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聖書 Part11
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人間社会を司る体系化された思想信条の聖書として、
全世界においてその立場を揺るぎないものとしている権力道徳聖書、通称四書五経。
今となっては、その主要な編纂者や登場人物である孔子や孟子が至上の学聖として
崇められてもいるが、決して本人たち自身は恵まれた人生ばかりを送ったわけでもない。
すでに徳治の実践自体が疎かにされていた春秋戦国時代の中国で、せめてでも古来からの
権力道徳を保全しておこうとする目的で、儒者(学究者)という身分に即した学問の興隆
を試みていた。その結果として、周代までは専ら王侯の嗜むものであった権力道徳学が
市井に到るまで広く受容されることとなり、儒学道徳が「権力のための道徳」に止まらない、
「人間のための道徳」としてまで人口に膾炙されることとなったわけだから、孔子や孟子が
在野の学者として儒学を温めてくれたことも、人類にとっては「怪我の功名」になったのだといえる。
とはいえ本来は、儒学が考究対象とする道徳学もまた、国家権力を司ることこそを第一の
目的とした帝王学でこそあるわけだから、ただの学者や庶民としての受容に止まるよりは、
天下国家に名を馳せる大権力者として儒学を受容することこそが本望ともなるのである。
だから、孔子や孟子を儒学の大成者として尊ぶべきであるとはいえ、在野の学者に甘んじさせられた
その境遇までをもわざわざあえて見習ったりする必要はない。特に、孔子は妾腹の私生児という
それはそれは恵まれない境遇に生れ落ちながら、その逆境をばねにしての自学自習によって儒学の
始祖ともなったわけだから、その努力的な姿勢にあやかるべきである一方で、妾腹の私生児のような
立場であることを自ら恥としたその奥ゆかしさをも見習うべきなのである。故に、孔子がそのような立場
だからといって、妾腹の私生児のような立場自体を崇めたりするようなことがあってもならないのである。

全世界においてその立場を揺るぎないものとしている権力道徳聖書、通称四書五経。
今となっては、その主要な編纂者や登場人物である孔子や孟子が至上の学聖として
崇められてもいるが、決して本人たち自身は恵まれた人生ばかりを送ったわけでもない。
すでに徳治の実践自体が疎かにされていた春秋戦国時代の中国で、せめてでも古来からの
権力道徳を保全しておこうとする目的で、儒者(学究者)という身分に即した学問の興隆
を試みていた。その結果として、周代までは専ら王侯の嗜むものであった権力道徳学が
市井に到るまで広く受容されることとなり、儒学道徳が「権力のための道徳」に止まらない、
「人間のための道徳」としてまで人口に膾炙されることとなったわけだから、孔子や孟子が
在野の学者として儒学を温めてくれたことも、人類にとっては「怪我の功名」になったのだといえる。
とはいえ本来は、儒学が考究対象とする道徳学もまた、国家権力を司ることこそを第一の
目的とした帝王学でこそあるわけだから、ただの学者や庶民としての受容に止まるよりは、
天下国家に名を馳せる大権力者として儒学を受容することこそが本望ともなるのである。
だから、孔子や孟子を儒学の大成者として尊ぶべきであるとはいえ、在野の学者に甘んじさせられた
その境遇までをもわざわざあえて見習ったりする必要はない。特に、孔子は妾腹の私生児という
それはそれは恵まれない境遇に生れ落ちながら、その逆境をばねにしての自学自習によって儒学の
始祖ともなったわけだから、その努力的な姿勢にあやかるべきである一方で、妾腹の私生児のような
立場であることを自ら恥としたその奥ゆかしさをも見習うべきなのである。故に、孔子がそのような立場
だからといって、妾腹の私生児のような立場自体を崇めたりするようなことがあってもならないのである。

儒学は、どこまでも後天的な努力精進を促す教学であり、天命だ天運だを自分たちでどうこうしようと
するものでもない。そのような学論姿勢こそを前面に押し出した始祖であるのもやはり孔子である。
「鬼神を敬してこれを遠ざく(雍也第六・二二)」というとおり、自らを野合で身ごもらせた
父親の意向をも汲んで、あえて祖霊への依存的な態度姿勢なども避けている。
むしろ、そうでないならそれに越したことのないような逆境こそを孔子や孟子もバネにしていったわけだから、
その学説はよく尊び、本人たちの努力的な姿勢にもよくあやかる一方で、その境遇までをも倣おうとしたり
する必要はない。文章や実践として保全しようとした部分こそは精髄であったわけだから、四書五経が
聖書中の聖書であることこそは一大事である一方で、聖人君子としてあやかるべきような人間は
孔子や孟子のほかにもいくらでも居て、実践面ではより見習うに値するような人間も多いのである。
当然、見習うべきでないような愚人や悪人も多々いるわけで、それよりはまだ、孔子や孟子のほうが
見習うに値する存在だとも言えはする。春秋戦国時代に放辟邪侈の限りを尽くした大諸侯などよりも、
清貧を守っていた孔孟やその弟子のほうがよっぽど見習うに値する。その境遇が不遇だったことを見習ったり
すべきではないというだけで、本人たちの態度姿勢出処進退の心がけは当然最上級のものだったわけである。
「心の憂えるや、之れに結ばるること或るが如し」
「心が憂患に苛まれるのは、まるで何かに結び付けられて締め付けられているようなもの」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・祈父之什・正月より)
するものでもない。そのような学論姿勢こそを前面に押し出した始祖であるのもやはり孔子である。
「鬼神を敬してこれを遠ざく(雍也第六・二二)」というとおり、自らを野合で身ごもらせた
父親の意向をも汲んで、あえて祖霊への依存的な態度姿勢なども避けている。
むしろ、そうでないならそれに越したことのないような逆境こそを孔子や孟子もバネにしていったわけだから、
その学説はよく尊び、本人たちの努力的な姿勢にもよくあやかる一方で、その境遇までをも倣おうとしたり
する必要はない。文章や実践として保全しようとした部分こそは精髄であったわけだから、四書五経が
聖書中の聖書であることこそは一大事である一方で、聖人君子としてあやかるべきような人間は
孔子や孟子のほかにもいくらでも居て、実践面ではより見習うに値するような人間も多いのである。
当然、見習うべきでないような愚人や悪人も多々いるわけで、それよりはまだ、孔子や孟子のほうが
