反面教師としてのみ、世界を救うキリスト


▼ページ最下部
001 2013/09/16(月) 08:19:18 ID:GBocE32mbw
世界に冠たる大権力道徳学の祖である、孔子や孟子や朱子を輩出した中国
といえども、桀紂や秦始皇の如き極悪非道の暴君すらをも共に生み出して来て
しまっている。そのせいで、万年戦乱状態のキリスト教圏ほどではないにしても、
コンスタントに帝国崩壊級の内戦をいくつも繰り返して来てしまってもいる。

それは、孔孟の学である儒学が、権力道徳の実現や堅持ばかりを専らな目的としていて、
それを損なうような権力犯罪の体系的な把握までは疎かにして来てしまっているからだ。

一方で、その権力犯罪の規範を見事なまでに体系化してくれているのが、旧約聖書の
著者である古代のユダヤ人や、それを元に究極邪義を編み出してくれたイエスである。

それはあくまで、権力犯罪の体系であるものだから、順当に準拠すべき模範などとして
利用すれば、最悪の結果ばかりを招いてしまうことになる。しかし、もしも新旧約の
イエスやその他ユダヤ人の教説を「反面教師」としての査察対象としたならば、ただ
専ら権力道徳の体系ばかりを提示している孔孟の学に準拠する並みかそれ以上にも、
権力犯罪による破滅を予防することにかけては、多大なる効力をも持ち得るのだ。

信仰の対象や、模範としての研究の対象ではなく、「あああってはならない」という
反面教師としてのキリストにこそ学ぶのであれば、それはそれで、中国史上に悪名高い
暴君のような権力犯罪者の妄動を根絶させるワクチンともなってくれるに違いないのだ。

返信する

002 2013/09/16(月) 12:19:51 ID:B13cQyx9X6:au
儒家が是とするような仁徳統治が行き届いた世の中、
たとえば周代初期や漢代や唐代における中国だとか、
平安時代や江戸時代の日本のような治世が実現されたならば、
そこではもう、儒学や仏教ばかりを専らな勉学や実践の対象としていればよい。

そうでない世の中、戦国時代の中国や日本や、今の世界みたいな
世相の乱れきった社会において、人々の過ちを駆逐して行く上での
ワクチン代わりに、反面教師扱いの新旧約聖書の教義こそがなり得るのだ。

理想を言えば、反面教師扱いとしての新旧約の利用すら必要がなくなる
ほどにも、世相の乱れが絶やされたままでいてくれたほうがいいわけで、
実際にそれもまた数百年単位の長期間にわたって実現して行けることが
東洋史上の徳治の成功などからも察せられるわけだけれども、それとて
恒久的な磐石さを帯びるものではないから、数百年以上、千年から数千年
以上の永きに渡る世界規模の治世の実現を企図して行く上では、反面教師
扱いの聖書教義を権力腐敗予防のためワクチンとしてストックしておく
ことにも、それなりの価値があり得るといえるわけである。

返信する

003 2013/09/16(月) 15:19:34 ID:B13cQyx9X6:au
桀紂や秦始皇といえども、カルト信仰によってまで権力犯罪を推進しようとしたのではない。
せいぜい権力の魔性や、酒や女に溺れて過ちを犯したというばかりのことなのだから、
その点でユダヤやキリストにおよぶことはない。

カルト信仰によってまで権力犯罪を深刻化させようとしたからこそ、
高度に体系化されたその教義が、権力犯罪予防のためのワクチンとして
有効に機能するということがあるわけだ。

返信する

004 2013/09/16(月) 17:45:17 ID:B13cQyx9X6:au
秦始皇の政治理念としての拠り所になったとされる韓非の法家思想なども、
あくまで政治思想の一つとして打ち出されたものに過ぎない。

仁義もへったくれもない乱世において、法制のみが絶対的な社会規範として有効となるから、
恒久的に社会を司る理念としても法治主義こそが相応しいといった主旨の韓非の主張が、
乱世での政治腐敗の嵩にかかっての放辟邪侈こそを追い求めて止まない秦始皇の琴線にも振れた。

限りない放辟邪侈を追い求め続ける自分たちにとっての、体のいい「女房役」として法家思想が
好まれたというだけのことで、放辟邪侈の追求そのものを正当化したり
美化したりする材料に法家思想がなったわけではない。

