カトリック信徒の私から説明すると、旧約聖書ってのは、新約聖書(カトリック教徒が聖典としているもの)が、
いかに素晴らしく、旧約聖書で謎的な「ヨブ記」なんかもキリスト教的に勘考すればかなり霊験あらたかではないかと云う、
いわゆる反面教師的に使われるんだな。
カトリックのミサでは最初に旧約聖書の一節が朗読されるのだが、
その次に、私たちの主イエス・キリストがそのような旧習を改めたんだという朗読がなされる。
ホサンナの祈りなんかを合唱しながら、いかにイエス・キリストが旧約聖書時代の神様を凌いでいるかをほめたたえる。
(素人の皆様には矛盾だと思われるでしょうが、旧約の恐れる神が新約の慈悲深い神に変身するのがキリスト教、
そこには、三位一体、英語ではトリニティと言うのだが、ぶっちゃけ、情け深いイエスばかり表に出て来て、ヤハウエととりあえずキリスト教徒は
名付けている父なる神は軽視されていると言わざるを得ない)。
ちなみに、キリスト教は一神教なので、イエス・キリストと言う神、父なる神ヤハウエ、それに精霊という神様の連絡係が、実はひとつの神様の
別な局面を見ているんだ、ということにして千数百年前にコトを収めたんだが、それが三位一体の本来の意味。英語ではトリニティ。
でもここだけの話で内緒だけど、かなり無理があるよね。でもトリニティを信じる事がキリスト教徒の義務だと言われると、無下に反論は出来ません。
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