見習うに値する存在だとも言えはする。春秋戦国時代に放辟邪侈の限りを尽くした大諸侯などよりも、
清貧を守っていた孔孟やその弟子のほうがよっぽど見習うに値する。その境遇が不遇だったことを見習ったり
すべきではないというだけで、本人たちの態度姿勢出処進退の心がけは当然最上級のものだったわけである。
「心の憂えるや、之れに結ばるること或るが如し」
「心が憂患に苛まれるのは、まるで何かに結び付けられて締め付けられているようなもの」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・祈父之什・正月より)
罪人や小人といえども、見習いの対象とすべきなのは善人や賢人である。
なかなかあやかるのも難しいことであるにしたって、目指すべき所は
そこにあるのだから、決して両者を分断して考えたりもすべきでない。
ドロップアウトした者のリバイバルが、普通に向上して行っている者の
成功と別個のものとして取り扱われたりするのは、逃げというものである。
所詮は超えられないから別個の働き口を与える、それが超えられなかった
相手並みやそれ以上の存在として扱われたりするのはおかしいのである。
近代以降の民主主義の世の中では、学校教育では失格者だった人間が、
文学賞で名声を博することで並みの高学歴者以上の天才扱いとされたり
することがあるけれども、「経史子集(経書史書諸思想書文学書)」という
学問関係の序列までもが徹底されていたかつての東洋社会においては、
そのようなこともなかった。文学は所詮は文学止まりで、経書や史書の
研究や実践によって大学者となった人間などよりも、文学者が上扱い
されたりすることも厳密に禁じられていた。それは、本当に上流と
されていた学問が、小説よりも厳重で大切な事実を取り扱う儒学
でもあったからで、それほどもの学問に対する尊厳の確保が
現状の学界では確立されていないからこそ、文学賞の受賞者が
高学歴以上の扱いとなったりすることがあるわけである。
科挙試験も合格すれば高級官僚となれた一方で、落ちれば小役人や
農夫としての人生が待っていたりした。そのような落第者としての境遇に
苛まれて清代に反乱(太平天国の乱)を起こしたのが洪秀全で、自らが
儒学では大成できなかった怨みを聖書信仰に載せての体制転覆を試みた。
これもやはり、不健全なドロップアウトからのリバイバルを志した
典型例であるといえ、現代的俗悪の走りでもあったといえる。
なかなかあやかるのも難しいことであるにしたって、目指すべき所は
そこにあるのだから、決して両者を分断して考えたりもすべきでない。
ドロップアウトした者のリバイバルが、普通に向上して行っている者の
成功と別個のものとして取り扱われたりするのは、逃げというものである。
所詮は超えられないから別個の働き口を与える、それが超えられなかった
相手並みやそれ以上の存在として扱われたりするのはおかしいのである。
近代以降の民主主義の世の中では、学校教育では失格者だった人間が、
文学賞で名声を博することで並みの高学歴者以上の天才扱いとされたり
することがあるけれども、「経史子集(経書史書諸思想書文学書)」という
学問関係の序列までもが徹底されていたかつての東洋社会においては、
そのようなこともなかった。文学は所詮は文学止まりで、経書や史書の
研究や実践によって大学者となった人間などよりも、文学者が上扱い
されたりすることも厳密に禁じられていた。それは、本当に上流と
されていた学問が、小説よりも厳重で大切な事実を取り扱う儒学
でもあったからで、それほどもの学問に対する尊厳の確保が
現状の学界では確立されていないからこそ、文学賞の受賞者が
高学歴以上の扱いとなったりすることがあるわけである。
科挙試験も合格すれば高級官僚となれた一方で、落ちれば小役人や
農夫としての人生が待っていたりした。そのような落第者としての境遇に
苛まれて清代に反乱(太平天国の乱)を起こしたのが洪秀全で、自らが
儒学では大成できなかった怨みを聖書信仰に載せての体制転覆を試みた。
これもやはり、不健全なドロップアウトからのリバイバルを志した
典型例であるといえ、現代的俗悪の走りでもあったといえる。
科挙制度が実施された頃の中国などよりも、上は朝廷幕府から下は庶民に
到るまで儒学や仏教が広く学ばれていた江戸時代までの日本のほうがさらに
良質であったとはいえるが、それは、日本が古来からの血筋に即した序列を
中国以上にも重視して来た世の中だからこそ可能であったことでもあり、
もっと大規模であるが故に序列も保ちにくい中国などの社会においては、
学問によって賢愚の序列を確かにして行くこともまた必要であったといえる。
どちらとするかは適材適所であるにしろ、やはり賢人や聖人にこそ愚人や
悪人すらもが素直に倣って行く序列があるに越したことはないといえる。
その序列に即した向上は当然認めてやるが、太平天国の乱での体制転覆を
企図した洪秀全並みやそれに準ずるような、通俗的な序列に反した不健全
なリバイバルなどまでをも大いに認めるようなことがあってはならない。
そんなものが認められるのは、それこそ世の中のほうが乱世である場合に
限られるのであり、乱世であるが故に眉をひそめるべきなのでもある。
「今の楊・墨と弁ずる者は、放てる豚を追うが如し。
既に其の苙に入れば、又た従って之を招く、と」
「今楊家や墨家の如き異端の学者と論ずることは、まるで逃げた豚を追うようなもの。
一度檻の中に入れてやってから、また(正道へと)招いてやる必要がある。
(聖書信仰はさしずめ、逃げた豚を邪道へと招くものであろうか)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・二六より)
到るまで儒学や仏教が広く学ばれていた江戸時代までの日本のほうがさらに
良質であったとはいえるが、それは、日本が古来からの血筋に即した序列を
中国以上にも重視して来た世の中だからこそ可能であったことでもあり、
もっと大規模であるが故に序列も保ちにくい中国などの社会においては、
学問によって賢愚の序列を確かにして行くこともまた必要であったといえる。
どちらとするかは適材適所であるにしろ、やはり賢人や聖人にこそ愚人や
悪人すらもが素直に倣って行く序列があるに越したことはないといえる。
その序列に即した向上は当然認めてやるが、太平天国の乱での体制転覆を
企図した洪秀全並みやそれに準ずるような、通俗的な序列に反した不健全
なリバイバルなどまでをも大いに認めるようなことがあってはならない。
そんなものが認められるのは、それこそ世の中のほうが乱世である場合に
