SARO&Desperado隔離スレ


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001 2013/07/04(木) 19:27:31 ID:ZNlLYIE0Jk
宗教談義はこちらでどうぞ

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002 2013/07/04(木) 19:35:28 ID:LMl0jjaWV6
自演や成りすましを毎日続けるのも、宗教的行為かもしれませんね

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003 2013/07/04(木) 19:48:27 ID:t2bbe5H01g
自分でスレたてて自分でコメントするなよw

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004 2013/07/06(土) 16:19:36 ID:m6jDFduMl2
せっかくスレ立てしてくれたので、徒然なるままに何か書きましょうかね。
写真の本は私が師と仰ぐアルフォンスデーケン神父の御本です。
師は元上智大学教授兼神父様で、現在は同大名誉教授兼神父様です。
私はカトリックの家庭に育だち、カトリックは何か禁欲的な厳しいものという
イメージを植え付けられていたのですが、デーケン先生と出会って信仰について
新たな視点を得られました。

デーケン先生には私たちの結婚式も挙げてもらったり、色々お世話になっています。
もう教授では無いのでデーケン先生と呼ぶのは相応しくないのですが、ついくせで
デーケン先生と言ってしまいます。デーケン神父様と呼ぶのが適切でしょう。

デーケン先生は上智大学を定年退職後、すぐに母国のドイツに帰ってしまわれました。
『ああ、もうお会い出来ないのか』と落胆したのですが、その後しばらくして日本に
戻ってきてくれ『日本に骨を埋める』と言っていらっしゃいます。
現在は毎週水曜日(13時からと18時からの2回)にイグナチオ教会のホールを借りて
信仰入門講座を開いています。入門講座といっても、かつての教え子(私みたいなの)
もたくさん来ていますし、もちろん先生の本に興味を持ったので、という新人さん
もたくさんいらっしゃいます。大盛況ですので興味がおありの方は一度どうぞ。

イグナチオ教会入口の右に売店があるのですが、そこのシスターに聞けば場所を
教えてもらえます。カトリックでは自主性を重んじるというか、信者でも他人に
無関心な人ばかりなので、プロテスタント教会みたいに、いきなり太ったおばさんに
『新しい兄弟ですか、オホホホ』とか、変な外人に『アナタハカミヲシンジマスカ』
とか言われないので心配しないで来てください。毎週のように新人の方が来ています。
残念ながら8月はデーケン先生はオーストリアで研究をなさるそう。9月も各地の
講演がおありとのこと。だから後期の入門講座は10月9日からになります。
講座は無料です。何も持ってこなくて構いません。教室(小学校の教室の半分くらいの
広さ)に入るとボランティアで受付をやっているおばさんがいるので、一言声をかけて
いただけたら、讃美歌の楽譜を渡してくれます。嫌だったら歌わなくて構いませんよ。

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005 2013/07/06(土) 16:23:40 ID:m6jDFduMl2
デーケン先生はたくさん本を書いてまして、アマゾン等で検索しても何冊もヒット
します。世界各国語に翻訳されていて、日本より米国やカナダでのほうが名声が高い
ようです。特に『よく生き よく笑い よき死と出会う』はベストセラーです。
デーケン先生はドイツ人なのですが、日本語で本を書いちゃうんですよ。

この本の題名を見てもお判りの通り、デーケン先生の学問は哲学で、専門は『死生学』
です。死ぬことを研究するんですよ。如何に死ぬかとか、死死死・・・おお嫌だ、
おお怖い、ナンマンダブ、ナンマンダブ。

でもちょっと待ってください。あなただけに内緒で教えますが、本当にここだけの
話ですが、日本人の死亡率は驚くことに100%にも達するんですよ。あなたが、この
スレのリンクをクリックしてここまで読み進めるのに何秒かかりましたか?
うん十秒ですか、そうですか。するとあなたの大事な余命は『うん十秒』縮まって
しまったんですよ。と書いてるそばから、もう数秒縮んでしまいました。
『ああ』と声に出して叫んでも1秒は縮まります。いくら急いで『あっ』と叫ぼうが
時間は止まってくれません。

これは濁流に流される葉っぱにしがみついた蟻に例えることが出来るでしょうか。
葉っぱはすぐに濁流に飲み込まれて蟻の運命もそこまで。運よく大海まで流れて
行っても、やがては海の藻屑と消えるでしょう。何か虚しいですねえ。

人間だったらどうでしょうか。濁流に流される木片にかじりついた人。この場合は、
『助けて〜』と叫び続ければ、誰かがロープを投げてくれたり、あるいは救助隊の
ヘリコプターが出動するかも知れません。人間には生き方を選択するある程度の
能力が与えられているのですね。

いきなり旧約聖書の話で恐縮ですが、神様は生物を色々お造りになったのですが、
人間だけはご自身に似せてお造りになったそうです。生物といったら色々ありますね。
イヌやネコのような動物、松や杉のような植物、ノミやダニ、あるいは大腸菌だって
ピロリ菌だって生物ですよね。でもその中で人間だけが偉いのです。人間だけが特別な
存在なのです。不遜ですね。偉そうですね。こんなに付け上がって良いのでしょうか。

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006 2013/07/06(土) 17:06:03 ID:hftOB6SK9M
実はですね。人間だけがある特殊な能力を神様から与えられているのです。それは
『私は何者か?』という問いが出来る能力。『私は何者か?』って問いは不思議だと
思いませんか。問いかけるのも私で、それに回答を出すのも私です。更に言うと、
『私は何者か?』と問うている私は何者か? と際限が無くなります。
 
イヌやネコだって色々考えていると思いますよ。『腹減った』とか『おしっこ行って
こよう』とか。でも『私は何者か?』と思い悩んでいるネコを見たことがありますか?
人間は昔から色々な問題について数学的に、とか科学的に解答を出して来ました。
例えば『1+1は?』と幼稚園児に聞いても『2』と答えますよね。いずれはあらゆる
病気、例えばガンを治す方法などの回答が出されるでしょう。このような答えが出せる
問いは『質問』と呼びます。当たり前ですね。しかし『私は何者か?』という問いは
『神秘』なのです。
 
『私は何者か?』という問いは多くの示唆を含んでいます。『なぜ生まれて来たのか』、
せっかく生まれて来たのに『なぜ死ぬのか』等々。なぜ生まれて来たのかというのも
哲学ですが、これはもう生まれてしまったのですから文句の言いようがありません。
そこで今生きている人間、すなわち全世界の全ての人類にとって、死という事象が恐怖
の対象となります。ある哲学者は死を恐れることを奴隷に例え、『死の奴隷になって
いる人は、既に死んでいるのと一緒だ』と述べています。では死の奴隷から解放される
にはどうしたら良いでしょう。これは昔から哲学の命題のひとつですね。
 
先の濁流に流される人を思い出してください。人は『助けて〜』と叫ぶことが出来ます。
『私は何者か?』という問いには『私は主のしもべです』と答えてはいかがでしょうか。
『いや、俺は無神論者だから』と言う人は、座禅でも組みながら座してただ死を待つの
ですか。それでは先の例の蟻と一緒です。ペシミスティック(悲観的)な考え方ですね。
人間だけに与えられた『私は何者か?』と問う能力を発揮したいと思いませんか?

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007 2013/07/06(土) 17:08:16 ID:hftOB6SK9M
実は救いのロープは常に私たちの目の前にぶら下がっているのですが、残念ながら
それに気づかない人が多いのです。欧米では70〜80%の人が何らかの信仰を持っている
と答えているのに、日本では残念ながら70〜80%の人が無神論者とのこと。なぜ日本人に
無神論者が多いのか。これはたぶん神様にご利益を期待するからでしょうか。例えば
『お金が儲かりますように』と祈りながら銭洗い弁天でお札を洗っても、いきなり
宝くじの一等が当たるなんてことはまず無いでしょうね。だから神社に詣でるのも
単なるイベントとか習慣とかになっているんじゃないでしょうか。
 
でもこう考えてはどうでしょう。お祈りをしてご利益があったら、これは神様の賜物、
ありがたや、ありがたや。もしご利益が無かったら、これは神様が私の信仰が厚いか
薄いか試されているのだ。更にお祈りを続ければいつか願いが叶うに違いない。
これはオプティミスティック(楽観的)な考え方です。悲観的な考え方をするのと
楽観的な考え方をするのとでは、どちらが楽ですか?
 
先の死の問題へと戻りますが、あらゆる哲学者がこの問題を研究しています。『命が
終わることを恐れるな、むしろ真に生き始めないことを恐れよ』とか、ゲーテは
『永遠に生き続けることを信じない者は、現在も生きていないのと一緒だ』と聖書を
信頼すべき旨を述べています。パスカルは『○○地域の気圧は××ヘクトパスカル』
と気圧の単位に使われるほど有名な物理学者で、神様などは無縁の人のようですが、
ある時、寝ている時、神の啓示を肌で感じたのです。有名なパスカルの回心として
今に残るメモは、神様と触れ合った喜びと驚きに満ち溢れた文章で『喜び喜び喜び』
と神への感謝を殴り書きした物で、パスカルはそのメモを肌着に縫い付け、生涯肌身
離さず持ち歩いたそうです。
 
デーケン先生によると、洗礼を受けに来る医者がとても多いそうです。最先端医療に
かかわる医者や、パスカルのような堅物そうな物理学者ほど、自然の摂理の不思議さ
美しさ、整然さに感動して、神の存在を肯定せざるを得なくなるらしいです。

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008 2013/07/06(土) 17:25:58 ID:m6jDFduMl2
またまた聖書の話で恐縮ですが、ヨハネによる福音書によるとイエス様は最後の晩餐の
時、『私はブドウの木。父(神様ですね)は農夫である。私の枝で実を結ばない物は
父(農夫)が剪定して切ってしまう。実を結ぶ枝は手入れしてもっときれいにしてくだ
さる』と述べたとあります(概略ですが)。これは二千年前も今も、古今東西にかか
わらず農業に携わる人には真理ですね。あなたもぶどうの実を目指しませんか?

またヨハネは、キリスト教的人生は旅人のようだと述べています。人は未来へ向かう
旅人であり、過去にとらわれることはない。人間は未来に向けて開かれた存在だから。
すなわち人生は神へと向かう旅であり、イエス・キリストは神へ向かう唯一の道だと。
松尾芭蕉の奥の細道の書き出し『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也』と
似ていると思いませんか?

