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聖書 Part5
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「聖書」という言葉の原典となっている「新唐書」巻四十五・志第三十五・選舉下の記述に基づけば、「聖書」とは
①聖人が書いた書物。
②叙勲などを司る記録官による、正式な記録作業によって編纂された書類。
③賢愚の分け隔てなく全ての評価対象者をおしなべて取り上げた書物。
④賢愚をおしなべて取り上げつつも、その格の上下に合わせた公正な評価が行き届いている書物。
⑤年功や等級の高低を重視し、分をわきまえない僭越などを十全に排している書物。
といった条件を満たしている書物のことであり、そのような書物の中でも、最も代表的かつ古典的であるのが四書五経。
①の条件は孔子の書いた「易経」繋辞伝や「春秋経」、曾子の書いた「大学」や子思子の書いた「中庸」などが満たしている。
②の条件は太古の正式な政治記録である「書経」が(ただしあまりにも太古過ぎるため、多少の修繕がなされている)、
③と④の条件は「詩経」の大雅小雅両篇や「春秋経」が、⑤の条件は身分秩序を重んじる「易経」「論語」「礼記」などが
満たしている。まさに四書五経こそは、「聖書」という言葉の厳密な条件を満たしきるために著されたような書物であり、
これほどにも聖書の名に値する書物は、他に存在しないと言えるほど。ここはその真正聖書たる四書五経などについて語るスレ。
(画像は「論語」の主人公孔子、「孟子」の主人公孟子、「大学」の著者曾子、「中庸」の著者子思子の四名。四書の各筆頭)

①聖人が書いた書物。
②叙勲などを司る記録官による、正式な記録作業によって編纂された書類。
③賢愚の分け隔てなく全ての評価対象者をおしなべて取り上げた書物。
④賢愚をおしなべて取り上げつつも、その格の上下に合わせた公正な評価が行き届いている書物。
⑤年功や等級の高低を重視し、分をわきまえない僭越などを十全に排している書物。
といった条件を満たしている書物のことであり、そのような書物の中でも、最も代表的かつ古典的であるのが四書五経。
①の条件は孔子の書いた「易経」繋辞伝や「春秋経」、曾子の書いた「大学」や子思子の書いた「中庸」などが満たしている。
②の条件は太古の正式な政治記録である「書経」が(ただしあまりにも太古過ぎるため、多少の修繕がなされている)、
③と④の条件は「詩経」の大雅小雅両篇や「春秋経」が、⑤の条件は身分秩序を重んじる「易経」「論語」「礼記」などが
満たしている。まさに四書五経こそは、「聖書」という言葉の厳密な条件を満たしきるために著されたような書物であり、
これほどにも聖書の名に値する書物は、他に存在しないと言えるほど。ここはその真正聖書たる四書五経などについて語るスレ。
(画像は「論語」の主人公孔子、「孟子」の主人公孟子、「大学」の著者曾子、「中庸」の著者子思子の四名。四書の各筆頭)

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≫104
親は何歳だ?
働く気がないといってしまうと、生活保護はもらえない。
病院いって精神疾患の診断書貰えば、
病気の程度に応じて貰えるが、食っていくだけ貰うのは重度のキチガイ故に働けないことをちゃんと証明しないとダメだぞ。
また、役所の人間が入院を斡旋することはない。
いずれにしろ、餓死リスクたかいわな
親は何歳だ?
働く気がないといってしまうと、生活保護はもらえない。
病院いって精神疾患の診断書貰えば、
病気の程度に応じて貰えるが、食っていくだけ貰うのは重度のキチガイ故に働けないことをちゃんと証明しないとダメだぞ。
また、役所の人間が入院を斡旋することはない。
いずれにしろ、餓死リスクたかいわな
「働こうと思えば働けるでしょうし、ある種の職務(仁徳統治など)については人並み以上の職能も持っていますが、
その職能を活用する場は今の社会にはこれっぽっちもありませんし、曲学阿世で自らの学識を悪用する気もありません。
誰にでもできる程度の単純労働もできるでしょうが、やればやるほど犯罪行為になるだけなので、自分からは決してやりません」
と、ちゃんと事情をありのままに全て説明する。
精密な精神鑑定もすでに受けたことがあるが、全くの異常なしで、むしろ人並み以上に
健常だとも言われたので、医師の診断による精神疾患を根拠に生活保護を受けたりすることもできない。
それでも決して働かない。「犯罪行為には手を染めない」という、
自ずからの道徳的な要求によって、現状での労役を拒否する。
もしかしたら役所などが、不審なホームレスの増加による公衆衛生の悪化を忌んで、最低限の生活ぐらいは保証してくれる
かもしれないが、してくれないかもしれない。してくれなかったホームレスになるまでで、ホームレスとしてですら
働く気はないので、コンビニなどの残飯をもらったりの乞食や、配給ぐらいでしか食いつながない。
そのせいで餓死するのなら、それでも結構。放伐革命を忌んで首陽山に引きこもり、ゼンマイだけを食って餓死した伯夷・叔斉、
仕官の高望みをし過ぎて野に打ち捨てられ、食うにも困った孔子、戦国時代の乱世に愛想を尽かして職を辞し、濁世の悲哀を詩として
「楚辞」に書き残した上で入水して死んだ屈原。乱世ゆえの不遇に置かれていたとはいえ、自ずからの威光を発する聖人君子も数多い。
その職能を活用する場は今の社会にはこれっぽっちもありませんし、曲学阿世で自らの学識を悪用する気もありません。
誰にでもできる程度の単純労働もできるでしょうが、やればやるほど犯罪行為になるだけなので、自分からは決してやりません」
と、ちゃんと事情をありのままに全て説明する。
精密な精神鑑定もすでに受けたことがあるが、全くの異常なしで、むしろ人並み以上に
健常だとも言われたので、医師の診断による精神疾患を根拠に生活保護を受けたりすることもできない。
それでも決して働かない。「犯罪行為には手を染めない」という、
自ずからの道徳的な要求によって、現状での労役を拒否する。
もしかしたら役所などが、不審なホームレスの増加による公衆衛生の悪化を忌んで、最低限の生活ぐらいは保証してくれる
かもしれないが、してくれないかもしれない。してくれなかったホームレスになるまでで、ホームレスとしてですら
働く気はないので、コンビニなどの残飯をもらったりの乞食や、配給ぐらいでしか食いつながない。
そのせいで餓死するのなら、それでも結構。放伐革命を忌んで首陽山に引きこもり、ゼンマイだけを食って餓死した伯夷・叔斉、
仕官の高望みをし過ぎて野に打ち捨てられ、食うにも困った孔子、戦国時代の乱世に愛想を尽かして職を辞し、濁世の悲哀を詩として
「楚辞」に書き残した上で入水して死んだ屈原。乱世ゆえの不遇に置かれていたとはいえ、自ずからの威光を発する聖人君子も数多い。
伯夷も叔斉も孔子も屈原も、決して完全な世捨て人(行為能力否定主義者)ではなかった。
ただ、禅譲革命や仁徳統治といった、理想的な社会統治を望むあまり、殺し合い奪い合いの横行する
乱世などでの実務に関わらされることに嫌気が差し、仕方なくなく、在野に放擲されることに甘んじていた。
まさに「内小人にして外君子なり、小人は道長じ、君子は道消ずるなり」の「易経」否卦に完全に合致した姿で、
真の聖人君子なればこそ、乱世には天下国家の内部で活躍することあたわず、外野で食うも困る苦境に置かれている。
「乱世に受け入れられないでこそ君子ではないか」という、「史記」孔子世家での顔回の発言にもちゃんと根拠がある。
ただ、禅譲革命や仁徳統治といった、理想的な社会統治を望むあまり、殺し合い奪い合いの横行する
乱世などでの実務に関わらされることに嫌気が差し、仕方なくなく、在野に放擲されることに甘んじていた。
まさに「内小人にして外君子なり、小人は道長じ、君子は道消ずるなり」の「易経」否卦に完全に合致した姿で、
真の聖人君子なればこそ、乱世には天下国家の内部で活躍することあたわず、外野で食うも困る苦境に置かれている。
「乱世に受け入れられないでこそ君子ではないか」という、「史記」孔子世家での顔回の発言にもちゃんと根拠がある。
>>「働こうと思えば働けるでしょうし、ある種の職務(仁徳統治など)については人並み以上の職能も持っていますが、
「自分は人徳ありますから働けます」なんて言ってどこの職員が納得するんだw
「はいはい。何もないんだね。まずは職能訓練受けてね〜」で終わり。
>>誰にでもできる程度の単純労働もできるでしょうが、やればやるほど犯罪行為になるだけなので、自分からは決してやりません」
アウト。この時点で生活保護も失業保険も貰えません。
これらは働こうとする意思がある人しか貰えない。
>>精密な精神鑑定もすでに受けたことがあるが、全くの異常なしで、むしろ人並み以上に
健常だとも言われたので、
はい嘘。「人並み以上に健常」なんてことを言う医者はいない。
学会がひっくりかえるわ。
自殺街道まっしぐらじゃねえかw
「自分は人徳ありますから働けます」なんて言ってどこの職員が納得するんだw
「はいはい。何もないんだね。まずは職能訓練受けてね〜」で終わり。
>>誰にでもできる程度の単純労働もできるでしょうが、やればやるほど犯罪行為になるだけなので、自分からは決してやりません」
アウト。この時点で生活保護も失業保険も貰えません。
これらは働こうとする意思がある人しか貰えない。
>>精密な精神鑑定もすでに受けたことがあるが、全くの異常なしで、むしろ人並み以上に
健常だとも言われたので、
はい嘘。「人並み以上に健常」なんてことを言う医者はいない。
学会がひっくりかえるわ。
自殺街道まっしぐらじゃねえかw
自殺する度胸はないでしょ。
ホームレスとして残飯あさって、40くらいで衰弱死に百円。
ホームレスとして残飯あさって、40くらいで衰弱死に百円。
要は、おまえらが社会的に死ぬか、俺がのたれ死ぬかの二つに一つだから。
他者の屍の上に己れの活路を切り開くぐらいのつもりなら、当然
己れの屍の上に他者の活路が開かれることも覚悟しなければならない。
たとえ自分の目的が勧善懲悪で、相手の目的が悪逆非道だろうとも。
「己れの欲せざるところを人に施すことなかれ」だから。
他者の屍の上に己れの活路を切り開くぐらいのつもりなら、当然
己れの屍の上に他者の活路が開かれることも覚悟しなければならない。
たとえ自分の目的が勧善懲悪で、相手の目的が悪逆非道だろうとも。
「己れの欲せざるところを人に施すことなかれ」だから。
いやいや、金がなくなって確実な死がくるのは俺らじゃなくて、お前だぞ(笑)
お前の親、あと何年生きるんだ?何年稼げるんだ?
お前の親、あと何年生きるんだ?何年稼げるんだ?
今どき自殺なんて中高生でもやっているから。
ただ、その理由は「いじめを苦にして」とかの私的なものばかりで、
天下国家を慮る公共性に即したりはしていない。
屈原の詩歌もいくつかは読んでみたが、あれは精神病患者の書けるような詩じゃない。
心から人を慕い、世を利せんとする中にも、自らの思いが果たされない苦悩が
制動と抑揚の均衡を取りつつの、荘厳なる文体によって表現されている。
きっと、入水の瞬間にすら完全な正気を保ち、
まるで家に帰るかのようにして溺れ死んでいったに違いない。
ただ、その理由は「いじめを苦にして」とかの私的なものばかりで、
天下国家を慮る公共性に即したりはしていない。
屈原の詩歌もいくつかは読んでみたが、あれは精神病患者の書けるような詩じゃない。
心から人を慕い、世を利せんとする中にも、自らの思いが果たされない苦悩が
制動と抑揚の均衡を取りつつの、荘厳なる文体によって表現されている。
きっと、入水の瞬間にすら完全な正気を保ち、
まるで家に帰るかのようにして溺れ死んでいったに違いない。
>>113
おまえら資本主義先進国の犯罪労働者全員が、ムスリムあたりに自首して入獄や強制入院などの処置を被る。
俺のほうは、後進国などへの強盗リンチ殺人加害者でなかったことを根拠に罪を免れ、
二度とこのような惨劇を起こさないための、仁徳統治の確立業務に携わっていく。
選択肢として、一応それはある。あるにはあるが、もちろんおまえらは自首を拒絶するだろう。
拒絶した結果として俺は職にありつけず、生活保護なり措置入院なり浮浪なり自殺なりの不遇な人生を送る。
俺の要求によって、おまえらが自首するなどとは、俺自身ですら思っていない。
ただ、人口爆発や環境破壊などの、人類破滅の危機を免れるためにおまえらが自首するか、
もしくはおまえらの無価値な自尊心を保つために、全面核戦争なども通じて人類が強制的に滅ぼされるか
というところが、実際に世界の大局を左右する根本要因となるだろう。その結果として、おまえらが社会的に
死んで、俺が社会的に活躍するようなこともある。このままいけば数十年以内に人類の破滅は免れ得ないので、
おまえらがまともな生活を送りつつ、俺がのたれ死ぬという選択肢のほうが、ほぼあり得ないことが分かる。
おまえら資本主義先進国の犯罪労働者全員が、ムスリムあたりに自首して入獄や強制入院などの処置を被る。
俺のほうは、後進国などへの強盗リンチ殺人加害者でなかったことを根拠に罪を免れ、
二度とこのような惨劇を起こさないための、仁徳統治の確立業務に携わっていく。
選択肢として、一応それはある。あるにはあるが、もちろんおまえらは自首を拒絶するだろう。
拒絶した結果として俺は職にありつけず、生活保護なり措置入院なり浮浪なり自殺なりの不遇な人生を送る。
俺の要求によって、おまえらが自首するなどとは、俺自身ですら思っていない。
ただ、人口爆発や環境破壊などの、人類破滅の危機を免れるためにおまえらが自首するか、
もしくはおまえらの無価値な自尊心を保つために、全面核戦争なども通じて人類が強制的に滅ぼされるか
というところが、実際に世界の大局を左右する根本要因となるだろう。その結果として、おまえらが社会的に
死んで、俺が社会的に活躍するようなこともある。このままいけば数十年以内に人類の破滅は免れ得ないので、
おまえらがまともな生活を送りつつ、俺がのたれ死ぬという選択肢のほうが、ほぼあり得ないことが分かる。
「そんな世の中」の中には、おまえらが相も変わらず強盗殺人込みの放辟邪侈の生活を続け、
そんなおまえらとの友愛を拒絶する俺が、挙句にのたれ死ぬという場合も含まれているわけだが。
それが、よくよく考えた上での立派な結論。
もちろんそれが最善ではなく、おまえらが自首して俺が仁徳統治を始めるほうが
俺の望みだが、そんな世の中は来ないらしいな。俺の帰宅も決まったも同然だ。
そんなおまえらとの友愛を拒絶する俺が、挙句にのたれ死ぬという場合も含まれているわけだが。
それが、よくよく考えた上での立派な結論。
もちろんそれが最善ではなく、おまえらが自首して俺が仁徳統治を始めるほうが
俺の望みだが、そんな世の中は来ないらしいな。俺の帰宅も決まったも同然だ。
「明夷は艱貞に利なり。(中略)内難にして能くその志しを正しくす。(中略)君子以て衆に蒞み、晦を用いてしかも明なり」
「光明が地の底に閉ざされた暗黒の時代には、あえて艱難を耐えしのぎ、正しさを貫くことが利口である。
天下国家の内部中枢などが多難な時代に、あえてその志しの正しさを貫く。正しさを貫かんとするあまり、
君子はかえって(是非善悪が転倒した世の中において)無知蒙昧であるような姿を衆目に晒すが、それでも聡明である」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・明夷より)
「光明が地の底に閉ざされた暗黒の時代には、あえて艱難を耐えしのぎ、正しさを貫くことが利口である。
天下国家の内部中枢などが多難な時代に、あえてその志しの正しさを貫く。正しさを貫かんとするあまり、
君子はかえって(是非善悪が転倒した世の中において)無知蒙昧であるような姿を衆目に晒すが、それでも聡明である」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・明夷より)
「明夷は艱貞に利あり」
「光明の閉ざされた暗黒無道の時代には、艱難に耐えて正しくあることが有利に働く」
果たしてこれは、信ずべき言葉なのだろうか?
信じるにしては、あまりにもその表現がそっけなく、「俺の言うことを信じろ!」的な情熱が微塵も見られない。
もちろん易者がこの「易経」の文言に即して、占いで明夷の卦が出た場合などに「艱難に耐えて正しくありなさい」と
依頼者に伝え、依頼者の側がその教えを信じるということはあるだろう。しかし「占いなどあてにはならない」とは
古くは殷代のころから言われていることで(「書経」などを参照)、易者の発言の信憑性などは古来から疑われ通しであり、
信じるか信じないかは本人の意向次第という程度の信頼度止まりで、やはり熱心に信じるにあたるものではない。
しかし、「易経」六十四卦の卦辞は、周の武王の父親である文王がこしらえたともされており、特にこの明夷の卦辞は
文王の解釈であることが明記されてもいる。中国史上屈指の暴君である殷の紂王に、七年間もの幽閉生活を送らされ、その獄中において、
文王に好意を抱く獄吏の計らいで得た占い道具で易占を試みた結果、この卦が出たという。すなわち、「明夷は艱貞に利あり」と。
紂王の暴虐の非道さは今さら言うまでもなく、実際に諫言を試みた臣下の比干を殺害するなどの、正しさが報われない虐殺も行っている。
艱難に耐えられるかどうかということは、本人自身の自力の及ばない運命に左右されることもあるが、その運命の加護も受けて、
艱難に耐え続けることが果たせた上で、しかも正しさも貫けたなら、明夷における艱貞はかえって有利に働くということだろう。
「正しさを貫く」という人事を尽くした上で、「艱難に耐える」ことにかけては人事を尽くして、しかも天命を待つ。
それが、「明夷は艱貞に利あり」という明夷の卦辞の、実際に言わんとするところであるのだろう。
「光明の閉ざされた暗黒無道の時代には、艱難に耐えて正しくあることが有利に働く」
果たしてこれは、信ずべき言葉なのだろうか?
信じるにしては、あまりにもその表現がそっけなく、「俺の言うことを信じろ!」的な情熱が微塵も見られない。
もちろん易者がこの「易経」の文言に即して、占いで明夷の卦が出た場合などに「艱難に耐えて正しくありなさい」と
依頼者に伝え、依頼者の側がその教えを信じるということはあるだろう。しかし「占いなどあてにはならない」とは
古くは殷代のころから言われていることで(「書経」などを参照)、易者の発言の信憑性などは古来から疑われ通しであり、
信じるか信じないかは本人の意向次第という程度の信頼度止まりで、やはり熱心に信じるにあたるものではない。
しかし、「易経」六十四卦の卦辞は、周の武王の父親である文王がこしらえたともされており、特にこの明夷の卦辞は
文王の解釈であることが明記されてもいる。中国史上屈指の暴君である殷の紂王に、七年間もの幽閉生活を送らされ、その獄中において、
文王に好意を抱く獄吏の計らいで得た占い道具で易占を試みた結果、この卦が出たという。すなわち、「明夷は艱貞に利あり」と。
紂王の暴虐の非道さは今さら言うまでもなく、実際に諫言を試みた臣下の比干を殺害するなどの、正しさが報われない虐殺も行っている。
艱難に耐えられるかどうかということは、本人自身の自力の及ばない運命に左右されることもあるが、その運命の加護も受けて、
艱難に耐え続けることが果たせた上で、しかも正しさも貫けたなら、明夷における艱貞はかえって有利に働くということだろう。
「正しさを貫く」という人事を尽くした上で、「艱難に耐える」ことにかけては人事を尽くして、しかも天命を待つ。
それが、「明夷は艱貞に利あり」という明夷の卦辞の、実際に言わんとするところであるのだろう。
しかし、「艱貞に利あり(艱難に耐えて正しくあることが有利となる)」ということは、
正しさが報われるような状況がまたやって来るということでもあるはずだから、「易経」は事態の好転をも明確に予言している。
今のような暗黒無道の世の中が清算されて、光明の世の中に戻るのならば、当然暗黒時代においてこそ道長じていた小人たちが
破綻して衰亡していくことにもなる。殷紂のように放伐革命で打ち滅ぼされることもあれば、始皇帝のように自らの死後、
後裔が絶やされることもある。いずれにしろ暴虐の限りを尽くして来た小人たちが、いつかは自他の業によるわざわいによって
破綻を来たして衰亡するのであると、易は別段、信仰対象とするまでもない明らかな事実として、予言をゴロリと投げ出している。
実際に、資本主義先進国の数億人規模の大虐殺をも含めた暴虐によって、人口爆発や環境破壊などの致命的な大問題が巻き起こり、
このままいけば数十年後には必ず人類の破滅が免れ得ない状況になっている。しかしそれは易の法則に基づけば杞憂であり、
重犯罪者であったものこそは特定して自滅・衰亡し、道徳者が評価される光明の時代へと移行するのが普遍法則であるとする。
それは、易が「信じるまでもない大前提」として定めていることで、信じる信じないは個々人の勝手という以上にも、信不信
云々以前の絶対法則だとする。ただ、易がそうであると断定しているのみで、易を信じるか信じないかは確かに個々の自由だ。
どこぞやの馬の骨とも知れない匿名者の暴言などよりは、よっぽど信じられるが、別にこれも無闇に信じられるということではない。
易の法則が自分にとって都合が良いことも悪いこともあるわけで、都合が良ければ信じたく、都合が悪ければ信じたくないという
こともあるわけで、結局は信じる信じない、信じたい信じたくないなどという恣意で左右される範疇と、易の法則に連動性はない。
正しさが報われるような状況がまたやって来るということでもあるはずだから、「易経」は事態の好転をも明確に予言している。
今のような暗黒無道の世の中が清算されて、光明の世の中に戻るのならば、当然暗黒時代においてこそ道長じていた小人たちが
破綻して衰亡していくことにもなる。殷紂のように放伐革命で打ち滅ぼされることもあれば、始皇帝のように自らの死後、
後裔が絶やされることもある。いずれにしろ暴虐の限りを尽くして来た小人たちが、いつかは自他の業によるわざわいによって
破綻を来たして衰亡するのであると、易は別段、信仰対象とするまでもない明らかな事実として、予言をゴロリと投げ出している。
実際に、資本主義先進国の数億人規模の大虐殺をも含めた暴虐によって、人口爆発や環境破壊などの致命的な大問題が巻き起こり、
このままいけば数十年後には必ず人類の破滅が免れ得ない状況になっている。しかしそれは易の法則に基づけば杞憂であり、
重犯罪者であったものこそは特定して自滅・衰亡し、道徳者が評価される光明の時代へと移行するのが普遍法則であるとする。
それは、易が「信じるまでもない大前提」として定めていることで、信じる信じないは個々人の勝手という以上にも、信不信
云々以前の絶対法則だとする。ただ、易がそうであると断定しているのみで、易を信じるか信じないかは確かに個々の自由だ。
どこぞやの馬の骨とも知れない匿名者の暴言などよりは、よっぽど信じられるが、別にこれも無闇に信じられるということではない。
易の法則が自分にとって都合が良いことも悪いこともあるわけで、都合が良ければ信じたく、都合が悪ければ信じたくないという
こともあるわけで、結局は信じる信じない、信じたい信じたくないなどという恣意で左右される範疇と、易の法則に連動性はない。
キリストのいう「愛」は、愛ではない。単なる娼婦の私生児ゆえの自暴自棄に過ぎない。
誰が自分の父親であるかも分からず、息子として認知してくれる程度の愛情すらも
父親に注がれることのなかった恨みを、悪意を込めた寓喩によってほのめかし、触れ回った。
それはむしろ、愛情の欠如こそを原動力としているもので、父子の親という最も重大な
愛の起点となる部分を、根本的に欠いていたことからもたらされてしまったもの。
キリストの愛こそは、キリストが捏造した虚構の中でも最たるものであり、
それが真実の愛でないのはもちろんのこと、根本的に相反しているものですらある。
性愛のような下賤な部分を愛の本質とし、親愛のような高貴な部分を愛の本質ではないとする。
愛が真実さや健全さの条件を満たすことを反故にするためにこそ捏造されたキリストの愛。
そこにこそ、悪霊としての供養の必要性があるのであり、聖性を見出すことなどもってのほか。
「土に安んじ仁に敦くす、故に能く愛す」
「父祖も住まえる土地に安んずることで、天下万民を慮る仁を厚くする。故にこそよく愛せるのでもある。
(自身も父母の野合によって産まれた私生児である孔子の直筆。自身は与れなかった道理をも冷静にわきまえている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・繋辞上伝より)
誰が自分の父親であるかも分からず、息子として認知してくれる程度の愛情すらも
父親に注がれることのなかった恨みを、悪意を込めた寓喩によってほのめかし、触れ回った。
それはむしろ、愛情の欠如こそを原動力としているもので、父子の親という最も重大な
愛の起点となる部分を、根本的に欠いていたことからもたらされてしまったもの。
キリストの愛こそは、キリストが捏造した虚構の中でも最たるものであり、
それが真実の愛でないのはもちろんのこと、根本的に相反しているものですらある。
性愛のような下賤な部分を愛の本質とし、親愛のような高貴な部分を愛の本質ではないとする。
愛が真実さや健全さの条件を満たすことを反故にするためにこそ捏造されたキリストの愛。
そこにこそ、悪霊としての供養の必要性があるのであり、聖性を見出すことなどもってのほか。
「土に安んじ仁に敦くす、故に能く愛す」
「父祖も住まえる土地に安んずることで、天下万民を慮る仁を厚くする。故にこそよく愛せるのでもある。
(自身も父母の野合によって産まれた私生児である孔子の直筆。自身は与れなかった道理をも冷静にわきまえている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・繋辞上伝より)
誰からも愛された事のない奴が愛を語るとは
滑稽
滑稽
単純な男女間での異性愛でもなく、キリスト教徒が「神の愛の下での平等」の中に、
横の繋がりとしてウレシがる隣人愛や友愛ともまた別個のものである、キリストのいう「神の愛」、
これこそは、父子の親愛に与れなかった、娼婦の私生児の自暴自棄に過ぎず、
それは愛であるどころかむしろ、「(親)愛の欠如」こそをその正体とするものだ。
儒家の三綱「君臣父子夫婦」の序においては、夫婦の序列よりも重要である一方、君臣の序列ほどにも
絶対的でない父子の序列が、時に乱れやすい夫婦関係を規律すると共に、それだけでは堅苦しくなり過ぎる
君臣関係をも温厚化させる働きを持つ。父子の序列を守る中に育まれる父子の親愛が、これまた夫婦の情愛よりは
清廉なものとなる一方、君臣の節義よりは融通の利くものとして、社会秩序を保つ上での重要な役割を果たす。
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」の中庸を重んずる儒家においては、夫婦の家庭愛よりはもちろんのこと、
君臣の節義以上にも父子の親愛が重視されることもあり、実際、孟子は三綱を「父子君臣夫婦」の順に述べたり、
父子の親を世間一般への仁愛以上にも重んずるようなことをも述べている。父子の親愛こそは、世の中の序列が
何もかも平行化されて無秩序化するのを防ぐ一方で、軍隊形式の薄情な序列によって世の中が殺伐化することをも防ぐ、
封建社会成功のための最重要理念となっており、その最重要理念たる父子の親愛を、娼婦の私生児であるがゆえの
自暴自棄によって破壊せんと試み、親愛の欠如ゆえの怨恨を逆に「神の愛」と呼び変えて、親愛が蔑ろにされて
父子兄弟での殺し合いすら横行し始めるような状態を「神の愛」の達成であるかのように思い込ませたのがキリスト。
横の繋がりとしてウレシがる隣人愛や友愛ともまた別個のものである、キリストのいう「神の愛」、
これこそは、父子の親愛に与れなかった、娼婦の私生児の自暴自棄に過ぎず、
それは愛であるどころかむしろ、「(親)愛の欠如」こそをその正体とするものだ。
儒家の三綱「君臣父子夫婦」の序においては、夫婦の序列よりも重要である一方、君臣の序列ほどにも
絶対的でない父子の序列が、時に乱れやすい夫婦関係を規律すると共に、それだけでは堅苦しくなり過ぎる
君臣関係をも温厚化させる働きを持つ。父子の序列を守る中に育まれる父子の親愛が、これまた夫婦の情愛よりは
清廉なものとなる一方、君臣の節義よりは融通の利くものとして、社会秩序を保つ上での重要な役割を果たす。
「過ぎたるはなお及ばざるが如し」の中庸を重んずる儒家においては、夫婦の家庭愛よりはもちろんのこと、
君臣の節義以上にも父子の親愛が重視されることもあり、実際、孟子は三綱を「父子君臣夫婦」の順に述べたり、
父子の親を世間一般への仁愛以上にも重んずるようなことをも述べている。父子の親愛こそは、世の中の序列が
何もかも平行化されて無秩序化するのを防ぐ一方で、軍隊形式の薄情な序列によって世の中が殺伐化することをも防ぐ、
封建社会成功のための最重要理念となっており、その最重要理念たる父子の親愛を、娼婦の私生児であるがゆえの
自暴自棄によって破壊せんと試み、親愛の欠如ゆえの怨恨を逆に「神の愛」と呼び変えて、親愛が蔑ろにされて
父子兄弟での殺し合いすら横行し始めるような状態を「神の愛」の達成であるかのように思い込ませたのがキリスト。
孔子もまた父母の野合によって生まれ、母方の家で育てられている。母親は孔子が野合によって産まれた子供で
あることを恥じて父親の居場所を告げず、葬儀の時にすら孔子を参列させなかった。自学自習によって仁義道徳を
学んでいた孔子は、父子の親愛の重要さを自力でわきまえて、親戚に何とか父親の墓の場所を聞き出して墓参りをした。
自らの不徳を恥じていた母親もまた、亡くなったときには手厚く葬って三年の喪に服した(「史記」孔子世家参照)。
娼婦の私生児だったから、非嫡出の非認知だったから絶対に父子の親をわきまえられないわけでもなく、かえって
自分のほうから親愛や序列の盛り立てに努めることすら可能であることが、孔子の行ないからも明らかであるのに、
あまつさえ、父親からの愛情が欠如していたことを怨みに、かえって父子の親愛や序列を破壊するような暴挙におよび、
逆にそれを「神の愛」の達成などに言い換えた悪質極まりない姿。これこそは、キリストが悪霊そのものである論拠だ。
「帝初め歴山に於いて、田に往き、日に旻天に於いて號泣す。父母に於いて、
罪を負い慝きを引き、祗しみ載えて、瞽叟に見え、夔夔として齋栗すれば、瞽も亦た允とし若えり」
「むかし舜帝は、歴山のふもとに田を耕しに赴いては、毎日憐れみ深い上天に向かって、父母のことを号泣されていました。
息子である自分を殺そうとするほどにも、子愛に欠けていた自らの父母の罪までをも背負って、悪を自らに引き受け、ひたすら悪父である
瞽叟に慎み仕えるように努めました。いつもそのようにされたために、瞽叟もついに舜帝の言うことを聞き入れるようになりました。
(古の聖王舜帝も、父母の子愛の欠如の下で育ったが、それに対してかえって孝養で応答し、父子の親愛を自力で築き上げている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・虞書・大禹謨より)
あることを恥じて父親の居場所を告げず、葬儀の時にすら孔子を参列させなかった。自学自習によって仁義道徳を
学んでいた孔子は、父子の親愛の重要さを自力でわきまえて、親戚に何とか父親の墓の場所を聞き出して墓参りをした。
自らの不徳を恥じていた母親もまた、亡くなったときには手厚く葬って三年の喪に服した(「史記」孔子世家参照)。
娼婦の私生児だったから、非嫡出の非認知だったから絶対に父子の親をわきまえられないわけでもなく、かえって
自分のほうから親愛や序列の盛り立てに努めることすら可能であることが、孔子の行ないからも明らかであるのに、
あまつさえ、父親からの愛情が欠如していたことを怨みに、かえって父子の親愛や序列を破壊するような暴挙におよび、
逆にそれを「神の愛」の達成などに言い換えた悪質極まりない姿。これこそは、キリストが悪霊そのものである論拠だ。
「帝初め歴山に於いて、田に往き、日に旻天に於いて號泣す。父母に於いて、
罪を負い慝きを引き、祗しみ載えて、瞽叟に見え、夔夔として齋栗すれば、瞽も亦た允とし若えり」
「むかし舜帝は、歴山のふもとに田を耕しに赴いては、毎日憐れみ深い上天に向かって、父母のことを号泣されていました。
息子である自分を殺そうとするほどにも、子愛に欠けていた自らの父母の罪までをも背負って、悪を自らに引き受け、ひたすら悪父である
瞽叟に慎み仕えるように努めました。いつもそのようにされたために、瞽叟もついに舜帝の言うことを聞き入れるようになりました。
(古の聖王舜帝も、父母の子愛の欠如の下で育ったが、それに対してかえって孝養で応答し、父子の親愛を自力で築き上げている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・虞書・大禹謨より)
君は最近の中国の動向についてどう思う?