限られるのであり、乱世であるが故に眉をひそめるべきなのでもある。
「今の楊・墨と弁ずる者は、放てる豚を追うが如し。
既に其の苙に入れば、又た従って之を招く、と」
「今楊家や墨家の如き異端の学者と論ずることは、まるで逃げた豚を追うようなもの。
一度檻の中に入れてやってから、また(正道へと)招いてやる必要がある。
(聖書信仰はさしずめ、逃げた豚を邪道へと招くものであろうか)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・二六より)
資本主義や共産主義の終了も、その他の洋学的な思想信条の廃絶や劣後も、
ことに、聖書信仰の地球上からの根絶ほどもの至上命題には当たらない。
すでに資本主義経済が死に体と化してしまっている今、さしあたって必要と
なるのは資本主義や民主主義に変わる統治システムへの移行であるけれども、
そんなのは重病に対する対症療法に過ぎないわけで、そもそもの重病発祥の
元凶である聖書信仰を地球上から根絶して行くことこそが地球人類にとっての
重病再発の予防策ともなるために、真の健康維持対策ともなるのだといえる。
資本主義は自由主義や民主主義を後ろ盾とし、共産主義も民主主義を後ろ盾としている。
そして自由主義や民主主義の後ろ盾となっているのが、他でもない聖書信仰である。
天下国家の維持のために欠くべからざる存在である徴税人を「罪人」などと決め付ける
暴民然としたイエスの態度こそは民主主義の萌芽でもあり、それがドミノ倒し的に
資本主義や共産主義のでっち上げをももたらしたわけだから、まさに聖書信仰こそは、
資本主義や共産主義にとっての親玉格ですらあるといえるわけである。
さしあたって資本主義が強制終了させられて、多くの資本主義者が禁治産や参政権剥奪
などの措置を被ることとなる。とはいえ、資本主義者は聖書信仰者でもある場合が非常に
多いので、行為能力面での厳重な制限を被りながらも、ユダヤ信仰やキリスト信仰
などを個人的に保ち続けるなどということにすらなりかねない。それこそ、重病の
病巣を抱えたままでの対症療法だけの受け入れということになるわけで、当然、
そんな状態であるよりは、聖書信仰まで棄教してしまったほうがいいのである。
ことに、聖書信仰の地球上からの根絶ほどもの至上命題には当たらない。
すでに資本主義経済が死に体と化してしまっている今、さしあたって必要と
なるのは資本主義や民主主義に変わる統治システムへの移行であるけれども、
そんなのは重病に対する対症療法に過ぎないわけで、そもそもの重病発祥の
元凶である聖書信仰を地球上から根絶して行くことこそが地球人類にとっての
重病再発の予防策ともなるために、真の健康維持対策ともなるのだといえる。
資本主義は自由主義や民主主義を後ろ盾とし、共産主義も民主主義を後ろ盾としている。
そして自由主義や民主主義の後ろ盾となっているのが、他でもない聖書信仰である。
天下国家の維持のために欠くべからざる存在である徴税人を「罪人」などと決め付ける
暴民然としたイエスの態度こそは民主主義の萌芽でもあり、それがドミノ倒し的に
資本主義や共産主義のでっち上げをももたらしたわけだから、まさに聖書信仰こそは、
資本主義や共産主義にとっての親玉格ですらあるといえるわけである。
さしあたって資本主義が強制終了させられて、多くの資本主義者が禁治産や参政権剥奪
などの措置を被ることとなる。とはいえ、資本主義者は聖書信仰者でもある場合が非常に
多いので、行為能力面での厳重な制限を被りながらも、ユダヤ信仰やキリスト信仰
などを個人的に保ち続けるなどということにすらなりかねない。それこそ、重病の
病巣を抱えたままでの対症療法だけの受け入れということになるわけで、当然、
そんな状態であるよりは、聖書信仰まで棄教してしまったほうがいいのである。
それこそ、聖書信仰の破棄や、「聖書信仰的趣き」からの脱却の実現こそを、
禁治産や参政権剥奪などの社会的制限を被った資本主義者たちが、また制限を
解かれて一人前の人間扱いをされることを許されて行く条件にすればいいのである。
ただ聖書信仰を破棄するだけでは心もとない、というのは、徴税人を罪人扱い
するようなイエキリ的下劣を、何も聖書信仰者でなくたって持ち合わせてしまう
場合があるからで、そのような状態である以上は、聖書信仰を破棄したと
いえども、すぐに制限を解いてもいいとまでは言えないのである。
聖書信仰を破棄するぐらいはたやすいことだが、聖書信仰的趣からすら
脱却して行くとなれば、これはかなり困難なことだ。欧米聖書圏のみならず、
聖書信仰者が全人口の1%以下に過ぎない日本人すらもが、そこから脱却
して行くことは極めて困難なことである。聖書信仰に溺れているからではなく、
聖書信仰と相反する教理学説を持つ儒学や仏教を、明治以降の教育制度の改悪や
廃仏毀釈によって確信的に拒絶してしまっているからこそ、仏教などの良質な
教学の受容を通じての、排他性を利用した聖書信仰的趣きからの脱却すらもが
困難なものとなってしまっている。その主導者となったのも、古来から焚書坑儒
などの正学弾圧を講じて来た秦人の残党だったりするものだから、まずそのような
不穏分子を実力によって討伐して行くことから実施して行くのでなければ、日本も
アメリカにすら体制の改善で立ち遅れるようなことにすらなってしまいかねない。
人びとを暗闇に追い込む元凶たる邪教を廃絶すべきであるのはもちろんだが、それが
完遂された所で、我流の暴慢で暗闇に溺れてしまうようなこともあるわけだから、
そのような事態の防止のために、予め暗闇を避ける正学の受容もまたあるべきである。
禁治産や参政権剥奪などの社会的制限を被った資本主義者たちが、また制限を
解かれて一人前の人間扱いをされることを許されて行く条件にすればいいのである。
ただ聖書信仰を破棄するだけでは心もとない、というのは、徴税人を罪人扱い
するようなイエキリ的下劣を、何も聖書信仰者でなくたって持ち合わせてしまう
場合があるからで、そのような状態である以上は、聖書信仰を破棄したと
いえども、すぐに制限を解いてもいいとまでは言えないのである。
聖書信仰を破棄するぐらいはたやすいことだが、聖書信仰的趣からすら
脱却して行くとなれば、これはかなり困難なことだ。欧米聖書圏のみならず、
聖書信仰者が全人口の1%以下に過ぎない日本人すらもが、そこから脱却
して行くことは極めて困難なことである。聖書信仰に溺れているからではなく、
聖書信仰と相反する教理学説を持つ儒学や仏教を、明治以降の教育制度の改悪や
廃仏毀釈によって確信的に拒絶してしまっているからこそ、仏教などの良質な
教学の受容を通じての、排他性を利用した聖書信仰的趣きからの脱却すらもが