ちょっと名前を忘れたんですがある哲学者は『来世が無いと証明できぬからには、来世が
あると信じざるを得ない』というようなことを言っています。ちょっと乱暴に聞こえます
が、これがオプティミスティックなキリスト教の本質を突いているんじゃないでしょうか。
一度デーケン先生の話を聞くと、理詰めで神の存在を説明してくれるので、精神的にも
とても癒されます。医者や科学者にファンが多いのも納得いきます。実は私も理工科系
なんですが、やはり神様の存在なしには『私は何者か?』という問いに答えられません。

今まで述べたように、私たちにはイエス・キリストという救いのロープ、と言いますか
神への道が示されたのですから、これに乗っかるというのも楽な生き方だと思いますよ。
今西暦2013年ですが、西暦はキリスト誕生以降をAD(紀元後)、誕生以前をBC(紀元前)
と言いますよね。もう二千年以上にわたって信じられ、かつ哲学や文学の議題になって
きた宗教なのですから、私たちもこれを学ぶことによって得られる物は多いはずです。
そういった意味では仏教でも神道でも良いんですが、残念ながら仏教は葬式専用みたいに
なってますし、神道は初詣や新車を買った時の気休めのお祓いなど、イベント専用みたい
になっています。なかなか哲学的命題に応えて貰えない所があるのが残念です。

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009 2013/07/06(土) 17:30:11 ID:hftOB6SK9M
キリスト教といっても堅苦しい物ではありません。私の口癖は聖書を引用して『天国に宝
を積む前に腹ごしらえ』ですが、決して聖書を冒とくしているわけではありません。
キリスト教はジョークを好みます。デーケン先生もよく冗談を言って人を笑わせます。
またパーティのような飲めや歌えやも大事にします。イエス様が最初に弟子に見せた奇跡
をご存知ですか? ある豪邸で結婚式の披露パーティが開かれ、イエス様や弟子たちも
呼ばれたのですが、皆が盛り上がってカメ一杯用意した葡萄酒が底をついてしまったのです。
召使の女性がイエス様に『あんたも先生だったらここで奇跡を見せて葡萄酒を出して』と
吹っかけたのです。イエス様は『まだ時は来ていない』と一旦は断るのですが、結局、
召使に押し切られ、カメ一杯の水を上等な葡萄酒に変えて見せました。追加された葡萄酒で
パーティもさぞかし盛り上がったでしょうね。
 
だから私は遠慮なくミシュラン三ツ星レストランで食事をしたり、ブランド日本酒を買い
漁ります。でも先の引用の『天国に宝を積む』ですが、これはイエス様の弟子になりたいと
いう金持ちの男に投げかけられた言葉で『あなたの財産を全て貧しい者に施しなさい。
そうすれば天の国に宝を積むことになる』ということなのです。するとやはり『贅沢は敵、
寄付をしろ』という事になりますね。聖書には色々な含蓄のある言葉が出て来ますが、
やはり最初は自分に都合のいい部分から共感して行けば良いのではないでしょうか・・・
と、ちょっと言い訳を。
 
デーケン先生なのですが2013年8月に81才になります。少年期は第二次大戦下で苦労された
ようですね。まず当時4才だった妹が病で亡くなります。彼女の最後の言葉が『天国でまた
会いましょう』だったとのこと。またデーケン先生の一家は敬虔なカトリック教徒で、父や
祖父は反ナチス運動の旗手だったとのこと。すなわち、当時のドイツのカトリック教徒は
反ナチだったのです。ここが国民一丸となって鬼畜米英に燃えた日本との違いですね。
そのため父や祖父も強制収容所で労働をさせられたりしたそうです。強制収容所というと
ポーランド人ばかり入れられていたように思いますが、相当数の神父やドイツ人カトリック
教徒も混じっていたのです。

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010 2013/07/06(土) 17:31:07 ID:m6jDFduMl2
デーケン少年はというと、小学校で優秀な成績だったのでナチスの幼年学校に推薦入学
されたのですが、父のカトリックの教えを守りナチス幼年学校を拒否。そのため迫害された
そうです。また一番の恐怖は連合国軍の戦闘機に機銃掃射で狙われたことだそうです。
何度も旋回しながら執拗に追ってくる敵戦闘機。パイロットの顔が見えたそうです。
しかしデーケン少年は父の教えに従って敵パイロットを許したとのこと。

それなのにまだデーケン少年を悲劇が襲います。ドイツ降伏のまさに当日、半ナチス運動
をしていた祖父が、あろうことか連合国軍に射殺されたのです。でもやはりアメリカ人を
許すのですね。このような不慮の死の連続がデーケン先生に『死生学』という学問を
選ばせたのでしょうか。そしてデーケン先生はアメリカで博士論文を著し、上智大学に
やって来て教授になったのです。そういった話を優しく語り掛けてくるデーケン先生には、
本当にとても癒されます。各界にファンが多いのもうなずけます。デーケン先生がお元気で
いらっしゃるうちに、一度お話を聞きに来ませんか。きっとあなたの人生に一筋の光明が
見えると思います。

先生の御本もこの講座で買うことが出来ます。その場合、消費税無しで買えるからお得
ですよ。おまけにデーケン先生のサインもいただけます。スレ写真がそのサインです。
デーケン先生は、サインの後に必ず写真のようなニコニコマークを書きます。共に喜びを
分かち合おうという先生のお気持ちの現れでしょうか。ロザリオなどカトリック用品を
買った場合も、デーケン先生に聖別してもらう方が霊験あらたかと言ったら、イグナチオ
教会の神父様に叱られますね。

主の平和がいつも明和の皆さんと共にありますように。

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011 2013/07/06(土) 17:58:17 ID:nKutrBm1Ak
自演をこんなに毎日繰り返してたら神様に怒られるかもw

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012 2013/07/07(日) 15:39:42 ID:ofkf1lvWZE
desperado乙
それだけ信心深いならもっと穏やかにSAROとやりあえるのに…

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013 2013/07/07(日) 16:40:04 ID:XokLeu87dc
このスレを覗いたあなたは幸いです。

この板の他スレでは、ちょっと取っつきにくい聖書の言葉を、ただ羅列したような物ばかり
目に付くようです。でもカトリックでは、もちろん基本は聖書にあるわけですけど、やはり
神の御子である主イエス・キリストの生き様を、ミサの聖書朗読を通じて味わうというのが
本質であるように思います。

聖書から断片的に抜き出したお言葉は、それ自体ではいったい何のことかわからない物も多く、
やはり福音書の全体を通してそれを味合わないと、一見矛盾したことのように見えたり
何か線香臭いお説教に聞こえたりすると思います。

キリスト者に与えられた義務のひとつは、福音(神様を信じる喜び・神の教え)を、まだ
神様の存在に気づいていない人に伝える、というものがあります。今日キリスト教がこの
ように一般化したのは、パウロという人がイスラエルからこの教えを欧州に伝えたという
ことが大きいのです。

パウロという人は元の名前をサウロといい、元々はキリスト者を迫害する側の人でした。
ある時サウロは、キリスト者を逮捕・処刑するためイスラエルにやってくるのですが、
神の啓示に目覚めてキリスト者に回心しました。

キリスト教の迫害者であるサウロに対してでも神様は愛の手を差し伸べてくれるのですから、
仏教徒のあなたが、今からキリスト教を勉強しても何ら不都合はありません。もちろん、あなたが
敬虔な仏教徒だとしても、カトリックの教えを聞くのは意義があるかも知れませんよ。

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014 2013/07/07(日) 16:43:41 ID:5IQ3vIKruI
幸いなことに7月は、あと10日と17日にデーケン先生の講座が開かれます。7月21日はデーケン
先生が、私たちのために特別ミサを立ててくれます。詳細は講座に来てくれればわかります。
ちょっとイグナチオ教会の一般向けミサと違うのですが、ミサという式典を経験できる良い
機会かも知れません。
 
これでキリスト者の義務の一つ、福音を述べ伝えるということを、私も果たせたような気が
します。カトリック信者は、前にも述べた通り、他人に無関心な人が多く、福音を述べ伝える
なんてことは誰もしません。これは○○学会とかエホバとかモルモン教を見習わなくては
ならないかも知れませんね。ただそうなるとカトリックもカルトと見られかねないし、こうやって
明和あたりでひっそりやる方が適当でしょうか・・・。

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015 2013/07/07(日) 21:17:35 ID:ZyCXpuPxbU
もっとひっそりやった方が・・・

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016 2013/07/08(月) 00:52:24 ID:eep8hvJbIw
以下飲食板より転載↓

まず、彼は教会にはクリスマスくらいにしか行かないとはっきり言っていた訳で、
その時点で軸がぶれすぎてる。
というか、彼はいつもこんな感じで、その場しのぎの嘘が多すぎる。
会計の話は何度も言ったけど、
会計は神父がやるものでなく、教会員がやるもので、
サレジオやイグナチオあたりの教会員が知らないなんてことは現実的にあり得ない。

共同訳聖書についてもまるで頓珍漢。ただしくは「新共同訳聖書」であり、
「共同訳聖書」はまた別の聖書。
そんなものつかってるプロテスタント教会は無い。単立教会は知らんけど。

なお、俺の友人は経理、ではなくて会計ね(笑)
適当なことばかり言ってるから、
こんな基本的な間違いを犯すんだよ。
経理を教会員がやるはずないじゃん。

改めて、隔離スレでやることを望みますが、
ここで反論されればやむを得ないので、
再反論せざるを得ません。

TBMの人はもしかすると真性なのかもしれないけど
流石に無駄レス過ぎるんで、
帰宅したら削除依頼出しときます。

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017 2013/07/08(月) 16:47:47 ID:fjlPCju2ng
会計は教会の事務員も一部携わるのですが、基本は教会単位で行います。
先にも申しました通り、教会の内部事情は基本的に非公開です。
ですからどの神父様が会計担当かは一般信徒には知る由もありません。
だってお金を勘定する神父様なんて、ちょっと想像するのも下衆な感じで嫌でしょう?
 