今の中国は、暗黒時代(明夷)の真っ只中だが?
最隆盛を誇った漢代や唐代からはかなりの年月が過ぎ、
金や元や清といった異民族支配が相次ぎ、明代にも官僚腐敗が横行していた。
清朝後期には英仏や日本などからの侵略も相次ぎ、大戦後にやっとサンドバック状態から
抜け出したかと思いきや、今度は「共産主義」という異文化による支配を被ることとなった。
異民族に支配を受けた元代や清代においても、漢民族特有の文化を中国人が重んじていたのは同じで、
逆に異民族の側を自国の文化に順応させてしまう「漢化」と共にすらその歴史が紡がれていた。
それが、マルクスやらモンテスキューやらを耽読して、独特の共産主義を立ち上げた毛沢東率いる
中国共産党によって征服され、文化面での完全なる伝統破壊=文化大革命の憂き目に遭った。
自国民同士ですら相当な殺し合いを続けてきた経歴からも、民族の統治権が奪われることなどは
まだ耐えられたかもしれないが、自国が紡ぎ上げてきた悠久の文化こそが破壊されて、
より劣悪な蛮族文化による支配を被っている、これこそは中華民族にとっての未曾有の恥辱。
共産主義も「毛沢東主義」として大幅に改変したり、新旧約信仰だけは徹底的に禁止したりと、
それなりに自尊心を保とうともしているようだが、共産主義も所詮は新旧約信仰の一種でしかなく、
君臣父子の尊位を貴ぶ古来の漢文化を壊滅状態に追いやっていることには変わりない。
もしかしたらそんな中にも、伝統文化を守ろうとする聖賢がどこかにいるのかもしれないが、
それこそ日本のニート並みにも、卑賤な境遇に貶められているに違いない。たとえいたとしても。
最隆盛を誇った漢代や唐代からはかなりの年月が過ぎ、
金や元や清といった異民族支配が相次ぎ、明代にも官僚腐敗が横行していた。
清朝後期には英仏や日本などからの侵略も相次ぎ、大戦後にやっとサンドバック状態から
抜け出したかと思いきや、今度は「共産主義」という異文化による支配を被ることとなった。
異民族に支配を受けた元代や清代においても、漢民族特有の文化を中国人が重んじていたのは同じで、
逆に異民族の側を自国の文化に順応させてしまう「漢化」と共にすらその歴史が紡がれていた。
それが、マルクスやらモンテスキューやらを耽読して、独特の共産主義を立ち上げた毛沢東率いる
中国共産党によって征服され、文化面での完全なる伝統破壊=文化大革命の憂き目に遭った。
自国民同士ですら相当な殺し合いを続けてきた経歴からも、民族の統治権が奪われることなどは
まだ耐えられたかもしれないが、自国が紡ぎ上げてきた悠久の文化こそが破壊されて、
より劣悪な蛮族文化による支配を被っている、これこそは中華民族にとっての未曾有の恥辱。
共産主義も「毛沢東主義」として大幅に改変したり、新旧約信仰だけは徹底的に禁止したりと、
それなりに自尊心を保とうともしているようだが、共産主義も所詮は新旧約信仰の一種でしかなく、
君臣父子の尊位を貴ぶ古来の漢文化を壊滅状態に追いやっていることには変わりない。
もしかしたらそんな中にも、伝統文化を守ろうとする聖賢がどこかにいるのかもしれないが、
それこそ日本のニート並みにも、卑賤な境遇に貶められているに違いない。たとえいたとしても。
獄中で「明夷は艱貞に利あり」との易占結果を得るなどした文王は、息子たちによる
自主的な紂王への賄賂などにもよって、七年間の幽閉の後にやっと開放された。
殷の紂王が、自らの放辟邪侈と引き換えに人民たちを極度に貧窮させていた中で、
文王は諸国王なりの仁政に尽力したために、多くの士人や民が文王の下に集まって来、
最終的には中国全土の3分の2の人々の支持を得るまでになった。
しかし、それはあくまで非武装民たちによる支持であって、
軍事的な優勢ではなく、軍事的には未だ殷のほうが遥かに強大な武力を誇っていた。
だからということもあったかも知れないが、文王は決して紂王の帝位を簒奪しようなどとはせず、
あくまで殷王朝に臣従する格下の態度をとり続けていた。その恭しさを慕って、
小国の王子だった伯夷や叔斉も周への帰属を試みたが、その頃にはすでに文王はなく、
息子の武王が王位を継承し、文王が釣り場の邂逅で臣従させた太公望呂尚などと共に、
今まさに殷の紂王を討ち、新たな統一中華王朝の創立を試みんとしていた。
天下全土の3分の2もの支持を受けながらも、殷への臣従を守った文王こそを
慕って周に赴いた伯夷や叔斉は、車上にいる武王に対し、何とか放伐革命を避けるように
説得したが、近衛兵に遠ざけられて殺されそうになった。太公望呂尚はそれを見取って
「仁士であるので解放するように」と命じた。失望感にかられた伯夷と叔斉は周を捨てて
首陽山にこもり、山菜だけを食べて一時の命をつないだ挙句に餓死した。
自主的な紂王への賄賂などにもよって、七年間の幽閉の後にやっと開放された。
殷の紂王が、自らの放辟邪侈と引き換えに人民たちを極度に貧窮させていた中で、
文王は諸国王なりの仁政に尽力したために、多くの士人や民が文王の下に集まって来、
最終的には中国全土の3分の2の人々の支持を得るまでになった。
しかし、それはあくまで非武装民たちによる支持であって、
軍事的な優勢ではなく、軍事的には未だ殷のほうが遥かに強大な武力を誇っていた。
だからということもあったかも知れないが、文王は決して紂王の帝位を簒奪しようなどとはせず、
あくまで殷王朝に臣従する格下の態度をとり続けていた。その恭しさを慕って、
小国の王子だった伯夷や叔斉も周への帰属を試みたが、その頃にはすでに文王はなく、
息子の武王が王位を継承し、文王が釣り場の邂逅で臣従させた太公望呂尚などと共に、
今まさに殷の紂王を討ち、新たな統一中華王朝の創立を試みんとしていた。
天下全土の3分の2もの支持を受けながらも、殷への臣従を守った文王こそを
慕って周に赴いた伯夷や叔斉は、車上にいる武王に対し、何とか放伐革命を避けるように
説得したが、近衛兵に遠ざけられて殺されそうになった。太公望呂尚はそれを見取って
「仁士であるので解放するように」と命じた。失望感にかられた伯夷と叔斉は周を捨てて
首陽山にこもり、山菜だけを食べて一時の命をつないだ挙句に餓死した。
文王が獄中で得た「明夷は艱貞に利あり」という易占の結果は、あくまで文王自身の
艱貞(艱難の中にも正しさを貫く)によって、天下全土の3分の2もの支持を得る点までを
予言していたのであって、文王の息子である武王が、禅譲に劣る放伐によって殷紂の
王位を簒奪した点を予言していたのではない。大多数の人民からの支持までが、
文王にとっての「利」であったし、結局はその父親への支持を嵩にかかって、
武王も紂王を放伐できたのだから、殷周革命その瞬間は、すでに文王が自得した有利さの
消費の段階に入っていた。文王が大多数の万民の支持を受けた時点が最隆盛であり、
放伐革命によって武王が紂王を討ち滅ぼした時には、すでに下り坂に入っていた。
だから伯夷や叔斉も周を捨てて山篭りした。もしも文王の存命中に伯夷や叔斉が臣従して、
ある程度の俸禄を得たりしていたなら、おそらく伯夷や叔斉とて周への帰属を続けただろう。
そして、武王に放伐革命を思いとどまるよう正式な臣下として諌め通し、殷紂が完全な
自業自得によって自滅する所まで臣従を通させただろう。孟子も「殷周革命の実態は
禅譲も同然だった」と推定しているが、形式上はやはり放伐革命になってしまったため、
それが確かに運命の分かれ道となり、周朝は殷代まで存続していた帝号を排して王号止まりとした。
「明夷は艱貞に利あり」とは、あくまで正しさが貫かれる限りにおいてもたらされる利の予言であり、
放伐革命のような惨事を予言しているわけではない。孟子が推定したような極めて禅譲寄りの放伐となったり、
本当に禅譲になったりということもあり、そこは上記の予言によって左右されるところではない。
艱貞(艱難の中にも正しさを貫く)によって、天下全土の3分の2もの支持を得る点までを
予言していたのであって、文王の息子である武王が、禅譲に劣る放伐によって殷紂の
王位を簒奪した点を予言していたのではない。大多数の人民からの支持までが、
文王にとっての「利」であったし、結局はその父親への支持を嵩にかかって、
武王も紂王を放伐できたのだから、殷周革命その瞬間は、すでに文王が自得した有利さの
消費の段階に入っていた。文王が大多数の万民の支持を受けた時点が最隆盛であり、
放伐革命によって武王が紂王を討ち滅ぼした時には、すでに下り坂に入っていた。
だから伯夷や叔斉も周を捨てて山篭りした。もしも文王の存命中に伯夷や叔斉が臣従して、
ある程度の俸禄を得たりしていたなら、おそらく伯夷や叔斉とて周への帰属を続けただろう。
そして、武王に放伐革命を思いとどまるよう正式な臣下として諌め通し、殷紂が完全な
自業自得によって自滅する所まで臣従を通させただろう。孟子も「殷周革命の実態は
禅譲も同然だった」と推定しているが、形式上はやはり放伐革命になってしまったため、
それが確かに運命の分かれ道となり、周朝は殷代まで存続していた帝号を排して王号止まりとした。
「明夷は艱貞に利あり」とは、あくまで正しさが貫かれる限りにおいてもたらされる利の予言であり、
放伐革命のような惨事を予言しているわけではない。孟子が推定したような極めて禅譲寄りの放伐となったり、
本当に禅譲になったりということもあり、そこは上記の予言によって左右されるところではない。
「君子に三楽あり。而して天下に王たるは与り存せず」
「君子にも色々と楽しみはある。しかし天下全土に冠たる帝王となることなどは、そのうちに入っていない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・二〇より)
殷の紂王が中国史上にも稀に見る暴虐を行っていた頃に、幽閉から解かれてからの周文王は、自国を中心とした
仁政を施し、次第に諸国民の支持を得るまでとなり、存命中に天下全土の大多数の人民の支持を得るまでになった。
そこまでが「明夷は艱貞に利あり」という予言の果報であり、「利」とは天下を統一することでもなければ、
自らの勢力が軍事経済的な優位に立つことでもなかった。実際、後に殷周革命の雌雄を決した牧野の戦いにおいても、
殷軍が数十万の軍勢を擁していたのに対し、周の武王軍はせいぜい数万程度の規模だったと言われる(正確な数は諸説あり)。
しかし、大多数の民衆の支持を、自分たち殷ではなく周のほうが獲得していることに失望感を抱いて、殷軍はほとんど
なすすべも無く無勢の周軍に破れ、ほとんど戦うことすらなく首都朝歌を明け渡し、紂王やその愛妾たちは自決して果てた。
その頃の殷は、ただ軍事的に膨張していただけでなく、経済的にも相当な隆盛を誇っていたため、殷の旧称である
「商」が今でも「商業」や「商売」といった言葉に痕跡をとどめている。しかし、周の武王はその殷朝単独での
経済面や軍事面における膨張が、かえって天下万民を苦しめる元凶となっていたことに配慮して、軍事や経済ではなく
文徳による統治支配を天下全土に敷いた。そのため周代には数多くの詩歌や歴史書などが編纂され、特に武王の弟の
周公旦が直接統治した魯において文化保存も行き届いていたために、後に孔子がこれらを「詩経」や「書経」として編纂した。
文王が卦辞を作り、周公が爻辞を作ったとされる易も、孔子が整形して繋辞伝を付録するなどしたことによって、
今の「易経」とほぼ同等の体裁を完成させるにいたった。
「君子にも色々と楽しみはある。しかし天下全土に冠たる帝王となることなどは、そのうちに入っていない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・二〇より)
殷の紂王が中国史上にも稀に見る暴虐を行っていた頃に、幽閉から解かれてからの周文王は、自国を中心とした
仁政を施し、次第に諸国民の支持を得るまでとなり、存命中に天下全土の大多数の人民の支持を得るまでになった。
そこまでが「明夷は艱貞に利あり」という予言の果報であり、「利」とは天下を統一することでもなければ、
自らの勢力が軍事経済的な優位に立つことでもなかった。実際、後に殷周革命の雌雄を決した牧野の戦いにおいても、
殷軍が数十万の軍勢を擁していたのに対し、周の武王軍はせいぜい数万程度の規模だったと言われる(正確な数は諸説あり)。
しかし、大多数の民衆の支持を、自分たち殷ではなく周のほうが獲得していることに失望感を抱いて、殷軍はほとんど
なすすべも無く無勢の周軍に破れ、ほとんど戦うことすらなく首都朝歌を明け渡し、紂王やその愛妾たちは自決して果てた。
その頃の殷は、ただ軍事的に膨張していただけでなく、経済的にも相当な隆盛を誇っていたため、殷の旧称である
「商」が今でも「商業」や「商売」といった言葉に痕跡をとどめている。しかし、周の武王はその殷朝単独での
経済面や軍事面における膨張が、かえって天下万民を苦しめる元凶となっていたことに配慮して、軍事や経済ではなく
文徳による統治支配を天下全土に敷いた。そのため周代には数多くの詩歌や歴史書などが編纂され、特に武王の弟の
周公旦が直接統治した魯において文化保存も行き届いていたために、後に孔子がこれらを「詩経」や「書経」として編纂した。
文王が卦辞を作り、周公が爻辞を作ったとされる易も、孔子が整形して繋辞伝を付録するなどしたことによって、
今の「易経」とほぼ同等の体裁を完成させるにいたった。
文王が天下全土の大多数の支持を得る仁政を施したことによって、その息子である武王や周公が天下を統一して文徳統治を敷く
偉業をもなし得たわけで、周の威徳は文王の代においてこそ極まり、武王や周公はその父親の威徳を継承して消費したのみ。
しかし、文王がそこまでの万民の支持を得たのも、元はといえば殷の紂王という大反面教師が、見本中の見本のような暴政を
敷くことで万民を苦しめ、水であれば泥水でも飛びつくような渇望者へと民を追い込んでいたからで、良くも悪しくもそのお陰で
文王の仁政が際立ち、誰しもが周への帰属を欲するまでとなった。これが「明夷は艱貞に利あり」の法則性の論証ともなっている。
今の世の中だって、欧米とブラックアフリカを合わせたキリスト教圏が、自分たちの中だけで1兆倍以上もの所得格差を広げ、
毎年何千万人もの餓死者をはじき出しているから、非キリスト教圏の比較的なマシさ加減が際立っているまでで、中国や
アラブやインドとて、決してそれほど優良な仁政を敷けているともいえない。文王や武王もそれなりに賢人だったとはされるが、
禅譲によって政権も交代させていた唐虞の堯舜には及ばないということを孔子も言っている(「論語」里仁第四・二五参照)。
聖賢にも色々と段階があり、聖性の重畳とでもいえるほどに良い所尽くめな場合もあれば、反面教師がいることによって、比較的
なマシさから聖性が際立つ場合もある。極大級の反面教師がいたから比較的偉大なもの扱いされたりするのは、普遍的な聖賢の
度合いとしては低劣な部類であり、反面教師すらいない中に聖性を高められるかどうかでこそ、聖賢としての真価をも問われるだろう。
「文王を待ちて後に興る者は、凡民なり。夫の豪傑の士の若きは、文王なしと雖も猶お興る」
「文王は偉大でも、文王のような聖人の登場を待ってからはじめて立ち上がる者などは、凡民である。
すぐれた豪傑の士であるならば、たとえ文王のような聖人の教化を待たずとも、自ら立ち上がるものだ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・一〇より)
偉業をもなし得たわけで、周の威徳は文王の代においてこそ極まり、武王や周公はその父親の威徳を継承して消費したのみ。
しかし、文王がそこまでの万民の支持を得たのも、元はといえば殷の紂王という大反面教師が、見本中の見本のような暴政を
敷くことで万民を苦しめ、水であれば泥水でも飛びつくような渇望者へと民を追い込んでいたからで、良くも悪しくもそのお陰で
文王の仁政が際立ち、誰しもが周への帰属を欲するまでとなった。これが「明夷は艱貞に利あり」の法則性の論証ともなっている。
今の世の中だって、欧米とブラックアフリカを合わせたキリスト教圏が、自分たちの中だけで1兆倍以上もの所得格差を広げ、
毎年何千万人もの餓死者をはじき出しているから、非キリスト教圏の比較的なマシさ加減が際立っているまでで、中国や
アラブやインドとて、決してそれほど優良な仁政を敷けているともいえない。文王や武王もそれなりに賢人だったとはされるが、
禅譲によって政権も交代させていた唐虞の堯舜には及ばないということを孔子も言っている(「論語」里仁第四・二五参照)。
聖賢にも色々と段階があり、聖性の重畳とでもいえるほどに良い所尽くめな場合もあれば、反面教師がいることによって、比較的
なマシさから聖性が際立つ場合もある。極大級の反面教師がいたから比較的偉大なもの扱いされたりするのは、普遍的な聖賢の
度合いとしては低劣な部類であり、反面教師すらいない中に聖性を高められるかどうかでこそ、聖賢としての真価をも問われるだろう。
「文王を待ちて後に興る者は、凡民なり。夫の豪傑の士の若きは、文王なしと雖も猶お興る」
「文王は偉大でも、文王のような聖人の登場を待ってからはじめて立ち上がる者などは、凡民である。
すぐれた豪傑の士であるならば、たとえ文王のような聖人の教化を待たずとも、自ら立ち上がるものだ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・一〇より)
オマエに聞いたのが間違いだったな スマン
俺だって、今の中国の支配層である共産党員などを支持しないし、
石油利権のおこぼれで甘い汁を吸っているアラブの富豪なども支持しない。
もちろん日本の政治家だって支持していないから、選挙にも行っていない。
その俺と同じように、(欧米への屈従も強いられる)今の暗黒社会への直接参加を
完全拒絶して、黙々と艱貞を貫いている隠者が、どこかにはいるかもしれない。
中国もアラブも13億人以上の大所帯なのだから、一人もいないほうがかえっておかしい。
もちろん日本ほどにも物質的に裕福でないので、完全に働かないのではなく、
山奥で完全な自給自足の生活を送るなどしているかもしれない。税金も払わず、住民登録などもせず。
日本では全く不可能でも、中国の奥地あたりならまだそれぐらいの融通が利くかもしれないから。
石油利権のおこぼれで甘い汁を吸っているアラブの富豪なども支持しない。
もちろん日本の政治家だって支持していないから、選挙にも行っていない。
その俺と同じように、(欧米への屈従も強いられる)今の暗黒社会への直接参加を
完全拒絶して、黙々と艱貞を貫いている隠者が、どこかにはいるかもしれない。
中国もアラブも13億人以上の大所帯なのだから、一人もいないほうがかえっておかしい。
もちろん日本ほどにも物質的に裕福でないので、完全に働かないのではなく、
山奥で完全な自給自足の生活を送るなどしているかもしれない。税金も払わず、住民登録などもせず。
日本では全く不可能でも、中国の奥地あたりならまだそれぐらいの融通が利くかもしれないから。
2000年もの間悪人を大量生産し、浄土信者のように被治者に甘んじさせるでもなく、政治の座にも上り詰めさせて来た、
その結果として絶え間ない殺戮の西洋史があり、現代における人類史上未曾有の西洋における数億人規模の大虐殺がある。
自分たちからはほとんど全く殺戮を行ってこなかったインドはもちろんのこと、戦乱も多少は来たしつつ、
最低限の善人統治によって数百年単位の泰平を連発してきた中国や日本にすらその安寧度で及ばない。
そのような連中が元々勝ってはいけないのであり、勝負以前の徳性の有無から見直さなければならない。
「善人、邦を為むること百年、亦た以て残に勝ちて殺を去るべしと。誠なるかな、是の言や」
「聖人や賢人と言わず、善人か悪人かのうちの善人程度であっても、政治を任せて国を治めさせる
ことが百年も続けば、暴れ者に打ち勝って殺戮をなくさせるという。この言葉は確かに本当だ。」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子路第十三・九より)
その結果として絶え間ない殺戮の西洋史があり、現代における人類史上未曾有の西洋における数億人規模の大虐殺がある。
自分たちからはほとんど全く殺戮を行ってこなかったインドはもちろんのこと、戦乱も多少は来たしつつ、
最低限の善人統治によって数百年単位の泰平を連発してきた中国や日本にすらその安寧度で及ばない。
そのような連中が元々勝ってはいけないのであり、勝負以前の徳性の有無から見直さなければならない。
「善人、邦を為むること百年、亦た以て残に勝ちて殺を去るべしと。誠なるかな、是の言や」
「聖人や賢人と言わず、善人か悪人かのうちの善人程度であっても、政治を任せて国を治めさせる
ことが百年も続けば、暴れ者に打ち勝って殺戮をなくさせるという。この言葉は確かに本当だ。」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子路第十三・九より)
「滕文公問うて曰く、齊人將に薛を築かんとす。吾甚だ恐る。之を如何せば則ち可ならん。孟子對えて曰く、
昔、大王邠に居りしとき、狄人之れを侵す。去りて岐山の下に之きて居れり。擇びて之れを取れるに非ず。
已むを得ざりてなり。苟くも善を為さば、後世子孫必ず王者有らん。君子は業を創め統を垂れ、
繼ぐ可きことを為さんのみ。夫の成功の若きは、則ち天なり。君彼を如何にせんや。彊めて善を為さんのみ」
「滕の文公が孟子に問うた。『斉が隣国の薛を滅ぼしてそこに城塁を築こうとしている。私はそれを甚だ恐れているのだが、
これをいかにすればよかろうか』孟子は答えて言った。『昔、周の文王の祖父である古公亶父も、夷狄に国を侵されて
逃げ去り、岐山の麓で夫人と共に隠れ住んでいることがありました。決してそれを欲していたわけではなく、
あくまでやむを得なかったのです。しかしその古公亶父のように善を積んでいれば、後世には文王や武王のような
偉大な王者が現れることもきっとあります。君子はそのための事業を創始して系統を樹立し、後代にそれらを
受け継がせる布石となるように努めるのみです。もちろんそれによって実際に成功するかどうかは、結局は天命を待つ
所もあるわけですが、そんな自分たちではどうにもならない所にこだわる以上にも、君子はただ最善を尽くすのみです』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・梁惠王章句下・一四)
昔、大王邠に居りしとき、狄人之れを侵す。去りて岐山の下に之きて居れり。擇びて之れを取れるに非ず。
已むを得ざりてなり。苟くも善を為さば、後世子孫必ず王者有らん。君子は業を創め統を垂れ、
繼ぐ可きことを為さんのみ。夫の成功の若きは、則ち天なり。君彼を如何にせんや。彊めて善を為さんのみ」
「滕の文公が孟子に問うた。『斉が隣国の薛を滅ぼしてそこに城塁を築こうとしている。私はそれを甚だ恐れているのだが、
これをいかにすればよかろうか』孟子は答えて言った。『昔、周の文王の祖父である古公亶父も、夷狄に国を侵されて
逃げ去り、岐山の麓で夫人と共に隠れ住んでいることがありました。決してそれを欲していたわけではなく、
あくまでやむを得なかったのです。しかしその古公亶父のように善を積んでいれば、後世には文王や武王のような
偉大な王者が現れることもきっとあります。君子はそのための事業を創始して系統を樹立し、後代にそれらを
受け継がせる布石となるように努めるのみです。もちろんそれによって実際に成功するかどうかは、結局は天命を待つ
所もあるわけですが、そんな自分たちではどうにもならない所にこだわる以上にも、君子はただ最善を尽くすのみです』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・梁惠王章句下・一四)
「ああ、皇いなるかな武王は、無競なる維の烈。允文なる文王の、克く厥の後を開きたまいし。
あとを嗣ぎて之れを受け、殷に勝ちて劉を遏め、爾の功を耆定したまう」
「ああ、なんと武王は偉大なことだろう、限りなきその武勲は。文徳によって治世を始めた文王の、後にも続いてよく世を開き、
文王の位を継いでこれを受け、殷の紂王に勝ってからは矛を収め(武備を縮小し)、その功績を悠久のものとされた」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・武より)
「若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが強く、
神の言葉があなたがたの内にいつもあり、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである」
(権力犯罪聖書——通称聖書——ヨハネの第一の脅迫文2:14)
ただでさえロゴス信仰に侵されたおかしな構文となっている犯罪聖書の勝利宣言を、道徳聖書の勝利宣言と比較してみると、
さらにそのおかしさが際立ってくる。「詩経」武は武王でもその父親の文王でもない第三者の視点となっており(一説には周公の作とされる)、
文王の威徳を継承して王業を打ち立てた武王の勲功が叙事的に述べられている。これが第三者からの武王への賛美としては適切なものとなっており、
実の父親でもない第三者が、信者の勝利を叙情的に述べているヨハネの脅迫文の僭越さとは対照的なものとなっている。
あとを嗣ぎて之れを受け、殷に勝ちて劉を遏め、爾の功を耆定したまう」
「ああ、なんと武王は偉大なことだろう、限りなきその武勲は。文徳によって治世を始めた文王の、後にも続いてよく世を開き、
文王の位を継いでこれを受け、殷の紂王に勝ってからは矛を収め(武備を縮小し)、その功績を悠久のものとされた」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・武より)
「若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが強く、
神の言葉があなたがたの内にいつもあり、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである」
(権力犯罪聖書——通称聖書——ヨハネの第一の脅迫文2:14)
ただでさえロゴス信仰に侵されたおかしな構文となっている犯罪聖書の勝利宣言を、道徳聖書の勝利宣言と比較してみると、
さらにそのおかしさが際立ってくる。「詩経」武は武王でもその父親の文王でもない第三者の視点となっており(一説には周公の作とされる)、
文王の威徳を継承して王業を打ち立てた武王の勲功が叙事的に述べられている。これが第三者からの武王への賛美としては適切なものとなっており、
実の父親でもない第三者が、信者の勝利を叙情的に述べているヨハネの脅迫文の僭越さとは対照的なものとなっている。
父子の関係の睦まじさをよく踏まえつつ、第三者なりの抑制された感慨と共に殷紂への勝利なども挙げ連ねる。
ただそれだけの叙事的な描写でありながら感動的となるのも、暴君を放伐する正当な勝利でもあったからで、
脳内超越神に基づく自意識過剰が、父子の親すらも放伐する不当な勝利などではなかったから。
試しに「詩経」武の体裁を借りて、ヨハネの脅迫文を書き直してみよう。
「ああ、なんとあなたがた若者は偉大なことだろう、限りなきその武勲は。
あなた方の脳内に捏造された超越神の、後にも続いてよく世を侵略し、
脳内神の位を継いでこれを受け、実の親族関係に勝ってからも狂信を続け、その狂乱を悠久のものとされた」
意味は通るが、そのおそまつさがあらわになって熱が冷めてしまう。だから道徳聖書のような叙事的な表現は用いず、
実際上の物事をできる限り省略した、曖昧な表現ばかりで犯罪聖書の内容は埋め尽くされている。
ただそれだけの叙事的な描写でありながら感動的となるのも、暴君を放伐する正当な勝利でもあったからで、
脳内超越神に基づく自意識過剰が、父子の親すらも放伐する不当な勝利などではなかったから。
試しに「詩経」武の体裁を借りて、ヨハネの脅迫文を書き直してみよう。
「ああ、なんとあなたがた若者は偉大なことだろう、限りなきその武勲は。
あなた方の脳内に捏造された超越神の、後にも続いてよく世を侵略し、
脳内神の位を継いでこれを受け、実の親族関係に勝ってからも狂信を続け、その狂乱を悠久のものとされた」
意味は通るが、そのおそまつさがあらわになって熱が冷めてしまう。だから道徳聖書のような叙事的な表現は用いず、
実際上の物事をできる限り省略した、曖昧な表現ばかりで犯罪聖書の内容は埋め尽くされている。
権力道徳聖書こと四書五経の表現形式は、犯罪聖書と比べて文学的に素っ気ない場合も多いが、
事実を丹念に描写することで、事実におけるありのままの偉大さを忠実に記録しようとする姿勢に長けている。
事実をありのままに記録しようとするが故の堅苦しさを乗り越えて、記録の先に実在しているものの偉大さを慮れたなら、
