イエスの顔


▼ページ最下部
※省略されてます すべて表示...
025 2013/09/01(日) 00:10:14 ID:LHojwP.qKY
>>23
イエス自身は選民思想(ただし若干柔軟性あり)を持ったいわゆるユダヤ教徒。異邦人、つまり
割礼を受けない者への差別発言がある(マタイ9-5等)。律法を守るという点でも、いわゆるユ
ダヤ教徒(マタイ5-17等、ただし柔軟な対応をすべきという思想が新約聖書の根底にある)。教
会という固定した施設を持たず、たった2年弱、自分の教えを伝道しただけなので、彼の最終的な
目的が何だったかは不明。またイエスの教えも新約聖書を見る限り、当時のユダヤ人にそれほど
受けなかった可能性が高い(マタイ11-16等、マルコ6-1等、マルコ8-12等、ヨハネ6-30等)。
 
キリスト教の一部の教義はペトロに代表される十一使徒らと、イエスの従兄弟であるヤコブら
が開いたエルサレムの教会が作った。例えば『主の再臨』。使徒宣言の『全能の父である神の
右の座に着き、生者と死者を裁くために来られます』などの思想はエルサレム教会が作ったと
思われる。ただしエルサレム教会の使徒らはユダヤ教の神殿に詣でる熱心なユダヤ教徒の域を
出ない。イエスの従兄弟のヤコブはあくまでキリスト教(という概念も彼らにあったか疑わし
いので、ここはエルサレム教会と仮に呼んでおく)はユダヤ人のためにあり、異邦人(割礼を
受けていない者)は排除されるべきと最後まで主張した。
 
しかし『ギリシア語を話すユダヤ人』(使徒言行録6-1)、例えばバルナバのような者、がエル
サレム教会に増えて行き、彼らが(おそらく)独立した別の教会を作った。こちらは、キプロ
スやギリシアからの帰国者で、考え方も柔軟だったので、モーセ冒涜発言(らしい)に端を発
した『ステファノ事件』を起こすに至った(使徒言行録6-8以降)。
 
これによりエルサレム教会以外の教会が大迫害に逢った(使徒言行録8-1以下に『使徒たちの他』
の記述があることから、既に複数の教会が存在したことがうかがわれる)。この迫害をきっかけ
に、イエス死後わずか2年で、逃亡信者によりローマ帝国各地に、キリスト教が伝わった。

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:150 KB 有効レス数:162 削除レス数:0





思想・哲学掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:イエスの顔

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)