論語 東洋の高度な哲学


▼ページ最下部
001 2012/03/25(日) 21:59:23 ID:mnHnCEHObU
道徳という言葉はいまや一般的に広く普及した観念だが、
その由来を調べると、極めて精緻な哲学思想体系であったことに驚かされる。
道徳とは、「徳」を積むためのセオリーをまとめた体系であり、
さらにその「徳」とは、「仁」や「義」など5つの価値因子から成り立っていると説かれる。
つまり道徳とは抽象的な観念ではなく、論理的で具体的な方法論であったのだ。
しかし当の中国人がこの優れた哲学体系を忘れ去っているとは何たることだろう。
儒教の国を自称する韓国に至っては、仁義が完全に消失しており
道徳を完全に読み誤っているとしか思えない有様である。
悲しくもこの傾向は「仁義」をモットーとする日本の近代ヤクザにも一致するのだが、
東洋思想を最も純粋な形で生活の中に畳み込んでいるのはこの日本である。
日本の建て直しのためにも論語教育の再興を望みたいものである。

返信する

※省略されてます すべて表示...
020 2012/05/01(火) 13:53:32 ID:KTtYESW9Z.:au
孔子は「軍旅の事は未だ之を学ばざるなり(衛霊公第十五・一)」といい、
軍事に関する質問を自分にして来た衛の霊公に愛想を尽かして衛国を去ってもいる。
これが、中国人が軍事を卑しむ理由ともなっているようだが、一方で孔子は、弟子の子路と
あまり専門的とも言えない範囲の軍事にまつわる戯言も残しており、(述而第七・一〇参照)
孔子は、霊公が軍事という卑しい物事に関する質問をしてきたからではなく、
礼学者としてアドバイスに来た自分に対して、軍事の質問までして来ようとする
霊公の節操の無さに愛想を尽かしたのだろうことが、うかがえる。

ただ、上記のとおり孔子は、「軍事は学んでない」といいながら、軍事に関する戯言を残したりと、
だいぶ口数の多い人間だったことは確かなようである。「史記」の孔子世家にも
「孔子の諸侯への批判は適格なものだった」とあり、たとえ適格であるにしたって、
権力者に対する悪口なども相当数重ねていたのだと考えざるを得ない。

口数の多さは、決してことに臨むに際して有利には働かない。
学者ではなく、実際の政治家や軍人として振る舞う時には、
孔子自身かならずしも出来ていなかったらしい、「言に訥にして行いに敏(里仁第四・二四)」でなければならない。

返信する

021 2012/05/02(水) 12:36:45 ID:Tsn0KxGDTQ:au
>>19
易の数理構造を通じて「マトリックス」を観想し、
その観想に根ざした言行を為すように、孔子を始めとする最原初の儒者は努めていた。
でも、「論語」や「孟子」のような、易自体にまつわる説明のない、表面的な聖賢の語録集が
持て囃されるようになると、儒学が易の観想にこそ根ざした学であることは、半ば忘れ去らるようになった。

易の観想に根差しているから、何気ない言行の一つ一つが宇宙の真理にすら適っている。
儒者は本当はそうでなければならないんだが、論孟などの字面ばかりに囚われ過ぎるあまり、
一種の「ドグマの隷従者」と化してしまった犬儒が、後世には多発した。その、
儒学の本来のあり方を見失った姿が、人々の儒者に対する不信を募らせる原因ともなったのだった。

返信する

022 2018/02/13(火) 18:35:56 ID:w9RaynLL4I
4がワロタw

返信する

023 2018/02/13(火) 18:38:28 ID:w9RaynLL4I
儒教もシナチョンにかかってクソ

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:12 KB 有効レス数:23 削除レス数:0





思想・哲学掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:論語 東洋の高度な哲学

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)