それが他の何物にも変えがたい含蓄の宝庫であり、俗世に直接適用する限りでは、仏典や道蔵以上もの有用性を
発揮することが分かる。その有用性の度合いは、一般的に言えば権力犯罪聖書並みかそれ以上だが、
権力道徳を重んじる限りにおいては、四書五経が無限大であり犯罪聖書が零である一方、
権力犯罪をやらかす限りにおいては、犯罪聖書が無限大であり四書五経が零である。
扱い方が全く異なるだけで、権力道徳という一方面においては無限大に有用なのが四書五経である一方、
権力犯罪という一方面においてのみ無限大に有用なのが犯罪聖書こと新旧約聖書。
それが無限大に有用であればとて、人類の側はどこまでも無限大なわけではなく、
現時点の人口増大率でもすでに、地球上のキャパシティを遥かに上回っている。
有用性が無限大だったり零だったりすること以前に、自分たちにとって有用なものを見直す冷静さを。
事実を丹念に描写することで、事実におけるありのままの偉大さを忠実に記録しようとする姿勢に長けている。
事実をありのままに記録しようとするが故の堅苦しさを乗り越えて、記録の先に実在しているものの偉大さを慮れたなら、
それが他の何物にも変えがたい含蓄の宝庫であり、俗世に直接適用する限りでは、仏典や道蔵以上もの有用性を
発揮することが分かる。その有用性の度合いは、一般的に言えば権力犯罪聖書並みかそれ以上だが、
権力道徳を重んじる限りにおいては、四書五経が無限大であり犯罪聖書が零である一方、
権力犯罪をやらかす限りにおいては、犯罪聖書が無限大であり四書五経が零である。
扱い方が全く異なるだけで、権力道徳という一方面においては無限大に有用なのが四書五経である一方、
権力犯罪という一方面においてのみ無限大に有用なのが犯罪聖書こと新旧約聖書。
それが無限大に有用であればとて、人類の側はどこまでも無限大なわけではなく、
現時点の人口増大率でもすでに、地球上のキャパシティを遥かに上回っている。
有用性が無限大だったり零だったりすること以前に、自分たちにとって有用なものを見直す冷静さを。
四書五経を始めとする、漢籍全般に一貫して共通しているのが、事実関係の徹底的な把握やその細密な描写に努めていること。
たとえば「史記」では、兄の家に居候して自堕落な生活を送っていたために、兄嫁に「こんな義弟ならいなければいいのに」
とまで侮辱された陳平が、楚漢戦争では漢軍のスパイ工作者として大活躍し、天下平定後にも高祖劉邦に称えられ、宰相も歴任し、
高祖の死後にも呂氏の専横を陸賈などと共に征討して孝文帝を擁立するなどの、大活躍を果たしたことがありのままに描かれている。
これだけだと「最初は自堕落だったのが、一念発起して大活躍した」というものぐさ太郎的な美談としても取り扱えるわけだが、
一方で、陳平と同じように若い頃には食客として自堕落な生活を送り、脅しかけてきた若者の股をくぐって居候先からすらも
追い出されていた韓信が、楚漢戦争では漢軍方として最大級の武功を挙げ、斉王や楚王にすらなる大成功を一旦は遂げたが、
韓信個人の武備が膨張し過ぎたことから高祖の警戒を被り、挙句には自分から謀反を起こして九族皆殺しの刑に処せられたことも
「史記」ではありのままに述べられている。獄中に七年間も幽閉されながらも、殷紂への臣従を続けた文王のように、人事を
尽くして天命を待ったわけでもなく、時宜を見計らいもせずに謀反を企てて誅殺された間抜けさまでもがありのままに記されており、
「自堕落者が一念発起したからといって必ずしも成功するわけではなく、間抜けさを持ち越せば自業自得で失敗する場合もある」
という見本にもなっている。こんな入り組んだ教訓は、創作寓話などで思いつける代物ではなく、小説より奇なる事実をありのままに
記録することによってのみ述べ伝えられるもの。自堕落者が成功したり、大成功してまた大失敗したりの極例も挙げた上で、「史記」
貨殖列伝においては、「自堕落者は一生そのままでいる限りにおいては、そこそこの庶民からすら蔑まれる」という世間一般的な
事実も冷酷に述べており、とにかく事実をありのままに記録した結果、場合によっては相反するような記述すらもが併載されている。
たとえば「史記」では、兄の家に居候して自堕落な生活を送っていたために、兄嫁に「こんな義弟ならいなければいいのに」
とまで侮辱された陳平が、楚漢戦争では漢軍のスパイ工作者として大活躍し、天下平定後にも高祖劉邦に称えられ、宰相も歴任し、
高祖の死後にも呂氏の専横を陸賈などと共に征討して孝文帝を擁立するなどの、大活躍を果たしたことがありのままに描かれている。
これだけだと「最初は自堕落だったのが、一念発起して大活躍した」というものぐさ太郎的な美談としても取り扱えるわけだが、
一方で、陳平と同じように若い頃には食客として自堕落な生活を送り、脅しかけてきた若者の股をくぐって居候先からすらも
追い出されていた韓信が、楚漢戦争では漢軍方として最大級の武功を挙げ、斉王や楚王にすらなる大成功を一旦は遂げたが、
韓信個人の武備が膨張し過ぎたことから高祖の警戒を被り、挙句には自分から謀反を起こして九族皆殺しの刑に処せられたことも
「史記」ではありのままに述べられている。獄中に七年間も幽閉されながらも、殷紂への臣従を続けた文王のように、人事を
尽くして天命を待ったわけでもなく、時宜を見計らいもせずに謀反を企てて誅殺された間抜けさまでもがありのままに記されており、
「自堕落者が一念発起したからといって必ずしも成功するわけではなく、間抜けさを持ち越せば自業自得で失敗する場合もある」
という見本にもなっている。こんな入り組んだ教訓は、創作寓話などで思いつける代物ではなく、小説より奇なる事実をありのままに
記録することによってのみ述べ伝えられるもの。自堕落者が成功したり、大成功してまた大失敗したりの極例も挙げた上で、「史記」
貨殖列伝においては、「自堕落者は一生そのままでいる限りにおいては、そこそこの庶民からすら蔑まれる」という世間一般的な
事実も冷酷に述べており、とにかく事実をありのままに記録した結果、場合によっては相反するような記述すらもが併載されている。
確かに「史記」は、漢籍の中でも特にその描写が冷徹なことで知られており、孔子が勧善懲悪の意図も込めて編纂した「春秋」や、
「史記」以上にも儒学的な影響の色濃い「漢書」などでは、もう少し編纂者の恣意が介在していたりもするわけだが、とはいえ漢籍は、
全体的に事実関係の忠実な描写に長けており、不埒な文飾などは「経史子集」の最下位に当たる「集(文芸集)」だけに丸投げしている。
創作的な文芸もないことはないが、単なる文芸とそれ以上であるものの区別が厳重になされており、あらゆる西洋文献中でも最高位と
される新旧約聖書からして創作文芸の塊であることにより、「全文創作文芸」状態と化している西洋典籍の場合のような無秩序さはない。
「経(経書)」や「史(史書)」や「子(諸子百家)」ならば、単なる創作文芸以上の重みが必ず伴っており、中でも最高位である
「経」の代表たる四書五経は、創作文芸以上の正確さと、史書以上の誠実さとを併せ持った、書き物としての聖性の究極点にある。
言語で表しきれない絶対真理を便宜的に記録しただけである仏典など以上にも、四書五経こそは「文書記録」としての模範になっている。
「沔と彼の流るる水は、海に朝宗するに。鳥穴と彼の飛ぶ隼は、また飛びてまた止まるに。
嗟我、兄弟よ、邦人、諸友よ、肯えて亂を念うるもの莫き、誰かは父母無からんや」
「川の水は浪々と流れ行きて海に注ぎ込み、隼も颯爽と飛び上がってはまたどこかに止まる。
ああ、兄弟よ、邦人にわが友よ、なぜ乱世を憂うことすらないのか。あなた方にも実の父母があるではないか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・彤弓之什・沔水より)
「史記」以上にも儒学的な影響の色濃い「漢書」などでは、もう少し編纂者の恣意が介在していたりもするわけだが、とはいえ漢籍は、
全体的に事実関係の忠実な描写に長けており、不埒な文飾などは「経史子集」の最下位に当たる「集(文芸集)」だけに丸投げしている。
創作的な文芸もないことはないが、単なる文芸とそれ以上であるものの区別が厳重になされており、あらゆる西洋文献中でも最高位と
される新旧約聖書からして創作文芸の塊であることにより、「全文創作文芸」状態と化している西洋典籍の場合のような無秩序さはない。
「経(経書)」や「史(史書)」や「子(諸子百家)」ならば、単なる創作文芸以上の重みが必ず伴っており、中でも最高位である
「経」の代表たる四書五経は、創作文芸以上の正確さと、史書以上の誠実さとを併せ持った、書き物としての聖性の究極点にある。
言語で表しきれない絶対真理を便宜的に記録しただけである仏典など以上にも、四書五経こそは「文書記録」としての模範になっている。
「沔と彼の流るる水は、海に朝宗するに。鳥穴と彼の飛ぶ隼は、また飛びてまた止まるに。
嗟我、兄弟よ、邦人、諸友よ、肯えて亂を念うるもの莫き、誰かは父母無からんや」
「川の水は浪々と流れ行きて海に注ぎ込み、隼も颯爽と飛び上がってはまたどこかに止まる。
ああ、兄弟よ、邦人にわが友よ、なぜ乱世を憂うことすらないのか。あなた方にも実の父母があるではないか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・彤弓之什・沔水より)
自分自身、政治顧問などと共に儒学の教師も務めていた孟子からして、
「人の患いは、好んで人の師と為りたがるに在り(離婁章句上・二三)」と言っている。
さしたる知見もなくただ教えようとばかりすることが、相手にとってためにならないだけでなく、
自分自身の成長すらをも妨げる愚行となることを見抜いての言。とはいえ実際、孟子も教師であったわけだし、
人に教えてもらって学ぶということも当然ある。それは、教える側が真に優秀な知見の持ち主であることが大前提となっている。
自らの知識を人に教えることで、教えられた側もためになり、教える側も自らの知識を整理する一石二鳥となる。
そうなるためには、教えられる側だけでなく、教える側にも絶え間ない向学心が必要であり、自らも学んでいく過程において
相手にも教えるという向上心がなくてはならない。自分はもう試験にも受かって学校も卒業したから、これ以上勉強はしなくていい、
あくまで君たちには仕事として教えるだけなどというような態度や姿勢では、自他にとってためにならない。
これから勉学の重荷を背負っていく学生たちと共に、自分もまたどこまでも重荷を背負っていく覚悟で。
「人の一生は重き荷を背負うて遠き道を行くが如し」という、家康公の言葉にも倣う勢いで、教える側もいなければならない。
「其の父薪を析くに、其の子負荷すること克わず」
「父親が材木を砕いて焚き木を作ったのに、その子は荷として背負うこともできない。
(父祖が労苦して家を興したのに、息子がその家を背負えもしない、世襲断絶の嘆き)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・昭公七年より)
「人の患いは、好んで人の師と為りたがるに在り(離婁章句上・二三)」と言っている。
さしたる知見もなくただ教えようとばかりすることが、相手にとってためにならないだけでなく、
自分自身の成長すらをも妨げる愚行となることを見抜いての言。とはいえ実際、孟子も教師であったわけだし、
人に教えてもらって学ぶということも当然ある。それは、教える側が真に優秀な知見の持ち主であることが大前提となっている。
自らの知識を人に教えることで、教えられた側もためになり、教える側も自らの知識を整理する一石二鳥となる。
そうなるためには、教えられる側だけでなく、教える側にも絶え間ない向学心が必要であり、自らも学んでいく過程において
相手にも教えるという向上心がなくてはならない。自分はもう試験にも受かって学校も卒業したから、これ以上勉強はしなくていい、
あくまで君たちには仕事として教えるだけなどというような態度や姿勢では、自他にとってためにならない。
これから勉学の重荷を背負っていく学生たちと共に、自分もまたどこまでも重荷を背負っていく覚悟で。
「人の一生は重き荷を背負うて遠き道を行くが如し」という、家康公の言葉にも倣う勢いで、教える側もいなければならない。
「其の父薪を析くに、其の子負荷すること克わず」
「父親が材木を砕いて焚き木を作ったのに、その子は荷として背負うこともできない。
(父祖が労苦して家を興したのに、息子がその家を背負えもしない、世襲断絶の嘆き)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・昭公七年より)
教える側も、自分が試験合格者や学校卒業者であれば完全に仕事然となるし、
教えられる側も、試験に通って入学卒業するためというような動機がないことには勉強しない。
学問が何らかの利益に結びつかないことには一切顧みられない、不純な勉学だけが通用している学問不遇の時代。
それは、目先の利益に結びつくことだけを勉強の対象とする洋学からの悪影響にもよっているし、
誰しもが利得のために動くことしか奨励されない、資本主義社会に特有の悪癖でもある。
むしろ、働いて金を得たりするのを辞めてでも勉強すべきなのであり、
勉学それ自体に利殖以上もの価値があることに気づくべきだ。それでこそ、
行為能力を全否定まではせずとも劣後する、立派な士人としての素養も身に付くのだから。
そのような士人を養成するために、第一の勉学対象として挙げられるのが、何といっても儒学。
場合によっては仏教や道家なども認められるが、古来から日常的に学ばれてきたのはむしろ儒学のほう。
利欲に結びつきがちな人間の欲求を、むしろ向学心へと振り向けて、権力犯罪込みの我田引水活動などよりは
よっぽど世の中にとって無害で有益な人間で居させる。儒学などの行為能力劣後主義的な学問を勉強させることは、
それだけでも世の乱脈を招くことを抑制する上での大きな効果があるのであり、学んだ結果何かが得られるなどという
打算にすらわざわざこだわる必要はない。学べば禄はその内にあり。学ぶことすなわち社会貢献ともなっているから。
教えられる側も、試験に通って入学卒業するためというような動機がないことには勉強しない。
学問が何らかの利益に結びつかないことには一切顧みられない、不純な勉学だけが通用している学問不遇の時代。
それは、目先の利益に結びつくことだけを勉強の対象とする洋学からの悪影響にもよっているし、
誰しもが利得のために動くことしか奨励されない、資本主義社会に特有の悪癖でもある。
むしろ、働いて金を得たりするのを辞めてでも勉強すべきなのであり、
勉学それ自体に利殖以上もの価値があることに気づくべきだ。それでこそ、
行為能力を全否定まではせずとも劣後する、立派な士人としての素養も身に付くのだから。
そのような士人を養成するために、第一の勉学対象として挙げられるのが、何といっても儒学。
場合によっては仏教や道家なども認められるが、古来から日常的に学ばれてきたのはむしろ儒学のほう。
利欲に結びつきがちな人間の欲求を、むしろ向学心へと振り向けて、権力犯罪込みの我田引水活動などよりは
よっぽど世の中にとって無害で有益な人間で居させる。儒学などの行為能力劣後主義的な学問を勉強させることは、
それだけでも世の乱脈を招くことを抑制する上での大きな効果があるのであり、学んだ結果何かが得られるなどという
打算にすらわざわざこだわる必要はない。学べば禄はその内にあり。学ぶことすなわち社会貢献ともなっているから。
儒家が形式主義的であることは、古来から批判の的となっているところだが、それは確信犯でもある。
聖人でも賢人でもない、「育ちの悪い草木」としての凡人たちにも、正学の初歩中の初歩としての儒学を教えるために、
身のこなしの礼節などの、本末の末に過ぎないような部分を優先して教えることもある。それでこそ、大部分は
見込みのない凡人に過ぎない一般大衆への教化の量も稼げるから。一部の有志だけが募りあって高みを目指す、
自力の仏道や芸道などと比べれば、明らかに程度は低いが、それはそれで一つの領分をわきまえた姿勢でもある。
「子游曰く、子夏の門人小子、洒掃應對進退当たりては、則ち可なり。抑そも末なり。之れを本とすれば則ち無し。
之れ如何。子夏之れを聞きて曰く、噫、言游過てり。君子の道は孰れをか先に傳え、孰れをか後に倦まん。
譬えば諸もろの草木は、以て區別す。君子の道は焉んぞ誣う可けんや。始め有り卒り有る者は、其れ惟だ聖人か」
「孔子の弟子の子游が言った。『(同じく孔子の弟子の)子夏の門下の若者たちは、酒宴の用意や掃除や、客の受け答えや
起居動作などの礼節は行き届いている。しかし、そういったことは末節であり、根本扱いするとよくないのではないか』
子夏はそれに答えた。『ああ、游は間違っている。君子の道はどれを優先して教え、どれを後に教えるとかいったものではない。
諸々の草木だって、その育ち具合によって育て方まで区別する。(あまり素養のないものにまで、形式以上にも高尚な精神面などの)
君子の道を強いて教えたところで、なぜ体得できようか。始めから終わりまで、全てを体得できるのは、聖人ぐらいのものだろう』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子張第十九・一二)
聖人でも賢人でもない、「育ちの悪い草木」としての凡人たちにも、正学の初歩中の初歩としての儒学を教えるために、
身のこなしの礼節などの、本末の末に過ぎないような部分を優先して教えることもある。それでこそ、大部分は
見込みのない凡人に過ぎない一般大衆への教化の量も稼げるから。一部の有志だけが募りあって高みを目指す、
自力の仏道や芸道などと比べれば、明らかに程度は低いが、それはそれで一つの領分をわきまえた姿勢でもある。
「子游曰く、子夏の門人小子、洒掃應對進退当たりては、則ち可なり。抑そも末なり。之れを本とすれば則ち無し。
之れ如何。子夏之れを聞きて曰く、噫、言游過てり。君子の道は孰れをか先に傳え、孰れをか後に倦まん。
譬えば諸もろの草木は、以て區別す。君子の道は焉んぞ誣う可けんや。始め有り卒り有る者は、其れ惟だ聖人か」
「孔子の弟子の子游が言った。『(同じく孔子の弟子の)子夏の門下の若者たちは、酒宴の用意や掃除や、客の受け答えや
起居動作などの礼節は行き届いている。しかし、そういったことは末節であり、根本扱いするとよくないのではないか』
子夏はそれに答えた。『ああ、游は間違っている。君子の道はどれを優先して教え、どれを後に教えるとかいったものではない。
諸々の草木だって、その育ち具合によって育て方まで区別する。(あまり素養のないものにまで、形式以上にも高尚な精神面などの)
君子の道を強いて教えたところで、なぜ体得できようか。始めから終わりまで、全てを体得できるのは、聖人ぐらいのものだろう』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子張第十九・一二)
その医者を閉鎖病棟に入れてやった時のことも考えといてやらないとな。
おまえらを刑務所に入れてやった後のことまで考慮するのと一緒に。
「民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾れ蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり」
「民にとって仁徳が必要とされていることは、それこそ水火を必要とする以上にも甚だしい。大水や大火に踏み入って
死んだ者は私も見たことがあるが、未だ仁徳に踏み入って死んだ者を見たことはない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・衛霊公第十五・三五より)
この引用の中で引き合いに出されている「水火」は、物質的現象の代表格であり、大水や大火こそは確かに莫大な
物質エネルギーの表出となっている。そのような物質性よりも、人としての精神性である仁徳のほうが重要であるのは
もちろんだし、言語やそれによって概念化される知識などよりも重要である。そして知識とか言語とかいった概念的な
現象を物質的な現象へと転化するための社会的手段——カネよりももちろん重要なもの。水火も言語も知識もカネも、
実際問題として俗世には介在するが、それらよりも仁徳のほうがさらに重要。一方を排してもう一方を採るのではなく、
劣悪なほうの上にさらに優良なものが重畳されるのみ。貶め合いではなく、偉大さの重畳の先にこそ仁がある。
おまえらを刑務所に入れてやった後のことまで考慮するのと一緒に。
「民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾れ蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり」
「民にとって仁徳が必要とされていることは、それこそ水火を必要とする以上にも甚だしい。大水や大火に踏み入って
死んだ者は私も見たことがあるが、未だ仁徳に踏み入って死んだ者を見たことはない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・衛霊公第十五・三五より)
この引用の中で引き合いに出されている「水火」は、物質的現象の代表格であり、大水や大火こそは確かに莫大な
物質エネルギーの表出となっている。そのような物質性よりも、人としての精神性である仁徳のほうが重要であるのは
もちろんだし、言語やそれによって概念化される知識などよりも重要である。そして知識とか言語とかいった概念的な
現象を物質的な現象へと転化するための社会的手段——カネよりももちろん重要なもの。水火も言語も知識もカネも、
実際問題として俗世には介在するが、それらよりも仁徳のほうがさらに重要。一方を排してもう一方を採るのではなく、
劣悪なほうの上にさらに優良なものが重畳されるのみ。貶め合いではなく、偉大さの重畳の先にこそ仁がある。
「仏陀は歴史上の人物であり、したがって人間にとって理解しやすい。
キリストは歴史上の人間であるとともに神であり、そのために遥かに捉え難い」
(みすず書房「ユング自伝」より)
ユングが全ての洋学者の代表でもなければ、唯一の近代精神医学の祖であるわけでもないが、
(精神科医は今でもフロイト派とユング派に分かれているらしい)
一応はそこそこの洋学的権威であると認められているユングからして、キリストの奇跡を信じ込み続けていた
プロテスタントのスイス人だった。精神病の元凶である新旧約信仰を、精神科医からして持ち越してるんだから、
それこそ、精神科医が精神病を治すなんてのは、伝染病患者に病人の看病をさせようってなもんだ。
まだそんな看病を受けないほうが健康でいられるのであり、全世界に蔓延している病の解消のためにも、
病の元凶となっているプロテスタント洋学の駆逐が急務だ。
「身を修むれば則ち道立ち、賢を尊べば則ち惑わず、親に親しめば則ち諸父昆弟怨みず、
大臣を敬すれば則ち眩せず、群臣を體すれば則ち士の報禮重く、庶民を子とすれば則ち百姓勸み、
百工來せば則ち財用足り、遠人を柔らげれば則ち四方に歸し、諸侯を懷くれば則ち天下之を畏る」
「君主が己の一身を修めれば天下国家をも治める道が開け、賢人を尊べば惑うことがなく、親族に親しめば父兄も怨むことがなく、
大臣を敬えば体制の転覆が起こらず、群臣を我が股肱耳目とも見なせば恩に報いようとする道義心が生まれ、
庶民を我が子とも見なせば百姓たちはみな勤しみ、工業技術者を厚遇すれば財物の器用も十分となり、
遠方の人間も和らげれば四方がわが国に帰し、各国群の諸侯をも懐ければ天下全土がこれを畏れる」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・二〇より)
キリストは歴史上の人間であるとともに神であり、そのために遥かに捉え難い」
(みすず書房「ユング自伝」より)
ユングが全ての洋学者の代表でもなければ、唯一の近代精神医学の祖であるわけでもないが、
(精神科医は今でもフロイト派とユング派に分かれているらしい)
一応はそこそこの洋学的権威であると認められているユングからして、キリストの奇跡を信じ込み続けていた
プロテスタントのスイス人だった。精神病の元凶である新旧約信仰を、精神科医からして持ち越してるんだから、
それこそ、精神科医が精神病を治すなんてのは、伝染病患者に病人の看病をさせようってなもんだ。
まだそんな看病を受けないほうが健康でいられるのであり、全世界に蔓延している病の解消のためにも、
病の元凶となっているプロテスタント洋学の駆逐が急務だ。
「身を修むれば則ち道立ち、賢を尊べば則ち惑わず、親に親しめば則ち諸父昆弟怨みず、
大臣を敬すれば則ち眩せず、群臣を體すれば則ち士の報禮重く、庶民を子とすれば則ち百姓勸み、
百工來せば則ち財用足り、遠人を柔らげれば則ち四方に歸し、諸侯を懷くれば則ち天下之を畏る」
「君主が己の一身を修めれば天下国家をも治める道が開け、賢人を尊べば惑うことがなく、親族に親しめば父兄も怨むことがなく、
大臣を敬えば体制の転覆が起こらず、群臣を我が股肱耳目とも見なせば恩に報いようとする道義心が生まれ、
庶民を我が子とも見なせば百姓たちはみな勤しみ、工業技術者を厚遇すれば財物の器用も十分となり、
遠方の人間も和らげれば四方がわが国に帰し、各国群の諸侯をも懐ければ天下全土がこれを畏れる」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・二〇より)
誰でも聞いたことぐらいはあるだろう「放辟邪侈」という言葉。
ここでもすでに引用済みの「孟子」梁惠王章句上・七が出典の言葉で、意味は「放りっぱなしでへんぱで邪までほしいまま」。
乱世を放りっぱなしに打ち棄てておいて、一部の神だけに帰依したり、一部の人間とだけ睦み合ったりの偏頗でいて、欲しい
まま好き勝手に振る舞うことこそは「邪ま」であり、邪悪な世の中から救われるどころか、邪悪な世の中の元凶になっている。
邪悪さから逃れようとして、かえって自分自身こそは邪悪さの元凶となる本末転倒。あるいは「毒喰わば皿まで」。
そういうおかしな悪癖を持つカルトが事実として存在しているのも確かだが、そんなものが人類文化の正統であるはずもなく、
異端中の異端中の異端程度に扱ってやっとちょうどいいぐらいのもの。すでに文化として実在してしまっている以上は、
完全なる根絶もなかなか難しいにしても、異端中の異端中の異端という、正式な扱いの下に置くぐらいのことはできる。
当面見込まれるのはその程度の措置の徹底であり、新旧約なんぞが人類文化の正統だなどと思い込んできた多くの人間に対して、
本物の正統文化である漢学などの啓蒙に努めていく。本当に正統であるのにかえって異端扱いされている漢学のほうを、
正統中の正統中の正統という正式な扱いに戻していく。何事にかけても、扱いを正していくのみであり、他意はない。
ここでもすでに引用済みの「孟子」梁惠王章句上・七が出典の言葉で、意味は「放りっぱなしでへんぱで邪までほしいまま」。
乱世を放りっぱなしに打ち棄てておいて、一部の神だけに帰依したり、一部の人間とだけ睦み合ったりの偏頗でいて、欲しい
まま好き勝手に振る舞うことこそは「邪ま」であり、邪悪な世の中から救われるどころか、邪悪な世の中の元凶になっている。
邪悪さから逃れようとして、かえって自分自身こそは邪悪さの元凶となる本末転倒。あるいは「毒喰わば皿まで」。
そういうおかしな悪癖を持つカルトが事実として存在しているのも確かだが、そんなものが人類文化の正統であるはずもなく、
異端中の異端中の異端程度に扱ってやっとちょうどいいぐらいのもの。すでに文化として実在してしまっている以上は、
完全なる根絶もなかなか難しいにしても、異端中の異端中の異端という、正式な扱いの下に置くぐらいのことはできる。
当面見込まれるのはその程度の措置の徹底であり、新旧約なんぞが人類文化の正統だなどと思い込んできた多くの人間に対して、
本物の正統文化である漢学などの啓蒙に努めていく。本当に正統であるのにかえって異端扱いされている漢学のほうを、
正統中の正統中の正統という正式な扱いに戻していく。何事にかけても、扱いを正していくのみであり、他意はない。
「(桀溺)曰く、滔滔たる者、天下皆な是れなり。而して誰をか以て之を易えん。且つ而其の人を辟くるのに士に
從わんよりは、豈に世を辟くるの士に若かんや。耰して輟まず。子路以て告ぐ。夫子憮然として曰く、鳥獸は與に群れを
同じくすべからず。吾れ斯の人の徒と與にするに非ずして誰と與にかせん。天下道あらば、丘は與に易えざるなり」
「隠者の桀溺が孔子の弟子の子路に言った。『河の流れのように滔滔と流れてせわしないのが天下の常、誰がこの乱世を
