孔子もまた妾腹の私生児であり、自らが野合で産んだ子であることを恥じて、母親も
あえて孔子に父親の身元を明かさなかった。しかし、孔子は自ら親戚に問いただす
などして何とか父親の身元を調べ上げ、すでに故人となっていた父親の墓参りも果たした。
育ちの悪さからなる自暴自棄と化して、我流の虚言を並べ立てるようなことも極力慎み、
周公の封土でもあった魯国に、多数現存していた文化遺産を自ら纏め上げて五経とし、
伝統に適った道徳統治のあり方を見極める、儒学の創始者ともなった。
孟子もまた、その身元を司馬遷ですらもが調べ上げられなかったほどもの卑賤の出身だが、
その母親は、墓地や市場の近くで我が子を育てることを忌んで引っ越しを繰り返し、
学問所の近くに落ち着くことで我が子に学問を志さしめるほどもの賢母であったから、
孟子もよく学問に専念することで儒学者として大成し、人類史上にも未だかつてない
純良仁義道徳を打ち立てた(孔子すら、孟子に比べれば清濁併せ呑んでいる所がある)。
私生児であることや、母親が淫女であることといった先天的な不遇は、
自らの自助努力によって克服することが可能であることが、孔子の生き様によって
明らかとなっているし、また卑賤の出身であっても、母親がマリアのような愚母ではなく、
孟子の母親のような賢母ですらあれば、息子を相当なところまで大成させることが
可能であることが、孟子の例によって明らかとなっている。
イエスが失敗せずに成功した例が孔子であるといえ、マリアが失敗せずに成功した例が
孟母であるといえる。いずれにしろ、人がイエスやマリア並みの不遇に置かれたとしても、
その不遇を乗り越えてそれなりに大成することが可能であることを示した実例であり、
イエスやマリアの言行が、人類の三分の一を破滅へと陥れる邪義と化したことが、決して
先天的な環境のせいではなく、後天的な自己責任によるものである証拠となっている。
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