困難なものとなってしまっている。その主導者となったのも、古来から焚書坑儒
などの正学弾圧を講じて来た秦人の残党だったりするものだから、まずそのような
不穏分子を実力によって討伐して行くことから実施して行くのでなければ、日本も
アメリカにすら体制の改善で立ち遅れるようなことにすらなってしまいかねない。
人びとを暗闇に追い込む元凶たる邪教を廃絶すべきであるのはもちろんだが、それが
完遂された所で、我流の暴慢で暗闇に溺れてしまうようなこともあるわけだから、
そのような事態の防止のために、予め暗闇を避ける正学の受容もまたあるべきである。
「吾れ幽谷より出て喬木に遷る者を聞くも、末だ喬木を下りて幽谷に入る者を聞かざるなり」
「私は暗い谷を出て日のあたる高木に遷る(ような矯正を果たした)例を聞いたことはあるが、
あえて日の当たる高木を降りて暗い谷に逃げ隠れる(ような改悪を来たした)例を聞いたことはない。
(正しいものの価値を知れば、自然とそちらに寄り付いて、間違ったものへと下ることもなくなる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句上・四より)
「木を伐るおとは丁丁、鳥の鳴くこえは嚶嚶。幽谷より出でて、喬木に遷る。
嚶と其れ鳴くは、其の友を求むる声。相れ彼の鳥もまた、猶お友の声を求む。
矧んや伊れ人もまた、友を求めて生かざるや。神の之れを聴きて、終に和らぎ且つ平らかならん」
「樵が木を伐る音はタンタンと、鳥の鳴く声もまたオウオウと。鳥たちも暗い谷から出て高木に止まる。
オウオウと鳴き声を上げるのは、友を求めているからこそ。鳥たちまでもが友の声を求めるというのに、
どうして人間が友を求めないで生きていけようか。神までもがその切なる望みを聞いて、遂には平和を
もたらすに違いない。(幽谷は幽谷、そこで友は得られない。そこでの慰めとなるような神も邪神。
高木に飛び移って、そこでこそ友を求める。そこに平和をもたらす神こそは正神でもある)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・鹿鳴之什・伐木より)
「私は暗い谷を出て日のあたる高木に遷る(ような矯正を果たした)例を聞いたことはあるが、
あえて日の当たる高木を降りて暗い谷に逃げ隠れる(ような改悪を来たした)例を聞いたことはない。
(正しいものの価値を知れば、自然とそちらに寄り付いて、間違ったものへと下ることもなくなる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句上・四より)
「木を伐るおとは丁丁、鳥の鳴くこえは嚶嚶。幽谷より出でて、喬木に遷る。
嚶と其れ鳴くは、其の友を求むる声。相れ彼の鳥もまた、猶お友の声を求む。
矧んや伊れ人もまた、友を求めて生かざるや。神の之れを聴きて、終に和らぎ且つ平らかならん」
「樵が木を伐る音はタンタンと、鳥の鳴く声もまたオウオウと。鳥たちも暗い谷から出て高木に止まる。
オウオウと鳴き声を上げるのは、友を求めているからこそ。鳥たちまでもが友の声を求めるというのに、
どうして人間が友を求めないで生きていけようか。神までもがその切なる望みを聞いて、遂には平和を
もたらすに違いない。(幽谷は幽谷、そこで友は得られない。そこでの慰めとなるような神も邪神。
高木に飛び移って、そこでこそ友を求める。そこに平和をもたらす神こそは正神でもある)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・鹿鳴之什・伐木より)

一つの戦略となることもある。宋の襄公が、敵軍が難所である泓水を渡るのを
黙認してから戦って敗死したりしたことは、兵法に即した場合の愚行だったといえる。
一方で、江戸幕府が敵対勢力である外様大名を経済的には優遇してやった挙げ句に、
米欧列強の侵略後には、その外様勢力こそを侵略に対する人身御供的な爆発反応装甲
として利用してやったことなどは、よく計略の利いた意味のある利敵行為だったといえる。
江戸幕府による、国内の敵対勢力の爆発反応装甲としての利用のヒントになったと
思われるのが、日本神話上のスサノオノミコトによるヤマタノオロチ退治である。
スサノオはまず、八つの頭を持つヤマタノオロチに合わせて八つの酒樽を用意し、
それぞれの頭にそれぞれの酒樽をあてがってヤマタノオロチを酔いつぶれさせる。
その隙を狙ってスサノオはヤマタノオロチをズタズタに斬り捨てて、その尾っぽ
から草薙の太刀を得たともいう。ちょうどヤマタノオロチが、外様の敵対勢力や
欧米からの侵略勢力で、スサノオが用意した酒樽が、幕府が外様や欧米に対して
ほとんど無償でばら撒いた高禄や金塊であったと考えれば、幕府が世界中の
不穏分子をいかにして一網打尽にしてやるつもりだったかまでもが察せるのである。
ヤマタノオロチ退治は当然神話であるけれども、今となっては、究極級の兵法にも
適っていたという他ない。ただの利敵行為ではなく、利敵の先に確かなどんでん返し
を用意している、だからこそそれが善後策たり得たのであり、ただただ敵に塩を送る
ばかりの気前よさでいたのでは、決してそのような上達もあり得なかったのである。
本当に敵に塩を送る程ものの好戦派でいた武田勢は後に滅びたが、ヤマタノオロチ退治
のごとき狡猾な目的性を伴っての利敵行為を講じた徳川は、世界規模での最終勝利の
内定すらをも手に入れるに至った。日本神話上のスサノオのあり方に倣うのみならず、
めくら滅法な利敵を是とするキリシタン教義なども退けたからこその栄達であった。
ヤマタノオロチも、出雲国の村の娘を次々に襲っては食らうような惨暴を働いていた
ものだから、それを一方的に退治したスサノオのあり方も勧善懲悪に適っていた。
それほどもの暴慢にまみれた相手であればこそ、一時的な利敵の計を通じての、
反則じみた退治法までもが正義に適うこととなった。そのような物語構造全般を
尊重の対象ともしていかねばならないから、ただただ戦いのための戦いを貪る
修羅道に耽っていたりするのでもいけない。敵が死んでいなくなるのがイヤだから、
延命のために物資や武器を提供してやるなどというような、偽善とのくそみそを許容
したりするのでは、スサノオのごとき勧善懲悪を実践することもまた覚束なくなる。
徳川幕府がキリシタンを廃絶したのは、主に忠孝を否定してまでの神への帰依を
促す類いの教義を否定してだったが、「汝の敵を愛せ」という修羅道に過ぎる教義をも
それで同時に廃絶することができたからこそ、幕府も純粋にスサノオのあり方にのみ
何百年も倣い続けることができたのである。江戸初期の、島原の乱の頃までの幕府の