変えることなどができようか。理想の統治を欲して次々と諸侯に接触しては去っていく孔子などに従うよりは、わしらのように
乱世から根こそぎ隠遁した人間と共にいないかね』子路はこのことをありのままに孔子に伝えた。孔子は憮然としながら言った。
『世を避けたからといって鳥獣と共に群れをなして生きていくわけにもいくまい。人間同士の関係すら捨て去って、
一体誰との関係を重んじるというのか。天下に道が行われているのならば、私とてそれを改めようとはするまいに』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・微子第十八・六より)
從わんよりは、豈に世を辟くるの士に若かんや。耰して輟まず。子路以て告ぐ。夫子憮然として曰く、鳥獸は與に群れを
同じくすべからず。吾れ斯の人の徒と與にするに非ずして誰と與にかせん。天下道あらば、丘は與に易えざるなり」
「隠者の桀溺が孔子の弟子の子路に言った。『河の流れのように滔滔と流れてせわしないのが天下の常、誰がこの乱世を
変えることなどができようか。理想の統治を欲して次々と諸侯に接触しては去っていく孔子などに従うよりは、わしらのように
乱世から根こそぎ隠遁した人間と共にいないかね』子路はこのことをありのままに孔子に伝えた。孔子は憮然としながら言った。
『世を避けたからといって鳥獣と共に群れをなして生きていくわけにもいくまい。人間同士の関係すら捨て去って、
一体誰との関係を重んじるというのか。天下に道が行われているのならば、私とてそれを改めようとはするまいに』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・微子第十八・六より)
スレ違い気味になるが、虫除けのためにあえて書いとけば、
①「他者に危害を加えてでも自分が利益を得よう」とする劣悪な犯罪意志がある。
②犯罪意志を己れの思考に帯びてしまった人間が「精神異常者」となる。
③自らの精神異常によるストレスを、犯罪行為の実行によって解消した人間が「犯罪者」となる。
④精神以上によるストレスを解消できないままに溜め込んだ人間が「精神病者」となる。
⑤上記のような意味の「精神異常」や「犯罪」や「精神病」といった言葉の定義に基づくほうが、人間社会の利益にもかなっている。
犯罪者や権力犯罪者こそは最大級の精神異常者であり、実際の犯罪行為によって精神異常のストレスを
解消してもいないぶんだけ、精神病者のほうがまだマシな存在ですらある。精神的に苦痛であるか否かでは、
確かに精神病患者のほうが苦痛であり、犯罪者のほうが苦痛すらも忘れ去っているわけだが、いずれも精神異常で
あるには変わりなく、図に乗ってどこまでも異常さを増大させ続けている点からして、犯罪者のほうがより劣悪。
カルト信者でもある今の精神科医の診断などに拠るよりも、上記のような定義に即したほうが、人間社会にとっての要求にもかなう。
「仁を為すこと己れに由る。而して人に由らんや」
「仁を為すことはどこまでも己れの分別研鑽による。どうして人に拠り頼むことができようか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・顔淵第十二・一より)
①「他者に危害を加えてでも自分が利益を得よう」とする劣悪な犯罪意志がある。
②犯罪意志を己れの思考に帯びてしまった人間が「精神異常者」となる。
③自らの精神異常によるストレスを、犯罪行為の実行によって解消した人間が「犯罪者」となる。
④精神以上によるストレスを解消できないままに溜め込んだ人間が「精神病者」となる。
⑤上記のような意味の「精神異常」や「犯罪」や「精神病」といった言葉の定義に基づくほうが、人間社会の利益にもかなっている。
犯罪者や権力犯罪者こそは最大級の精神異常者であり、実際の犯罪行為によって精神異常のストレスを
解消してもいないぶんだけ、精神病者のほうがまだマシな存在ですらある。精神的に苦痛であるか否かでは、
確かに精神病患者のほうが苦痛であり、犯罪者のほうが苦痛すらも忘れ去っているわけだが、いずれも精神異常で
あるには変わりなく、図に乗ってどこまでも異常さを増大させ続けている点からして、犯罪者のほうがより劣悪。
カルト信者でもある今の精神科医の診断などに拠るよりも、上記のような定義に即したほうが、人間社会にとっての要求にもかなう。
「仁を為すこと己れに由る。而して人に由らんや」
「仁を為すことはどこまでも己れの分別研鑽による。どうして人に拠り頼むことができようか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・顔淵第十二・一より)
なんかお前イジるの飽きてきたなぁ
>>152の①〜⑤で最も注目すべきなのは、⑤だ。
①人間が「他者を侵害してでも利益を得よう」とする共食いの意志=犯罪意志を抱き、
②思考が犯罪意志を帯びることで、精神を蝕まれて精神異常となり、
③実際の犯罪行為に及んだ場合には、思考と行動の統合失調が避けられて苦痛が緩和されるが、
④実際の犯罪に及べない場合には、思考と行動の統合失調を来たして苦痛を溜め込み、精神病となる。
⑤というような場合に限っての「精神異常」や「犯罪行為」や「精神病」こそは、
世の中にとって真に有害無益であり、世の中全体が総力を挙げて排除に努めるべきものであるからして、
人間社会が切実に「精神異常」や「犯罪行為」や「精神病」といった言葉の意味を定義するのであれば、
上記のような意味にのみ基づくべきであり、他の意味に基づく必要はなく、また基づいてはいけないのだ。
ちょっと言行が奇異だとか、自分とって相手の意見が気に入らないだとかいっただけの理由で
「精神異常」だとか「精神病」だとかいった言葉を下手に使い回すことは、それだけでも真の精神異常や
精神病を撹乱隠蔽して、その矯正や根絶を滞らせるものであるために、禁止すべきものですらある。
未だ精神科医ですらその全貌が把握できていない精神病や精神異常、その定義を一旦、全くの白紙状態に
戻した上で、最も切実な要求に基づいて定義し直すならば、上記のような定義に基づくのが最も適切であり、
上記以外の定義に基づいて、身勝手に「精神病」などといった言葉を用いるのは、もうやめさせるべきなのだ。
①人間が「他者を侵害してでも利益を得よう」とする共食いの意志=犯罪意志を抱き、
②思考が犯罪意志を帯びることで、精神を蝕まれて精神異常となり、
③実際の犯罪行為に及んだ場合には、思考と行動の統合失調が避けられて苦痛が緩和されるが、
④実際の犯罪に及べない場合には、思考と行動の統合失調を来たして苦痛を溜め込み、精神病となる。
⑤というような場合に限っての「精神異常」や「犯罪行為」や「精神病」こそは、
世の中にとって真に有害無益であり、世の中全体が総力を挙げて排除に努めるべきものであるからして、
人間社会が切実に「精神異常」や「犯罪行為」や「精神病」といった言葉の意味を定義するのであれば、
上記のような意味にのみ基づくべきであり、他の意味に基づく必要はなく、また基づいてはいけないのだ。
ちょっと言行が奇異だとか、自分とって相手の意見が気に入らないだとかいっただけの理由で
「精神異常」だとか「精神病」だとかいった言葉を下手に使い回すことは、それだけでも真の精神異常や
精神病を撹乱隠蔽して、その矯正や根絶を滞らせるものであるために、禁止すべきものですらある。
未だ精神科医ですらその全貌が把握できていない精神病や精神異常、その定義を一旦、全くの白紙状態に
戻した上で、最も切実な要求に基づいて定義し直すならば、上記のような定義に基づくのが最も適切であり、
上記以外の定義に基づいて、身勝手に「精神病」などといった言葉を用いるのは、もうやめさせるべきなのだ。
>>152や>>154で述べた意味での、精神病や犯罪行為の原因となる精神異常、その精神異常をもたらす犯罪意志を
抑制根絶することこそは人間社会にとっての大命題であり、すでに引き起こされてしまった精神病を治療したり、
犯罪行為を処理したりすることが一番の問題であるわけではない。
そして、人間社会にとっての害悪の元凶である犯罪意志を、信者や読者や察知者に対して植え付けるのが新旧約聖書。
「他民族にホロコースト級の危害を加えようとも、自分たちユダヤ人すら利益を得られればいい」という、民族レベルでの
犯罪意志を植えつける旧約聖書、「他人に強盗殺人級の危害を加えようとも、自分やその隣人すら利益を得られればいい」
という、個人レベルでの犯罪意志を植え付ける新約聖書。必ずしもこれらの書物だけによって犯罪意志が植え付けられる
わけではないが、今の人間社会における大部分の犯罪意志の源泉に両聖書がなっており、たとえ意図的に新旧約聖書を信じたり、
読み込もうとしたりはしなくても、聖書圏である西洋に由来する劣悪文化からの間接的な影響も受けて、個人レベルや
団体レベルでの犯罪意志を、現代人の誰しもが少なからず植え付けられており、俺のように、その侵蝕を意図的に
跳ね返すぐらいでないと、ただのん気にしているだけは、犯罪意志による精神の異常化を避けることはできない。
「丹朱が傲なるは、惟れ慢游を是れ好み、傲虐是れを作し、晝夜と罔く額額として、
水罔きに舟を行り、家に朋淫して、用て厥の世を殄ちしが若きこと無かれ」
「堯帝の息子の丹朱のように、倣岸で漫遊好きで、昼夜の区別も無く悪事に勤しみ、水無きに舟をやり、
家に大勢の無頼者を招いて淫侈に耽り、自らが継ぐべき帝位も失って世を絶やすようなことがないように」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・虞書・益稷より)
抑制根絶することこそは人間社会にとっての大命題であり、すでに引き起こされてしまった精神病を治療したり、
犯罪行為を処理したりすることが一番の問題であるわけではない。
そして、人間社会にとっての害悪の元凶である犯罪意志を、信者や読者や察知者に対して植え付けるのが新旧約聖書。
「他民族にホロコースト級の危害を加えようとも、自分たちユダヤ人すら利益を得られればいい」という、民族レベルでの
犯罪意志を植えつける旧約聖書、「他人に強盗殺人級の危害を加えようとも、自分やその隣人すら利益を得られればいい」
という、個人レベルでの犯罪意志を植え付ける新約聖書。必ずしもこれらの書物だけによって犯罪意志が植え付けられる
わけではないが、今の人間社会における大部分の犯罪意志の源泉に両聖書がなっており、たとえ意図的に新旧約聖書を信じたり、
読み込もうとしたりはしなくても、聖書圏である西洋に由来する劣悪文化からの間接的な影響も受けて、個人レベルや
団体レベルでの犯罪意志を、現代人の誰しもが少なからず植え付けられており、俺のように、その侵蝕を意図的に
跳ね返すぐらいでないと、ただのん気にしているだけは、犯罪意志による精神の異常化を避けることはできない。
「丹朱が傲なるは、惟れ慢游を是れ好み、傲虐是れを作し、晝夜と罔く額額として、
水罔きに舟を行り、家に朋淫して、用て厥の世を殄ちしが若きこと無かれ」
「堯帝の息子の丹朱のように、倣岸で漫遊好きで、昼夜の区別も無く悪事に勤しみ、水無きに舟をやり、
家に大勢の無頼者を招いて淫侈に耽り、自らが継ぐべき帝位も失って世を絶やすようなことがないように」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・虞書・益稷より)
「擬似制限行為能力者状態」ってカッコいいフレーズだなw 気に入った。
統合失調症患者はこういうこといいたがるんだよ。
医学知識もないのに病気かどうかの判断を
「俺基準」で語りだす。
芦原将軍とかも同じだったらしい。
教科書に載るレベルのわかりやすい病人。
だから社会でもやっていけてないわけだ。
医学知識もないのに病気かどうかの判断を
「俺基準」で語りだす。
芦原将軍とかも同じだったらしい。
教科書に載るレベルのわかりやすい病人。
だから社会でもやっていけてないわけだ。
実際、ニートの何割かは統合失調症の可能性が高くて
ただ自覚がない病気のために、自分で折り合いをつけて仕事を見つけるとか
あるいは通院する、ないし社会復帰するまでに保護を受けるといった
現実的な対応ができないでいる。
そういう人らを助けようとする団体もあるけど、
当人はもちろん、家族も病気に対する理解がないから
あまり協力的でなくて苦労するそうだ。
ただ自覚がない病気のために、自分で折り合いをつけて仕事を見つけるとか
あるいは通院する、ないし社会復帰するまでに保護を受けるといった
現実的な対応ができないでいる。
そういう人らを助けようとする団体もあるけど、
当人はもちろん、家族も病気に対する理解がないから
あまり協力的でなくて苦労するそうだ。
定義:
・犯罪意志に即した精神異常≡A
・世間一般的に言われる精神異常≡B
・警戒や矯正や排除を必要とする精神異常≡C
上記の定義に即した場合、以下の法則が成り立つ。
法則:
・A⊂B (AはBの一部である)
・A⇔C (AとCは等しい)
・[B∩A´]¬C (BかつAでないものはCではない)
結局、犯罪意志に即した精神異常のみが、警戒や矯正や排除をも必要としているのであり、
ちょっと言行がおかしいだの、世捨て人らしいだのの理由だけで精神異常扱いしたりする必要はなく、
仮りにしたとしても、それが警戒や矯正や排除をも必要とするほどの精神異常なわけではない。
社会適合力がないことよりも、他者に危害を加えてでも自分が利益を得ようとすることのほうが
世の中に対する害悪度も遥かに高いのだから、社会適合云々に基づく以上にも、
犯罪意志の有無に基づく精神異常こそを警戒や矯正や排除の対象とすべきでもある。
・犯罪意志に即した精神異常≡A
・世間一般的に言われる精神異常≡B
・警戒や矯正や排除を必要とする精神異常≡C
上記の定義に即した場合、以下の法則が成り立つ。
法則:
・A⊂B (AはBの一部である)
・A⇔C (AとCは等しい)
・[B∩A´]¬C (BかつAでないものはCではない)
結局、犯罪意志に即した精神異常のみが、警戒や矯正や排除をも必要としているのであり、
ちょっと言行がおかしいだの、世捨て人らしいだのの理由だけで精神異常扱いしたりする必要はなく、
仮りにしたとしても、それが警戒や矯正や排除をも必要とするほどの精神異常なわけではない。
社会適合力がないことよりも、他者に危害を加えてでも自分が利益を得ようとすることのほうが
世の中に対する害悪度も遥かに高いのだから、社会適合云々に基づく以上にも、
犯罪意志の有無に基づく精神異常こそを警戒や矯正や排除の対象とすべきでもある。
バビロンでイラク人に拘留された怨みにかられて、古代ユダヤ人も犯罪意志まみれの旧約聖書を編纂したのだろうし、
娼婦の私生児として生まれてしまった怨みを糧に、イエスも世界を破滅に陥れるような犯罪意志の寓意を触れ回ったのだろう。
だからといって、「他者に幽閉された」だとか「娼婦の私生児として産まれた」とかいった境遇が
必ずしも犯罪意志に結びつくのではなく、殷紂に不当な幽閉措置を強制されつつも、文王は冷静に「易経」の卦辞を書いたし、
妾腹の子として父親の居場所も知らないままに母方の家で生まれ育った孔子もまた、大道徳者として大成している。
犯罪意志を抱く側の人間が、どのような境遇に置かれていたかということは、正直他人にとってはどうでもいい話であり、
ただ犯罪意志に即して精神異常となって、犯罪をやらかしたり精神病を振りまいたりすることが迷惑であるだけのこと。
社会的成功者であるとか、社会的不適合者であるとかいった境遇とは無関係に、犯罪意志を抱いてそこから犯罪行為や
精神病を派生することだけが突出して問題なのであり、それ以外の部分を問題扱いするのは、全くの大きなお世話でしかない。
「葛藟は緜緜と、河の涘なる。
終に兄弟に遠ざかり、他人を母と謂う。
他人を母と謂えども、亦た我を有しむ莫し」
「葛のつるが綿々と生い茂る河のほとりで、兄弟姉妹からも遠ざかり、他人を母と呼ぶ。
他人を母などと呼んだところで、誰も親しくなどはしてくれないのに」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・王風・葛藟より)
娼婦の私生児として生まれてしまった怨みを糧に、イエスも世界を破滅に陥れるような犯罪意志の寓意を触れ回ったのだろう。
だからといって、「他者に幽閉された」だとか「娼婦の私生児として産まれた」とかいった境遇が
必ずしも犯罪意志に結びつくのではなく、殷紂に不当な幽閉措置を強制されつつも、文王は冷静に「易経」の卦辞を書いたし、
妾腹の子として父親の居場所も知らないままに母方の家で生まれ育った孔子もまた、大道徳者として大成している。
犯罪意志を抱く側の人間が、どのような境遇に置かれていたかということは、正直他人にとってはどうでもいい話であり、
ただ犯罪意志に即して精神異常となって、犯罪をやらかしたり精神病を振りまいたりすることが迷惑であるだけのこと。
社会的成功者であるとか、社会的不適合者であるとかいった境遇とは無関係に、犯罪意志を抱いてそこから犯罪行為や
精神病を派生することだけが突出して問題なのであり、それ以外の部分を問題扱いするのは、全くの大きなお世話でしかない。
「葛藟は緜緜と、河の涘なる。
終に兄弟に遠ざかり、他人を母と謂う。
他人を母と謂えども、亦た我を有しむ莫し」
「葛のつるが綿々と生い茂る河のほとりで、兄弟姉妹からも遠ざかり、他人を母と呼ぶ。
他人を母などと呼んだところで、誰も親しくなどはしてくれないのに」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・王風・葛藟より)
バビロン捕囚中にユダヤ人が旧約を作文したように、文王も幽閉中に「易経」の卦辞を書いているし、
娼婦の私生児として産まれた鬱憤をイエスが奇行のバネにしたように、孔子も妾腹の子である不遇をバネに勉学に励んだ。
武帝に宮刑に処された司馬遷も、「文学的業績は本人の社会的不遇から生まれる」と「史記」太史公自序で述べているが、
確かに孤臣孽子であるような不遇の鬱憤が、文学的な創作活動に振り向けられることは確かなようだ。
しかし、不遇者である鬱憤をバネに善言善行に励む場合もあれば、かえって悪言悪行を推し進める場合もある。
文王や孔子の業績は前者である一方、古代ユダヤ人やイエスの業績は後者に当たる。
鬱憤の中にも精神性を健全に保ち、善徳の修習という方向性を崩さなかったか、鬱憤のせいで精神をも歪めてしまい、
「毒食わば皿まで」の罪悪の積重に及んでしまったかが、両者の業績の優劣良悪を分かつ結果となった。
「天に自り命有りて、此の文王に命じたまう。周における京において、纘き女は維れ莘より。
長子に維れ行きて、篤に武王を生みたまう。保右し命じて、大商を燮伐す」
「天がかの文王に命じたまいて、周の宮廷において、莘より嫁いだ婦女とまぐわいて、
ここに武王が生まれた。天が文王を保護佑助したことにより、かの大殷までをも放伐するに至った」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・文王之什・大明より)
娼婦の私生児として産まれた鬱憤をイエスが奇行のバネにしたように、孔子も妾腹の子である不遇をバネに勉学に励んだ。
武帝に宮刑に処された司馬遷も、「文学的業績は本人の社会的不遇から生まれる」と「史記」太史公自序で述べているが、
確かに孤臣孽子であるような不遇の鬱憤が、文学的な創作活動に振り向けられることは確かなようだ。
しかし、不遇者である鬱憤をバネに善言善行に励む場合もあれば、かえって悪言悪行を推し進める場合もある。
文王や孔子の業績は前者である一方、古代ユダヤ人やイエスの業績は後者に当たる。
鬱憤の中にも精神性を健全に保ち、善徳の修習という方向性を崩さなかったか、鬱憤のせいで精神をも歪めてしまい、
「毒食わば皿まで」の罪悪の積重に及んでしまったかが、両者の業績の優劣良悪を分かつ結果となった。
「天に自り命有りて、此の文王に命じたまう。周における京において、纘き女は維れ莘より。
長子に維れ行きて、篤に武王を生みたまう。保右し命じて、大商を燮伐す」
「天がかの文王に命じたまいて、周の宮廷において、莘より嫁いだ婦女とまぐわいて、
ここに武王が生まれた。天が文王を保護佑助したことにより、かの大殷までをも放伐するに至った」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・文王之什・大明より)
上記の引用では「天が文王に命じて」と言っているが、文王もまた、古公亶父のような
偉大な祖父(もしくは曽祖父とされる)を持っていたからこそ、聖王になることができた。
その文王の息子である武王や周公が偉業を成せたのも、もちろん父祖の功績に根ざしている。
そして武王もまた、自らが殷紂の放伐に取り掛かることを天命に付託して革命に及んだ。
実に、天命とは、父祖からの代々の業績の受け継ぎや積み重ねによってこそ賜るものであり、
自分だけでなく、ご先祖さまからの命運の継承によってこそ生じるものである。
父親が本当は誰であるかも分からず、母親もいち娼婦の身分に過ぎなかったイエスなどが、
天主の命を受けたなどというのは、詭弁にもほどがある偽証であり、完全なイエス自身の
身勝手な物言いだったことが明らか。だからといってイエスに一切の天命が任され得なかった
のかといえばそうでもなく、イエスと同じように父系からの非認知児として産まれた孔子が、
学問所の設置や、経書の研究やその整理といった学問事業に励んだように、血統を誇れない者
なりの隙間事業に参画することもできたわけで、父も知れず、母も娼婦だった、恵まれない
境遇こそを天命の根拠などにした妄言妄動、悪言悪行に走ることだけは許されなかった。
偉大な祖父(もしくは曽祖父とされる)を持っていたからこそ、聖王になることができた。
その文王の息子である武王や周公が偉業を成せたのも、もちろん父祖の功績に根ざしている。
そして武王もまた、自らが殷紂の放伐に取り掛かることを天命に付託して革命に及んだ。
実に、天命とは、父祖からの代々の業績の受け継ぎや積み重ねによってこそ賜るものであり、
自分だけでなく、ご先祖さまからの命運の継承によってこそ生じるものである。
父親が本当は誰であるかも分からず、母親もいち娼婦の身分に過ぎなかったイエスなどが、
天主の命を受けたなどというのは、詭弁にもほどがある偽証であり、完全なイエス自身の
身勝手な物言いだったことが明らか。だからといってイエスに一切の天命が任され得なかった
のかといえばそうでもなく、イエスと同じように父系からの非認知児として産まれた孔子が、
学問所の設置や、経書の研究やその整理といった学問事業に励んだように、血統を誇れない者
なりの隙間事業に参画することもできたわけで、父も知れず、母も娼婦だった、恵まれない
境遇こそを天命の根拠などにした妄言妄動、悪言悪行に走ることだけは許されなかった。
他者を侮ることは、もちろん道徳的には全くよろしくないこととされており、
四書五経中にも「恭者は人を侮らず(孟子・離婁章句上・一六)」などの、侮蔑を否定する言葉が数多くある。
しかし、武経七書中の「尉繚子」攻權第五には「侮らるる者は敗れ、威を立つる者は勝つ」などともあり、
善悪とは間をおいた勝負の場においては、侮られることなく侮り、威を畏れることなく畏れせしめることが鍵になるとする。
侮ったり侮られたりの貶め合いからして、ないのが一番だが、勝ち負けを競う中には侮り尽くすことが重要となる。
そしてすでに侮られていることは敗北の呼び水であり、侮られ通しであるからには十中九十完敗となるが必定である。
相手が自分の根本を侮っていて、自分は相手の表層しか侮れていなかったりするのなら、すでに負けたも同然である。
「格れ、汝ら衆よ、予れ汝に告げ、汝に猷を訓えん。乃らの心を黜け、傲りて康きに從う無かれ。
(中略)今汝ら聒聒として、信を険膚に興す、予れ乃らの訟える所を知らず」
「来たれ、汝ら衆人どもよ、今から私がおまえらに告げて、正しい道を教えよう。
おまえら自身の支配者に対抗しようとする思い上がった心を退け、傲慢に思いのままに振る舞ったりするな。
今おまえらはヘラヘラとして、不用意に険を冒すことや、薄っぺらい皮相上の物事ばかりを信じ込んでいる。
私はそのような衆愚然とした、おまえらの訴えることなどに耳を貸す気はない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・盤庚上より)
四書五経中にも「恭者は人を侮らず(孟子・離婁章句上・一六)」などの、侮蔑を否定する言葉が数多くある。
しかし、武経七書中の「尉繚子」攻權第五には「侮らるる者は敗れ、威を立つる者は勝つ」などともあり、
善悪とは間をおいた勝負の場においては、侮られることなく侮り、威を畏れることなく畏れせしめることが鍵になるとする。
侮ったり侮られたりの貶め合いからして、ないのが一番だが、勝ち負けを競う中には侮り尽くすことが重要となる。
そしてすでに侮られていることは敗北の呼び水であり、侮られ通しであるからには十中九十完敗となるが必定である。
相手が自分の根本を侮っていて、自分は相手の表層しか侮れていなかったりするのなら、すでに負けたも同然である。
「格れ、汝ら衆よ、予れ汝に告げ、汝に猷を訓えん。乃らの心を黜け、傲りて康きに從う無かれ。
(中略)今汝ら聒聒として、信を険膚に興す、予れ乃らの訟える所を知らず」
「来たれ、汝ら衆人どもよ、今から私がおまえらに告げて、正しい道を教えよう。
おまえら自身の支配者に対抗しようとする思い上がった心を退け、傲慢に思いのままに振る舞ったりするな。
今おまえらはヘラヘラとして、不用意に険を冒すことや、薄っぺらい皮相上の物事ばかりを信じ込んでいる。
私はそのような衆愚然とした、おまえらの訴えることなどに耳を貸す気はない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・盤庚上より)
経書ではないが、諸子百家中の「荀子」や「列子」に、珍しく孔子が死を語るエピソードが出てくる。
子貢が学問に倦み疲れて休暇を欲する。「これこれこのような生活を送りながら休息したいのですが」という風に、
勉学以外の色々な生活手段を挙げて孔子に問うのだが、どの生活にも少なからず労苦が伴うということを
実例を挙げつつ孔子が論駁する。ほとほと困り果てた子貢が、「では、人に休息の場はないのでしょうか」
と問えば、孔子は高々と盛り立てられた墓土を指して、「あそこでその答えが分かるだろう」と言った。
子貢は「ああ、偉大なる死よ。君子も小人も、誰もがあそこで休息に至るのだ」と嘆息した。
人として生きていく以上は、何らかの労苦が伴う。心の労苦もあれば、肉体の労苦もある。
生きている間中ずっとその労苦は続き、死に至ることで初めて、完全で永久な休息にあずかる。
だからこそ、生きている間に精一杯労苦に励んで、死に至るに及んでの悔いを残さないようにするというのが
儒家の勤労志向の根拠である一方で、どんな生き方をすれども結局は死によって休息できることを諦観するのが道家。
「生は労苦である一方で、死こそは休息の場」であるという見解だけは一致しており、誰しもの死を悪行の正当化材料に
用いるどころか、善行や無為自然に努める上での相応の褒美ですらあると受け止めている。善人こそは存命中に精一杯の
労苦をこなすことで安らかな死に与る一方で、悪人こそは放辟邪侈を強制終了させられる死を自業自得で苦しむのだから。
「齊の景公、馬千駟有り。死するの日、民鄹を稱すること無し。伯夷叔齊首陽の下に餓う。民今に到るまで之れを稱す」
「斉の景公は四頭だての馬車千台を持つほどもの栄華を誇ったが、死んでからその徳を称える者は一人もいなかった。
(放伐革命を忌んで周を捨てた)伯夷と叔斉は首陽山で貧窮の中に餓死したが、民は今でもその徳を称えている」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・季氏第十六・一二より)
子貢が学問に倦み疲れて休暇を欲する。「これこれこのような生活を送りながら休息したいのですが」という風に、
勉学以外の色々な生活手段を挙げて孔子に問うのだが、どの生活にも少なからず労苦が伴うということを
実例を挙げつつ孔子が論駁する。ほとほと困り果てた子貢が、「では、人に休息の場はないのでしょうか」
と問えば、孔子は高々と盛り立てられた墓土を指して、「あそこでその答えが分かるだろう」と言った。
子貢は「ああ、偉大なる死よ。君子も小人も、誰もがあそこで休息に至るのだ」と嘆息した。
人として生きていく以上は、何らかの労苦が伴う。心の労苦もあれば、肉体の労苦もある。
生きている間中ずっとその労苦は続き、死に至ることで初めて、完全で永久な休息にあずかる。