ただし、イグナチオ教会はイエズス会に属し、サレジオ会とは違うのかも知れません。
しかし一般信徒が会計をやるなんて、サレジオ会方式は信じられませんね。
個人情報がだだ漏れじゃないですか。
 
イグナチオでもボランティアグループがたくさんあります。
ホームレスにおにぎりを配ったり、教会の清掃をしたり、それこそ様々です。
しかし教会維持費を数えるボランティアなど聞いたことがありません。
 
あと蛇足ですが教会員という言い方は止めてください。

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018 2013/07/08(月) 17:10:29 ID:fjlPCju2ng
このスレで死というイメージを宗教としてのキリスト教的視点から述べましたが、
なにしろ理系の私、哲学に関しては全くド素人でお恥ずかしい限り。
ここはやはりサロ君のような神学専攻の者に私の誤りを正して欲しい所ですね。
 
次回は『生きる』とは何かをキリスト教的視点から語りましょうかね。

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019 2013/07/08(月) 17:44:41 ID:LaOJjIgHY6
『自演』や『成りすまし』とは何かもキリスト教的視点から語ってみてはどうでしょうかね。

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020 2013/07/08(月) 23:07:52 ID:fjlPCju2ng
質問に全然答えてないじゃん。
クリスマスにしか教会いかないといってた人が、
この段になって何故通いつめてるなどとキャラ転換してるの?

共同訳聖書についても、反論になってないし、
会計についても、サレジオは信徒総会で収支報告しないとでも?
サレジオにも勿論友人がいるけど。
教会員、と呼称することの教義的意味付けは?
すべてにおいて適当すぎることばかり。

生きるということ(笑)?
誰もそんな話はしていない。
天然なのか意図的にかは知らないけど、
すっとんきょうな話題を持ち出さないように。

あ、重箱だけど、俺は神学専攻
ではないぞ。宗教学。
院で社会学やら哲学もやってたけど。

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021 2013/07/09(火) 14:23:38 ID:AXFpJsn3aQ
何、頭から湯気出してるんですか?
 
共同訳聖書と行ったのは私のミスと認めてるじゃないですか。
 
キャラ転換が気に入らないのですか?
それは相済みませんね。何しろネット世界の仮想空間。
言った者勝ちという原則をひたすら守っているあなたに非難されるとは驚きです。
 
サレジオの会計についてはあなたの友人の『サレジオ会の会計』の人に聞いて
ください。イグナチオの会計については以下のリンクで調べられる電話番号に
かけてください。事務所に繋がります。
http://www.ignatius.gr.jp/annai/contact.htm...
 
生きるという事はあなたに言ってるのではありませんよ。
このスレで死という問題に私的考察をしたので、次回は生について考察すると
言ってるのです。この板の趣旨は『思想/哲学』ですよ。
私怨を持ち込まないように。
 
しかしあなたも変な所に粘着しますね。蛙然り、教会の金の流れ然り。
ずいぶんと卑俗な所ばかり粘着していて、性格に問題があるんじゃないですか?
 
宗教学が専門なんですね。ははあ、お見それいたしました。

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022 2013/07/09(火) 14:48:58 ID:AXFpJsn3aQ
>教会員、と呼称することの教義的意味付けは?
>すべてにおいて適当すぎることばかり。
 
教会員と呼称することの教義的意味付けは知りません。
それはプロテスタントのお友達に聞いてください。
カトリックではまず誰も教会員という用語は使いません。
信徒または信者、あるいはキリスト者と言う場合もあります。
 
教会員という響きにはプロテスタントの臭いがあります。
一部の(私を含む)カトリック信徒がプロテスタントを嫌うというのは
前述した通りです。これはカトリック教会がどう言おうが、嫌いなものは
嫌いなのですからどうしようもありません。
 
嫌う理由として追加すると『韓国統一教会もプロテスタントか』、
『プロテスタントの洗礼って風呂桶に突っ込むのか』、『結婚している
牧師に自分の罪を告白することができるか』、『だから告解の秘跡が無い
のか』、『モルモンもプロテスタントを自称しているが、酒もコーヒーも
禁止とはおかしいだろ、イエス様もワインを飲むことを勧めてるじゃないか』、
『プロテスタントは金の亡者、収入の1割を教会維持費に出せとは』等々。

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023 2013/07/09(火) 23:33:43 ID:AXFpJsn3aQ
これも質問に答えてないじゃん。

共同訳聖書については、単純な言い間違え、などという説明はなかったし、
その言い訳は、前スレでもなされてたけど、
日本語訳聖書のなりたちから全く筋違いのものだったし、
そもそも単純なミスで看過されるものじゃない。
教義の枝葉について語ってるときに、本質を言い間違えるかって話だ。

キャラ変更に意味があるかどうかはさておき、
そうではなく、事実として体験したこと、してることがコロコロと変わるのは
議論として駄目だろう。自分が適当だと公言してまわってるようなものだ。

いったもの勝ち?俺はそんなことを言った覚えはないし、
原則として事実に則って主張してるし、議論してる。
蛙の話も、化学調味料の話も、横浜中華街の質の話も、
テクニカルライターがライターではないことも、全部そう。

そもそも自分の主張に筋が通っているなら
キャラ変更、などという小手先の手段はとる必要はないし、
その時点でやはり論拠を失っているのだ。

生きるということに関して。
勘違いも甚だしい(笑)
このスレは食板で板違い、スレ違いになりそうな宗教論議を
適切な場所に移設するために第三者が建てたもので、
実存やら存在の神性を語る場ではない。
君が便乗して書き込んだスレがあるというだけの話で、
根本をとらえ損なっては困る。
どうしてもその話がしたいなら、
それこそ別スレを立てたまえよ。
そこでなら議論に応じることも吝かではない。

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024 2013/07/09(火) 23:40:42 ID:AXFpJsn3aQ
以上の理由で、生きる、などというテーマがスレ違いであることは説明したので、
これが私怨でもないことは重ねて説明するまでもない。

蛙に関しては、中華料理の要素の1つに過ぎない問題ではあるけど、
中華としては馴染み深い、不可欠な食材であるわけで、
少なくともその無知を正当化するような主張には批判せざるを得ないし、
その点でとるに足らない問題と片付けることはできない。
まあ、これについては食板の第三者にも伝わったことだろうと
ある程度納得しているから、
ことさらに掘り起こさなくともよいが。

君はどうも、筋ということに対する把握能力が低い。
人の性格を揶揄する前に、
自分の社会性を省みてはどうか。

教義に関しての反論は帰宅後に改めて。もしかすると明日以降になるかも。悪しからず。

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025 2013/07/10(水) 00:24:55 ID:wIhfiouTHY
自演を続ける人の社会性も省みてはどうでしょう

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026 2013/07/13(土) 11:22:23 ID:6fg6Op.L8w
何度も言うけど、自演などはしていないし、
その画像はむしろ、IDが被ると言うことの証拠だよね。

なんどそれが自演の証拠になるのかわからん。
あまり下らんことばかり言うようなら、
前に荒らしてた人のようにアク禁にしてもらいます。

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027 2013/07/13(土) 12:47:57 ID:PhSwnQgbAw
そして今日も同じIDと同じコテ名が…

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028 2013/07/14(日) 12:05:14 ID:jB./kHQHdk
『生きる』といったことを考えたいと思うのですが。あのネコは生きているとか、
このサボテンは生きているとか、乳酸菌を生きたまま腸へとか、
私たちは簡単に生きているという言葉を使います。でも人が生きているという場合、
それらとは違ったものであるというのはお判りですよね。
人は霊的に生きていると言えましょう。『私は何者か?』。

答1.『私は新陳代謝をしている有機物である』。
これは真に正しい科学的回答ですね。思えば人体は不思議です。意識せずとも
心臓が鼓動し、肺が酸素を取り入れ、腸が栄養を吸収します。考えるとなかなか
神秘的だと思いませんか?

私は2個の目を持っています。遠くの物も近くの物も見えます(コンタクトが
必要ですが)。色を認識できますし物の形もわかります。人の顔はもちろん
犬や猫の顔も識別できます。目に映った画像を選択して脳のアルバムにしまって
置くこともできます。こんな素晴らしい器官を人間は持っているわけですが
人間が地球上に登場して数十万年あるいは数百万年もたっているのに、まだ誰も
目を作った人はいません。

それにこの答えはあらゆる動植物にあてはまりますから、ちょっと人間を表現
するには物足りないですね。

目で思い出したのですが次のような回答をした人がいます。
答2.『われ思うゆえに我あり』。これはデカルトの言葉ですね。
ヤフー知恵袋に傑作な回答がありますので引用させていただきましょう。

>例えばあなたは今自分の部屋にいます。窓を開けてみてください。そこには
いつも見慣れた光景が広がっているはず、と思いますね。しかしその景色が絶対
にそこにあると証明できますか?できません。

例えば何か悪魔みたいなのがいて、あなたが窓を開けた瞬間にその景色を作って
るのかもしないという可能性を確実に否定することはできません。これは、
ジムキャリーの「トゥルーマン・ショー」という映画を観ると解りやすいかもしれません。

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029 2013/07/14(日) 12:08:46 ID:vYlzx4GFjM
さらに私があなたの部屋に行き、一緒に窓の外の景色を観たとして、全く同一の
ものを観ているということも証明できません。なぜなら例え色や形を言葉で説明して
も、その色や形の定義自体が同じであるということを証明することができないからです。
 
そう考えていくと、世の中にあるもので、絶対に存在を証明することのできるものは
一つもない、ということになります。あるように見えるけど、本当にあるのか?
ということです。
 
しかし、ここでデカルトは気づきます。そのように考えている思いがあることは確かだ、
と。ということは、そのことを考えている「自分」がいることも、間違いなく事実だ、
ということになります。つまり世の中で絶対に存在することがはっきりしているのは、
今このことを考えている、「自分自身」のみである、ということになります。
だから、「われ思う、故に我あり」なのです。
(引用ここまで)
 
デカルトにとっての『私は何者か?』とは、絶対的な自分自身を発見した所で止まって
しまいます。でもデカルトも生きたわけで、彼は『なぜ生きるのか?』に思い至らなかった
のでしょうか。
 
答3.『人間は考える葦である』。有名なパスカルの言葉ですね。パスカルは死を考える
上でも出て来た人ですが大変病弱で、若くして亡くなった物理学者です。そういったことを
知っていれば、これはなかなか示唆に富んだ言葉です。葦は風が吹いたらすぐに倒れて
しまうような弱い植物ですが、考える葦だったらどうでしょうか。倒れたら倒れたで
理由をあれこれ考えられますし、自分で立ち上がる工夫もできますよね。まさに『私は
何者か?』を考えるのに忘れてはならない言葉です。
 
もちろんこの言葉にはそれ以上の哲学的意味があるのですが、哲学者ならぬ理系人間の
悲しさで、なかなか彼の理論を共有することが叶いません。

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030 2013/07/14(日) 12:09:30 ID:jB./kHQHdk
答4.『私は一流大学を出たエリートサラリーマンだ』。
それはうらやましい。私はといえばダメダメリーマンです。その昔『スチャラカ社員』と
いう映画があったそうですが。その類です、我ながら・・・。

でもあなたはどうして一流大学を出られたのですか? 偶然ですか? 頭が良かったから
ですか? 猛勉強をしたからですか? ちょっと変な例えですが、精子は1度に最大4億から
5億も出るのですが、その99%が子宮頚部にたどり着く前に死んでしまうそうです。運よく
子宮にたどり着くのは数千から数十万、そしてその中のたった1個が卵子と受精してあなたが
生まれたのですね。そう考えると自分自身を偶然の産物と考えるには、あまりに神秘的な、
不思議な出来事のように思えませんか?

