行くことが必要となる。
三悪趣との癒着を排した三善趣が、三悪趣を排した三善趣と全くの別物であるのは、
あたかも本来の日本神道とキリスト教が、儒学道徳と洋学イデオロギーが、武士道と西洋兵学が
全くの別物であるかの如くである。一度、自分たちが積み重ねて来たものの価値を一切無みしてしまう
ぐらいの覚悟でなければ、三悪趣を排した三善趣というものを振興して行くこともまた覚束ない。
今まで好き勝手にやって来た女が、夫に尽くす貞節な主婦になるぐらいの覚悟を持つのでなければ、
今まで三善趣と三悪趣を全くの同一扱いしてきたような文化圏が、三悪趣を排した三善趣を
振興して行ったりすることもまた、決して覚束ないに違いない。
いたのではない。自分たちでは天道に叶うもののつもりで、西洋の王族も富裕者とつるんでの放辟邪侈を
極めていたのだし、民主主義者や共産主義者も、自分たちではそれらが人道に適うものと思い込みながら
自前のイデオロギーを推進していたのである。今まさに中東での戦乱を繰り広げている
米欧やイスラエルの軍隊や、CIAやモサドの組員なども、自分たちではそれが道義に適った行いであると
本気で思い込みながらの乱戦に及んでいる(もちろん金に困ってそうしている場合もあるが、
金のためにどんな仕事でもやることもまた聖書教義によって正当化されといる)。そこには、
自分たちなりにそれらが天道や人道や修羅道にも適っていると思い込みながらそれらの所業を
積み重ねて来たという事情があるわけだから、まずはその勘違いから正して行くことが必要となる。
三悪趣との癒着を排した三善趣が、三悪趣を排した三善趣と全くの別物であるのは、
あたかも本来の日本神道とキリスト教が、儒学道徳と洋学イデオロギーが、武士道と西洋兵学が
全くの別物であるかの如くである。一度、自分たちが積み重ねて来たものの価値を一切無みしてしまう
ぐらいの覚悟でなければ、三悪趣を排した三善趣というものを振興して行くこともまた覚束ない。
今まで好き勝手にやって来た女が、夫に尽くす貞節な主婦になるぐらいの覚悟を持つのでなければ、
今まで三善趣と三悪趣を全くの同一扱いしてきたような文化圏が、三悪趣を排した三善趣を
振興して行ったりすることもまた、決して覚束ないに違いない。
「舜の深山の中に居るや、木石と居り、鹿豕と遊ぶ。其の深山の野人に異なる所以の者は幾希なり。
其の一善言を聞き、一善行を見るに及んでは、江河の決るが若し。沛然として之を能く禦むること莫し」
「舜がまだ深山の内に居たころには、木や石と共にあり、鹿や猪と遊んでいた。その姿振る舞いたるや、
野人ともさして変わらぬものであったが、(山を下りて)他者の善言や善行を一たび目にしたなら、
瞬く間にそのあり方を見習って我が物とするその姿たるや、まるで黄河が決壊して大水が溢れ出るか
のようであり、その盛んさはもはや、とどめる事もできないかのようだった。(雄大な志しを内に秘める
ということはあるが、その言行は時と場合によって豹変する。これぞ「君子豹変」の本意だといえる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・一六より)
其の一善言を聞き、一善行を見るに及んでは、江河の決るが若し。沛然として之を能く禦むること莫し」
「舜がまだ深山の内に居たころには、木や石と共にあり、鹿や猪と遊んでいた。その姿振る舞いたるや、
野人ともさして変わらぬものであったが、(山を下りて)他者の善言や善行を一たび目にしたなら、
瞬く間にそのあり方を見習って我が物とするその姿たるや、まるで黄河が決壊して大水が溢れ出るか
のようであり、その盛んさはもはや、とどめる事もできないかのようだった。(雄大な志しを内に秘める
ということはあるが、その言行は時と場合によって豹変する。これぞ「君子豹変」の本意だといえる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・一六より)
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