だからこそ、生きている間に精一杯労苦に励んで、死に至るに及んでの悔いを残さないようにするというのが
儒家の勤労志向の根拠である一方で、どんな生き方をすれども結局は死によって休息できることを諦観するのが道家。
「生は労苦である一方で、死こそは休息の場」であるという見解だけは一致しており、誰しもの死を悪行の正当化材料に
用いるどころか、善行や無為自然に努める上での相応の褒美ですらあると受け止めている。善人こそは存命中に精一杯の
労苦をこなすことで安らかな死に与る一方で、悪人こそは放辟邪侈を強制終了させられる死を自業自得で苦しむのだから。
「齊の景公、馬千駟有り。死するの日、民鄹を稱すること無し。伯夷叔齊首陽の下に餓う。民今に到るまで之れを稱す」
「斉の景公は四頭だての馬車千台を持つほどもの栄華を誇ったが、死んでからその徳を称える者は一人もいなかった。
(放伐革命を忌んで周を捨てた)伯夷と叔斉は首陽山で貧窮の中に餓死したが、民は今でもその徳を称えている」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・季氏第十六・一二より)
「詩経」七月でも「昼は茅を採り、夜は縄をなえ。屋根の茅葺きも急がないと、もうすぐ種まきも始まるぞ」という風に、
産業階級の庶民が、自分たちの領分をわきまえた仕事に専念することを奨励しているし、支配階級も支配階級で、民の教化などの
自分たちの仕事に励まなければならないことが以下の「孟子」の言葉などとしても提示されている。にもかかわらず、
五穀を実らせることに対しても傍観的であり、民を生育することにかけても他力本願であるもの、産業階級としても支配階級としても
己れの領分をわきまえることなく、心身ともなる怠惰に終始しようとするもの、檻の中で飼育すべき禽獣にも等しいものだ。
「后稷は民に稼穡を教え、五穀を樹藝う。五穀熟して民人育す。人の道有るや、飽食煖衣、逸居して
教うることなければ、則ち禽獸に近し。聖人之れを憂えて、契を使いして司徒たらしめ、教うるに人倫を以てし、
父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有らしむ。放勳日ごとに之を勞い之を來し、之を匡し之を直くし、
之を輔け之を翼けて、自得せしめ、又從いて之を振い鄹む。聖人の民を憂うること此くの如し。而に耕すに暇あらんや」
「舜の時代、農務官の后稷が民に農業の仕方を教えて、五穀を植え付けさせた。五穀はよく実って、人民もよく生育するようになった。
しかし、人の世の常として、衣食が足りて安逸でいられるようになっても十分な教育を受けないでいれば、禽獣も同然のままでいる。
そのため舜帝は契という者を教育官にして、民に人としてのあり方を教育させた。父子に親があり、君臣に義があり、夫婦に別があり、
長幼に序があり、朋友に信がある天下の達道に基づいて民を感化した。すでに舜帝に位を譲っていた堯も日ごとに民をねぎらい励まし、
時に正して真っ直ぐにさせ、補助翼賛もして、民が自ずから徳性を育むように仕向ける一方で、自らの恵みによっても救いとって
やっていた。聖人はこのように、自分たちの工夫で民を具体的に救い上げていくことに余念がないので、自らが耕す暇もないほどだ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句上・四より)
産業階級の庶民が、自分たちの領分をわきまえた仕事に専念することを奨励しているし、支配階級も支配階級で、民の教化などの
自分たちの仕事に励まなければならないことが以下の「孟子」の言葉などとしても提示されている。にもかかわらず、
五穀を実らせることに対しても傍観的であり、民を生育することにかけても他力本願であるもの、産業階級としても支配階級としても
己れの領分をわきまえることなく、心身ともなる怠惰に終始しようとするもの、檻の中で飼育すべき禽獣にも等しいものだ。
「后稷は民に稼穡を教え、五穀を樹藝う。五穀熟して民人育す。人の道有るや、飽食煖衣、逸居して
教うることなければ、則ち禽獸に近し。聖人之れを憂えて、契を使いして司徒たらしめ、教うるに人倫を以てし、
父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有らしむ。放勳日ごとに之を勞い之を來し、之を匡し之を直くし、
之を輔け之を翼けて、自得せしめ、又從いて之を振い鄹む。聖人の民を憂うること此くの如し。而に耕すに暇あらんや」
「舜の時代、農務官の后稷が民に農業の仕方を教えて、五穀を植え付けさせた。五穀はよく実って、人民もよく生育するようになった。
しかし、人の世の常として、衣食が足りて安逸でいられるようになっても十分な教育を受けないでいれば、禽獣も同然のままでいる。
そのため舜帝は契という者を教育官にして、民に人としてのあり方を教育させた。父子に親があり、君臣に義があり、夫婦に別があり、
長幼に序があり、朋友に信がある天下の達道に基づいて民を感化した。すでに舜帝に位を譲っていた堯も日ごとに民をねぎらい励まし、
時に正して真っ直ぐにさせ、補助翼賛もして、民が自ずから徳性を育むように仕向ける一方で、自らの恵みによっても救いとって
やっていた。聖人はこのように、自分たちの工夫で民を具体的に救い上げていくことに余念がないので、自らが耕す暇もないほどだ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句上・四より)
ことに、資本主義先進国の人間のうちでは、まだ偉大なほうのうちに入る我が親だ。
何をやったって外国人への強盗リンチ殺人行為にしかならないほどにも、物価も所得水準も桁外れな世の中で、
我が子がなるべく行為能力を行使せずに済ませようとしていることを支援してくれているのだから、
たとえ自分たち自身は強盗殺人級の犯罪行為に手を染め続けているのであっても、そこそこの罪滅ぼしにはなっている。
その功徳は、資本主義国の放辟邪侈がいよいよ行き詰って、ムスリムや中国に対して破産申請を申し立てようという時に、
中国人などによる本土占領込みの日本に対する実効支配という事態を回避できるなどといった形で現れることだろう。
わざわざ中国人やムスリムの手を直接に借りるまでもなく、自分たち日本人だけで国内の権力犯罪処分を行き届かせる。
行為能力の自主制限によって権力犯罪の自己責任を最低限に控えて来た俺などが、まさにその処分の執行人ともなるから、
日本本土の直接占領なども回避できる可能性が高い。なんと偉大な、我が両親の功徳であることか。
何をやったって外国人への強盗リンチ殺人行為にしかならないほどにも、物価も所得水準も桁外れな世の中で、
我が子がなるべく行為能力を行使せずに済ませようとしていることを支援してくれているのだから、
たとえ自分たち自身は強盗殺人級の犯罪行為に手を染め続けているのであっても、そこそこの罪滅ぼしにはなっている。
その功徳は、資本主義国の放辟邪侈がいよいよ行き詰って、ムスリムや中国に対して破産申請を申し立てようという時に、
中国人などによる本土占領込みの日本に対する実効支配という事態を回避できるなどといった形で現れることだろう。
わざわざ中国人やムスリムの手を直接に借りるまでもなく、自分たち日本人だけで国内の権力犯罪処分を行き届かせる。
行為能力の自主制限によって権力犯罪の自己責任を最低限に控えて来た俺などが、まさにその処分の執行人ともなるから、
日本本土の直接占領なども回避できる可能性が高い。なんと偉大な、我が両親の功徳であることか。
昔、法然の門下で親鸞(当時の名は善信)を含む弟子たちがある問答を行った。
阿弥陀様への信仰と、信仰のための行ないのうちのいずれかを捨てなければならないとすれば、どちらを捨てるかと。
信仰を捨てる「行不退」の側にほぼ全ての弟子が付いた一方で、親鸞こと善信だけが行を捨てる「信不退」の側に付いた。
「私の行ないは法然さまに到底及ばないが、私の信仰だけは法然さまとも同じものだから、信は捨てられない」と。
法然もこの親鸞の言葉に納得し、信不退の側に賛同する立場を取った。
行いをも超えた信仰というものが本当に通せるんなら、それはそれで一つの「聖」ともなるのかも知れないが、
その場合には、あらゆる行いを超えなければならないから、善行も悪行も超えなければならない。
仁義や礼智の下に信を置く、自力の善行志向である儒家の行いも超えなければならない一方で、
行いが悪行に結びつくことを信で正当化したりしてもいけない。そんな不純な動機で嗜まれた信などは、
いざあらゆる悪行が禁止されて、我田引水が厳重に取り締まられるようになれば、あっという間に捨て去られる。
悪行を正当化するための信などは、悪行による利得に依存した信でしかないから、行を捨ててでも信不退で
あろうとした親鸞聖人のような純粋さには決して即していない。あくまでそれは、不純な信仰でしかない。
「昔者子貢、孔子に問うて曰く、夫子は聖なるか。孔子曰く、聖は則ち吾れ能わず、我れ學びて
厭わず、教えて倦まざるのみ。子貢曰く、學びて厭わざるは、智なり。教えて倦まざるは、仁なり。
仁にして且つ智ならば、夫子は既に聖なり。夫れ聖は、孔子も居たまわざるに、是れ何の言ぞや」
「昔子貢が孔子に問うた。『先生は聖人でありましょうか』 孔子は答えた。『なぜ聖人などであろうか。
私はただ学ぶことを厭わず、教えることを倦まないでいるのみだ』 子貢は言った。『学ぶことを厭わないのは
智者だからであり、教えて倦まないのは仁者だからです。智者にして仁者である先生はすでに聖人であります』
自分が聖人であるなどということは、孔子ですら自認しなかったのに、自らを聖なる者扱いするとは、何の言ぞや」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・二より)
阿弥陀様への信仰と、信仰のための行ないのうちのいずれかを捨てなければならないとすれば、どちらを捨てるかと。
信仰を捨てる「行不退」の側にほぼ全ての弟子が付いた一方で、親鸞こと善信だけが行を捨てる「信不退」の側に付いた。
「私の行ないは法然さまに到底及ばないが、私の信仰だけは法然さまとも同じものだから、信は捨てられない」と。
法然もこの親鸞の言葉に納得し、信不退の側に賛同する立場を取った。
行いをも超えた信仰というものが本当に通せるんなら、それはそれで一つの「聖」ともなるのかも知れないが、
その場合には、あらゆる行いを超えなければならないから、善行も悪行も超えなければならない。
仁義や礼智の下に信を置く、自力の善行志向である儒家の行いも超えなければならない一方で、
行いが悪行に結びつくことを信で正当化したりしてもいけない。そんな不純な動機で嗜まれた信などは、
いざあらゆる悪行が禁止されて、我田引水が厳重に取り締まられるようになれば、あっという間に捨て去られる。
悪行を正当化するための信などは、悪行による利得に依存した信でしかないから、行を捨ててでも信不退で
あろうとした親鸞聖人のような純粋さには決して即していない。あくまでそれは、不純な信仰でしかない。
「昔者子貢、孔子に問うて曰く、夫子は聖なるか。孔子曰く、聖は則ち吾れ能わず、我れ學びて
厭わず、教えて倦まざるのみ。子貢曰く、學びて厭わざるは、智なり。教えて倦まざるは、仁なり。
仁にして且つ智ならば、夫子は既に聖なり。夫れ聖は、孔子も居たまわざるに、是れ何の言ぞや」
「昔子貢が孔子に問うた。『先生は聖人でありましょうか』 孔子は答えた。『なぜ聖人などであろうか。
私はただ学ぶことを厭わず、教えることを倦まないでいるのみだ』 子貢は言った。『学ぶことを厭わないのは
智者だからであり、教えて倦まないのは仁者だからです。智者にして仁者である先生はすでに聖人であります』
自分が聖人であるなどということは、孔子ですら自認しなかったのに、自らを聖なる者扱いするとは、何の言ぞや」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・二より)
本人の主張とは相反して、孔子こそは聖人の第一として扱われている。
一方で、孔子と並ぶ儒家の雄である孟子は「亜聖」とされる。孔子がもはや聖人であるのに対し、
孔子よりも一歩引いた所にいるという意味での亜聖。ちょうど仏教の開祖である釈迦が仏として扱われるのに対し、
大乗仏教興隆の祖である龍樹が菩薩として扱われるのと同じ。菩薩もまた、仏に次ぐものとされているから。
しかし菩薩乗の聖典である般若経が、一仏乗の聖典である華厳経や法華経よりも莫大な分量に上るように、
孟子もまたその文言については、儒家の開祖である孔子自身以上にもより多くの発言や創作文を遺しており、
その弁証力も天下随一のものとなっている。にもかかわらず孟子は聖人孔子に次ぐ亜聖扱い。これはなぜかといえば、
一つには孔子のほうが儒家の開祖であり、孟子は二番煎じだったからというのがある。そしてもう一つは、
「若い頃から卑賤な境遇や苦境に置かれていたものこそは、文芸などで多大な功績を残す」という法則に孟子もまた即しているから。
「論語」子罕第九・六でも、孔子が多芸であることを指摘されて恥じ入り、「君子多ならんや、多ならざるなり」と自嘲気味に
述べる場面がある。その多芸さのおかげで、今にも孔子が編纂した五経などが遺されているわけだから、一概にその多芸さを否定する
わけにもいかない。ただ、孔子は多芸が卑賤の証拠であることを恥じて、五経の自作部分を「易経」繋辞伝などのごく一部に
止めたのに対し、孟子は相当に創作的な自己主張の発言などを多々残しており、孔子以上にも多芸さを披露し尽くしたきらいがある。
そこは確かに孟子が孔子よりも劣る部分であり、その文言が秀逸であればこそ、現実上の苦境もまた相当なものであっただろう
ことがうかがえる。孔子が生きた春秋時代後期よりもさらに世相が荒廃した戦国時代中期に、権力道徳学者たる儒者の雄であったこと、
その徒労さ加減たるや想像を絶するものだったに違いないが、孟子もまた天を怨まず、人を咎めぬ心境でいたのだろうか。
一方で、孔子と並ぶ儒家の雄である孟子は「亜聖」とされる。孔子がもはや聖人であるのに対し、
孔子よりも一歩引いた所にいるという意味での亜聖。ちょうど仏教の開祖である釈迦が仏として扱われるのに対し、
大乗仏教興隆の祖である龍樹が菩薩として扱われるのと同じ。菩薩もまた、仏に次ぐものとされているから。
しかし菩薩乗の聖典である般若経が、一仏乗の聖典である華厳経や法華経よりも莫大な分量に上るように、
孟子もまたその文言については、儒家の開祖である孔子自身以上にもより多くの発言や創作文を遺しており、
その弁証力も天下随一のものとなっている。にもかかわらず孟子は聖人孔子に次ぐ亜聖扱い。これはなぜかといえば、
一つには孔子のほうが儒家の開祖であり、孟子は二番煎じだったからというのがある。そしてもう一つは、
「若い頃から卑賤な境遇や苦境に置かれていたものこそは、文芸などで多大な功績を残す」という法則に孟子もまた即しているから。
「論語」子罕第九・六でも、孔子が多芸であることを指摘されて恥じ入り、「君子多ならんや、多ならざるなり」と自嘲気味に
述べる場面がある。その多芸さのおかげで、今にも孔子が編纂した五経などが遺されているわけだから、一概にその多芸さを否定する
わけにもいかない。ただ、孔子は多芸が卑賤の証拠であることを恥じて、五経の自作部分を「易経」繋辞伝などのごく一部に
止めたのに対し、孟子は相当に創作的な自己主張の発言などを多々残しており、孔子以上にも多芸さを披露し尽くしたきらいがある。
そこは確かに孟子が孔子よりも劣る部分であり、その文言が秀逸であればこそ、現実上の苦境もまた相当なものであっただろう
ことがうかがえる。孔子が生きた春秋時代後期よりもさらに世相が荒廃した戦国時代中期に、権力道徳学者たる儒者の雄であったこと、
その徒労さ加減たるや想像を絶するものだったに違いないが、孟子もまた天を怨まず、人を咎めぬ心境でいたのだろうか。
「匡章曰く、陳仲子は豈に誠の廉士ならずや。於陵に居り、三日食らわず、耳に聞こえる無く、目に見える無し。
井上に李有り、螬實を食らうこと半ばに過ぎたり、匍匐して往きて之を食らい、三くち咽みて、然る後に耳聞こえる有り、目見える有り。
孟子曰く、齊國の士に於いては、吾れ必ず仲子を以て巨擘と為さん。然れども、仲子惡んぞ能く廉ならん。仲子の操を充たさんとせば、
則ち蚓にして後可なる者なり。夫れ蚓は、上槁壤を食らい、下黄泉を飲む。仲子居る所の室は、伯夷の築ける所か、抑いは亦た
盜跖の築ける所か、食う所の粟は、伯夷の樹えたる所か、抑いは亦た盜跖の樹えたる所か、是れ未だ知るべからざるなり」
「斉国の匡章という者がいった。『まったく、陳仲子こそは真の清廉の士といえるものです。彼は名家に生まれながら、
実家の世話になることを嫌って家を飛び出し、於陵に至った頃には、三日食うものに与れず、もはや耳も聞こえず、目も見えなく
なっていたそうです。道端に半分ほども虫食いで欠けた李の実があったために、匍匐してその近くに寄り、その実にかぶりついて
三口味わった後にやっと耳も聞こえ、目も見えるようになったそうです』 これを聞いて孟子は言った。『確かに(戦乱状態の当時の)
斉国のうちで、陳仲子が清廉の部類に入ることは私も認めよう。しかし、その程度で真に清廉潔白の士であるなどとはまだ言えない。
仲子が本当に清廉を貫くのであれば、それこそミミズにでもなるべきだった。ミミズは土を食らい、泥水を飲んで生き延びる。
仲子が李を食べた場所は、伯夷のような聖人の開いた所だったか、それとも盗跖のような悪人の開いた所だったか。食べていた
ものは伯夷のような聖人の作物だったか、盗跖のような悪人の作物だったか、それもまだ分からないではないか』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句下・一〇より)
井上に李有り、螬實を食らうこと半ばに過ぎたり、匍匐して往きて之を食らい、三くち咽みて、然る後に耳聞こえる有り、目見える有り。
孟子曰く、齊國の士に於いては、吾れ必ず仲子を以て巨擘と為さん。然れども、仲子惡んぞ能く廉ならん。仲子の操を充たさんとせば、
則ち蚓にして後可なる者なり。夫れ蚓は、上槁壤を食らい、下黄泉を飲む。仲子居る所の室は、伯夷の築ける所か、抑いは亦た
盜跖の築ける所か、食う所の粟は、伯夷の樹えたる所か、抑いは亦た盜跖の樹えたる所か、是れ未だ知るべからざるなり」
「斉国の匡章という者がいった。『まったく、陳仲子こそは真の清廉の士といえるものです。彼は名家に生まれながら、
実家の世話になることを嫌って家を飛び出し、於陵に至った頃には、三日食うものに与れず、もはや耳も聞こえず、目も見えなく
なっていたそうです。道端に半分ほども虫食いで欠けた李の実があったために、匍匐してその近くに寄り、その実にかぶりついて
三口味わった後にやっと耳も聞こえ、目も見えるようになったそうです』 これを聞いて孟子は言った。『確かに(戦乱状態の当時の)
斉国のうちで、陳仲子が清廉の部類に入ることは私も認めよう。しかし、その程度で真に清廉潔白の士であるなどとはまだ言えない。
仲子が本当に清廉を貫くのであれば、それこそミミズにでもなるべきだった。ミミズは土を食らい、泥水を飲んで生き延びる。
仲子が李を食べた場所は、伯夷のような聖人の開いた所だったか、それとも盗跖のような悪人の開いた所だったか。食べていた
ものは伯夷のような聖人の作物だったか、盗跖のような悪人の作物だったか、それもまだ分からないではないか』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句下・一〇より)
キリシタンは表向きは他力本願なようでいて、その実全く他力本願ではなく、
自力の悪行によって莫大な富を収奪し、自分たちこそは世界を滅亡に追いやる規模の
過剰軍備を敷いて、全世界を恫喝によって脅かすテロリスト集団とも化している。
だからこそ今の所、裕福ともなっている。自力の悪行によって、多大なる人々を貧窮や餓死や
戦乱や戦死に追いやりつつ、自分たちだけで地球上の八割以上の資源を独占し続けているから。
それは全くキリシタンどもの自己責任であり、自業自得によって懲罰を被るべきものでもある。
ただ、その懲罰を科す側がキリシタンの自己流ペースに取り込まれて、感情にかられた刑罰などに
及んではならない。書経に「慎みて天の罰を行なう(甘誓)」ともある通り、あくまで天罰を代行する
心持ちで、謹んで権力犯罪カルトへの懲罰を執行する。ほんの少しでも自己流の裁決や懲罰を行なったなら、
罪も病も自己判断であったことやなかったことにしてしまうカルト信者の側の、思う壺となる。
「戎いなる毒を遠邇に畏れず。惰農自から安んじ、作勞を昏めず、田畝に服せざれば、越に其れ黍稷有ること罔けん」
「後々大きな災いに遭うことも恐れぬ。ちょうど怠惰な農夫が安楽ばかりを貪って農作に労苦せず、田畑にも出よう
とすらしないでいれば、何らの穀物も収穫できないように。(農作にも根ざした大社会の自業自得性のわきまえ)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・盤庚上より)
自力の悪行によって莫大な富を収奪し、自分たちこそは世界を滅亡に追いやる規模の
過剰軍備を敷いて、全世界を恫喝によって脅かすテロリスト集団とも化している。
だからこそ今の所、裕福ともなっている。自力の悪行によって、多大なる人々を貧窮や餓死や
戦乱や戦死に追いやりつつ、自分たちだけで地球上の八割以上の資源を独占し続けているから。
それは全くキリシタンどもの自己責任であり、自業自得によって懲罰を被るべきものでもある。
ただ、その懲罰を科す側がキリシタンの自己流ペースに取り込まれて、感情にかられた刑罰などに
及んではならない。書経に「慎みて天の罰を行なう(甘誓)」ともある通り、あくまで天罰を代行する
心持ちで、謹んで権力犯罪カルトへの懲罰を執行する。ほんの少しでも自己流の裁決や懲罰を行なったなら、
罪も病も自己判断であったことやなかったことにしてしまうカルト信者の側の、思う壺となる。
「戎いなる毒を遠邇に畏れず。惰農自から安んじ、作勞を昏めず、田畝に服せざれば、越に其れ黍稷有ること罔けん」
「後々大きな災いに遭うことも恐れぬ。ちょうど怠惰な農夫が安楽ばかりを貪って農作に労苦せず、田畑にも出よう
とすらしないでいれば、何らの穀物も収穫できないように。(農作にも根ざした大社会の自業自得性のわきまえ)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・盤庚上より)
罪の軽重ではなく、絶対的な罪の有無を尺度にするのなら、誰しもを裁きにかけるか、誰も裁かないかの二つに一つにしかなり得ない。
どんな人間でも多少の罪は犯しているが、特にその程度がひどい者を裁くという、罪の軽重を尺度とした裁決が現実的なものとなり、
性懲りもなく絶対的な罪の有無ばかりを尺度として押し通そうとするようなピューリタンは、全員閉鎖病棟に入ってもらおう。
「誰しもに少なからず罪はあるのだから、誰にも他者を裁く権利はない」の論理を押し通すことによって、かえって世の中を無秩序化して、
それぞれの罪に相応の罰を科す場合以上にも、戦乱や飢餓にまみれた地獄をもたらしている奴ら。潔癖症と不潔症とは紙一重であり、
両極に振れきって中正を欠くことこそは世の中を荒廃に導くのだから、不潔症と共に潔癖症もまた両成敗されなければならない。
「天子將に出征せんとすれば、上帝に類し、社に宜し、禰に造し、征する所の地に禡す。
命を祖に受け、成を學に受く。出征して有罪を執え反るときは、學に釋奠して、訊馘を以て告ぐ」
「天子が出征せんとする時には、必ず上帝の意向に沿い、社稷霊廟を設置して神祇を整え、出征地において軍法の神を祭る。
天命を父祖に受け、謀計は学知に受ける。出征後に罪ある者どもを捕らえ返ったならば、天命や学知を
与えてくださった先聖先師に崇敬の意を表し、討ち取った敵から切り取った耳の数を報告する」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・王制第五より)
どんな人間でも多少の罪は犯しているが、特にその程度がひどい者を裁くという、罪の軽重を尺度とした裁決が現実的なものとなり、
性懲りもなく絶対的な罪の有無ばかりを尺度として押し通そうとするようなピューリタンは、全員閉鎖病棟に入ってもらおう。
「誰しもに少なからず罪はあるのだから、誰にも他者を裁く権利はない」の論理を押し通すことによって、かえって世の中を無秩序化して、
それぞれの罪に相応の罰を科す場合以上にも、戦乱や飢餓にまみれた地獄をもたらしている奴ら。潔癖症と不潔症とは紙一重であり、
両極に振れきって中正を欠くことこそは世の中を荒廃に導くのだから、不潔症と共に潔癖症もまた両成敗されなければならない。
「天子將に出征せんとすれば、上帝に類し、社に宜し、禰に造し、征する所の地に禡す。
命を祖に受け、成を學に受く。出征して有罪を執え反るときは、學に釋奠して、訊馘を以て告ぐ」
「天子が出征せんとする時には、必ず上帝の意向に沿い、社稷霊廟を設置して神祇を整え、出征地において軍法の神を祭る。
天命を父祖に受け、謀計は学知に受ける。出征後に罪ある者どもを捕らえ返ったならば、天命や学知を
与えてくださった先聖先師に崇敬の意を表し、討ち取った敵から切り取った耳の数を報告する」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・王制第五より)
今だと中学一年の数学で最初に習う負数(マイナス符号の付いた数。-3とか-5とか)の扱い、
これを初めて考案したのが中国人らしいが、確かに中国人は、陰陽五行などにも即した
物事の正負を抽象的に捉える思考に長けている。たとえば
善いことをする>0
悪いことをする<0
何もしない=0
偉大である∝数が大きくなる
卑小である∝数が小さくなる
(∝は「比例する」の意)
とした場合、善いことはすればするほど大きな数となるから偉大となる一方で、悪いことはすればするほど
「大きな負数」、つまりより小さな数となるから卑小となる。何もしないことすら0であり、負数よりは
大きいから、一概に悪いことをして大きな負数=より小さな数を溜め込む場合よりは比較的、偉大となる。
こういった、中学数学程度の数理理解が普遍的に備わっているから、中国人なら、乱世には妄動を避ける
ことが賢明であることが十分にわきまえられる。一方で、西洋人や今の日本人などは、この程度の簡単な
数理理解すらも実践性に落とし込んで考えることができないために、善いことでも悪いことでもとにかく
何か大きなことすらやっていれば偉大になれるだなどという、数理に反した思い込みに陥っている。
とんでもなく高度な抽象数学などを構築してきている割には、実践面では中学数学程度の把握すら
伴っていない。実践性を完全に排除した洋学の弊害が、こんなところにも現れている。
「齊める大任、文王の母なる、周姜を媚みて、京室の婦なる。大姒徽音を嗣ぎ、斯に百の男をうむ。
宗公に恵いて、神も怨むところ罔く、神も恫むところ罔き。寡妻を刑して、兄弟に至り、以って家邦を御む」
「慎み深い任氏は、文王の母なる。姑の周姜をも慈しみ、宮廷の主婦となる。文王の后の大姒もその美音を継いで、
百をも数えるほど多くの男子を産んだ。宗廟の先公の意向にも従ったことであったために、神もこれを怨んだり、
咎めたりすることなかった。文王の法度はまず妻子に及び、兄弟に至って、ついには天下国家へと広がっていった」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・文王之什・思齊より)
これを初めて考案したのが中国人らしいが、確かに中国人は、陰陽五行などにも即した
物事の正負を抽象的に捉える思考に長けている。たとえば
善いことをする>0
悪いことをする<0
何もしない=0
偉大である∝数が大きくなる
卑小である∝数が小さくなる
(∝は「比例する」の意)
とした場合、善いことはすればするほど大きな数となるから偉大となる一方で、悪いことはすればするほど
「大きな負数」、つまりより小さな数となるから卑小となる。何もしないことすら0であり、負数よりは
大きいから、一概に悪いことをして大きな負数=より小さな数を溜め込む場合よりは比較的、偉大となる。
こういった、中学数学程度の数理理解が普遍的に備わっているから、中国人なら、乱世には妄動を避ける
ことが賢明であることが十分にわきまえられる。一方で、西洋人や今の日本人などは、この程度の簡単な
数理理解すらも実践性に落とし込んで考えることができないために、善いことでも悪いことでもとにかく
何か大きなことすらやっていれば偉大になれるだなどという、数理に反した思い込みに陥っている。
とんでもなく高度な抽象数学などを構築してきている割には、実践面では中学数学程度の把握すら