権力犯罪者の悪逆非道による放辟邪侈の積み重ねそのものに、
超越神からの信認を根拠としてまでの殿堂入りを施した教説ともなれば、
これは聖書教義こそが唯一無二の存在性を備えているわけで、故にこそ、
権力犯罪者の放辟邪侈を、根本的な精神性の部分から取り締まって
行くためのワクチン材料となるにも相応しいのだといえる。

返信する

005 2013/09/16(月) 18:26:56 ID:B13cQyx9X6:au
オウム真理教のカルト教義といえども、せいぜい教団によるテロ行為を
正当化する程度のものでしかなかった。

イスラム原理主義組織などの場合には、テロによって国権を簒奪する程もの
本格さを兼ね備えているが、国を乗っ取った所で軍事独裁の陰惨な様相を
呈したりすることが免れられない。

創価学会などの場合は、各種企業利権や出版利権、芸能利権などにまで深い根を張り、
挙げ句には公明党のような政党を編成して国政にまで乗り出すなど、相当に本格的な
所まで行っているが、それでも未だに一国を完全な支配下に置くまでの所には至っていない。

国丸ごと国教化によって征服下に置いてしまったり、各国の中央銀行を掌握することで
国際規模での支配網を広げたりと、国家規模やそれ以上での絶対的な権力を掌握するカルト。

それ程もの威勢と共に権力犯罪を進行させてしまえるものであればこそ、その教義が
反面教師として厳重に取り扱われるようになった場合の好影響もまた、計り知れないものがある。

返信する

006 2013/09/18(水) 16:05:06 ID:bM4iVFvCXY:au
キリストを、どのようにして反面教師とするか。

蘇秦や韓非のような、異端の邪説を論拠にした
妄動を企てて惨死に見舞われた者のように。

特に蘇秦は、戦国時代の頃からいち早く嘲笑の的となっていた。
当時まだ多くの儒者が民間レベルでの人々の教化にも努めていたものだから、
縦横家(悪徳外交家)としてのその所業の許しがたさが広く認知されて、
教育的な意味も込められた非難の対象とされていたわけだ。

聖書教義を反面教師のワクチンとして正しく利用するためにもまた、
儒学道徳などによって正しい倫理規範を身に付けておく必要がある。

返信する

007 2013/09/22(日) 00:33:32 ID:r5Ds2sm7pw:au
人生楽ありゃ苦もあるさ(水戸黄門)

禍福はあざなえる縄の如し(漢書)

罰という禍いを以て福と成す(史記)

害悪の元凶を反面教師とすることで、福利と成す。

返信する

008 2013/09/24(火) 15:06:04 ID:KLLXWOGAXQ:au
キリスト教徒も、不法を忌み嫌う程度の潔癖志向はあるものだから、
単なる悪党などと比べれば非難の矛先を向けられにくい。

しかし、現実に見合わない過剰な潔癖志向によって、
仕方ないこととしての悪逆非道を開き直るものだから、
非難の矛先をかわしつつの策動によって、単なる悪党以上にも
甚大な害悪をこの世にもたらすこととなる。

そういう手口による悪業の積み重ねというものが、東洋でもあまり
本格的な警戒の対象とはされて来なかった事情があるものだから、
まさにキリスト教こそは、その手の害為正法外道の典型として、
全世界規模での代表的な警戒対象とされて行くに相応しいものだと言える。

返信する

009 2013/10/10(木) 10:18:28 ID:9a4OLYaWyE:au
反面教師としてのキリスト教が、他力信仰としての浄土教の妥当性をも証明する。

「親鸞一人のための念仏なり」という、狭隘な信仰姿勢も、
他力本願の信仰である以上は妥当である。キリスト教徒のように、
自分たちの信仰対象である神が絶大な威力を発揮することで他者にまで
何らかの影響を及ぼすようなことを期待すれば、それが覇権主義となって
自他を破滅へと追いやることにすらなるわけだから、女々しい依存性と
依存対象への過度の期待などを両立させるべきではないことが分かる。

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:10 KB 有効レス数:9 削除レス数:0





思想・哲学掲示板に戻る 全部 次100 最新50

スレッドタイトル:反面教師としてのみ、世界を救うキリスト

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)