人間の吟味能力の高さにも舌を巻かされる思いだし、その頃の取り決めを250年にも
渡って守り通していた江戸時代のほとんどの日本人たちの手堅さにも頭を下げる他は
ないといえる。高禄や、参勤交代での銭のばら撒きなどの優遇で、終始ウハウハで
いた外様の大名や庄屋や豪商などについては、その限りでもないにしろ。
「勇敢強有力の者は、天下に事無ければ則ち之れを礼義に用い、天下に事有れば則ち
之れを戦勝に用う。之れを戦勝に用いれば則ち敵無く、之れを礼義に用いれば則ち順治なり」
「本当に勇敢で強い力の持ち主は、天下が平和であればその勇力を礼儀礼節の実践に用い、
天下が有事であればその力を圧倒的な戦での勝利に用いる。戦での勝利のために力を
用いればあっという間に敵はいなくなり、礼儀礼節の実践のために用いれば治世も磐石となる。
(ダラダラと利敵込みでの戦闘状態を続けたりするのは、勇敢でも本当に強くもないからだ)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・聘義第四十八より)
ものだから、それを一方的に退治したスサノオのあり方も勧善懲悪に適っていた。
それほどもの暴慢にまみれた相手であればこそ、一時的な利敵の計を通じての、
反則じみた退治法までもが正義に適うこととなった。そのような物語構造全般を
尊重の対象ともしていかねばならないから、ただただ戦いのための戦いを貪る
修羅道に耽っていたりするのでもいけない。敵が死んでいなくなるのがイヤだから、
延命のために物資や武器を提供してやるなどというような、偽善とのくそみそを許容
したりするのでは、スサノオのごとき勧善懲悪を実践することもまた覚束なくなる。
徳川幕府がキリシタンを廃絶したのは、主に忠孝を否定してまでの神への帰依を
促す類いの教義を否定してだったが、「汝の敵を愛せ」という修羅道に過ぎる教義をも
それで同時に廃絶することができたからこそ、幕府も純粋にスサノオのあり方にのみ
何百年も倣い続けることができたのである。江戸初期の、島原の乱の頃までの幕府の
人間の吟味能力の高さにも舌を巻かされる思いだし、その頃の取り決めを250年にも
渡って守り通していた江戸時代のほとんどの日本人たちの手堅さにも頭を下げる他は
ないといえる。高禄や、参勤交代での銭のばら撒きなどの優遇で、終始ウハウハで
いた外様の大名や庄屋や豪商などについては、その限りでもないにしろ。
「勇敢強有力の者は、天下に事無ければ則ち之れを礼義に用い、天下に事有れば則ち
之れを戦勝に用う。之れを戦勝に用いれば則ち敵無く、之れを礼義に用いれば則ち順治なり」
「本当に勇敢で強い力の持ち主は、天下が平和であればその勇力を礼儀礼節の実践に用い、
天下が有事であればその力を圧倒的な戦での勝利に用いる。戦での勝利のために力を
用いればあっという間に敵はいなくなり、礼儀礼節の実践のために用いれば治世も磐石となる。
(ダラダラと利敵込みでの戦闘状態を続けたりするのは、勇敢でも本当に強くもないからだ)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・聘義第四十八より)
人それぞれ、自らの立場に即して果たさねばならない義務というものがある。
農夫なら作物を実らせなければならないし、工夫なら上等な製品を作らねばならない。
大枚を稼ぎ上げる商売人なら高い税をも納めねばならない。それら全て、
とりあえず自らの立場に即して果たされねばならない義務であり、
果たされないようであれば自分自身の破滅にこそ直結しかねないことである。
王候将相などの国家権力者にとっては、仁政を心がけることが半ば義務的なこととなる。
自国の内政は放り出したままで、遠国で戦闘ヘリに乗って敵兵を殺したりしたからといって
その義務が果たされるわけもないから、王候すらもがそのような体たらくでいる国は
自業自得での破滅すらもが免れ得ないであろう。仁政に反する権力者の振る舞いは、往々にして
仁政との両立すら不能と化してしまうものだから、至不仁な権力者ばかりが蔓延っていたような国は、
たとえ崩壊して一からやり直したとて、そこからの再建もまた困難なこととなってしまうものである。
権力者が仁政という義務を全く果たさないことが致命的な国の破綻を来しかねないことが、
現代の世界や春秋戦国時代の中国のような乱世においてこそ如実なことともなる。
治世にはそれこそ、権力者も当たり前のように仁政を実行し続けているものだから、
それが、反故にした途端に致命的な破滅を招く程の重大な義務であるともあまり判然とはしないのである。
そのため、暗愚な後継の権力者が仁政の義務を侮って、徐々に国を駄目にして行くようなことが生じてしまいもする。
そして致命的な破綻を来して後にやっとまた、権力者たるものが仁を志すことの重大さを再認識させられることともなるのである。
権力者が仁政という義務を果たすために必要となるのも、やはり忠孝を主とした為政のごとき特殊なものとなる。
ただ天下万人を利することばかりを際限なく追い求めた所で、共産主義のような失敗を来してしまう。それは、
人間が博愛ではなく忠義や親愛によってこそ最大級かつ持続的な働きを果たすことができる生き物であるからで、
権力者もまた人間であるからには、そのような自己の特性に即した最善を尽くして行く必要があるのである。
農夫なら作物を実らせなければならないし、工夫なら上等な製品を作らねばならない。
大枚を稼ぎ上げる商売人なら高い税をも納めねばならない。それら全て、
とりあえず自らの立場に即して果たされねばならない義務であり、
果たされないようであれば自分自身の破滅にこそ直結しかねないことである。
王候将相などの国家権力者にとっては、仁政を心がけることが半ば義務的なこととなる。
自国の内政は放り出したままで、遠国で戦闘ヘリに乗って敵兵を殺したりしたからといって
その義務が果たされるわけもないから、王候すらもがそのような体たらくでいる国は
自業自得での破滅すらもが免れ得ないであろう。仁政に反する権力者の振る舞いは、往々にして
仁政との両立すら不能と化してしまうものだから、至不仁な権力者ばかりが蔓延っていたような国は、
たとえ崩壊して一からやり直したとて、そこからの再建もまた困難なこととなってしまうものである。
権力者が仁政という義務を全く果たさないことが致命的な国の破綻を来しかねないことが、
現代の世界や春秋戦国時代の中国のような乱世においてこそ如実なことともなる。
治世にはそれこそ、権力者も当たり前のように仁政を実行し続けているものだから、
それが、反故にした途端に致命的な破滅を招く程の重大な義務であるともあまり判然とはしないのである。