伴っていない。実践性を完全に排除した洋学の弊害が、こんなところにも現れている。
「齊める大任、文王の母なる、周姜を媚みて、京室の婦なる。大姒徽音を嗣ぎ、斯に百の男をうむ。
宗公に恵いて、神も怨むところ罔く、神も恫むところ罔き。寡妻を刑して、兄弟に至り、以って家邦を御む」
「慎み深い任氏は、文王の母なる。姑の周姜をも慈しみ、宮廷の主婦となる。文王の后の大姒もその美音を継いで、
百をも数えるほど多くの男子を産んだ。宗廟の先公の意向にも従ったことであったために、神もこれを怨んだり、
咎めたりすることなかった。文王の法度はまず妻子に及び、兄弟に至って、ついには天下国家へと広がっていった」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・文王之什・思齊より)
向こうは引用の重複が3巡目に入りつつあるな。
そろそろ連続コピペ荒らし認定も妥当なところだ。
こちらも既出の短文の引用を、長文の引用の一部分として再利用することなどはある。
単なる格言集からの引用に過ぎなかったようなものを、全文に渡って学び直している成長の現れなので、
それはまあ、よしとしてくれ。切れ切れの格言にも、全文の流れにも味わいがあるのが四書五経だから。
「文王曰く、ああ女(なんじ)殷商よ。而(なんじ)義類を秉い、彊禦して懟み多し。
流言には以て對え、寇攘は式て内る。侯れ作(詛)い侯れ祝(呪)い、屆み靡く究まり靡し」
「文王は言った。『ああ、殷の紂王よ。あなたは邪義を以て勝ち誇り、多くの怨みを買っている。
流言飛語にすら耳を貸し、火付盗賊すら仲間に入れる。呪詛されることどこまでも極まりない。」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・蕩之什・蕩より)
そろそろ連続コピペ荒らし認定も妥当なところだ。
こちらも既出の短文の引用を、長文の引用の一部分として再利用することなどはある。
単なる格言集からの引用に過ぎなかったようなものを、全文に渡って学び直している成長の現れなので、
それはまあ、よしとしてくれ。切れ切れの格言にも、全文の流れにも味わいがあるのが四書五経だから。
「文王曰く、ああ女(なんじ)殷商よ。而(なんじ)義類を秉い、彊禦して懟み多し。
流言には以て對え、寇攘は式て内る。侯れ作(詛)い侯れ祝(呪)い、屆み靡く究まり靡し」
「文王は言った。『ああ、殷の紂王よ。あなたは邪義を以て勝ち誇り、多くの怨みを買っている。
流言飛語にすら耳を貸し、火付盗賊すら仲間に入れる。呪詛されることどこまでも極まりない。」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・蕩之什・蕩より)
まあ、俺にもまだ出来ていないことだが、悪を誇るよりは善を誇り、
最終的には誇張全般を差し控える恭しさにまで達することを目的としている。
実質に反した賛美よりは即した賛美のほうが適当だが、賛美全般を控える所に真の恭しさがある。
「庸言之れ信にし、庸行之れ謹しみ、邪を閑ぎて其の誠を存し、世に善くして伐らず、鄹博くして化す」
「常日ごろの言葉から信実であり、常日ごろの行いから謹んで、邪義を防いで誠心を保ち続け、
世に善行を行ないながら誇ることがなく、その徳は天下万人を教化して余りある」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・乾卦より)
最終的には誇張全般を差し控える恭しさにまで達することを目的としている。
実質に反した賛美よりは即した賛美のほうが適当だが、賛美全般を控える所に真の恭しさがある。
「庸言之れ信にし、庸行之れ謹しみ、邪を閑ぎて其の誠を存し、世に善くして伐らず、鄹博くして化す」
「常日ごろの言葉から信実であり、常日ごろの行いから謹んで、邪義を防いで誠心を保ち続け、
世に善行を行ないながら誇ることがなく、その徳は天下万人を教化して余りある」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・乾卦より)
また三巡目の引用
「もうあんな連続コピペ荒らしのキ○ガイなんか相手にするな」という声も聞こえてきそうだが、
こっちもこっちで四書五経という、そんなに程度の高すぎない「ブービー賞の聖書」を
扱っているだけなので、目くそ鼻くその争いとして冷ややかに見守ってくれればいい。
ことに「やめてくれ」というのであれば、あっちがやめればこっちもやめるので、あっちに言うように。
ブービー賞ですらないビリッケツの聖書、犯罪聖書からの洗脳文章を撒き散らしてるほうに。
「其の君に禮ある者を見ては、之れに事うること、孝子の父母を養うが如くし、
其の君に禮無き者を見ては、之れを誅すること、如鷹鸇の鳥雀を逐が如くせよ」
「主君に対しても礼節ある者を見れば、孝行な子が実の父母を養うが如く敬い、
無礼者を見たときには、鷹や隼が小鳥や雀を追うように仮借なく罰を加えよ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・文公十八年より)
「もうあんな連続コピペ荒らしのキ○ガイなんか相手にするな」という声も聞こえてきそうだが、
こっちもこっちで四書五経という、そんなに程度の高すぎない「ブービー賞の聖書」を
扱っているだけなので、目くそ鼻くその争いとして冷ややかに見守ってくれればいい。
ことに「やめてくれ」というのであれば、あっちがやめればこっちもやめるので、あっちに言うように。
ブービー賞ですらないビリッケツの聖書、犯罪聖書からの洗脳文章を撒き散らしてるほうに。
「其の君に禮ある者を見ては、之れに事うること、孝子の父母を養うが如くし、
其の君に禮無き者を見ては、之れを誅すること、如鷹鸇の鳥雀を逐が如くせよ」
「主君に対しても礼節ある者を見れば、孝行な子が実の父母を養うが如く敬い、
無礼者を見たときには、鷹や隼が小鳥や雀を追うように仮借なく罰を加えよ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・文公十八年より)
キリストやゼウス(エホバ)が全知全能でもなんでもないことは、
東洋学の初歩中の初歩である四書五経の内容すらわきまえられていないことからも明らかだが。
別に、個人個人が全知全能である必要などもないわけだが。
必要もないものを、その能力も満たせていないくせにうそぶいた。
下の発言を遺している周公のほうが、まだ全知全能でありそうなものだが、
至らないものこそは、必要もないものを欲した挙句に、そうであることまでをも豪語するのか。
「備わるを一人に求むること無かれ」
「何もかもが一人の人間に備わっているようなことを要求も期待もしてはいけない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・微子第十八より)
東洋学の初歩中の初歩である四書五経の内容すらわきまえられていないことからも明らかだが。
別に、個人個人が全知全能である必要などもないわけだが。
必要もないものを、その能力も満たせていないくせにうそぶいた。
下の発言を遺している周公のほうが、まだ全知全能でありそうなものだが、
至らないものこそは、必要もないものを欲した挙句に、そうであることまでをも豪語するのか。
「備わるを一人に求むること無かれ」
「何もかもが一人の人間に備わっているようなことを要求も期待もしてはいけない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・微子第十八より)
すでに部分は引用している孟子の四端説。仁義礼智信の五常のうちの始め四つ、仁義礼智の典拠であり、
この四つに儒家ではあまり重要視されていなかった信を、「春秋経」の研究者であり、司馬遷の師でも
あったとされる董仲舒が、荀子の意見などを借り受けつつ付け足したことで五常となった。
頭・胴・手・足を合わせて「四体」ということもあれば、胴体と両手両足を合わせて「五体」ともいうが、
要は人間の全身のことであり、身体が備わっているようにして仁義や礼智もまた人間に備わっていることが提されている。
耳目の欲求ばかりに囚われることを孟子もまた否定してはいるが(離婁章句下・三一参照)、人体が仁義礼智を育む上でも
重要な器官であることを肯んじ、曾子などとも同じように、わが身を大切にするようにして、義をも育んでいかなければ
ならないことを全世界に先んじて宣言している(「孟子」の成立も偽りの義を説く新約聖書などよりは早い)。
五体の感官全般が幻影であることを説く道家や仏教などの説も数多いが、そのような超俗的な主張の持ち主は
孟子が説くような切実な意味での「義」を問題にもしていないので、「義」を論ずる上での引き合いには出すべきでない。
俗世でいかにあるべきかにおいてこそ問題となる「義」が、四体の養生に基づくか、かえって十字架に張り付けられる
ような四体の毀損に基づくか、その答えは、わが身が大切な人間に対しては今さら問い詰めるまでもない。
「惻隱の心は、仁の端なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、禮の端なり。是非の心、智の端めなり。
人の是の四端有るは、猶お其の四體有るがごときなり。是の四端有りて自ら能わずと謂う者は、自ら賊う者なり」
「他者をいつくしむ心は仁の端緒であり、悪を恥じ憎む心は義の端緒であり、譲り合いの心は礼の端緒であり、
是非善悪を分別する心は智の端緒である。人にこの四つの端緒が備わっていることは、ちょうど人間に両手両脚の四体が備わって
いるようなもので、これらが備わっていながら『自分にはその実践は不可能だ』などというのは、自らを見くびっている」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・六より)
この四つに儒家ではあまり重要視されていなかった信を、「春秋経」の研究者であり、司馬遷の師でも
あったとされる董仲舒が、荀子の意見などを借り受けつつ付け足したことで五常となった。
頭・胴・手・足を合わせて「四体」ということもあれば、胴体と両手両足を合わせて「五体」ともいうが、
要は人間の全身のことであり、身体が備わっているようにして仁義や礼智もまた人間に備わっていることが提されている。
耳目の欲求ばかりに囚われることを孟子もまた否定してはいるが(離婁章句下・三一参照)、人体が仁義礼智を育む上でも
重要な器官であることを肯んじ、曾子などとも同じように、わが身を大切にするようにして、義をも育んでいかなければ
ならないことを全世界に先んじて宣言している(「孟子」の成立も偽りの義を説く新約聖書などよりは早い)。
五体の感官全般が幻影であることを説く道家や仏教などの説も数多いが、そのような超俗的な主張の持ち主は
孟子が説くような切実な意味での「義」を問題にもしていないので、「義」を論ずる上での引き合いには出すべきでない。
俗世でいかにあるべきかにおいてこそ問題となる「義」が、四体の養生に基づくか、かえって十字架に張り付けられる
ような四体の毀損に基づくか、その答えは、わが身が大切な人間に対しては今さら問い詰めるまでもない。
「惻隱の心は、仁の端なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、禮の端なり。是非の心、智の端めなり。
人の是の四端有るは、猶お其の四體有るがごときなり。是の四端有りて自ら能わずと謂う者は、自ら賊う者なり」
「他者をいつくしむ心は仁の端緒であり、悪を恥じ憎む心は義の端緒であり、譲り合いの心は礼の端緒であり、
是非善悪を分別する心は智の端緒である。人にこの四つの端緒が備わっていることは、ちょうど人間に両手両脚の四体が備わって
いるようなもので、これらが備わっていながら『自分にはその実践は不可能だ』などというのは、自らを見くびっている」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・六より)
良くても悪くても奴隷止まりという、人類総奴隷化の元凶が新旧約聖書であることが文中で明示されてもいる。
封建社会にだって奴隷同然の下層階級(奴僕、奴婢など)がいないわけではなく、項羽の配下であり、楚漢戦争での
敗走後には奴僕に身をやつしてまで生き延び、劉邦の計らいもあって見事復帰を果たした季布のような著名人もいた。
ただ、誰しもが奴隷止まりの卑屈さに陥っていたのではなく、為政者や英雄的武将などとして、天下に冠たる
名士となった人々が山ほどにもいたわけで、彼らとて神仏への畏敬を完全に捨て去っていたわけではないが、
宗教信仰全般を敬遠して自力の徳行に専念し、実際に世の中を泰平へと導く偉業をも実現して来ている。
非宗教・無信仰の儒学において、まず五常のうちの始め四つ「仁義礼智」が孟子によって提唱され、最後の
「信」が荀子による覇道政治正当化の論弁に基づいて一応付け足された。諸侯が勢力を競い合う戦国時代において、
合従連衡などの契約面で信用が重要となることが多かったために、信が一応は意味を持つものとして認められていた。
しかし、自力の徳行者にとって信を金科玉条に掲げることは禁物であり、蒙昧な相手との破約が「礼記」や「左伝」
などでも好意的に載せられ、家康公もそのような儒学の信義論に即して、老耄状態の秀吉との約束を破ってもいる。
封建社会にだって奴隷同然の下層階級(奴僕、奴婢など)がいないわけではなく、項羽の配下であり、楚漢戦争での
敗走後には奴僕に身をやつしてまで生き延び、劉邦の計らいもあって見事復帰を果たした季布のような著名人もいた。
ただ、誰しもが奴隷止まりの卑屈さに陥っていたのではなく、為政者や英雄的武将などとして、天下に冠たる
名士となった人々が山ほどにもいたわけで、彼らとて神仏への畏敬を完全に捨て去っていたわけではないが、
宗教信仰全般を敬遠して自力の徳行に専念し、実際に世の中を泰平へと導く偉業をも実現して来ている。
非宗教・無信仰の儒学において、まず五常のうちの始め四つ「仁義礼智」が孟子によって提唱され、最後の
「信」が荀子による覇道政治正当化の論弁に基づいて一応付け足された。諸侯が勢力を競い合う戦国時代において、
合従連衡などの契約面で信用が重要となることが多かったために、信が一応は意味を持つものとして認められていた。
しかし、自力の徳行者にとって信を金科玉条に掲げることは禁物であり、蒙昧な相手との破約が「礼記」や「左伝」
などでも好意的に載せられ、家康公もそのような儒学の信義論に即して、老耄状態の秀吉との約束を破ってもいる。
信は豚魚のように下賤で蒙昧な相手とでも交わせるものであることから、汎用性が高いのは確かだが、自力の
善行に臨む上では、仁義や礼智などと比べて優先度が低く、そればかりを絶対化すると多くの不都合を招く。
それこそ奴隷化した民衆が主権を握る、民主主義社会の社会契約説なども、信の行き過ぎに基づいた愚行の一つ。
奴隷が主権者である世の中で、かつての封建社会におけるような徳治者が生まれえるはずもなく、案の定、
何億人もの人々を餓死や戦死に追いやる最悪の乱世をもたらしてもいる。豚魚にも及ぶ信ばかりが絶対化されて、
仁義や礼智の存在意義が貶められた当然の結果。そろそろ人類史上未曾有の、壮大な破約劇が期待されるところ。
「民、后にあらざれば、克く胥い匡して以て生くること罔し」
「民衆は、帰服する君主を頂かないことには、互いの欠点を正しながら生きていくこともできない。
(人類総奴隷化という劣悪な状況が、自浄作用を持たない乱世を自明に呼び込んでいる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・太甲中より)
善行に臨む上では、仁義や礼智などと比べて優先度が低く、そればかりを絶対化すると多くの不都合を招く。
それこそ奴隷化した民衆が主権を握る、民主主義社会の社会契約説なども、信の行き過ぎに基づいた愚行の一つ。
奴隷が主権者である世の中で、かつての封建社会におけるような徳治者が生まれえるはずもなく、案の定、
何億人もの人々を餓死や戦死に追いやる最悪の乱世をもたらしてもいる。豚魚にも及ぶ信ばかりが絶対化されて、
仁義や礼智の存在意義が貶められた当然の結果。そろそろ人類史上未曾有の、壮大な破約劇が期待されるところ。
「民、后にあらざれば、克く胥い匡して以て生くること罔し」
「民衆は、帰服する君主を頂かないことには、互いの欠点を正しながら生きていくこともできない。
(人類総奴隷化という劣悪な状況が、自浄作用を持たない乱世を自明に呼び込んでいる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・太甲中より)
イスラエル聖書のほうは、四書五経の内容ぐらいはわきまえていれば絶対に犯さないような、盲目蒙昧で
恥ずかしい勘違い発言だらけだが、四書五経のほうはといえば、イスラエル聖書において繰り返されているような
過ちも十分な看取や分析の対象とした上で、その過ちを乗り越えるだけの適切な最善策をも導き出している。
イスラエル聖書のほうが先に書かれて、四書五経が後に書かれたのならば、イスラエル聖書のほうが勘違い発言を繰り返して
いることにもまだ弁解の余地はあるが、実際には四書五経のほうが、イスラエル聖書よりもその成立が500年程度早い。
いずれも数百年以上の時間をかけてゆっくりと成立して来たものであり、編纂時期が多少はかぶってもいるが、
四書五経の編纂時期が、「易経」の編纂が始まった約3100年前から「孟子」の成立した約2300年前までであるのに対し、
イスラエル聖書の編纂は、「創世記」編纂の約2600年前から「ヨハネ黙示録」成立の約1900年前までであり、
全体的な成立の流れが、イスラエル聖書よりも四書五経のほうが4、500年程度も先行している。
現存最古の四書五経の遺文である郭店第一号楚墓の「礼記」や「論語」の断片も、約2300年前のものであることが判明しており、
現存最古のイスラエル聖書である死海文書よりも200年以上昔のものとなっている。知らぬ存ぜぬでは済まされぬ、
正しさの後にやって来た過ちであることが、文献内容の精査でも、考古学的な研究でも完全に証明されつつある。
「蒙を撃つ。寇をなすに利ろしからず。寇を禦ぐに利ろし」
「盲目蒙昧で、頑迷でありながら思い上がった輩を折檻する。盲目にも関わらず従順でもないので、
こちらの態度も強硬なものにならざるを得ないが、強硬のあまりこちらが相手を侵害するほどの事態に陥ってはならない。
むしろ相手の盲目さが他の誰かに侵されて、落とし穴へと誘い入れられるような事態を防いでやるようにすることが好ましい」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・蒙卦・上九より)
恥ずかしい勘違い発言だらけだが、四書五経のほうはといえば、イスラエル聖書において繰り返されているような
過ちも十分な看取や分析の対象とした上で、その過ちを乗り越えるだけの適切な最善策をも導き出している。
イスラエル聖書のほうが先に書かれて、四書五経が後に書かれたのならば、イスラエル聖書のほうが勘違い発言を繰り返して
いることにもまだ弁解の余地はあるが、実際には四書五経のほうが、イスラエル聖書よりもその成立が500年程度早い。
いずれも数百年以上の時間をかけてゆっくりと成立して来たものであり、編纂時期が多少はかぶってもいるが、
四書五経の編纂時期が、「易経」の編纂が始まった約3100年前から「孟子」の成立した約2300年前までであるのに対し、
イスラエル聖書の編纂は、「創世記」編纂の約2600年前から「ヨハネ黙示録」成立の約1900年前までであり、
全体的な成立の流れが、イスラエル聖書よりも四書五経のほうが4、500年程度も先行している。
現存最古の四書五経の遺文である郭店第一号楚墓の「礼記」や「論語」の断片も、約2300年前のものであることが判明しており、
現存最古のイスラエル聖書である死海文書よりも200年以上昔のものとなっている。知らぬ存ぜぬでは済まされぬ、
正しさの後にやって来た過ちであることが、文献内容の精査でも、考古学的な研究でも完全に証明されつつある。
「蒙を撃つ。寇をなすに利ろしからず。寇を禦ぐに利ろし」
「盲目蒙昧で、頑迷でありながら思い上がった輩を折檻する。盲目にも関わらず従順でもないので、
こちらの態度も強硬なものにならざるを得ないが、強硬のあまりこちらが相手を侵害するほどの事態に陥ってはならない。
むしろ相手の盲目さが他の誰かに侵されて、落とし穴へと誘い入れられるような事態を防いでやるようにすることが好ましい」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・蒙卦・上九より)
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい」
(権力犯罪聖書——通称聖書——マタイ禍音書6:1)
なぜ「人目を憚らず善を行なえ」ではいけないのかと、わざわざ四書五経を引き合いに出すまでもなく思う。
このほうが言葉の位相からして正しい物言いのはずで、わざわざ「善行しないように注意しろ」で
言葉を区切るような所に、娼婦の私生児に特有のいじけすらもが垣間見られる。
ただ、実際問題、俺も現代の人間であり、カルト教祖とはいえイエスよりも遥か後代の人間であるし、
カルト信仰に基づいてであるとはいえ、イエスが多くの人間に支持されて、俺が全く誰にも支持されていないのも確か。
だからやはり、イエスなんぞよりも遥かに先輩であり、歴史的に支持されて来た度合いも親旧約聖書を遥かに上回る
四書五経中の聖賢の言葉を借りて反駁し直す。それは全く俺自身も納得させられる言葉ばかりで、俺の常識が古来の
聖賢の常識とも共通していて、しかも新旧約信仰などよりも遥か昔から実在していたものであることが特筆に価する。
ニーチェやマルクスみたいに自己流でイエスに楯突いた所で、質・量・古さの全てにおいて新旧約を上回ることは
不可能だが、四書五経という先人の遺産に基づくならば、あらゆる面において新旧約信仰を超克できる。
確かに他力本願ではあるが、善良な他力なればこそ、悪質な他力を降伏できるのでもある。
「惟れ上帝は常ならず。善を作せば之れに百祥を降し、不善を作せば之れに百殃を降す。
爾じ惟れ鄹を小とすること罔く、萬邦惟れ慶せん。爾じ惟れ不鄹を大とすること罔きも、厥の宗を墜さん」
「上帝は誰かに常にえこひいきしたりはせず。善を行なうものには百の幸いをもたらし、悪を行なうものには百の禍いをもたらす。
あなたの善徳にかなった行いがたとえ小さなものであっても、万邦はこれを喜ぶだろうし、
不徳の悪行がどんなに小さくとも、宗廟を絶やすほどの不幸を招くことだろう」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・伊訓より)
(権力犯罪聖書——通称聖書——マタイ禍音書6:1)
なぜ「人目を憚らず善を行なえ」ではいけないのかと、わざわざ四書五経を引き合いに出すまでもなく思う。
このほうが言葉の位相からして正しい物言いのはずで、わざわざ「善行しないように注意しろ」で
言葉を区切るような所に、娼婦の私生児に特有のいじけすらもが垣間見られる。
ただ、実際問題、俺も現代の人間であり、カルト教祖とはいえイエスよりも遥か後代の人間であるし、
カルト信仰に基づいてであるとはいえ、イエスが多くの人間に支持されて、俺が全く誰にも支持されていないのも確か。
だからやはり、イエスなんぞよりも遥かに先輩であり、歴史的に支持されて来た度合いも親旧約聖書を遥かに上回る
四書五経中の聖賢の言葉を借りて反駁し直す。それは全く俺自身も納得させられる言葉ばかりで、俺の常識が古来の
聖賢の常識とも共通していて、しかも新旧約信仰などよりも遥か昔から実在していたものであることが特筆に価する。
ニーチェやマルクスみたいに自己流でイエスに楯突いた所で、質・量・古さの全てにおいて新旧約を上回ることは
不可能だが、四書五経という先人の遺産に基づくならば、あらゆる面において新旧約信仰を超克できる。
確かに他力本願ではあるが、善良な他力なればこそ、悪質な他力を降伏できるのでもある。
「惟れ上帝は常ならず。善を作せば之れに百祥を降し、不善を作せば之れに百殃を降す。
爾じ惟れ鄹を小とすること罔く、萬邦惟れ慶せん。爾じ惟れ不鄹を大とすること罔きも、厥の宗を墜さん」
「上帝は誰かに常にえこひいきしたりはせず。善を行なうものには百の幸いをもたらし、悪を行なうものには百の禍いをもたらす。
あなたの善徳にかなった行いがたとえ小さなものであっても、万邦はこれを喜ぶだろうし、
不徳の悪行がどんなに小さくとも、宗廟を絶やすほどの不幸を招くことだろう」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・伊訓より)
「鬼神の鄹たるや、其れ盛んなるかな。之れを視れども見えず、之れを聽けども聞こえず、物を體して遺すべからず。
天下の人をして齊明盛服せしめ、以て祭祀を承け、洋洋乎として其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し。
詩に曰く、神の格るは度るべからず、矧んや射うべけんやと。夫れ微の顯なる、誠の掩うべからざるは、此くの如し」
「心霊の徳は盛んなればこそ、これを直視しようとしても見えず、これを拝聴しようとしても聞こえない。にもかかわらず
万物の根本的な本体として働き余す所がない。なればこそ、天下の人々に潔斎させて身を清めさせ、立派な礼服を着せて
祭祀に赴かせ、祭りの場一面に神気を満ち溢れさせ、上下左右どこもかしこもに鬼神が存在するかのような状態となる。
詩経に『神の降臨は予測できない。ましてやなおざりにできようか』とあるが、微妙にして顕かであり、
誠であるが故に隠れていることがないというのは、かくの如き状態をいうのである」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・一三より)
見えるものばかりに拘泥するわけでもなく、見えないものばかりに期待を募らせるわけでもない、
見えるものと見えざるもの、聞こえるものと聞こえざるものとの総合的な把握にまで四書五経は及んでいる。
形而上と形而下、アプリオリとアポステリオリの断絶を排した斉同的な把握姿勢は、経書中最古の「易経」における
視覚性を超えた空間把握などによって理論的にも裏付けられてもおり、プラトン哲学やユークリッド幾何学が視覚的な
空間把握ばかりにこだわっていた西洋流の学究姿勢とも根本的に異なっている。目に見えるものへの偏重と、目に見えない
ものへの偏重の両極端への分裂が、西洋における学問と宗教の断絶をも生じており、視覚系と超視覚系の統合を5000年
以上もの太古から研鑽し続けて来た、漢学の学問と宗教両面における安定度の高さとはかけ離れたものとなっている。
天下の人をして齊明盛服せしめ、以て祭祀を承け、洋洋乎として其の上に在すが如く、其の左右に在すが如し。
詩に曰く、神の格るは度るべからず、矧んや射うべけんやと。夫れ微の顯なる、誠の掩うべからざるは、此くの如し」
「心霊の徳は盛んなればこそ、これを直視しようとしても見えず、これを拝聴しようとしても聞こえない。にもかかわらず
万物の根本的な本体として働き余す所がない。なればこそ、天下の人々に潔斎させて身を清めさせ、立派な礼服を着せて
祭祀に赴かせ、祭りの場一面に神気を満ち溢れさせ、上下左右どこもかしこもに鬼神が存在するかのような状態となる。
詩経に『神の降臨は予測できない。ましてやなおざりにできようか』とあるが、微妙にして顕かであり、
誠であるが故に隠れていることがないというのは、かくの如き状態をいうのである」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・一三より)
見えるものばかりに拘泥するわけでもなく、見えないものばかりに期待を募らせるわけでもない、
見えるものと見えざるもの、聞こえるものと聞こえざるものとの総合的な把握にまで四書五経は及んでいる。
形而上と形而下、アプリオリとアポステリオリの断絶を排した斉同的な把握姿勢は、経書中最古の「易経」における
視覚性を超えた空間把握などによって理論的にも裏付けられてもおり、プラトン哲学やユークリッド幾何学が視覚的な
空間把握ばかりにこだわっていた西洋流の学究姿勢とも根本的に異なっている。目に見えるものへの偏重と、目に見えない
ものへの偏重の両極端への分裂が、西洋における学問と宗教の断絶をも生じており、視覚系と超視覚系の統合を5000年
以上もの太古から研鑽し続けて来た、漢学の学問と宗教両面における安定度の高さとはかけ離れたものとなっている。