答5.『私はニートの自宅警備員だ』。
それはこまりましたね。時間という川はとても急流で、常に頑張って泳いでいないと
どんどん下流に押し流されて溺れてしまいますよ。溺れる者は藁をも掴むといいますが、
どんな藁にでもしがみつくという努力が大切なんだと思います。まずどうにか川の流れに
身を任せられられるという所に、自分を持って行くという努力が急務だと思います。

『なぜ生きるかがわかっていれば、大抵の苦難は我慢できるものだ』とはニーチェの言葉
ですが、『私は何者か?』という命題は私たち生きている人にとっては『なぜ生きるのか?』
という命題に言いかえることが出来ると思います。ニーチェの言葉はとてもオプティミス
ティックですね。

というのも次のようなことを言った日本人がいるからです。
『人生は重き荷を負うて遠き道を往くがごとし』。これは徳川家康の言葉ですが(後世の
創作臭いらしいですが)、なかなかペシミスティックですね。

どちらも真だと思うのですが、私はオプティミスティックですから『なぜ生きるのか?』と
考えたい所ですが、これがなかなか難しい。先にも申しました通り時間の流れは急流で、
いくら泳いでも対岸へたどり着くことができません。このまま死ぬまでわからないんじゃない
だろうかと思ったりもします。『なぜ生きるのか?』が分かった時から、私は『真に生き始め
る』んじゃないかと思います。そういった意味でニーチェは私を希望の光で照らしてくれたと
言えましょう。

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031 2013/07/14(日) 12:13:34 ID:vYlzx4GFjM
黒澤明監督の映画に『生きる』という傑作があるそうですが、私は世代が違うのか観たことが
ありません。しかし大体の荒筋は知っています。ある平凡な中年サラリーマンが、ある時
突然に、ガンで余命半年と宣告されるのです。その時彼は、自分の過ぎ越しかたを思って
愕然とするのですね。会社と家庭の間を惰性で条件反射のように行き来して、得た物は一体
なんだったのだろう。そして彼は自分の住んでいる地区に児童公園が無いことに気づきました。
そこで彼は自分に残された半年の命を児童公園の実現のために使おうと思い立つのです。
彼は自分の人生が半年と知った時点で初めて『真に生き始めた』んですね。そして公園が完成
した夜、彼は自分が奔走して実現したブランコに座りながら息を引き取るのです。
彼の死に顔に笑顔があったか、それともまだやり残した後悔の顔があったかはわかりません。
 
突然に私事で恐縮ですが、はっきり言って私も惰性で生きてしまっているようです。生きる
目的もまだ見えないし、『なぜ生きるのか?』などに答えるなんて畏れ多くて出来やしません。
これは私にとって神秘に属す命題です。まさに『言うは易く行うは難し』ですね。生きるという
ことはメソッド(方法)では無くプロシージャー(手続き・手順)だと理系の私はつくづく
思うのですが、そこから先が見えません。どのような手順を踏めば真に生きられるのでしょう。
神秘などというと宗教上の問題も絡んで来てしまうのですが、なにしろ生身の自分でさえこの
問いに上手く答えられないのですから、宗教を引き合いに出したら問題が更に哲学的な深みへと
はまって行きます。眩暈さえ感じざるを得ません。皆さんに自分の馬鹿さ加減を告白しましょう。

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032 2013/07/14(日) 12:14:43 ID:jB./kHQHdk
こういった宗教的問題は宗教学を専攻したと自称するサロ君が適任ですが、はっきり申し上げて
彼は馬鹿です。少なくとも馬鹿というカテゴリーに属す人です。少なくともと言わずとも、
とてもわかりやすい馬鹿です。その文章力の無さからも馬鹿さ加減が見て取れますし、
言っていることからも馬鹿さがわかります。彼の言い回しには、わざとそうしてるのか、または
全くの無知からか、他人を幻惑する曖昧さが含まれています。一見もっともらしい事を言って
いるように感じて、他人に嫌味ったらしさやウザったさを感じさせるのはそのためです。
馬鹿な彼は自分を高みに置くことで自分の馬鹿さを正当化したいのでしょう。それが言い方の
曖昧さに繋がるのではないでしょうか。だから馬鹿な彼に回答を期待するのは無理です。

馬鹿を表現する諺として『木を見て森を見ず』というものがありますが、この言葉ほど彼の
馬鹿さ加減を言い表す諺がありましょうか。まずあの蛙に長々と粘着する馬鹿さ加減はどうで
しょう。次に化調に粘着する馬鹿さぶり。私が共同訳聖書と言ったことについての粘着ぶりは、
馬鹿と突き放すに足る馬鹿さぶりと思わずにはいられません。横浜中華街への批判はどうですか。
彼には他者の価値観が理解できないようですね。自分の価値観が絶対だと信じるのは最大の
馬鹿者ですね。こんな些末な事象を『とるに足らない問題と片付けることはできない』と更な
る粘着を宣言する馬鹿です。真にとるに足らない問題では無いですか・・・少なくとも中学生
以上の頭脳であれば自身の不明を恥じるのでは? まあ馬鹿な彼には何も期待はしますまい。
あげくは教会の金の流れにグダグダと文句を垂れるという馬鹿のオマケが・・・馬鹿ですねえ。

私の書いた漢文の意味も分からぬ馬鹿ですし、皮肉も通じない馬鹿です。学が無いとかたずける
には、あまりに馬鹿な馬鹿さっぷり。ついに『院』を出たなどと馬鹿なことを言い出します。
院とは何でしょう。キ○○イ病院でしょうか。少年院とか山寺の奥ノ院かも知れません。

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033 2013/07/14(日) 12:16:16 ID:vYlzx4GFjM
そして宗教学者のくせに教会で結婚式を挙げるという馬鹿さを露呈しました。愚挙ですね。
確かに神は一方的かつ無条件に我々人類を愛されると新約聖書に書いてありますが、
馬鹿な彼はそれに甘えたんでしょうか。私たちは誰でも労働すれば対価を要求します。
ただ働きほど嫌なものは無いでしょう。いやボランティアや募金があるとお思いでしょうが、
これにしたって無意識に対価を要求しています。世間体とか、募金することによって自分を
高みに持って行こうとする下心。普段のやましい行動を正当化するための偽善。
 
つまり無意識に対価を要求していることを新約聖書は教えています。
それなのに結婚式は教会で挙げて後は知らんぷりという馬鹿さ。
ああ、いくらか牧師に払ったんですか。それで事足れりとは、あまりに神を冒涜する馬鹿者と
断定せざるを得ません。彼は私のことを俗物呼ばわりする馬鹿ですが、いったいどちらが
俗物でしょうか。こんな矛盾にも気づかない馬鹿に俗物と言われるのも、全くもって総毛立つ
思いがします。
 
彼が私を俗物呼ばわりするのは『負け惜しみ』『負け犬の遠吠え』『持たざる者の妬み・嫉み・
僻み』といった言葉で簡単に片づけられる類のもので、私にとっては痛くも痒くも無いのですが、
彼は馬鹿ですから、私にダメージを与えていると思っているんでしょうね。哀れな馬鹿です。
 
私が日本酒の写真をアップする時も、事前に彼の答えが想像できてしまいます。そして案の定、
判で押したような馬鹿な答えをしてしまうという、真にわかりやすい馬鹿です。これを科学的に
は『反射』と言いますね。私たちは熱いやかんに触れた時、思わず指を引っ込めます。
これが反射です。脳が『指を引っ込めろ』と指示を出すのを待っていたらダメージが大きくなり
ますから、無意識で体が反応する仕組みがあるんですね。
下等な動物ほど脳が小さいわけで反射で行動する度合いが高いわけですが、高等教育を受けた
はずの彼が、常に同じような反射行動をとるとは興味深いです。哲学的な馬鹿と言えるでしょう。

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034 2013/07/14(日) 12:17:21 ID:jB./kHQHdk
もう一度申し上げますが、宗教学者であるはずの彼が、何も知らぬ存ぜぬという体で教会で
結婚式ごっこをするとは、渋谷辺りを闊歩している馬鹿ップルと、何ら変わらぬ馬鹿でしょうね。
いや真に全くもって馬鹿であると言わざるを得ません。彼の馬鹿さには感動すら覚えます。

思うに彼が宗教学を学んだという大学が馬鹿しか入らないような馬鹿大学だったのでしょう。
宗教学と聞くとぱっと○洋大学が思い浮かんだのですが、まあ頭の良い大学とは言えませんね。
世間的には馬鹿な大学でしょう。それも宗教学ですよ馬鹿。おまけに院なんですよ馬鹿馬鹿。
最近流行のお馬鹿タレントも裸足で逃げ出す馬鹿さではないでしょうか。

その馬鹿な彼が今日も自分の馬鹿なコテハンを晒して馬鹿なことを書き込むとは。
馬鹿には恥という概念が無いんでしょうか。我が家の猫の方が、馬鹿な彼より余程真っ当な
生き方をしていると思いますよ。

馬鹿は死ななきゃ治らないといいますが、馬鹿な彼は何度死んだら治るでしょう。
無知は悪い事とは思いませんが、馬鹿なくせに無理矢理背伸びしている彼は、
真に哀れむべき馬鹿と言って過言ではない馬鹿なんだと思います。
とても高学歴者とは思えない馬鹿さぶりです。

いったい馬鹿と何度書いたのか自分でもわからない程です。あまりに馬鹿馬鹿しいので、
もう馬鹿と言うのは止めたいのです。
馬鹿に対して馬鹿というほど無意味で馬鹿な事もまず無いでしょうね。

カトリックのミサで次のようなお祈りをミサの最初に唱えます。
『全能の神と兄弟の皆さんに告白します。私は思い、言葉、行い、怠りによって度々罪を犯しま
した。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟の皆さん。罪深い私のために神に祈って
ください』。こんだけ散々『馬鹿馬鹿』と言っても、私には全然罪を犯したという意識が無い
ことも告白しておきましょう。彼は自分が馬鹿という自覚も無いのですから、ある意味動物では
ないわけで、でありますからいくら馬鹿馬鹿と言っても問題ないのは道理だと思いませんか?

