良い経済学者は良い物理学者になることができるが、良くない経済学者はせいぜい社会学者に
しかなれないだろう。ポール・クルーグマンの名言ですが、誤解をおそれずここに引用します。
科学とは実証主義、過去と現在が規定できれば未来は予測できる。
物理学も経済学もこの原則から一歩もはずれませんよ。それが科学というものでしょ。ところが、
ご用経済学者は、その命じられた政策の中のベストしかめざせません。政策自体が間違っていて
も否定はできないんです。そらそうですよね。て、いうか詭弁をろうして間違った政策を合理化
しようとすらします。さらに、タレント学者などはリスクを嫌って結果分析しかしません。
クルーグマンが「社会学」をもちだして、政策商人化した御用学者を批判したのは不本意でしたが、マスコミに巣くうタレント学者をみればむべなるかな。社会学が軽んじられがちなのは、その予測
性能があまりに悪いからです。これは愛する社会心理学も同じで、現代の都市社会とその環境下に
あらわれる人間心理が、霧の中のようにつかみ所がなく、経験的な判断ができないからです。
それでも、現実の社会は適当な機能を維持しなければ人間の住む場所ではなくなってしまいます。
社会学や社会心理学はそのためにこそ存在意義があるのに、未だ黎明期にあります。だからとんでもないいんちき学者もどきもはびこって、それで論点が分散するとぐだぐだになってしまうんですよ。
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