孔子は「軍旅の事は未だ之を学ばざるなり(衛霊公第十五・一)」といい、
軍事に関する質問を自分にして来た衛の霊公に愛想を尽かして衛国を去ってもいる。
これが、中国人が軍事を卑しむ理由ともなっているようだが、一方で孔子は、弟子の子路と
あまり専門的とも言えない範囲の軍事にまつわる戯言も残しており、(述而第七・一〇参照)
孔子は、霊公が軍事という卑しい物事に関する質問をしてきたからではなく、
礼学者としてアドバイスに来た自分に対して、軍事の質問までして来ようとする
霊公の節操の無さに愛想を尽かしたのだろうことが、うかがえる。
ただ、上記のとおり孔子は、「軍事は学んでない」といいながら、軍事に関する戯言を残したりと、
だいぶ口数の多い人間だったことは確かなようである。「史記」の孔子世家にも
「孔子の諸侯への批判は適格なものだった」とあり、たとえ適格であるにしたって、
権力者に対する悪口なども相当数重ねていたのだと考えざるを得ない。
口数の多さは、決してことに臨むに際して有利には働かない。
学者ではなく、実際の政治家や軍人として振る舞う時には、
孔子自身かならずしも出来ていなかったらしい、「言に訥にして行いに敏(里仁第四・二四)」でなければならない。
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