「書経」周書・洪範における「武王殷に勝つ」などの用法からも、勝利というのは「他者の放伐」が元来の意味になっている。
何度でも再起復活が可能なゲーム上やスポーツ上の勝敗などと違い、真剣勝負には決して次がなく、
勝ったものは生き延びて負けたものは死に絶える。それが元来の意味に即した勝敗というもの。
一応、俺がまだ生き延びているという事実だけでも、まだ勝負の決着が付いていない証拠にはなっている。
イエスのほうが多くの人間に支持されて、俺のほうが全く支持されていないのでもあるにしろ、まだ決着は付いていない。
真の勝敗はどちらかが絶滅した時に決まる。勝ってもいない内から勝利宣言する増上慢は、自分は抱かないように気をつけよう。
「彼の中林を瞻るに、薪侯り蒸侯るのみ。民の今方に殆うきに、天を視げば夢夢たる。
既に克く定まること有らば、人として勝たざること靡けん。有皇なる上帝よ、伊あ誰を憎める」
「林の中を見ても薪草ばかりしかないように、政界にもつまらない小人ばかりがはびこっている。
民が危険に晒されているのに、天を仰いでも茫々と不明なまま。世の中がよく安定していたなら、
小人にも勝てないことすらないだろうに。大いなる上帝よ、いったい何が気に障るというのか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・祈父之什・正月より)
何度でも再起復活が可能なゲーム上やスポーツ上の勝敗などと違い、真剣勝負には決して次がなく、
勝ったものは生き延びて負けたものは死に絶える。それが元来の意味に即した勝敗というもの。
一応、俺がまだ生き延びているという事実だけでも、まだ勝負の決着が付いていない証拠にはなっている。
イエスのほうが多くの人間に支持されて、俺のほうが全く支持されていないのでもあるにしろ、まだ決着は付いていない。
真の勝敗はどちらかが絶滅した時に決まる。勝ってもいない内から勝利宣言する増上慢は、自分は抱かないように気をつけよう。
「彼の中林を瞻るに、薪侯り蒸侯るのみ。民の今方に殆うきに、天を視げば夢夢たる。
既に克く定まること有らば、人として勝たざること靡けん。有皇なる上帝よ、伊あ誰を憎める」
「林の中を見ても薪草ばかりしかないように、政界にもつまらない小人ばかりがはびこっている。
民が危険に晒されているのに、天を仰いでも茫々と不明なまま。世の中がよく安定していたなら、
小人にも勝てないことすらないだろうに。大いなる上帝よ、いったい何が気に障るというのか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・祈父之什・正月より)
新儒学においても、主知主義的な朱子学と、知行合一を唱える陽明学との意見の対立などが起こったが、
朱子が孔子に次ぐ亜聖として標榜した孟子の学はといえば、やはり行いよりは知見の醸成を第一に掲げている。
聖人の知見は雄大であり、なかなかその全てを実現するには至らないものであるから、機が熟すまでは学知の研鑽に励めと。
勇猛果敢で、「君子は戦わざる有るも、戦わば必ず勝つ(公孫丑章句下・一)」などという言すら残してはいるが、
戦ったときに勝つまでの深遠な思慮も欠かしはしない。為さざることあり、然る後に以て為すことあるべしと。
「海を観る者は水と為し難く、聖人の門に遊ぶ者は言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観よ。
日月明有り、容光をも必ず照らす。流水の物たるや、科に盈たざれば行かず。君子の道に於けるや、章を成さざれば達せず」
「海を知るものは川や水溜りの水を見てもどうとも思わないように、聖人の門に学ぶものは多少聞こえのいい言葉などを
聞いてもどうとも思わない。水の大小にも一定の法則があり、その波の有り様を見れば分かるであろう。日光や月光が
小さな隙間からも差し込んで暗闇を照らすように、大水の波は全てのくぼ地を満たしつつ進んでいく。(逆に小さな水の波は
全てのくぼ地を満たすまでもなく止まる)そのようにして、聖人の道もまた、一つ一つ区切りを付けて行かなければ達成できない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・二四より)
朱子が孔子に次ぐ亜聖として標榜した孟子の学はといえば、やはり行いよりは知見の醸成を第一に掲げている。
聖人の知見は雄大であり、なかなかその全てを実現するには至らないものであるから、機が熟すまでは学知の研鑽に励めと。
勇猛果敢で、「君子は戦わざる有るも、戦わば必ず勝つ(公孫丑章句下・一)」などという言すら残してはいるが、
戦ったときに勝つまでの深遠な思慮も欠かしはしない。為さざることあり、然る後に以て為すことあるべしと。
「海を観る者は水と為し難く、聖人の門に遊ぶ者は言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観よ。
日月明有り、容光をも必ず照らす。流水の物たるや、科に盈たざれば行かず。君子の道に於けるや、章を成さざれば達せず」
「海を知るものは川や水溜りの水を見てもどうとも思わないように、聖人の門に学ぶものは多少聞こえのいい言葉などを
聞いてもどうとも思わない。水の大小にも一定の法則があり、その波の有り様を見れば分かるであろう。日光や月光が
小さな隙間からも差し込んで暗闇を照らすように、大水の波は全てのくぼ地を満たしつつ進んでいく。(逆に小さな水の波は
全てのくぼ地を満たすまでもなく止まる)そのようにして、聖人の道もまた、一つ一つ区切りを付けて行かなければ達成できない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・二四より)
「論語」季氏第十六・一〇にも「聴くには聡を思う」とあるが、これは別に都合の良いことだけを聴いて
都合の悪いことは聴かないなんて意味じゃない。都合の良いことも悪いことも、聴く以上ははっきりとよく聴くという意味。
信仰対象はよく聴き、信仰対象でなければ耳も貸さない閉鎖性の劣等さが、
信教外の聖書である四書五経に基づいてこそ明らか。
「大風の有れ隧しき、貪人の類き人を敗うは。
聽言には則ち對え、誦言には醉えるが如くす。
其の良きひとを用いず、覆りて我れを悖らしむ」
「つまらぬ人間が善人を退けるは、まるで大風が吹き荒れるように甚だしい。
都合のい良い言葉には耳を貸して答え、都合の悪い言葉には耳を貸そうともしない。
そうしてつまらぬ者同士が群がり、善人は退けられ、私を含む多くの人々が苦しむ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・蕩之什・桑柔より)
都合の悪いことは聴かないなんて意味じゃない。都合の良いことも悪いことも、聴く以上ははっきりとよく聴くという意味。
信仰対象はよく聴き、信仰対象でなければ耳も貸さない閉鎖性の劣等さが、
信教外の聖書である四書五経に基づいてこそ明らか。
「大風の有れ隧しき、貪人の類き人を敗うは。
聽言には則ち對え、誦言には醉えるが如くす。
其の良きひとを用いず、覆りて我れを悖らしむ」
「つまらぬ人間が善人を退けるは、まるで大風が吹き荒れるように甚だしい。
都合のい良い言葉には耳を貸して答え、都合の悪い言葉には耳を貸そうともしない。
そうしてつまらぬ者同士が群がり、善人は退けられ、私を含む多くの人々が苦しむ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・蕩之什・桑柔より)
>>165の引用のとおり、「衣食が足りたからといって人々が礼節をわきまえるとは限らない」と孟子は言っており、
衣食すら足りれば礼節もわきまえられるかのような管仲の言い分とは多少異なる。ただ、聖人君子でもない一般庶民は、
やはり衣食が足りてからでないと礼節にまで頭が回らないことも認めている。人々が貧困や飢餓に喘いでいることが
そのまま神への礼拝になるなどということも決して認めるわけがなく、それこそは権力道徳聖書の認めない権力犯罪、
劣悪な支配者の暴政を正当化して美化するカルト教義でしかないことのあからさまな証拠になっている。
「今や民の産を制するや、仰いでは以て父母に事うるに足らず、俯しては以て妻子を畜うに足らず、樂歳には身を
終えるまで飽きたり、凶年にも死亡を免れず。此くては死を救いて贍らざらんことを恐る。奚ぞ禮義を治むるに暇あらんや」
「今の為政者が産業階級の庶民を取り計らう姿といえば、上は子が父母につかえさせることも満足にできず、
下は夫が妻子を養うことも満足にできない有様で、幸いに豊作であっても重税に苦しみ、凶作ならば餓死も免れ得ないという始末。
こんなことでは死を免れるだけでも精一杯といったところで、なぜ礼儀礼節を修める余裕などがあろうか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・梁惠王章句上・七より)
衣食すら足りれば礼節もわきまえられるかのような管仲の言い分とは多少異なる。ただ、聖人君子でもない一般庶民は、
やはり衣食が足りてからでないと礼節にまで頭が回らないことも認めている。人々が貧困や飢餓に喘いでいることが
そのまま神への礼拝になるなどということも決して認めるわけがなく、それこそは権力道徳聖書の認めない権力犯罪、
劣悪な支配者の暴政を正当化して美化するカルト教義でしかないことのあからさまな証拠になっている。
「今や民の産を制するや、仰いでは以て父母に事うるに足らず、俯しては以て妻子を畜うに足らず、樂歳には身を
終えるまで飽きたり、凶年にも死亡を免れず。此くては死を救いて贍らざらんことを恐る。奚ぞ禮義を治むるに暇あらんや」
「今の為政者が産業階級の庶民を取り計らう姿といえば、上は子が父母につかえさせることも満足にできず、
下は夫が妻子を養うことも満足にできない有様で、幸いに豊作であっても重税に苦しみ、凶作ならば餓死も免れ得ないという始末。
こんなことでは死を免れるだけでも精一杯といったところで、なぜ礼儀礼節を修める余裕などがあろうか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・梁惠王章句上・七より)
「欲するところ生よりも甚だしきものあり。悪むところ死よりも甚だしきものあり」云々ということを
孟子も告子章句上・一〇で言っているが、このようなことは孔子の先輩格である子産も言っていて、
「左伝」昭公四年では「国家社稷の利益になることは個人の生死をも超える」云々と述べている。
他にも昭公二十五年にも、子大叔が子産に聞いた言葉として「禍福・賞罰を以て人々に生死の節度を保たせる」
といった話を挙げている。竹法(竹簡に記述した成文法)を制定して非難を被るなどの落ち度もあるが、
孔子に先んずる徳治の実践者としてそこそこの評価を受けている鄭の政治家子産。愚民の生の貪りや
死への嫌悪が、君子にとっては劣後すべき代物であることを孟子にも先んじて提唱はしたものの、
愚民の生死への情念に節度を保たせるために提示した手段が、法治主義に基づく禍福賞罰の徹底止まりで
あったことが片手落ちな部分であり、法政ではなく礼楽によってこそ人々が生死の節度をわきまえることを
提唱した孔子と比べれば(為政第二・三参照)、どうしてもプロトタイプ止まりであったと言わざるを得ない。
ローマ法にも先んじて本格的な法治主義社会を画策した、管仲や子産などの中国法家も、世界的にみれば
政治史上の雄であったといえるが、尭舜禹や湯文武、周公に孔子や孟子といった徳治主義の歴史のほうが
中国では一貫して盛大であったために、法家の扱いはあまり大きくない。実際に春秋戦国時代以降にも
秦始皇帝による法治社会が失敗して、漢や唐における儒家主導の徳治社会が成功を収めているために、
罪を犯させて罰を科す、マッチポンプ法治主義の出る幕などはほとんどなかったのだった。
孟子も告子章句上・一〇で言っているが、このようなことは孔子の先輩格である子産も言っていて、
「左伝」昭公四年では「国家社稷の利益になることは個人の生死をも超える」云々と述べている。
他にも昭公二十五年にも、子大叔が子産に聞いた言葉として「禍福・賞罰を以て人々に生死の節度を保たせる」
といった話を挙げている。竹法(竹簡に記述した成文法)を制定して非難を被るなどの落ち度もあるが、
孔子に先んずる徳治の実践者としてそこそこの評価を受けている鄭の政治家子産。愚民の生の貪りや
死への嫌悪が、君子にとっては劣後すべき代物であることを孟子にも先んじて提唱はしたものの、
愚民の生死への情念に節度を保たせるために提示した手段が、法治主義に基づく禍福賞罰の徹底止まりで
あったことが片手落ちな部分であり、法政ではなく礼楽によってこそ人々が生死の節度をわきまえることを
提唱した孔子と比べれば(為政第二・三参照)、どうしてもプロトタイプ止まりであったと言わざるを得ない。
ローマ法にも先んじて本格的な法治主義社会を画策した、管仲や子産などの中国法家も、世界的にみれば
政治史上の雄であったといえるが、尭舜禹や湯文武、周公に孔子や孟子といった徳治主義の歴史のほうが
中国では一貫して盛大であったために、法家の扱いはあまり大きくない。実際に春秋戦国時代以降にも
秦始皇帝による法治社会が失敗して、漢や唐における儒家主導の徳治社会が成功を収めているために、
罪を犯させて罰を科す、マッチポンプ法治主義の出る幕などはほとんどなかったのだった。
「十五年春、邾の隱公來朝す。子貢これを觀る。邾子は玉を執ること高く、其の容仰げり。
公は玉を受けること卑く、其の容俯せり。子貢曰く、禮を以て之れを觀れば、二君は皆な死亡するあらん。
夫れ禮は、死生存亡の體なり。將に左右周旋、進退俯仰、是に於いてか之れを取り、朝祀喪戎、是に於いてか
之れを觀んとす。今正月相朝して、皆な度あらず。心巳に亡はれ、嘉事體あらず。何を以てか能く久からん。
高仰は驕なり、卑俯は替なり。驕は亂に近く、替は疾に近し。君は主たり。其れ先ず亡びんか」
「定公十五年の春、邾の隠公が魯に来朝した。孔子の弟子の子貢がこれを拝見したが、来客の隠公が
宝玉を扱う姿勢は高すぎてふんぞり返っており、定公が宝玉を扱う姿勢は低すぎて伏せっていた。
子貢は言った。『礼節を鑑みて申しますと、両君ともじきに死ぬだろうと言わざるを得ません。
いったい礼儀こそは、生死存亡を司る本体であります。日常の一挙一動にも本人の安否がかかっており、
来朝して諸々の祭祀儀礼を執り行う時にもその安否が現れるもの。いま正月に両君が会合したにも関わらず、
そのどちらともが礼法にかなっていないとは、どうして長生きを期待できましょうか。宝玉を扱う姿勢が高すぎて
ふんぞり返っているのは心が高ぶっている証拠ですし、低すぎて伏せっているのは堕している証拠です。高ぶって
いると乱を招きやすく、堕していると病にかかりやすい。わが君(定公)が主なので、先に亡くなるでしょう』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・定公十五年より)
公は玉を受けること卑く、其の容俯せり。子貢曰く、禮を以て之れを觀れば、二君は皆な死亡するあらん。
夫れ禮は、死生存亡の體なり。將に左右周旋、進退俯仰、是に於いてか之れを取り、朝祀喪戎、是に於いてか
之れを觀んとす。今正月相朝して、皆な度あらず。心巳に亡はれ、嘉事體あらず。何を以てか能く久からん。
高仰は驕なり、卑俯は替なり。驕は亂に近く、替は疾に近し。君は主たり。其れ先ず亡びんか」
「定公十五年の春、邾の隠公が魯に来朝した。孔子の弟子の子貢がこれを拝見したが、来客の隠公が
宝玉を扱う姿勢は高すぎてふんぞり返っており、定公が宝玉を扱う姿勢は低すぎて伏せっていた。
子貢は言った。『礼節を鑑みて申しますと、両君ともじきに死ぬだろうと言わざるを得ません。
いったい礼儀こそは、生死存亡を司る本体であります。日常の一挙一動にも本人の安否がかかっており、
来朝して諸々の祭祀儀礼を執り行う時にもその安否が現れるもの。いま正月に両君が会合したにも関わらず、
そのどちらともが礼法にかなっていないとは、どうして長生きを期待できましょうか。宝玉を扱う姿勢が高すぎて
ふんぞり返っているのは心が高ぶっている証拠ですし、低すぎて伏せっているのは堕している証拠です。高ぶって
いると乱を招きやすく、堕していると病にかかりやすい。わが君(定公)が主なので、先に亡くなるでしょう』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・定公十五年より)
山にもいろいろあって、アリ塚程度から泰山のような名峰まであるわけだ。
チベット・ネパール国境付近には世界最大の山系、ヒマラヤ山脈があり、
この日本にも、単体の山としては世界最大級の富士山がある。
山の雄大さを実物から実感する機会が、モンスーン気候でもある東洋にはあったわけだが、
大きめの砂丘も風で吹き飛んでしまう砂漠社会では、そんな機会はなかったわけだな。
「麒麟の走獸に於けるも、鳳凰の飛鳥に於けるも、太山の丘垤に於けるも、河海の行潦に於けるも、みな類なり。
聖人の民に於けるも、亦た類なり。其の類より出て、其の萃より抜きん出たること、生民より以來,未だ孔子より盛なるは有らざるなり」
「麒麟が走る獣の一種であり、鳳凰が飛鳥の一種であり、太山が小高い山の一種であり、黄河や大海が水溜りの一種であるように、
聖人もまた生民の一種ではある。同類にもかかわらず他から抜きん出ていることは、生民の中で孔子が抜きん出たほどのことはない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・二より)
チベット・ネパール国境付近には世界最大の山系、ヒマラヤ山脈があり、
この日本にも、単体の山としては世界最大級の富士山がある。
山の雄大さを実物から実感する機会が、モンスーン気候でもある東洋にはあったわけだが、
大きめの砂丘も風で吹き飛んでしまう砂漠社会では、そんな機会はなかったわけだな。
「麒麟の走獸に於けるも、鳳凰の飛鳥に於けるも、太山の丘垤に於けるも、河海の行潦に於けるも、みな類なり。
聖人の民に於けるも、亦た類なり。其の類より出て、其の萃より抜きん出たること、生民より以來,未だ孔子より盛なるは有らざるなり」
「麒麟が走る獣の一種であり、鳳凰が飛鳥の一種であり、太山が小高い山の一種であり、黄河や大海が水溜りの一種であるように、
聖人もまた生民の一種ではある。同類にもかかわらず他から抜きん出ていることは、生民の中で孔子が抜きん出たほどのことはない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・二より)

人道の王道中の王道である儒家、その儒家の正典である四書五経にことごとく反した劣悪な教義を
新旧約聖書が挙げ連ねていることからも、人道に反しているのは明らかだし、アダムとイブの楽園追放寓話で
すべての信者に多動性障害を植え付ける旧約の教義も、悪いことをするぐらいなら何もしないでいたほうがいい、
無為自然の徳を謳う道家の天道にも反している。天道は何も道家だけではなく、インドのヒンズー教や
日本の神道も含むが、やはりその教義の仔細を鑑みれば、新旧約信仰こそはこれらの天道の教義に違反している。
修羅道にあたるイスラムや拝火教を擁する中東と、新旧約信仰下の西洋がいがみ合い続けているのは周知のことだし、
模範的な武家社会となった江戸時代の日本も、キリシタン信仰を廃絶することによってこそ成功を果たしている。
奪い合い殺し合いを貪り続けて止まない新旧約信仰は、人道でも天道でもなく、修羅道ですらない、
地獄餓鬼畜生の三悪道に該当することが明白。それはそれで構造的な存在性を持つことが、仏教の六道十界論に
基づけば認められているのであり、劣悪ではあるが存在してしまう三悪道をいかに排し、修羅人天の三善道を
推進していくかという「断悪修善」が、仏教の一大教義となっている。六道の内の人道に即して勧善懲悪をもくろむ
儒家と比べれば、六道全体を俯瞰する声聞縁覚菩薩仏の四乗から断悪修善を講じる仏教の姿勢は、より徹底的で
あるといえる一方で、自力での修習のためには出家や受戒も要するなど、大きなリスクも伴っている。
俺としては、断悪修善をも本義とする仏教を尊びはする一方で、自分自身は儒家に基づく所存。
新旧約信仰のような人道のフリをした鬼畜道ではない、純度100%の真っ当な人道である儒家を本拠地とする。
仏教ほどもの質は期待できないが、代わりに量を稼ぐことが可能な儒家。幼稚園児にすら教えられる平易さが売り。
「易の書たるや、廣大悉く備わる。天道あり、人道あり、地道あり。三材を兼ねて之れを両つにす。故に六なり」
「易という書物には、天地万物のあらゆる道理がことごとく備わっている。天道もあれば、人道もあり、
地道もある。この三つが八卦のそれぞれの爻となり、上下に重なり合って六つの爻を持つ六十四卦となる。
(天道・人道・修羅道の三善道と、畜生道・餓鬼道・地獄道の三悪道が折り重なって六道と
なることが、まだ仏教も存在していなかった頃の中国人、孔子によっても予言されている。)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・繋辞下伝より)
新旧約信仰のような人道のフリをした鬼畜道ではない、純度100%の真っ当な人道である儒家を本拠地とする。
仏教ほどもの質は期待できないが、代わりに量を稼ぐことが可能な儒家。幼稚園児にすら教えられる平易さが売り。
「易の書たるや、廣大悉く備わる。天道あり、人道あり、地道あり。三材を兼ねて之れを両つにす。故に六なり」
「易という書物には、天地万物のあらゆる道理がことごとく備わっている。天道もあれば、人道もあり、
地道もある。この三つが八卦のそれぞれの爻となり、上下に重なり合って六つの爻を持つ六十四卦となる。
(天道・人道・修羅道の三善道と、畜生道・餓鬼道・地獄道の三悪道が折り重なって六道と
なることが、まだ仏教も存在していなかった頃の中国人、孔子によっても予言されている。)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・繋辞下伝より)
「わたしは智恵ある者の智恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」
(権力犯罪聖書——通称聖書——コリント人への第一の脅迫文1:19)
まあ、キリスト教系の大学が「上智大学」を名乗ることのおかしさが明らかな部分でもあるな。
もともと「上智」という言葉の起源も、「上知と下愚は移らず」という「論語」陽貨第十七・三の記述だし、
「義」とか「信」とか「聖書」とかいった言葉だけでなく、こんな所にも儒家用語の剽窃が見られる。
堅実な道徳主義の学問を捨てて、不埒な犯罪主義のカルト信教を世の中が選択した弊害は、
「そんな世の中は完全に捨て去るぐらいでちょうどいい」という結論になって現れた。
「仁の父子に於ける、義の君臣に於ける、礼の賓主に於ける、
知の賢者に於ける、聖の天道に於けるは、命なり。性あり、君子は命とは謂わざるなり」
「父子の仁、君臣の義、賓主の礼、賢者の智、天道の聖などは、天命に即して叶ったり叶わなかったり
することがある。しかし、君子の側は自身の本性からそれを欲するので、天命だからといって諦めたりはしない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句下・二四より)
(権力犯罪聖書——通称聖書——コリント人への第一の脅迫文1:19)
まあ、キリスト教系の大学が「上智大学」を名乗ることのおかしさが明らかな部分でもあるな。
もともと「上智」という言葉の起源も、「上知と下愚は移らず」という「論語」陽貨第十七・三の記述だし、
「義」とか「信」とか「聖書」とかいった言葉だけでなく、こんな所にも儒家用語の剽窃が見られる。
堅実な道徳主義の学問を捨てて、不埒な犯罪主義のカルト信教を世の中が選択した弊害は、
「そんな世の中は完全に捨て去るぐらいでちょうどいい」という結論になって現れた。
「仁の父子に於ける、義の君臣に於ける、礼の賓主に於ける、
知の賢者に於ける、聖の天道に於けるは、命なり。性あり、君子は命とは謂わざるなり」
「父子の仁、君臣の義、賓主の礼、賢者の智、天道の聖などは、天命に即して叶ったり叶わなかったり
することがある。しかし、君子の側は自身の本性からそれを欲するので、天命だからといって諦めたりはしない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句下・二四より)
儒学における童僕(子供、小童)の存在性の解釈は、「易経」蒙卦と旅卦に詳しい。
蒙卦・初六においては「蒙をひらく。もって人を刑するに利ろし。もって桎梏をとき、もって往けば吝かなり」などと、
童僕の蒙昧さがあくまで啓蒙修正の対象とすべきものであることを強調し、そのためには刑罰すら厭わず、
手かせ足かせを解くような甘やかしもしてはならないとしている。一方で蒙卦・六五象伝には
「童蒙の吉なるは、順にしてもって巽なればなり」と、童蒙ゆえに従順で謙遜であることは吉であるともしている。
旅卦・六二象伝にも「童僕の貞を得たりとは、終にとがなきなり」などと、童僕故の貞節さを吉とする記述があり、
「蒙昧であるのは童僕の欠点だが、貞節であろうとすることは童僕の長所である」という、分別の行き届いた童僕解釈が
儒家では伝統的にわきまえられているために、勉学と忠孝を共に奨励することが矛盾を来たさずにも済んでいる。
ただ「子供のようになれ」では、上記のような童僕の長短理解に即した人間の矯正には寄与できない。
それどころか、貞節さは省いて蒙昧さばかりを助長させる結果にもなり兼ねず、
ちゃんと長所と短所を分別する場合とは逆に、より劣悪な結果すらをも招いてしまう。
「闕黨の童子、命を將う。或るひと之を問うて曰く、益者かと。
子曰く、吾れ其の位に居るを見る。其の先生と並び行くを見る。益者に非ざるなり、速やかに成らんと欲する者なりと」
「闕という村の少年が客の取次ぎをしていた。ある人がその姿を見て問うた。『あれは進歩を目指しているものでしょうか』
孔先生は答えた。『私はあれが大人同士の席で真ん中に座っているのを見ましたし、先生先輩と肩を並べて歩いているのも見ました。
着実な進歩を目指しているのではなく、ただ早く大人になりたいというだけの者です』(貞節ではないが蒙昧なままな童僕の一例)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・憲問第十四・四六より)
蒙卦・初六においては「蒙をひらく。もって人を刑するに利ろし。もって桎梏をとき、もって往けば吝かなり」などと、
童僕の蒙昧さがあくまで啓蒙修正の対象とすべきものであることを強調し、そのためには刑罰すら厭わず、
手かせ足かせを解くような甘やかしもしてはならないとしている。一方で蒙卦・六五象伝には
「童蒙の吉なるは、順にしてもって巽なればなり」と、童蒙ゆえに従順で謙遜であることは吉であるともしている。
旅卦・六二象伝にも「童僕の貞を得たりとは、終にとがなきなり」などと、童僕故の貞節さを吉とする記述があり、
「蒙昧であるのは童僕の欠点だが、貞節であろうとすることは童僕の長所である」という、分別の行き届いた童僕解釈が
儒家では伝統的にわきまえられているために、勉学と忠孝を共に奨励することが矛盾を来たさずにも済んでいる。
ただ「子供のようになれ」では、上記のような童僕の長短理解に即した人間の矯正には寄与できない。
それどころか、貞節さは省いて蒙昧さばかりを助長させる結果にもなり兼ねず、
ちゃんと長所と短所を分別する場合とは逆に、より劣悪な結果すらをも招いてしまう。
「闕黨の童子、命を將う。或るひと之を問うて曰く、益者かと。
子曰く、吾れ其の位に居るを見る。其の先生と並び行くを見る。益者に非ざるなり、速やかに成らんと欲する者なりと」
「闕という村の少年が客の取次ぎをしていた。ある人がその姿を見て問うた。『あれは進歩を目指しているものでしょうか』
孔先生は答えた。『私はあれが大人同士の席で真ん中に座っているのを見ましたし、先生先輩と肩を並べて歩いているのも見ました。
着実な進歩を目指しているのではなく、ただ早く大人になりたいというだけの者です』(貞節ではないが蒙昧なままな童僕の一例)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・憲問第十四・四六より)
カルト信教とはいえ、聖書信仰も一種の文化ではある。一方で、儒学もまた一種の文化。
己の欲せざるところを人に施して憚らぬ犯罪推進文化と、己の欲せざるところを人に施さぬよう努める道徳堅持文化。
どちらか一方を立てる以上は、もう一方が決して立たなくなる相反性が両者の文化には備わっているため、