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035 2013/07/14(日) 12:35:57 ID:mvQqvYGo8k
毎日複数IDを使って、自演や成りすましを続けるのも道理?

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036 2013/07/14(日) 20:36:18 ID:jB./kHQHdk
宗教学者のくせに教会で結婚式を挙げるという馬鹿さを露呈したと私が言ったことについて
誤解があるといけないので補足すると、主キリスト・イエズスは、全能の神である父の愛は
全ての人々にあると言われましたが、この全ての人々というのは、主なる神を信仰した人だけ
しか指さない可能性が高いのです。いや、きっぱり言いますが、主の愛は洗礼の秘跡を授かった
者にしか及びません。

主イエズスはきっぱりと弟子たちに『異邦人の所に行ってはいけない』と述べています
(ちなみに人を馬鹿と言ってはいけないとも述べていますが)。誰だってただ働きは嫌という
のは、そういう意味です。で無ければ、教会で洗礼を受けて、毎月教会維持費をきちんと
収めている私たち信徒が浮かばれません。当然の理でしょう?

また、主イエズスを信じない人たちに呪いの言葉も述べています。宗教学専攻のサロ君が
それを知ってか知らずか、教会での結婚を金で買うという愚挙に出たのは、真に軽率だった
でしょう。

お金目当てで異教徒のサロ夫妻に結婚の秘跡を授けたインチキ教会の牧師も、聖書によれば
呪われる存在です(プロテでは秘跡と言わないようですが)。牧師にしたって聖書を読解
しているはずですから、聖書の教えに素直に従えば、サロ君の結婚ごっこに単に付き合った
だけで本気では無かったと言うでしょうし、聖書に従うならサロ夫妻を呪ったはずです。

およそ世界中の宗教で呪いの概念の無い宗教があるでしょうか。例えば日本の神道だって
根本は怨霊信仰にあると井沢元彦氏も述べています。鎮守様という字面を見たって怨霊を
鎮める物だということが理解できるでしょう。

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037 2013/07/14(日) 20:37:49 ID:vYlzx4GFjM
削除(by投稿者)

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038 2013/07/14(日) 22:07:14 ID:jB./kHQHdk
削除(by投稿者)

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039 2013/07/14(日) 23:36:09 ID:vYlzx4GFjM
すなわちサロ君はキリスト教から呪われた存在であると言えます。私も主の教えに従って
サロ君を呪います。これはバチカンの公式見解ではありませんが、カトリックの信徒なら
誰しも口にせずとも、そう思っているはずです。2chのカトリックスレを見てもよく分かる
はずです。最後に聖書から私の好きな呪いの言葉を贈りましょう。
 
『カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府(よみ)にまで
落とされるのだ。』『はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムとゴモラの地の
方が軽い罰で済む。』

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040 2013/07/15(月) 01:16:17 ID:FO8tUv5Smg
ではこちらも最後に、抽出したデータから毎日連投を続ける同一ID/コテのリストを贈りましょう。

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041 2013/07/15(月) 17:13:31 ID:8jGtbHiYVo
しばらくぶりに見てみれば、
ろくに反論もせずに、スレに関係ない話題ばかりじゃないか(笑)
こういう態度が逃げであり、
社会性の欠如だと言ってるんだよ。

君がこのスレで出きることは、
敬虔なカソリックでありながら、クリスマスにしか教会いかない等といっていたのが、
翻って毎週通ってるなどとする、その適当な態度と嘘の釈明、
基本的な知識もないことの弁明だけだよ。

それ以外をしたいなら別スレで。
隔離スレとは言えど、スレ違いなんて基本的なマナー違反をやってるようじゃ、
いうことなすこと空々しすぎる。

共通して批判できることもある。
大学で宗教学を専攻していたと聞いて、宗教学者だと解釈する読解力の欠如。
デカルトの唯識論が神の存在証明に既決していることを知りもしない浅薄な知識。

君はそのあたりが、カエルでも酒でも全部共通しているんだよ。だから批判しているんだ。

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042 2013/07/16(火) 12:37:38 ID:zirqsPPaZY
はいはい、俗物の痩せ我慢、空威張り。
盗用大学でどんな宗教学を学んだの?
トコロテン卒業でつか?
かえる学でつか?
屁理屈ばかりじゃなく、まともな事を言おうな。
呪われなさい。
呪われなさい。

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043 2013/07/16(火) 13:43:06 ID:cmPSXzUtf.
まともな事はこういうこと?

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044 2013/07/16(火) 15:24:53 ID:zirqsPPaZY
毎度毎度お決まりの文句『ろくに反論もせず』って何でしょうね。
反論したつもりなんですけどね。まあ大人げない議論はスルーしたかもですが(笑)。
 
『カソリック』という言い方も気に入らないですね。カトリックとはギリシア語のカトリケー
(普遍的)に由来する言葉なので『カトリック』が正しいのです。宗教学者の彼がそれを知らない
ってのも意外ですね。おっと、サロ君は宗教学を学んだのに宗教学者では無いと言ってますね。
私は工学部を出たから大手を振ってエンジニアと自称してますけど、彼には何か複雑な事情がある
らしいですね、何しろ盗用大学ですもんね(笑)。
 
なんかデカルトの件でお怒りのようですが、本当はサロ君に教えて欲しい所ですけど、彼は馬鹿だ
から無理でしょう。私が代わってデカルトについて考察しますか。デカルトの根本は形而上学です。
いきなり形而上学といっても難しいので、簡単に解釈しましょう。
 
まず美という概念のみに絞ります。形而上学的美とは中世の思想家トマスなんとか(笑)という人
によると『1.充足性あるいは完全性。不完全な物はまさに不完全という真実ゆえに醜い。2.適切な
均衡あるいは調和。3.鮮やかさあるいは明るさ。輝かしい色をした物を美しいと呼ぶのはこのため』
と述べています。すなわち形而上学的に美を愛でるとは、知的に分析して定量的に美を理解する
態度です。デカルトはこのような理詰めな方法で神の存在へと迫ろうとしました。

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045 2013/07/16(火) 15:30:25 ID:zirqsPPaZY
しかしこれは欧州的な思考法です。私たち日本人が美という場合、美しい、神々しい、きれい、
しぶい、いきだ、雅だ、はんなり・・・それこそ様々な言い方があります。これは知的に分析して
定量化できませんね。これは審美学的な美と呼びます。審美学的美とは理詰めで考えるのではなく
人間の感性に訴える物を素直に見つめようという態度です。
 
ちょっと誤解があるといけないので蛇足ですが『形而上学』の反対が『審美学』ではありません。
 
神という存在を理解しようとする時、デカルトのような態度ももちろん必要ですが、形而上学的な
態度では無く審美学的な態度で理解するのが適切なのだと思います。カトリックでは神は最も完全
で、かつ最も美しいものとします。
 
人間は不完全な者ですから、それぞれの器量(受容力)によって神の美を受け入れます。いかに
すばらしいといわれる美でも、この世では有限ですから、神の無限の美の一部を反映したものに
しかすぎません。すなわち素晴らしいダビンチやミケランジェロの作品でさえも、神の無限の美の
一部分を捉えた物にすぎないのです。しかし、だからといって、それらの作品が駄作であると言う
のではありません。私たちにはそれらの作品を通して神の無限の美を眺望できる能力が授けられて
います。
 
つまり形而上学的に神を理解する必要はありません。それは『あるもの』として人間の理解を超越
して存在するものという態度で接するのが望ましいでしょう。
ちょっとデカルトから脱線してしまいましたが、門外漢の私よりサロ君が易しく答えてくれるでしょう。

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046 2013/07/16(火) 23:18:38 ID:zGTnUAd6XU
具体的な反論がないとは、
最初クリスマスにしか教会行かないと言っていた人が、
なぜ急に毎週通ってるなどと言を翻したのかということ。

その他のことも全部同じ。
共同訳聖書についても、ミスだミスだと繰り返すだけで、
どういう意図で用いたのか一切説明はないし、
教会籍の存在すら否定してたことも、
全部反論がなされてない。

中国でメジャーな食材であると認めたカエルについて、
学者でもない限り知らなくていい、などと述べたことや、
横浜の中華街の中でも、いきつけの店だけは腐ってないといいながら
その店が悪いと知りつつも科学調味料を使っていることなどは
いつまでたっても有効な反論はないよね。
いつも同じ。

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047 2013/07/16(火) 23:28:58 ID:9tQw7ORnyA
改めて言うけど、うが学部卒業してたら「学者」だなんて、非常識にもほどがある。
だいたい君は「工学部卒だからエンジニア」と対比させてるが、
それをいうなら「工学者」でないと対比にならんでしょうが(笑)
宗教学者ってのは、一般に研究職などで大学に籍を置く
教授や准教授クラスを言うんだよ。
俺は修士だけど、後期課程出てないし、
とても学者とは言えないな。
こんなことも知らず、よく人の学を問えたものだ。

宗教学の代表格が東洋大学(笑)?
そりゃ仏教学かなんかと区別がついてないだけだろう。
君は宗教学と宗教社会学と、神学と仏教学の区別がつくようになってから
言葉を発するべきだね。まるで理解してないじゃん。
宗教学の本場は東大や京大で、フレイザー研究なら京大が強い。

デカルト以降の話はまるで「よくわかる哲学入門」のようで、
突っ込みどころは多々あるけれど、
スレ違いなのは再三述べたので詳細は省く。
ただ、先に指摘した、デカルトと神の存在証明について、
まったく触れていないのは、議論ができませんと言ってるも同然だ。

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048 2013/07/17(水) 19:20:54 ID:V70KLu2sFk
>>4
私もカトリックですけど、賛美歌じゃなくて聖歌ですよ。^^

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049 2013/07/18(木) 21:47:11 ID:lxqaIqY7.s
滑稽なスレ

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050 2013/07/25(木) 05:30:36 ID:.WpvYiEW0.
なんて本書いたんでしょうねw

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051 2013/07/27(土) 17:03:14 ID:TAsRySziXk
せっかくなのでブログ代わりに何か書きます。

アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます。
あなたは女の内で祝福されご胎内のおん子イエスも祝福されています。
神の母、聖マリア、私たち罪びとのために今も死を迎える時もお祈りください。
アーメン。

