「書経」湯誓や泰誓においても、夏の桀王や殷の紂王が罪人も同然の悪逆非道な振る舞いを繰り返し、
実際に罪人を近づけて共に無辜の市民を虐げて金品を略奪するなどの、盗賊そのままな犯罪行為にも及んでいたことが指摘されている。
特に、殷の紂王の放辟邪侈は、「酒池肉林」などというおどろおどろしい故事成語によっても有名だが、
そのような、非道極まりない犯罪者や権力犯罪者をも多く生み出しておきながらも、その非道さが世の中に対して
どれほどもの悪影響を及ぼしていたのかということが、中国においては非常に具体的で如実な形で指摘されてもいる。
それは、夏桀殷紂のような暴君も多く生み出した一方で、その糾弾者としての湯王や武王なども中国においては多く輩出され、
彼らが暴君を放伐して善政を敷くなどの模範例をも身を以て実現したために、ダークサイドとしての非道な暴政などを
如実に著しても、それを「反面教師」として十分に遠ざけつつ教訓とすることができたから。
然るに、西洋においては、夏桀殷紂に相当するような暴君はいくらでもいた一方で、湯王や武王に該当するような聖王は
一人も輩出されず、支配者から平民にいたるまで総員犯罪者状態であり続けてきたために、その行状を中国の暴君の場合のように
反面教師として遠ざけつつの教訓にすることすらできない。どこもかしこも重犯罪だらけで、それを放伐できるだけの
善政も徳行もどこにも存在しないために、その如実な姿を説明したりすれば、「カラマーゾフの兄弟」における「大審問官」
みたいな全く救いようのない地獄絵図と化してしまう。だから、そのような罪悪まみれの現実から目を背けてお花畑に遊んでいるか、
重犯罪者としての現実を突き進むかの二つしかあり得ない。現実における罪悪まみれを払拭するという選択肢が皆無であるために、
罪悪まみれの現実から目を背けるための、空想上のお花畑を提供してくれるイエスあたりが持て囃されてもいたのだ。
「上天孚に下民を佑けて、罪人黜伏す」
「上天は常に正しい者を助けて、罪人を調伏するものである」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・湯誥より)
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