そのため、暗愚な後継の権力者が仁政の義務を侮って、徐々に国を駄目にして行くようなことが生じてしまいもする。
そして致命的な破綻を来して後にやっとまた、権力者たるものが仁を志すことの重大さを再認識させられることともなるのである。
権力者が仁政という義務を果たすために必要となるのも、やはり忠孝を主とした為政のごとき特殊なものとなる。
ただ天下万人を利することばかりを際限なく追い求めた所で、共産主義のような失敗を来してしまう。それは、
人間が博愛ではなく忠義や親愛によってこそ最大級かつ持続的な働きを果たすことができる生き物であるからで、
権力者もまた人間であるからには、そのような自己の特性に即した最善を尽くして行く必要があるのである。
だからこそ、権力者であれ民間人であれ、務めを果たす上では「思うことその位を出ず」ということが必要となる。
天下万人を利する仁政のためといえども、主君や親をよく尊べるだけの身の程のわきまえが必要である。
そこを逸脱するようではろくな務めも果たされないし、最悪、良かれと思っての行いがより無益で
有害な結果を招くようなことにすらなりかねない。脆弱な身の程のわきまえに即した不埒な義務感が
匹夫の勇、婦人の仁となって、大局的にはより悪い影響をもたらすことにすらなってしまうのである。
完全に特定の職務ばかりに徹しきる有司根性(役人根性)は、それはそれで向上心を全く欠いた奴隷根性にすら
繋がりかねないものなので、職務に就いていない所で漠然とした大志を温めて置くようなこともまたあったほうがよい。
しかし、それだけでそのままその志しが果たされるなどと思い込んだならそれも大間違いであり、
志しを果たすための職務に臨むからには、厳重な手順を踏んで行くようにしなければならないものである。
素人状態での志しの養生と、玄人としての手堅い仕事と、両方があって初めて人も最善を尽くすことができるのである。
「其の人と為りや孝弟にして、上を犯すことを好む者は鮮なし。上を犯すことを好まずして、乱を作すを
好む者も未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む。本立たちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁の本為るか」
「その人となりが孝悌でありながら、目上の人間を侵すことを好む人間は少ない。目上を侵すことを好まないで
いながら、乱を為すことを好む者もまた未だかつて居たことがない。君子はそのような根本の所の義務を
果たすことにこそ専らでいる。根本の所がよく落ち着いていれば自然と歩むべき道も開けてくる。孝悌で
あることこそは、仁の基いともなるのである。(博愛ではなく孝悌に務めることこそが仁をも実現するのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・学而第一・二より)
天下万人を利する仁政のためといえども、主君や親をよく尊べるだけの身の程のわきまえが必要である。
そこを逸脱するようではろくな務めも果たされないし、最悪、良かれと思っての行いがより無益で
有害な結果を招くようなことにすらなりかねない。脆弱な身の程のわきまえに即した不埒な義務感が
匹夫の勇、婦人の仁となって、大局的にはより悪い影響をもたらすことにすらなってしまうのである。
完全に特定の職務ばかりに徹しきる有司根性(役人根性)は、それはそれで向上心を全く欠いた奴隷根性にすら
繋がりかねないものなので、職務に就いていない所で漠然とした大志を温めて置くようなこともまたあったほうがよい。
しかし、それだけでそのままその志しが果たされるなどと思い込んだならそれも大間違いであり、
志しを果たすための職務に臨むからには、厳重な手順を踏んで行くようにしなければならないものである。
素人状態での志しの養生と、玄人としての手堅い仕事と、両方があって初めて人も最善を尽くすことができるのである。
「其の人と為りや孝弟にして、上を犯すことを好む者は鮮なし。上を犯すことを好まずして、乱を作すを
好む者も未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む。本立たちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁の本為るか」
「その人となりが孝悌でありながら、目上の人間を侵すことを好む人間は少ない。目上を侵すことを好まないで
いながら、乱を為すことを好む者もまた未だかつて居たことがない。君子はそのような根本の所の義務を
果たすことにこそ専らでいる。根本の所がよく落ち着いていれば自然と歩むべき道も開けてくる。孝悌で
あることこそは、仁の基いともなるのである。(博愛ではなく孝悌に務めることこそが仁をも実現するのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・学而第一・二より)
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「君子は心を労し、小人は力を労す」とは儒家の教条であるが、
その儒家以上にも小手先だけでの作為を全否定しているのが道家である。
そしてその道家こそは、「忠臣学」としての意味合いが強い儒家以上にも、
純粋な「帝王学」としての深遠な意味合いを帯びてもいる。
儒学の実践は古来から旺盛だが、玄学の実践はからっきしである薩摩人などが
帝王的な存在としての威厳には全く欠けているように、儒家だけを専らに
学んだからといって、支配者中の支配者たる王君としての風格は伴わない。
それも、結局は儒家も小手先での作為を多少は講ずる思想信条である一方で、
道家はそれすらも否定してしまう重々しさを湛えているからで、候公や将軍や大名の
ような、さらに上位の帝王が存在する準君主的な存在として栄達するためだけにでも、
「主体学」としての道家思想への、儒家と共なる理解が必要となるのである。
拳闘術としての空手が旺盛な琉球でも、王室ご用達の武術である御殿手などは、
人体の正中線の安定を基いにした柔術としてこそ洗練されている。大東流柔術の
流れを汲む合気道などはさらに徹底していて、臍下三寸程度の所にある丹田という
点部分からの全ての技の繰り出しを重視する。徒手空拳の体術ほど小手先を直接的に
駆使する技術も稀なわけだが、それも窮めようとすれば結局は丹田や正中線のような
身体の中心部位こそを重視することに繋がるわけで、それこそ、合気道開祖の
植芝翁のように、手足を「おまけ」程度のものとして捉えられるようになった