私はこの祈りがとても好きです。主の祈りよりもこちらの方が回数的に多いかも。
それは、この祈りが直接に神に対するものでは無く、聖母マリアに取り次ぎをしてもらうという
形式だからでしょう。昔からこの祈りは多くの芸術家にインスピレーションを与えて来たもの
らしく、バッハなどは(他にもいるでしょうが)これに曲を付けてますよね。ご存知でしょう?
『アヴェ・マリア バッハ』でユーチューブを検索すれば分かりますよ。私はこの曲も大好きです。

なぜ聖母マリアに取り次ぎを願うかというと、私の場合、父なる神がちょっと怖いからです。

神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手を通してお捧げするいけにえを
お受けください。

とミサの間で唱える時、私は祭壇の上に屠られたばかりの血だらけの牡牛が見えるようで、眩暈がする
ような陶酔を覚えます。神は牡牛のいけにえが好きです(食べる松坂牛は牝牛ですが)。時には
息子を屠って差し出せという要求もします。これはちょっとヘタ打ったらマズいなと思い、後ろめたい
私は聖母マリアに祈ってしまいます。

でもキリスト教徒は旧約聖書の古い律法から自由になったのですから、まあ父なる神にお仕置きを受ける
ことも、無いかもですけどね(苦笑)。

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052 2013/07/27(土) 18:09:32 ID:TAsRySziXk
旧約聖書といえば、キリスト教はもちろん、ユダヤ教やイスラム教も聖典としています。多少の違い
はあるようですが。彼らにしてみれば、これが正しい聖書で、旧約とは何事かとか言う所でしょう。
だから三者とも聖地がエルサレムで国際紛争の種になったりしますね。

よくキリスト教は自由だと言いますが、この自由というのは狭義の解釈では旧約の律法から自由に
なったということでしょう。旧約聖書の律法は、たびたび椿事を引き起こします。

先日エルサレムに行った人に聞いた話ですが、ユダヤ教では主日(私たちは日曜日です)が土曜日
なんですが、この日は一切仕事をしてはいけないんです。何が仕事で何が仕事で無いか決まっていて、
例えばエレベーターのボタンを押すのは仕事だから禁止なのです。土曜日になると高層ビルのエレ
ベーターは各階停車の自動運転となり、人々はやって来たエレベーターに乗る。もちろん閉ボタン
など押せませんから、各階毎に停車するエレベーターにじっと我慢して目的階までやっと到着すると。

イスラム教でも椿事が起きます。強姦されたノルウエー人女性が警察に訴え出たら逆に逮捕され
有罪判決が出たとか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130722-00000068-reut-in...

これなんか外人だからニュースになったのであって、現地人の間だったら強姦のやり得ってこと?

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053 2013/07/27(土) 18:29:25 ID:BsJpk2T.Xw
今週の教会は聖イグナチオの取り次ぎを願う週間でした。7月31日がロヨラの聖イグナチオ記念日です。
イグナチオ・デ・ロヨラという人は、日本にも布教にやってきたフランシスコ・ザビエルらと共に、
パリのモンマルトルの丘でイエズス会を結成した人です。よく我々はザビエル禿などと言いますが、
あれは剥げているのでは無く剃っているのです。当時の聖職者の髪型ですね。悪口懺悔(苦笑)。
 
イエズス会というと、司馬遼太郎の小説などを読むと、戦国末期に長崎に不法に土地を取得して、日本を
植民地化しようという魂胆があったとか。実際イエズス会は織田信長ら有力大名に火薬を提供したり
キナ臭い部分もあったようです。当時の日本は鉄砲の国産化にはいち早く成功したけど、火薬はなかなか
国産化が進まなかったのですね。まあ現代の我々が四百年前のイエズス会の行いに白黒つけるというのも
無理なことですが。それにイエズス会はバチカンから一時潰されたりしたんですね。その顛末はウィキに
詳しいです。
 
聖イグナチオ教会という名前は、もちろん聖イグナチオ・デ・ロヨラからとったものです。これは言わずもがな
ですね。現在イエズス会はカトリックの中では最も教徒数が多いのだそうです。それに教育に熱心というのも
結成以来の方針ですね。織田信長の頃には日本にイエズス会の神学校が安土と有馬の二か所にあったん
ですよ。その他にもこれに準じた学校がいくつもあったんです。
 
この学校ではラテン語や西洋音楽はもちろんのこと、日本文学も教えていたんです。当時としては、最先端
というか良心的というか、現地の文化を尊重するイエズス会も、なかなかどうして立派な物じゃないですか。
当時の日本人学生たちは幼い者は十歳くらいで、皆お坊さんのように剃髪して青い羽織袴の制服を着て
主日の休みには、例えば有馬の神学校の生徒は、行列して海辺の別荘まで遊びに出かけたとか。
そんな四百年前の彼らが何ともけなげで、タイムマシンでもあれば行って励ましてあげたいです。
いやとりとめも無いことをグダグダと申し訳けありません。

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054 2013/07/27(土) 20:00:40 ID:TAsRySziXk
>>48
そうそう聖歌ですよね。でも、なかなか一般の人には、讃美歌じゃないと通用しないです。
いくら言ってもカトリックのことをカソリックと言う人がいるくらいですからねえ。
いや、信徒の中にも『自分はカソリックが正しいと思う』と頑なに言い張る爺さんがいますし。

讃美歌というと、もう長い人生で何度プロテのインチキ結婚式につき合わされたことか。必ず、
『いつくしみ深き』を歌わされるんですよね。まず間違いないです。

いつくしみ深き友なるイエスは、罪とが憂いを取り去りたまわーん・・・ての、飽きました。

星無きみ空に煌めく光・・・っていう小学校唱歌(?)と同じ曲だから歌いやすいのかも。
私は次の曲が一番好きです。

主は水辺に立ちて私に声をかけた、ただついて来て欲しいと、主よ私を見つめ微笑みわが名を呼ぶ、
今、小舟を捨てて共に海に出よう。

ペトロとのガリラヤ湖での出会いを歌った物ですが、私たちもこのように執着(小舟)を捨てて
イエスの教えた道を進まないといけないんでしょうね。

聖書の中では、金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しいとありますが。昔は
文字通りに理解して、お金持ちは悪なのかなあと子供心に思っていたのですが、金持ちが悪なのでは
ないのですね。執着がいけないんですね。
聖書の別の個所には、イエスに付き従うと言った者が、従う前に家族に別れの挨拶をしたいと言って
『鋤に手をかけてから後ろを振り向くような奴は神の国にふさわしくない』と言い返されてますから
ね。だからと言うと変ですが、私は食べ物にお金を使う癖がついてしまいましたよ。それにお金持ちが
悪いと言うと、皆なまけて、教会維持費の収入も減るでしょうしね。
だんだん話が脱線していきますね。こんなことを言ってたらデーケン先生に怒られるでしょうね。
そうそう7月21日のデーケン神父様のミサと誕生パーティは大盛況でしたよ。昔と比べるとメンバー
も高齢化してましたけどね(苦笑)。

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055 2013/07/27(土) 21:17:34 ID:LEUBeH/rsQ
星無きみ空に煌めく光じゃないですね、月無きみ空に煌めく光ですよね、星無きじゃ何も見えない(笑)。

ミサというと、たぶんに呪術的ですよね。毎週日曜日に、あるいは会社が早く終わった時は18時の
ミサに与るんですが、毎回毎回同じ文句を繰り返していて、こうして客観視すると何か不思議です。
『聖なるかな聖なるかな万軍の神なる主、主の栄光は天地に満つ、天のいと高き所にホザンナ』とか
『主の死を思い復活を讃えよう、主が来られるまで』『主に栄光』エトセトラ・・・
これをカトリック教徒は二千年(諸説あるでしょうが)もの間、言語の違いはあれ行ってきたのです
から、なおさら不思議です。

これがプロテの礼拝だと牧師の説教があるんでしょ? いや礼拝なる物に行ったことが無いのでよく
は知らないのですが、小説などを読むと説教なる物が出て来ますよね。カトの場合だと、司祭が聖書朗読
に絡めてコメントをする位で説教なんて無いですもんね。

私は『お告げの祈り』が好きです。大好きなアヴェ・マリアも含まれているし『私は主のはしため、
お言葉通りになりますように』とか『み言葉は人となり私たちの内に住まわれた』とか『キリストの
約束に叶う者となりますように』とか素敵じゃないですか。

『私たちは今、選ばれた種族、神聖な民族、あがなわれた国民』というのはちょっと変ですね。
どう贔屓目に見ても日本民族が選ばれた種族とは思えないです。それじゃダメじゃん。

私は誕生日にスレ写真のような簡易型ではなく、ちゃんとしたロザリオを貰いました。ちゃんとした
ロザリオはロス(カルバーシティ)に単身赴任している時、現地教会でかなり良い品を購入して長年
使っていたのですが、引っ越しのドサクサで無くしてしまって残念だったのです。

『ではこのロザリオをいつおろすか?』『今でしょ』とはいかないんですよね。何かの記念日に
デーケン神父様に聖別してもらいます。クリスマスか、あるいは今の簡易型ロザリオが復活祭の
時に聖別してもらったので来年まで待つか・・・どちらが良いかな、フフン(鼻歌)。

もう完全に私のブログ状態ですね。いやスミマセン(*´з`)。

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056 2013/07/27(土) 22:37:45 ID:akJ8kOkXA6
[YouTubeで再生]
バッハのアヴェ・マリア。『サンクタ、マリア、マリア』というサビ(?)の
部分がゾクっとするでしょ?

↓も良いですねえ。
http://www.youtube.com/watch?v=uv4Wya7HSJ...

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057 2013/07/27(土) 22:45:53 ID:akJ8kOkXA6
[YouTubeで再生]
Pescador de Hombres ペスカドール・デ・オンブレス 主は水辺に立ちて。

主は水辺に立ちて私に声をかけた、ただついて来て欲しいと、
主よ私を見つめ微笑みわが名を呼ぶ、水辺に小舟を捨てて、
共に海に出よう。

ちょっと違ってたね・・・テヘペロ(古)。

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058 2013/07/28(日) 06:47:01 ID:o82Lxwclxk
http://www.youtube.com/watch?v=5rBEcokvsF...
 
ヘンデルのオンブラ・マイ・フも良いですね。
 
キャスリーンバトルは良い声です。彼女のCDも何枚か持ってます。
彼女が歌うバッハのアヴェ・マリアも良いですよ。
惜しむらくは、古いCDがなかなかデジタルリマスタリングされない点ですね。
クラシックは売れないのかなあ。
それにしてもバトルもマイケル・ジャクソンみたいになんか白くなったみたい?
 