儒学を立てる以上は聖書信仰を貶めざるを得ないし、聖書信仰を立てる以上は儒学を貶めざるを得ない。
儒学に基づく封建統治の確立によって、江戸時代には禁教扱いとなったキリシタン。
江戸幕府の大政奉還と廃仏毀釈によって、禁教を解かれたキリスト教信仰。
歴史的にも、両者が決して相容れないことは証明されているし、儒学を専攻としている俺にできる仕事が
今の世にないことも、聖書信仰のまかり通っている世の中で儒学が仕事にもならない何よりの証拠になっている。
低劣だどうだという以前に、儒学の側の死活問題故にこそ、聖書信仰を廃絶せざるを得なくなっている。
「回や、其の心三月仁に違わず。其の餘りは則ち日月に至るのみ」
「(孔子の最高の弟子とされる)顔淵はもう三月ものあいだ仁から心を離さないでいる。
他のものなら一日か、せいぜい一月も離さないでいられるかどうかというところなのに。
(万人を利して我が利ともする仁も、庸徳として恒常的に嗜むことはなかなか難しい)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・雍也第六・七より)
己の欲せざるところを人に施して憚らぬ犯罪推進文化と、己の欲せざるところを人に施さぬよう努める道徳堅持文化。
どちらか一方を立てる以上は、もう一方が決して立たなくなる相反性が両者の文化には備わっているため、
儒学を立てる以上は聖書信仰を貶めざるを得ないし、聖書信仰を立てる以上は儒学を貶めざるを得ない。
儒学に基づく封建統治の確立によって、江戸時代には禁教扱いとなったキリシタン。
江戸幕府の大政奉還と廃仏毀釈によって、禁教を解かれたキリスト教信仰。
歴史的にも、両者が決して相容れないことは証明されているし、儒学を専攻としている俺にできる仕事が
今の世にないことも、聖書信仰のまかり通っている世の中で儒学が仕事にもならない何よりの証拠になっている。
低劣だどうだという以前に、儒学の側の死活問題故にこそ、聖書信仰を廃絶せざるを得なくなっている。
「回や、其の心三月仁に違わず。其の餘りは則ち日月に至るのみ」
「(孔子の最高の弟子とされる)顔淵はもう三月ものあいだ仁から心を離さないでいる。
他のものなら一日か、せいぜい一月も離さないでいられるかどうかというところなのに。
(万人を利して我が利ともする仁も、庸徳として恒常的に嗜むことはなかなか難しい)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・雍也第六・七より)
実際、今の世界がユダヤ=キリスト両聖書信仰に征服されているのは確かだ。
カルト信仰に基づく欺瞞に根ざしながらであるとはいえ、重権力犯罪によって法外な利権を左右する乱脈の
ペースが新旧約聖書信仰によってこそ握られ、ほとんどそれだけによって世界の存亡が左右されてもいる。
そこに権力道徳を貴ぶ儒家の影響力もなければ、仏教や道教や神道の影響力も皆無といってほどにない。
聖書信仰を傍観的にでも容認しないことには、俺のように仕事一つあり付けないザマにもなっている。
だからこそ、今の世の中は「ウ●コの塊」とでも言っていいほどに有害無益な代物と化している。
何をするよりも何もしないでいたほうが偉い、行動即犯罪の総員テロリスト社会と化していて、
これ以上下といえば、もはや全面核戦争による人類の滅亡ぐらいしかありえない。
そしてその、全面核戦争の危機をもたらしているのも、聖書信仰者である欧米人。
想定しうる限りで最悪の状態の世の中ばかりを全面征服している聖書信仰。
善良な世の中を占有している王君などが羨ましいことはあっても、最悪の乱世を支配している
邪神信仰などが羨ましいわけもなく、さっさとトイレに流されて堆肥にでもなれとしか思わない。
「惟れ受、心を悛むること有る罔く、乃ち夷居、上帝神祇に事えず、厥の先の宗廟を遺てて祀らず。
犧牲粢盛、凶盜に既く。乃ち曰う、吾れ民有るは命有ればなり、と。其の侮りを懲らす罔し」
「殷の紂王は未だ改悛の色を見せることもなく、平素から上帝神祇に仕えようともせず、
先祖代々の宋廟をも打ち棄てて祀ろうともせぬ。生贄の動物やお供えの穀物もごっそり盗人に掠め取られ、
それでもなお『俺が民を保有しているのは天命なのだ』などという。その侮りきった態度を懲らしめようとする者もいない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・泰誓上より)
カルト信仰に基づく欺瞞に根ざしながらであるとはいえ、重権力犯罪によって法外な利権を左右する乱脈の
ペースが新旧約聖書信仰によってこそ握られ、ほとんどそれだけによって世界の存亡が左右されてもいる。
そこに権力道徳を貴ぶ儒家の影響力もなければ、仏教や道教や神道の影響力も皆無といってほどにない。
聖書信仰を傍観的にでも容認しないことには、俺のように仕事一つあり付けないザマにもなっている。
だからこそ、今の世の中は「ウ●コの塊」とでも言っていいほどに有害無益な代物と化している。
何をするよりも何もしないでいたほうが偉い、行動即犯罪の総員テロリスト社会と化していて、
これ以上下といえば、もはや全面核戦争による人類の滅亡ぐらいしかありえない。
そしてその、全面核戦争の危機をもたらしているのも、聖書信仰者である欧米人。
想定しうる限りで最悪の状態の世の中ばかりを全面征服している聖書信仰。
善良な世の中を占有している王君などが羨ましいことはあっても、最悪の乱世を支配している
邪神信仰などが羨ましいわけもなく、さっさとトイレに流されて堆肥にでもなれとしか思わない。
「惟れ受、心を悛むること有る罔く、乃ち夷居、上帝神祇に事えず、厥の先の宗廟を遺てて祀らず。
犧牲粢盛、凶盜に既く。乃ち曰う、吾れ民有るは命有ればなり、と。其の侮りを懲らす罔し」
「殷の紂王は未だ改悛の色を見せることもなく、平素から上帝神祇に仕えようともせず、
先祖代々の宋廟をも打ち棄てて祀ろうともせぬ。生贄の動物やお供えの穀物もごっそり盗人に掠め取られ、
それでもなお『俺が民を保有しているのは天命なのだ』などという。その侮りきった態度を懲らしめようとする者もいない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・泰誓上より)
乱世の特徴として、朝廷や幕府、政府などの権力機構が小人に乗っ取られるというのがある(「易経」否卦参照)。
しかし、小人だからといって無力であるとは限らず、むしろ己れの卑小さを取り繕うための、
莫大な暴力や利権の溜め込みによってこそ権力に取り入る。君子が莫大な暴力利権と共にあることよりも、
小人が莫大な暴力利権と共にあることのほうが遥かに多く、君子が権力の座に就いた時には、
むしろ世の中総出を挙げての軍備解除や、贋金作りの厳禁などの金融制限策が執り行われる。
小人による私利私欲のむさぼりこそは、世の中全体を貧窮や戦乱に追いやる元凶ともなっているのだから、
実権が小人から君子に明け渡されたとしても、君子は小人の溜め込んだ莫大な暴力利権を私物化したりはせず、
無駄な利権の溜め込みも排して、世の中全体に富を分散させるように務める。
だからたとえば、今の権力者よりはまだ君子な部類に入る俺が、今の権力者に実権を明け渡されたとしても、
俺が第二第三の重権力犯罪者になるまいと務めた結果、今の権力者ほどにも際立った存在ではなくなるだろう。
一般庶民は王侯なんているともいないとも知れない、作為をできる限り排した無為自然の統治によって、
誰しもが権力による締め付けから解放される一方で、俺のことを殊更に意識するようなこともない。
意識しなければならないほどに俺自身は利権を溜め込まず、むしろ利権を分散させるための権力者にこそなるから、
見るからに「偉大なる世界の帝王」的なものが誕生することなどを期待すべきではない。絶対者の下に誰しもが
ひれ伏させられるような、カルト信仰に根ざした期待などは棄てて、恐れられつつも人々に親しまれる、
鬼平さん程度の堅実な壮士が生まれることを期待するぐらいでちょうど。殊更に絶対性を誰かばかりに
集約しようなどとはしない、多神教信仰程度の平穏さに基づいて、時代が進んでいくのがよりよい。
しかし、小人だからといって無力であるとは限らず、むしろ己れの卑小さを取り繕うための、
莫大な暴力や利権の溜め込みによってこそ権力に取り入る。君子が莫大な暴力利権と共にあることよりも、
小人が莫大な暴力利権と共にあることのほうが遥かに多く、君子が権力の座に就いた時には、
むしろ世の中総出を挙げての軍備解除や、贋金作りの厳禁などの金融制限策が執り行われる。
小人による私利私欲のむさぼりこそは、世の中全体を貧窮や戦乱に追いやる元凶ともなっているのだから、
実権が小人から君子に明け渡されたとしても、君子は小人の溜め込んだ莫大な暴力利権を私物化したりはせず、
無駄な利権の溜め込みも排して、世の中全体に富を分散させるように務める。
だからたとえば、今の権力者よりはまだ君子な部類に入る俺が、今の権力者に実権を明け渡されたとしても、
俺が第二第三の重権力犯罪者になるまいと務めた結果、今の権力者ほどにも際立った存在ではなくなるだろう。
一般庶民は王侯なんているともいないとも知れない、作為をできる限り排した無為自然の統治によって、
誰しもが権力による締め付けから解放される一方で、俺のことを殊更に意識するようなこともない。
意識しなければならないほどに俺自身は利権を溜め込まず、むしろ利権を分散させるための権力者にこそなるから、
見るからに「偉大なる世界の帝王」的なものが誕生することなどを期待すべきではない。絶対者の下に誰しもが
ひれ伏させられるような、カルト信仰に根ざした期待などは棄てて、恐れられつつも人々に親しまれる、
鬼平さん程度の堅実な壮士が生まれることを期待するぐらいでちょうど。殊更に絶対性を誰かばかりに
集約しようなどとはしない、多神教信仰程度の平穏さに基づいて、時代が進んでいくのがよりよい。
多神教的な調和性を重んずる以上は、どうしても廃絶しなければならないレベルの致命的なドグマがある。
神道は先祖供養の宗教。それぞれのご先祖様を敬うことから、多神教というものの形態が根本的に成り立っていて、
これは家の神以外を祭ることを「へつらいだ」とする儒学の教えにも即しているし、仏教でも在家信者に対して促すところ。
そして祖神信仰を完全否定するのがキリスト教。神の下では誰しもが平等だなどという美辞麗句の下に、親族兄弟での
殺し合いすら画策させる始末。祖神信仰こそは根本である神道などの多神教信仰とキリスト教が相容れることは決してない。
人はいつかは必ず老いて死に、二度と生き返ることがないというのが仏教の「四諦」などに基づく教え。
一方で、キリストは刑死して3日後に生き返ったとし、最後の審判では誰しもが生き返るというのがキリスト教教義。
仏教が四諦を「真理」としている一方で、キリスト教もまた自分たちの上記のような教義を真理の教えとしている。
真理が二つも三つも乱立し、互いに相反する真理を唱える宗教の並存が容認されていることが、宗教全般の信用性を
失わせる結果を招いており、揚げ足取りの汚濁こそを本領とするキリスト教などのほうが活性化している一方で、
「誹謗正法」を根本から厳禁している正統仏教のほうは衰退している。本池垂迹説などによって神格信仰に当てはめられる
こともあるものの、神や悪魔を超えたとする仏や菩薩の境地を貴ぶ仏教もまた、キリスト教と相容れることはない。
神道は先祖供養の宗教。それぞれのご先祖様を敬うことから、多神教というものの形態が根本的に成り立っていて、
これは家の神以外を祭ることを「へつらいだ」とする儒学の教えにも即しているし、仏教でも在家信者に対して促すところ。
そして祖神信仰を完全否定するのがキリスト教。神の下では誰しもが平等だなどという美辞麗句の下に、親族兄弟での
殺し合いすら画策させる始末。祖神信仰こそは根本である神道などの多神教信仰とキリスト教が相容れることは決してない。
人はいつかは必ず老いて死に、二度と生き返ることがないというのが仏教の「四諦」などに基づく教え。
一方で、キリストは刑死して3日後に生き返ったとし、最後の審判では誰しもが生き返るというのがキリスト教教義。
仏教が四諦を「真理」としている一方で、キリスト教もまた自分たちの上記のような教義を真理の教えとしている。
真理が二つも三つも乱立し、互いに相反する真理を唱える宗教の並存が容認されていることが、宗教全般の信用性を
失わせる結果を招いており、揚げ足取りの汚濁こそを本領とするキリスト教などのほうが活性化している一方で、
「誹謗正法」を根本から厳禁している正統仏教のほうは衰退している。本池垂迹説などによって神格信仰に当てはめられる
こともあるものの、神や悪魔を超えたとする仏や菩薩の境地を貴ぶ仏教もまた、キリスト教と相容れることはない。
互いに相容れない教義同士を並存させた挙句として、神道や仏教のような優良な宗教のほうがその価値を無効化され、
キリスト教やユダヤ教のような劣悪な邪教のほうばかりがその暴力を発揮している。みそくそはくそばかりに有利でみそ
ばかりに不利になる証拠が、今という時代における宗教全般の不遇であり、儒学を復興させる以上は聖書信仰を廃絶せざるを
得ないだけでなく、神道や仏教のような優良な宗教を復興させる上でも、聖書教のような劣悪な邪教の廃絶が必要となる。
どちらかを立てる以上はもう一方は決して立たぬ。みそくそに容認しまくってもくそばかりが立ってみそは立たない。
本気で宗教とか学問とかいったものを考えるのなら、みそくそ処理が通用しない相反性の実在を認めねばならない。
「君子の道は、費にして陰なり。夫婦の愚も以て与り知るべきも、その至れるに及んでは、聖人と雖も亦た能くせざる所あり」
「君子の道は分かりやすい所から分かりにくい所まで多々ある。分かりやすい表向きの所は、愚かな匹夫匹婦にすら
理解できるが、その深奥の分かりにくい所に及んでは、聖人といえども必ずしも理解しきれない所がある。
(愚者だからといってカルト信仰に走らずとも、分かる範囲での君子の道を歩むようにすればいい)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・一二より)
キリスト教やユダヤ教のような劣悪な邪教のほうばかりがその暴力を発揮している。みそくそはくそばかりに有利でみそ
ばかりに不利になる証拠が、今という時代における宗教全般の不遇であり、儒学を復興させる以上は聖書信仰を廃絶せざるを
得ないだけでなく、神道や仏教のような優良な宗教を復興させる上でも、聖書教のような劣悪な邪教の廃絶が必要となる。
どちらかを立てる以上はもう一方は決して立たぬ。みそくそに容認しまくってもくそばかりが立ってみそは立たない。
本気で宗教とか学問とかいったものを考えるのなら、みそくそ処理が通用しない相反性の実在を認めねばならない。
「君子の道は、費にして陰なり。夫婦の愚も以て与り知るべきも、その至れるに及んでは、聖人と雖も亦た能くせざる所あり」
「君子の道は分かりやすい所から分かりにくい所まで多々ある。分かりやすい表向きの所は、愚かな匹夫匹婦にすら
理解できるが、その深奥の分かりにくい所に及んでは、聖人といえども必ずしも理解しきれない所がある。
(愚者だからといってカルト信仰に走らずとも、分かる範囲での君子の道を歩むようにすればいい)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・一二より)
人知を超えた神秘性を宿した宗教もまた確かにある。
神道や仏教、道教やヒンズー教こそはそれにあたり、人間の常識を遥かに超えた神仏の世界が、
上記のような“正統宗教”においてこそ展開されている。
しかるに、ユダヤ=キリスト両聖書教はまったくその条件を満たさず、その教義の全てが
人知の範囲内で説明しきれ、しかも人道の最たるものである儒学などと比べて
さらなる人間の劣悪化を助長する“カルト宗教”でこそある。
・人間以上の品性>人間道徳>人間以下の品性
・正統宗教>純粋道徳学(儒学)>カルト宗教
人間以上の存在であるのが正統宗教であるのに対し、人間以下の存在であるのがカルト宗教。
信仰者を人知を超えた神仏の領域へといざなう能力を正統宗教は備えているが、
カルト宗教はかえって信仰者を禽獣同然の下劣な領域へと導く機能しか備えていない。
だから、正統宗教においては程度の低いうちにすら入れられる人間道徳の条件すらも
満たせておらず、道徳性に反する俗世での悪業、重犯罪や重権力犯罪へと信仰者を導いてしまう。
それほどにも劣悪な人間以下のカルト宗教と、人間以上でこそある正統宗教が
くそみそに扱われることで、本当に優良な正統宗教の価値までもが毀損されて、
宗教全般への不信のレッテルが貼られ、宗教嫌いのニヒリズムばかりが横行してしまっている。
ニヒリズムすら、本当は禅仏教などを通じて宗教的に包含しきれるものなのに、
宗教全般を否定しようとする盲目なニヒリズムが、カルト信仰への狂信が横行することと
共に助長されてしまっている。カルト信仰と反宗教主義がコインの裏表であり、
そのような人類劣悪化の元凶としかならないコインが根こそぎ破棄されて然るべきだ。
神道や仏教、道教やヒンズー教こそはそれにあたり、人間の常識を遥かに超えた神仏の世界が、
上記のような“正統宗教”においてこそ展開されている。
しかるに、ユダヤ=キリスト両聖書教はまったくその条件を満たさず、その教義の全てが
人知の範囲内で説明しきれ、しかも人道の最たるものである儒学などと比べて
さらなる人間の劣悪化を助長する“カルト宗教”でこそある。
・人間以上の品性>人間道徳>人間以下の品性
・正統宗教>純粋道徳学(儒学)>カルト宗教
人間以上の存在であるのが正統宗教であるのに対し、人間以下の存在であるのがカルト宗教。
信仰者を人知を超えた神仏の領域へといざなう能力を正統宗教は備えているが、
カルト宗教はかえって信仰者を禽獣同然の下劣な領域へと導く機能しか備えていない。
だから、正統宗教においては程度の低いうちにすら入れられる人間道徳の条件すらも
満たせておらず、道徳性に反する俗世での悪業、重犯罪や重権力犯罪へと信仰者を導いてしまう。
それほどにも劣悪な人間以下のカルト宗教と、人間以上でこそある正統宗教が
くそみそに扱われることで、本当に優良な正統宗教の価値までもが毀損されて、
宗教全般への不信のレッテルが貼られ、宗教嫌いのニヒリズムばかりが横行してしまっている。
ニヒリズムすら、本当は禅仏教などを通じて宗教的に包含しきれるものなのに、
宗教全般を否定しようとする盲目なニヒリズムが、カルト信仰への狂信が横行することと
共に助長されてしまっている。カルト信仰と反宗教主義がコインの裏表であり、
そのような人類劣悪化の元凶としかならないコインが根こそぎ破棄されて然るべきだ。
「真理は人を自由にする」というのも大間違いであり、真理把捉の総本山であるヒンズー教こそは
バラモンからクシャトリヤ、ヴァイシャからシュードラに至る、絶対差別のカースト制を擁してもいる。
中国版の真理把捉教学である道家においても「何もしないことこそは真理に合致する」とし、
「真理は人間の行動などとは関係ない」という、ヒンズー教の主流教義とも一致している。
真理が行動批判によって人々を不自由にするという実情があればこそ、真理と自由の高度な両立を
目論む仏教のような正統宗教までもが派生したのだから、「真理こそは人を自由にする」などという
180度転倒夢想のカルト教義が、共に認められる余地もなく、もしもそんなものが容認されるのなら、
本物の真理を捉えている正統宗教の一切がふいになり、なんらの価値も持たなくなる。
「貉稽曰く、稽大いに口に理あらず。孟子曰く、傷むことなかれ。士は茲の多口に憎まるる。
詩に憂心悄悄として群小に慍まるうと云えるは、孔子なり。肆に厥の慍みを殄たざるも、亦た厥の問を隕さずとは、文王なり」
「貉稽が孟子に問うた。『私は理に適わない悪口ばかりを言われています』 孟子は答えた。
『心配するには及びません。詩経に〔いつも多くの小人に怨まれてちっとも楽しくない(柏舟)〕とは孔子を言ったもの、
〔怨みを絶やすことはできなかったが、さりとて評判を落とすこともなかった〕とは文王を言ったものなのですから』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句下・一九)
バラモンからクシャトリヤ、ヴァイシャからシュードラに至る、絶対差別のカースト制を擁してもいる。
中国版の真理把捉教学である道家においても「何もしないことこそは真理に合致する」とし、
「真理は人間の行動などとは関係ない」という、ヒンズー教の主流教義とも一致している。
真理が行動批判によって人々を不自由にするという実情があればこそ、真理と自由の高度な両立を
目論む仏教のような正統宗教までもが派生したのだから、「真理こそは人を自由にする」などという
180度転倒夢想のカルト教義が、共に認められる余地もなく、もしもそんなものが容認されるのなら、
本物の真理を捉えている正統宗教の一切がふいになり、なんらの価値も持たなくなる。
「貉稽曰く、稽大いに口に理あらず。孟子曰く、傷むことなかれ。士は茲の多口に憎まるる。
詩に憂心悄悄として群小に慍まるうと云えるは、孔子なり。肆に厥の慍みを殄たざるも、亦た厥の問を隕さずとは、文王なり」
「貉稽が孟子に問うた。『私は理に適わない悪口ばかりを言われています』 孟子は答えた。
『心配するには及びません。詩経に〔いつも多くの小人に怨まれてちっとも楽しくない(柏舟)〕とは孔子を言ったもの、
〔怨みを絶やすことはできなかったが、さりとて評判を落とすこともなかった〕とは文王を言ったものなのですから』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句下・一九)
「おそれる(恐れる、畏れる)」ということは、人間にとっての健全な防御機能の一つであり、
痛覚によって身体損傷の危険を察知するように、おそれによって破滅などの危険も察知する。
無痛症の患者がいい気になって、屋根の上から飛び降りて大怪我を負ったりするように、
人としての健全なおそれを欠いたところで、人は致命的な破滅へとも知らずに突き進む。
だから周の成王も「畏れざれば畏れに入る(書経・周書・周官)」と言ったのであり、
おそれや痛みを無みする麻薬的な邪義に耽った借りは、後々になって全て返ってくる。
恐るべき悪に耽った以上は禍が免れない、それは道理にかなった法則である上に、
諸法因果の真理を提示する仏教教義にも即していること。四書五経一つにも及ばない
劣悪なカルト教義一つを通すために、あらゆる優等教学が無効化されるわけにもいかず、
実際、完全な無効化などはできない。優等教学の有効性を抑え付けつつ、カルト教義
ばかりをまかり通らせ続けたならば、当然のこととして人類全体が破滅に陥る。
そこに救いを見出そうなどとするほうが間違いであり、全く理に適っていない。
権力犯罪者が全員檻の中に入って、連中の鎮痛剤となってきたカルト教義が根絶
させられることの無謬さと比べて、誤謬の塊であり過ぎるが故に、痛すぎもする。
「賢者位に在り、能者職に在り、國家饟暇あり、是の時に及んで其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之れを畏れん」
「賢人が重要な地位に就き、有能者が相応の職に就いて、国家が平穏でゆとりのあるものとなる。
この時におよんで政治や裁判をも公明正大にすれば、大国であろうともこれを畏れぬことはない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・四より)
痛覚によって身体損傷の危険を察知するように、おそれによって破滅などの危険も察知する。
無痛症の患者がいい気になって、屋根の上から飛び降りて大怪我を負ったりするように、
人としての健全なおそれを欠いたところで、人は致命的な破滅へとも知らずに突き進む。
だから周の成王も「畏れざれば畏れに入る(書経・周書・周官)」と言ったのであり、
おそれや痛みを無みする麻薬的な邪義に耽った借りは、後々になって全て返ってくる。
恐るべき悪に耽った以上は禍が免れない、それは道理にかなった法則である上に、
諸法因果の真理を提示する仏教教義にも即していること。四書五経一つにも及ばない
劣悪なカルト教義一つを通すために、あらゆる優等教学が無効化されるわけにもいかず、
実際、完全な無効化などはできない。優等教学の有効性を抑え付けつつ、カルト教義
ばかりをまかり通らせ続けたならば、当然のこととして人類全体が破滅に陥る。
そこに救いを見出そうなどとするほうが間違いであり、全く理に適っていない。
権力犯罪者が全員檻の中に入って、連中の鎮痛剤となってきたカルト教義が根絶
させられることの無謬さと比べて、誤謬の塊であり過ぎるが故に、痛すぎもする。
「賢者位に在り、能者職に在り、國家饟暇あり、是の時に及んで其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之れを畏れん」
「賢人が重要な地位に就き、有能者が相応の職に就いて、国家が平穏でゆとりのあるものとなる。
この時におよんで政治や裁判をも公明正大にすれば、大国であろうともこれを畏れぬことはない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・四より)
怒りとか愛とかいった情念全般の諦観を促す仏教などと比べれば、儒学はずっと情的であり、
孔子も宰我のような不肖の弟子への怒りを隠さなかったし、逆に顔回のような優れた弟子への子愛をも隠さなかった。
しかし、その孔子が顔回を寵愛していたのは、「怒りを遷さず(怒りにかられて八つ当たりをしない。雍也第六・三)」
というような長所をも備えていたからであり、逆に怒りにかられて果断に振る舞い過ぎる
ような蛮勇を宿した、子路のような弟子をしょっちゅう非難してもいた。
孔子もまた、喜怒哀楽によどみのない人間臭さを備えてはいたものの、
喜怒哀楽が行き過ぎるようなことも「過ぎたるはなお及ばざるが如し」としていたのであり、
怒りや愛のような情念にかられて、善悪を見失うことの拙劣さなどへの警戒も欠かしていなかった。
仏教や道教ほどの達観もない、非宗教・無信仰の真人間教学においてですら、情念の放蕩を卑しむ
ぐらいの分別は備わっているというのに、どこぞやのカルト教学ときたら、その情念の放蕩によって
民を選り好む邪神などを祭り上げているのだから、まさに人間以下の卑小さであるといえる。
「仁人の弟に於けるや、怒りを蔵さず、怨みを宿めず、之を親愛するのみ。
之を親しみてはその貴からんことを欲し、之を愛してはその富まんことを欲す」
「仁者が弟などに対するときは、怒りを隠しもせず、さりとて怨みを留めようともせず、ただこれを親愛する。
親しみによってより貴い存在となってくれることを欲し、愛することによってより富裕になってくれることを欲する」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・万章章句上・三より)
孔子も宰我のような不肖の弟子への怒りを隠さなかったし、逆に顔回のような優れた弟子への子愛をも隠さなかった。
しかし、その孔子が顔回を寵愛していたのは、「怒りを遷さず(怒りにかられて八つ当たりをしない。雍也第六・三)」
というような長所をも備えていたからであり、逆に怒りにかられて果断に振る舞い過ぎる
ような蛮勇を宿した、子路のような弟子をしょっちゅう非難してもいた。
孔子もまた、喜怒哀楽によどみのない人間臭さを備えてはいたものの、
喜怒哀楽が行き過ぎるようなことも「過ぎたるはなお及ばざるが如し」としていたのであり、
怒りや愛のような情念にかられて、善悪を見失うことの拙劣さなどへの警戒も欠かしていなかった。
仏教や道教ほどの達観もない、非宗教・無信仰の真人間教学においてですら、情念の放蕩を卑しむ
ぐらいの分別は備わっているというのに、どこぞやのカルト教学ときたら、その情念の放蕩によって
民を選り好む邪神などを祭り上げているのだから、まさに人間以下の卑小さであるといえる。
「仁人の弟に於けるや、怒りを蔵さず、怨みを宿めず、之を親愛するのみ。
之を親しみてはその貴からんことを欲し、之を愛してはその富まんことを欲す」
「仁者が弟などに対するときは、怒りを隠しもせず、さりとて怨みを留めようともせず、ただこれを親愛する。
親しみによってより貴い存在となってくれることを欲し、愛することによってより富裕になってくれることを欲する」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・万章章句上・三より)
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