江戸史上最悪の飢饉であった、天明の大飢饉による餓死者数が約90万人で、当時の日本の人口の約3.6%。
現代社会における、聖書信仰者の国際権力犯罪による餓死者数が約3億〜10億人で、今の世界人口の約4〜10%。
君らが「旧世界」と呼ぶうちに入る、江戸時代の日本における最大級の失態を上回る大失態を、
君らが「新世界」と呼んでいる聖書信仰支配下の世の中が、今まさにやらかし続けている最中。
しかも、江戸時代の飢饉のほうは、火山噴火による冷害などの「天災」によるものであったのに対し、
現代社会における大量餓死は、欧米聖書圏が自分たち八億程度の人員派閥だけで、地球資源の八割以上を
独占しての放辟邪侈を続けていることでの「人災」によるものであり、「天災だから仕方がない」という
ような言い訳が、江戸時代の飢饉について通用することはあっても、現代の惨状について通用することはない。
確かに、今の世の中においても、聖書信仰は、非聖書信仰による社会統治を上回る規模の荒廃を人類社会に
もたらし続けているのであり、聖書信仰者が「福」をもたらしているつもりでやってきたあらゆる物事が、
それ以上もの「禍(わざわい)」を常に伴う、利益以上の損害をもたらす悪行だったことが明らかとなっている。
新世界は、確かに旧世界よりも劣悪なものと化したのであり、新世界をもたらした聖書信仰者たちの行いも、
その全てが、旧世界の人々のいかなる行いよりも、常に必ず劣悪なものであり続けているのである。
旧世界と新世界とで、莫大な風俗の開きが生じているのは、誰しもが認めているところだが、じゃあ、
莫大な差異が生じている新世界と旧世界のうちでの、どちらのほうが優良でどちらのほうが劣悪だったのかといえば、
実は旧世界のほうが優良だったのであり、新世界はそのどこもかしこもが、劣悪なものとばかり化してしまっている。
孔孟や釈迦や龍樹やその他、数多の聖賢が精神原理を司っていた旧世界と、自暴自棄状態の娼婦の私生児、
イエスキリストが精神原理を奪い去った新世界(現世)とでは、確かに甚大なる相違を帯びている。しかしそれは、
旧世界と比べてほんの少しでも改善が為された結果ではなく、改悪の限りが尽くされた結果でしかないのである。
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