ポールの日本公演、チケット申し込みましたか?
S席の抽選、厳しいかなあ。
でもまたYesterdayやHey JudeやHere Todayなんでしょ?
Driving RainとかRun Devil Runを演って欲しいんだけどなあ。
しかしアメーバズシークレットのブートのHere Todayは名演ですよ。
歌の途中でポールが涙声になってしまうの。このブートは音源もオフィシャル盤と同じで、
たぶんアメーバレコードショップが直接流出させた物。編集もプロの仕事だし。
感動するからぜひとも買うべしですね。買える店のリンク貼りましょうか?
いらない? ああそうですか・・・。
 
だんだん話がそれてますかね。

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059 2013/07/28(日) 11:04:00 ID:uCv0jmRSW6
今日の主日のミサは『求めなさい。そうすれば与えられる』に関連して、神様を値切る話でした。
値切るなんて電気屋みたいですね。ソドムとゴモラの町についてアブラハムと神の問答があります。

ア『もし50人の正しい者がいても、その正しい50人もろとも、町を滅ぼすのですか?』。
神『その50人のために町を滅ぼさない』。
ア『45人では?』神『その45人のために町を滅ぼさない』。
ア『怒らずに聞いてください、30人では?』神『その30人のために町を滅ぼさない』。
ア『しつこくてスミマセン、20人かも知れません』神『その20人のために町を滅ぼさない』。
ア『もう一声、どうか10人しかいないかも知れません』神『その10人のために町を滅ぼさない』。
こうしてアブラハムは神を値切ることに成功したのですね。

『求めなさい。そうすれば与えられる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる』という聖書の言葉も
同じだと言うのですね。一回だけドアをノックしても『うるさいなあ』と居留守を使われるかも知れ
ないので、何度もドンドンと叩き続けるのです。そうすれば『ああ、わかったわかった』と出てきて
くれる。神様だって忙しいので、何度もしつこくお祈りするというのも大事なんですね。

そういった意味でロザリオの祈りは重要だと思うんです。あれは回数にこだわる余り、何を祈ってるんだか
途中で意味不明と思ったりもしますが、そういった事なんですね。粘着力が信仰でも大事なんだと。
イグナチオのエルナンデス神父様も、『ロザリオの祈りをしてますか?』といつも言いますよね。

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060 2013/07/28(日) 11:32:23 ID:uCv0jmRSW6
[YouTubeで再生]
聖歌『ごらんよ空の鳥』。これも好きですね。今日のミサでも歌いました。
私は聖書の中でこの場面がとても美しい雄大なイメージで好きですね。

空を飛ぶ鳥を見なさい。あの者たちは働きもしないのに神様はちゃんと養ってくださる。野に咲く
花を見なさい。明日は炉に投げ込まれるかも知れない雑草なのに、神様はあのように美しく装って
くださる。だから明日のことを思い患わなくてもいいんですよ。今日を充実して生きれば、おのず
と素晴らしい明日が待っているじゃないですか。
・・・私の身勝手な超訳ですがイエスのお言葉です。美しいイメージですね。

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061 2013/07/29(月) 16:35:08 ID:.4QxozguhM
私のブログへようこそ(笑)!!
 
皆さんは中国の宗教事情についてご存知ですか?
中国は先進国ぶって『信教の自由』を謳ってますが、実のところ宗教に自由はありません。
 
記憶に新しいところでは、法輪功の弾圧がありますね。
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/c87db50725505e...
 
中国が、独立国だった仏教国チベットを蹂躙しているのもご存知でしょう?
ダライ・ラマはチベットに戻れません。
 
実はカトリックも迫害の対象なのです。一応中国には『中国天主教愛国会』というカトリック教会
を詐称する団体がありますが、愛国会という名前が示す通り、中国政府の御用教会で、バチカンとは
何ら関係がありません。中国は、バチカンが台湾との国交を破棄しなければ、バチカンとの国交を
結ばないと主張するのです。日本の場合はあっさりと台湾を捨てて中国に頭を下げましたが、誇り高い
バチカンがそんな屈辱的な事をするはずもありません。だから中国には正式にバチカンから任命され
た司祭はいないのです。したがって本物のカトリック信徒も存在しないわけです(公には)。
 
でも実際のところバチカン公認の中国人司祭はいるらしいのです。7月某日、イグナチオ教会の某所で
イエズス会の東アジア&オセアニアの司祭会議が開かれたらしいのですが、そこに中国人司祭もやって
来て、中国の窮状を訴えたらしいのです。彼らは中国に正式に入国できないらしいし、仮に身分を偽っ
て入国できても、地下活動しかできないらしいのです。『らしいらしい』と連発したのは、バチカンも
これらについて何も公式発表しないし、イエズス会も何も言わないので、実情も私の憶測だからです。
 
中国のカトというと罰当たりのアグネスチャンが思い浮かびますが、何万というカト信徒が本当の司祭
を待ち望んでいるはずです。だから私たちも、中国の兄弟姉妹たちのために祈ろうではありませんか。

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062 2013/07/30(火) 00:16:17 ID:PQktb2c2fk
皆さんは自演や成りすましの事情についてご存知ですか?

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063 2013/07/30(火) 16:24:46 ID:hM6DShjn3g
この流れは・・傘地蔵誕生前夜と似ている。

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064 2013/07/31(水) 14:32:36 ID:Ps.GB.ClfI
私のブログにようこそ!!
 
先に400年以上前、安土と有馬にイエズス会の神学校があったと話しましたが、
その安土の神学校でのこと。ある時、突然に織田信長がアポ無しで安土の
神学校を訪れたのです。鷹狩の帰りだった由。
そこで日本人生徒たちは、チェンバロを始めオルガンやバイオリンで西洋音楽
を演奏し、信長に聴かせたそうです。初めて西洋音楽に接した彼はどんな気分
だったのでしょう。その時演奏されたチェンバロの曲も以下のような感じでしょうかね。
信長は大変気に入って、それを演奏した日向国の少年を褒めたそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=qTlbfD5Ts-...
私はこのような音楽を聴いた時の彼の驚きを想像し、織田信長がとても身近に感じてしまいます。
 
西洋音楽に感動した戦国大名は他にもいますね。今の大分県の大友宗麟です。彼はキリシタン大名
としても有名です。彼がこの調べを聴いた時、宣教師に『これは何か?』と尋ねたんですね。宣教師の
答は『ムシカ』、ミュージックのことですね。大友宗麟は唸って『うーむ、ムシカか・・・ムシカね・・・
ムシカ・・・無鹿!!』。そしてキリシタンの理想郷を作って自分の本拠地にしようと、そして
その町の名前を無鹿にしようとしたんです。『音楽』という名前の町なんて素敵ですね。
しかし志半ばにしてこの夢は潰えます。島津勢の大群に攻められ、大友宗麟は逃げざるを得なかった
んですね。でもこの町『無鹿町』は今も宮崎県延岡市にあります。
たぶん無鹿町の名前の由来を地元の人でも知らないんじゃ無いでしょうか。

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065 2013/07/31(水) 14:51:00 ID:Ps.GB.ClfI
をいをい、ハンドルネームが某コテハンさんになってるぞ。これじゃコテハンの意味がないじやん。

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066 2013/08/01(木) 14:33:25 ID:zEebrKFcMY
私のブログにようこそ!!
 
イグナチオ教会の片隅にひとつの建物があります。その名は岐部(きべ)ホール。
二階の図書室にはキリスト教関係の蔵書があり誰でも利用できます。また五階には
SARO君の大好きなイエズス会日本管区『会計室』があります。ただしこの階には
エレベーターは止まらず、階段室には施錠がされており一般人は中をうかがい知る
ことは出来ません。
 
問題はそこでは無く『岐部ホール』という名前です。岐部という人は戦国末期から江戸時代初期
まで実在した人で、洗礼名をペトロ岐部といいます。彼は西暦1600年、まさに関ヶ原の合戦が行わ
れたその年、有馬の神学校に入学したのですが、その後の徳川幕府のキリシタン弾圧でイエズス会
の司祭や修道士たちと共にマカオへ追放になりました。
 
そのマカオで岐部はキリスト教の司祭を目指そうとしたのですが、マカオの偉い人の黄色人種への
偏見が酷く、マカオでは司祭になれないことを悟り、マカオを脱走してローマを目指しました。
その途上、聖地エルサレムを訪れています。ローマに行った日本人は岐部の前にも天正少年使節団
がいたんですが、エルサレムを訪れた日本人は岐部が初めてです。
 
その間、マカオのイエズス会からローマへ『そちらに野蛮人が向っているので相手にしないように』
というような書簡が届けられたのですが、岐部と面会したローマのイエズス会では、彼の知性や
学識が高いのに驚き、かつ人格も適切であると認め、彼を司祭に叙階したのです。
 
その後、彼はキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる日本を目指して密入国を果たし、あちこちに潜伏し
ながら布教活動を行ったのですが、やがて徳川幕府に逮捕され、拷問の挙句に処刑されました。
 
日本の信徒としては、岐部の行動はまことに誇らしい限りです。その彼を記念して岐部ホールも
名づけられました。この物語は遠藤周作が銃と十字架という小説に著しています。

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067 2013/08/01(木) 15:14:50 ID:zEebrKFcMY
>>61で語った司祭会議も7月某日に岐部ホールの3階で
ひっそりと行われました。

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068 2013/08/01(木) 16:06:21 ID:xoTGhs7iyQ
069 2013/08/02(金) 13:09:09 ID:CeDvcsTaLo
私のブログにようこそ!!
 