時にこそ初めて、神通自在な武の真髄までもが体得されることともなるのである。

その儒家以上にも小手先だけでの作為を全否定しているのが道家である。
そしてその道家こそは、「忠臣学」としての意味合いが強い儒家以上にも、
純粋な「帝王学」としての深遠な意味合いを帯びてもいる。
儒学の実践は古来から旺盛だが、玄学の実践はからっきしである薩摩人などが
帝王的な存在としての威厳には全く欠けているように、儒家だけを専らに
学んだからといって、支配者中の支配者たる王君としての風格は伴わない。
それも、結局は儒家も小手先での作為を多少は講ずる思想信条である一方で、
道家はそれすらも否定してしまう重々しさを湛えているからで、候公や将軍や大名の
ような、さらに上位の帝王が存在する準君主的な存在として栄達するためだけにでも、
「主体学」としての道家思想への、儒家と共なる理解が必要となるのである。
拳闘術としての空手が旺盛な琉球でも、王室ご用達の武術である御殿手などは、
人体の正中線の安定を基いにした柔術としてこそ洗練されている。大東流柔術の
流れを汲む合気道などはさらに徹底していて、臍下三寸程度の所にある丹田という
点部分からの全ての技の繰り出しを重視する。徒手空拳の体術ほど小手先を直接的に
駆使する技術も稀なわけだが、それも窮めようとすれば結局は丹田や正中線のような
身体の中心部位こそを重視することに繋がるわけで、それこそ、合気道開祖の
植芝翁のように、手足を「おまけ」程度のものとして捉えられるようになった
時にこそ初めて、神通自在な武の真髄までもが体得されることともなるのである。
十分な「体」の尊重を心がけた上での「用」としての作為は、威厳ある主君の下での
有能な臣下の働きの如き功業ともなる一方、体の尊重を全く蔑ろにした小手先だけ
での作為は、縦横家だった蘇秦による中原諸国の分裂工作と、そのせいでの怨みを
買ったことによる本人自身の車裂きの如き悲惨な末路すらをも招きかねぬものである。
古来から律令制や封建制を通じて高能率化されて来た日本の労働力が、徳のある
主君の下では完璧に有益なものとして活用されていたのが、世界規模での経済的軍事的
な覇権をもくろむ国内外の不穏分子のために悪用されるようになってからは、その労働
効率に付いて行けなくなった世界中の国々での経済破綻などの大問題を引き起こしている。
小手先だけでの策ばかりを弄するのであっても、有能な小人や下級役人ぐらいではいられる。
ただ、そんな下卑た立場の人間ばかりで世の中を保ち続けられるような試しもなく、
結局は人の上に立つ君子的な存在にも頼る必要が出てくる。そしてその君子こそは、
小手先ばかりに頼らない、中心力の養生が必須ともなる。中心力の養生のためにこそ、
卑人や悪所を含む天地万物を尊べる程の度量の大きさが必要となると、道家の荘子などは
説いているわけだが、その下々に到るまでの尊重を促す道家思想の体得を必要とする
君子こそは、民主主義によってその存在価値を全否定されているのだから、困り物である。
民主主義こそは、庶民と帝王の本質的な存在意義すらをも等分ならしめる格好の
思想信条を全廃せしめた上で、卑しまれたままの人民だけで世界を構成してしまおうと
するイデオロギーであったわけだから、本当に、人類全体にとっての厄介だったといえる。
有能な臣下の働きの如き功業ともなる一方、体の尊重を全く蔑ろにした小手先だけ
での作為は、縦横家だった蘇秦による中原諸国の分裂工作と、そのせいでの怨みを
買ったことによる本人自身の車裂きの如き悲惨な末路すらをも招きかねぬものである。
古来から律令制や封建制を通じて高能率化されて来た日本の労働力が、徳のある
主君の下では完璧に有益なものとして活用されていたのが、世界規模での経済的軍事的
な覇権をもくろむ国内外の不穏分子のために悪用されるようになってからは、その労働
効率に付いて行けなくなった世界中の国々での経済破綻などの大問題を引き起こしている。
小手先だけでの策ばかりを弄するのであっても、有能な小人や下級役人ぐらいではいられる。
ただ、そんな下卑た立場の人間ばかりで世の中を保ち続けられるような試しもなく、
結局は人の上に立つ君子的な存在にも頼る必要が出てくる。そしてその君子こそは、
小手先ばかりに頼らない、中心力の養生が必須ともなる。中心力の養生のためにこそ、
卑人や悪所を含む天地万物を尊べる程の度量の大きさが必要となると、道家の荘子などは
説いているわけだが、その下々に到るまでの尊重を促す道家思想の体得を必要とする
君子こそは、民主主義によってその存在価値を全否定されているのだから、困り物である。
民主主義こそは、庶民と帝王の本質的な存在意義すらをも等分ならしめる格好の
思想信条を全廃せしめた上で、卑しまれたままの人民だけで世界を構成してしまおうと
するイデオロギーであったわけだから、本当に、人類全体にとっての厄介だったといえる。
「伯牛、疾有り。子、之れを問い牖より其の手を執りて曰く、之れを亡ぼせり。
命なるかな。斯の人にして斯の疾の有るや、斯の人にして斯の疾の有るや」
「門弟の伯牛が(ハンセン病か何かの、顔や身体を蝕まれる)重病にかかった。
孔先生は病の床にある伯牛の元を尋ねて、(病に侵されている本人の顔や身体が
見えぬように)窓からその手を執って言われた。『ああ、天が彼を亡ぼされた。
これも天命であるのだろうか。これほどもの人物でいながらこのような病に
侵されるとは』(伯牛は徳行の実践に優れていたという。容姿を損ねる病に侵された
ことを孔子が嘆いているからには、それなりの容貌の持ち主でもあったに違いないが、
その伯牛の手だけは辛うじて無事であったという所もまた示唆的であるといえる。
小手先での徳行には長けていても、中心からの徳の養生には欠けていたのかもしれない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・雍也第六・一〇より)
命なるかな。斯の人にして斯の疾の有るや、斯の人にして斯の疾の有るや」
「門弟の伯牛が(ハンセン病か何かの、顔や身体を蝕まれる)重病にかかった。
孔先生は病の床にある伯牛の元を尋ねて、(病に侵されている本人の顔や身体が
見えぬように)窓からその手を執って言われた。『ああ、天が彼を亡ぼされた。
これも天命であるのだろうか。これほどもの人物でいながらこのような病に
侵されるとは』(伯牛は徳行の実践に優れていたという。容姿を損ねる病に侵された
ことを孔子が嘆いているからには、それなりの容貌の持ち主でもあったに違いないが、
その伯牛の手だけは辛うじて無事であったという所もまた示唆的であるといえる。
