『はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見る
までは、決して死なない者がいる』。これはすなわち、まだ今現在、生きている人がいる内に、
その世界の終末が訪れるという思想です。イエスの教えというのはあくまで神話的であり、初期
のキリスト教会の作業もイエスの神話化です。すなわち聖霊が下って、乙女マリアからイエスが
誕生し、それはベツレヘムだった等。
しかし私たちは21世紀の現在まで、世界の終末を見ていません。ですからイエスの教え自体が
神話的であり、初期の教会の教義も…つまり神話論と分かってしまっています。これは19世紀
の神学者ヨハンネ・バイスの説で、私の説ではありません。さらにイエスの神話論を修正化す
る作業、これを『非神話化』というのですが、この作業も(やや不完全ですが)パウロ、ヨハネ
の福音書などによって、早くも新約聖書において行われています。
それを
>>23 のSARO氏のように神学を専攻したと豪語する者が、
>後の弟子は教会制度を整えて、基督教を発展させただけで、
>基督教を作ったのは、イエスだよ。
と言うのですから嘲笑モノです。まあ某三流大学なのでどんなヨタ神学を学んだのか不明ですが。
パウロは再臨・死人の復活・最後の審判を期待していたという点では神話的なのですが、ちょっと
考えを非神話化の方に押し進めます。例えば『神はおん子を…お遣わしになった』(ガラテヤ4-4)
ことにより、キリストの復活に与った者、すなわちキリストにあるがゆえに義とされた者、それは
信徒であり、終末論的共同体としての教会において、キリストは死を打ち破り生命と不死とを明
るみに出した(ローマ5・12-14等)。すなわち世界の終末のような旧来のユダヤ人が熱望したもの
は福音を述べ伝える時に成就するとしました。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの時である
(Ⅱコリント6-2)。キリスト者には祝福の賜物として、期待される聖霊は既に与えられている。
ケリュグマによってもう、輝かしいその時は与えられているのです。
非神話化をあらわにしたヨハネ福音書については後で考察しましょう。
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