
完全誤謬信仰に没入できる程にも精神の薄弱な人間は、たとえば「論語」中で
「小人」という言葉で表現されている人種の性向を概ね備えているし、
仏教教義において「餓鬼」とか「畜生」とかいった言葉で表現される事物の性向をも多少は兼ね備えている。
(完全誤謬信仰に没入することでこの傾向は深刻化もする)
「聖人や賢人とまではいかない」という意味で「論語」で用いられている「善人」や、
仏道や天道と比べれば程度の低いものとされる「人道」に相当する品性すら
備えられていたなら、人が完全誤謬信仰に陥ったりすることはない。
善人や人道に要求される程度の精神力だけでも、
人が完全誤謬信仰への没入を抑止することは十分に可能である。
善人や人道程度の境地にある人間であれば、麻薬にも手を出さない。
酒や煙草程度なら手を出しても、麻薬や完全誤謬信仰にまでは手を出さない。
それらにまで手を出そうとする程もの不埒さを、あらかじめ自制しているから。
もちろん、酒や煙草や色事にすら手を出さない境地というのもあるが、
最低限、麻薬や完全誤謬信仰ぐらいには手を出さないという善人や人道の境地が、
社会的に容認されるに値する最低限の域でもあるといえ、
さらにそれ以下、麻薬や完全誤謬信仰にすら手を出してしまう域こそは、
もはや社会的な容認すらされるべきでない、アウトローの域であるといえる。
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