小手先での徳行には長けていても、中心からの徳の養生には欠けていたのかもしれない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・雍也第六・一〇より)
親を犯罪者と呼ぶのが笠地蔵クオリティ・・・。
孔子様を穢しているという一点で、笠地蔵は地獄行き確定。^^

「子貢『いま政治に携わっている人びとはいかがなものでしょうか』
孔先生『ああ、計り升のようにつまらない連中よ。取り立てて論ずるまでもない』
(計り升は徴税のための道具。租税にしか興味がない人間という意味)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子路第十三・二〇)
経書に伝承されている孔子の発言はいかにも人格者じみたものが多いが、
「史記」の孔子世家などには、孔子が当時の権力者などに対して容赦なく辛辣な批判を
加えていたとも記録されている。そこまで具体的なものではないにしろ、実際上のように、
当時の権力者に対する否定的な物言いも孔子は遺していて、決して孔子も耳障りのいい
美辞麗句ばかりで発言を塗り固めるような偽善者などではなかったことが分かる。
孟子に至っては、時の大諸侯に対する容赦ない面前での批判を惜しげもなく繰り広げている。
その批判内容があまりにも皮肉じみていて耳に痛いものだから、対話相手の王候も
返す言葉すら見付からずにただニヤニヤ笑っているしかなかったりしたと、
孟子自身が伝承したとされる言行録「孟子」にも記録されている。
儒者にはそういった、ただただ温厚とばかりも言えない側面があるのであって、
それこそが真理にすら通ずる道理の把捉者の然るべき有り様であることは、
真理の直接的な把捉を企てる禅仏教における問答までもが、辛辣で時に不条理とすら
思えるほどの厳しさを帯びていることからも察することができるのである。
今でも辛口のコメンテーターがテレビや雑誌での発言で一定の支持を得たり
することがあるが、当然それが全て道理に合致した発言だったりするわけでもない。
ただ見聞客の共感が寄せられるような辛口の論評を試みているというばかりのことで、
そこにはやはりおもねりとしての意味こそが込められていたりするのである。
辛辣な物言いこそが時に真理や道理に合致する原理は、それこそ大乗仏教の般若思想あたりに集約されている。
AでもなければBでもなく、AでないものでもなければBでないものでもないといった言語上での否定尽くしこそが、
惑いの発露としての言葉を超絶した所にある悟りへと至らせる。そりゃあ、言葉上では耳障りのいい
肯定ばかりを重ねていた人間などにとっては、辛辣で不快なものに思えたりもするわけで、
道理や真理を把捉するに際しても、そのような辛辣さに甘んじて行くことが免れられないことを
予め覚悟しておくことなどもあって然るべきなのである。
真理や道理の把捉者こそが辛辣な言葉を述べることもあるし、ただの人気取り目的のコメンテーター
が辛辣な言葉を述べることもある。両者の違いは、聞き手を着実な向上へと導くような
(少なくとも破滅に陥りつつある相手を最低限の救いに与らせてやるぐらいの)配慮が備わって
いるか否かにあるのであり、前者はどんなに聞き苦しくてもそのような配慮が伴っている一方で、
後者は辛口ながらに共感できるような所があるとした所で、そのような配慮が伴っていることはない。
ただ、やはりその発言内容だけを見て、それが真理や道理にも通ずる辛口の言葉であるのか、
ただただ辛口なだけの言葉であるのかを判別するのは難しい。特に、教導が必須な未熟者こそは、
両者を弁別することも困難極まりない状態にあるわけだから、まずは信頼の置ける学門に
頼るということが必要ともなる。相手が儒者だから、仏者だからといった体裁を拠り所にして、
辛口な言葉にも耳を傾けて行くようにすれば、ただ評判のいい辛口コメンテーターの
言葉に耳を傾けたりするのとは全く異なる結果が得られもするのである。
(むろん、儒者や仏者自身の質にも善し悪しがあるので、そこは注意が必要である)
少なくとも、辛口だからといって人格者ではないなどという極論にまでは及ぶべきではない。
もちろん人格者ではない辛口好きもいるけれども、それが全てだなどと思い込んだなら、
もう二度と言葉での成長が見込めることもあるまい。言葉が人間の成長を促せないのではなく、
おまえこそが言葉による成長を頭から拒絶し尽くしてしまったのだから。
AでもなければBでもなく、AでないものでもなければBでないものでもないといった言語上での否定尽くしこそが、
惑いの発露としての言葉を超絶した所にある悟りへと至らせる。そりゃあ、言葉上では耳障りのいい
肯定ばかりを重ねていた人間などにとっては、辛辣で不快なものに思えたりもするわけで、
道理や真理を把捉するに際しても、そのような辛辣さに甘んじて行くことが免れられないことを
予め覚悟しておくことなどもあって然るべきなのである。
真理や道理の把捉者こそが辛辣な言葉を述べることもあるし、ただの人気取り目的のコメンテーター
が辛辣な言葉を述べることもある。両者の違いは、聞き手を着実な向上へと導くような
(少なくとも破滅に陥りつつある相手を最低限の救いに与らせてやるぐらいの)配慮が備わって
いるか否かにあるのであり、前者はどんなに聞き苦しくてもそのような配慮が伴っている一方で、
後者は辛口ながらに共感できるような所があるとした所で、そのような配慮が伴っていることはない。
ただ、やはりその発言内容だけを見て、それが真理や道理にも通ずる辛口の言葉であるのか、
ただただ辛口なだけの言葉であるのかを判別するのは難しい。特に、教導が必須な未熟者こそは、
両者を弁別することも困難極まりない状態にあるわけだから、まずは信頼の置ける学門に
頼るということが必要ともなる。相手が儒者だから、仏者だからといった体裁を拠り所にして、
辛口な言葉にも耳を傾けて行くようにすれば、ただ評判のいい辛口コメンテーターの
言葉に耳を傾けたりするのとは全く異なる結果が得られもするのである。
(むろん、儒者や仏者自身の質にも善し悪しがあるので、そこは注意が必要である)
少なくとも、辛口だからといって人格者ではないなどという極論にまでは及ぶべきではない。
もちろん人格者ではない辛口好きもいるけれども、それが全てだなどと思い込んだなら、
もう二度と言葉での成長が見込めることもあるまい。言葉が人間の成長を促せないのではなく、
おまえこそが言葉による成長を頭から拒絶し尽くしてしまったのだから。
笠地蔵ハバかだねえ。^^
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