昨日語った天正少年使節団は正式には天正遣欧少年使節ですね。
これはウィキを見た方が早いでしょう。彼らは往復8年もかけて
ローマ法王に謁見して来ました。
 
天正少年使節はアフリカの喜望峰回りで欧州に行ったのですが、伊達藩の支倉常長はアメリカ大陸
経由でローマに行きました。支倉常長をモデルにした小説も遠藤周作氏が侍という題で著して
います。小説では、普段は畑を耕しているようなただの善良な下級武士の地侍である主人公が、
突然に伊達のお殿様に召し出され、少数の供を連れ外人司祭の案内でローマに行くことになり、
その善良さゆえに殿の命令と思い欧州で洗礼を受けるのです。小説は司祭のはやる功名心や侍の
葛藤、長い苦しい旅路を描き盛り上がります。帰国する侍を待っているのは、豊臣秀吉による
バテレン追放令が出た日本。善良な侍が、その善良さゆえにこうむる悲劇とは。まあこれは小説
を読んでいただきたい所です。
 
カトリックでは『地には善意の人に平和あれ』と教えますが、遠藤氏の描く善意の人は、大抵
弱く、最後には悲劇が待っています。『沈黙』とか『ある男の一生』などは、善意であろうと
する人の悲劇と言えるのではないでしょうか。
 
天正少年使節団はグーテンベルグの印刷機を土産に持って帰りました。天正少年使節団に付き従った
日本人修道士は活字の制作方法も学んで来ました。何と驚くことに天正少年使節団が欧州に行った
時点で、既に別の日本人修道士がポルトガルにいたんですね。彼の手伝いもあり活字の作り方も
教わることが出来たんです。

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070 2013/08/02(金) 13:11:26 ID:CeDvcsTaLo
この印刷機では色々な聖典も印刷されたし、日本の書物である太平記なども印刷されたんですね。
このころ、イソップ寓話も日本にもたらされ印刷されたんですよね。
 
天正少年使節団が帰国したのも秀吉のバテレン追放令が出た後なのです。しかしこの追放令も有名無
実化してたんですね。追放令に対してイエズス会は日本の経済封鎖に出たんです。秀吉は有能な武士
である前に有能な商売人でしたから、生糸の南蛮貿易でしこたま儲けていたんですよ。おりしも
朝鮮出兵で戦費がかさんでいましたから、南蛮船が来なくなって秀吉は困りました。そこで、建前は
キリシタン禁止で、本音は見て見ぬふりをすることにしたんです。
 
だからイエズス会の外人宣教師たちも徳川政権の初期まで日本にいることが出来たんですね。でも
天正少年使節団の少年たちは、アジアやインドなどが白人キリスト教徒の植民地となり、同じ黄色
人種の現地人が奴隷となっているのを見てしまったんですね。だから彼らの内の一人は後に棄教しま
した。『日本での耶蘇教の布教は日本を彼らの植民地とするのが目的である』と言って。

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071 2013/08/02(金) 18:52:08 ID:CCUH9YB.WA
ユダヤ教からキリスト教へと派生した経緯を教えてたも

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072 2013/08/02(金) 21:47:02 ID:CeDvcsTaLo
>>71
ユダヤ教にはついてはよくわからないのですが、>>52で例に出したように、ユダヤ教は旧約聖書
を元に独自の発展をしたようです。
 
キリスト教はもちろん新約聖書を元にしていますが、この新約というのも旧約聖書を踏まえた
ものであるのは当然ですよね。新約聖書の中でイエスは、古い律法を守るのは当然とし、さらに
それを上回るようにしなさいと言われます。
 
例えば『目には目を、歯には歯を』と昔は教えられたかも知れないが、右の頬を打たれたら左の
頬も出しなさい、と言われます。
 
何かで読んだのですが、現在のキリスト教は本当はパウロ教と言うべきなんだそうです。というの
もキリスト教がヨーロッパにもたらされたのも彼の影響が大きいからです。
新約聖書にしても中に似たような四つの福音書があるのですが、これも数多くあった福音書の中
から、意図的に選ばれたようですね。初期のキリスト教宣教師が意図的に選んだのかも。
 
ずいぶん昔ですが、死海文書と呼ばれるものの中から、失われた福音書が発見されたというニュ
ースもありました。確かに現在の新約聖書の福音書は意図的だと思います。
 
例えば、マタイの福音書は当時のユダヤ教の人向けに書かれています。いきなり旧約聖書の登場
人物がずらずらと登場し、旧約で言うメシアがイエス・キリストだとしています。マルコの福音書は
ローマ人向けに、ルカは異教徒向けに書かれたものであることは明らかです。ヨハネの福音書は
別格ですね。詩的に高らかに神の愛を唱えます。格調高いです。
 
そんなわけで、西暦1世紀から2世紀の間に、パウロの教えを元にした今の形のキリスト教が完成
したものと私は考えます。3世紀には既に教えを説くイエスの絵が描かれていますからね。私は
もちろん、神学など学んでいませんから、以上はグータラな名も無い信徒の私的見解です。

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073 2013/08/03(土) 05:19:12 ID:KTBFpuU1EY
こりゃどうも
では、キリスト教(宗派問わず)がなぜここまで教徒を獲得できたのか?
について教えてたも

(面倒ならスルーしてください)

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074 2013/08/03(土) 05:56:29 ID:K7WQujuqAc
>>73
上でいきなりローマと出したのは、あの大ローマ帝国です。
当時のイスラエルは、ローマ帝国のちっぽけな一地方に過ぎませんでした。
そのローカルな田舎の宗教がローマ全土に広まるのに百年しかかからなかったんですから
マスコミもない当時のこと、宣教師の努力も大変なものだったんじゃないでしようか。
でもローマに広まるということはヨーロッパ全土に広まるということ。
それほどローマ人にキリスト教が魅力的に映ったんでしょうね。
普及したのもその魅力が彼らを惹き付けたからでしょう。

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075 2013/08/03(土) 08:25:59 ID:KTBFpuU1EY
キリスト教がローマに浸透し、国教にもなったけど
ローマ人にとってキリスト教が魅力的であったのはどういうところだと思いますか?
教えてたも

(面倒ならスルーしてください)

返信する

076 2013/08/03(土) 09:27:17 ID:K7WQujuqAc
当時のローマにはギリシャ神話の焼き直しのような神話しか無かったわけでしたから、
原罪、癒し、赦し、神の無限の愛、死からの復活など哲学的な命題をひっさげたキリスト教は人々の興味を惹き付けでしょう。

でも初期のキリスト教は弾圧されました。
地に宝を積むより天に積めとか、誰も二人の君主につかえてはならない、というのですから
時の君主に面白いわけがありません。

あるローマの名家もキリスト教ということで、逮捕されました。
その中でも幼い少女アグネスは、勇敢にも棄教を拒否し、
13才の若さで殉教しました。

今日、彼女は聖人に列っせられ、聖アグネスの日が祝われます。
この日には恋人通しがプレゼントのやりとりをする国もあるそうです。

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077 2013/08/03(土) 12:24:30 ID:K7WQujuqAc
しかしローマ帝国のキリスト教政策も、皇帝が代わるたびに規制と緩和を繰り返しました。
これがかえってキリスト教徒の団結を生み、欧州に深い根を下ろすことになったのでしょう。
逆にユダヤ教への弾圧はほとんど無かったため、ユダヤ人の間にユダヤ教は残りました。
 
パウロがイスラエルから持ち帰った聖典によるキリスト教は、原始キリスト教と呼ばれる物
で、聖典も色々あったようですが、西暦2〜3世紀の間に聖典の中から4編の福音書と使徒行伝
が選ばれ、近代的なキリスト教へと変遷して行ったのではないでしょうか。
というのも、最後に書かれたといわれる最も洗練されたヨハネの福音書が著された年代が、
その後の研究で西暦95年〜100年の間と推定されているからです。
 
このようにベツレヘムの生まれ、ナザレのイエスの教えは、地元イスラエルには根付かず、
欧州に深く根付いてしまいました。キリスト教が本当はパウロ教だという揶揄も、
そんな点を指して言っているのだと思います。

まったく私のブログですね。

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078 2013/08/03(土) 13:08:33 ID:KTBFpuU1EY
引き続きどうも
最後におききします
これはキリスト教を信仰するdesperadoさんの気を害すかもしれませんがお許しください

私はキリスト教を学んだことはありません
知識量はおそらくあなた様の耳垢より少ないでしょう
そんな私には強いルサンチマンを持った人たち(大衆)をうまくとりこむために
キリスト教は作られたように思えるのです
一方で指導者が大衆をうまく扱うことにおいても都合がいいように思います

desperadoさんはこのような意見をお聞きになったことがあるかと思います
そして盲目的な信者ではないとお見受けしているので
わずかながら共感して頂ける点はあるのではないかと思います
しかし、それでも何故信じることができるのか
教えてたも

返信する

079 2013/08/03(土) 16:45:34 ID:K7WQujuqAc
>>78
ルサンチマンを強者に対する弱者の遠吠えや持たざる者の不満ととらえるならば、その推測は
半ば当たっていると言わざるを得ないでしょう。新約聖書の内容も、当時の強者であるところの
徴税人(税金取り)を悪人にしたり、金持ちは天の国に入れないかのように記述され、当時の
多数派だった(まあ今もですが)弱者を取り込みたいという意図は明らかです。
 
ちょっと考えると、これは強者たる指導者階層(領主とか君主とか)には都合が悪いと言えます。
地に富を積むのを悪とし、神を選ぶか君主を選ぶか二者択一を迫る教理は、指導者階層には
都合が悪いのではないでしょうか。にもかかわらず、キリスト教は最初は地方の領主など、
中間層に受け入れられました。そして配下の家来や農民層に強制させられたりします。戦国
末期の日本でのキリスト教の受け入れも地方の大名層からでした。そして家来や領地の農民は
半ば強制的に受洗させられました。
 
少し突っ込んで考えれば、これは当然の成り行きでしょう。当時の弱者である農民たちを慰撫
するのに、これはとても有効な手段です。持たざる者は、宣教師が説く聖書の教えに、日ごろの
うっぷんを晴らし溜飲を下げたことでしょう。だからローマ帝国もキリスト教を迫害したり
緩和したり、皇帝が代わるたびにふらふらしたのですね。
 
現在のカトリックでは金持ちを悪とせず、金への執着が悪だと教えます。古い律法も否定して
キリスト者は自由だと教えます。新約聖書の解釈の仕方だというのですが、これも中間層を自認
する人々が多くなったことへの対処でしょうか。でなければ信徒が逃げてしまいますからね。

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080 2013/08/03(土) 16:47:58 ID:bOp.v7FHjo
と最後はグータラな正体がばれた所で、先に述べた徴税人がなぜ悪人か。これは現代に当てはめ
れば税務署の役人なわけで、ちょっと悪人と呼ぶにはかわいそうです(いや現代でも十分悪人
ですけどね)・・・苦笑。この徴税人という人たちは、ローマ帝国の植民地だったイスラエルの
の人たちから、ローマ帝国への税金を巻き上げる輩だから悪人なのです。敵のために働くわけで
すからね。それに善良な人々から多めな税金を巻き上げ、何割も自分のふところに入れてしまう
のです。徴税人という職業が成り立つわけですから大衆も嫌悪の目で見たことでしょう。そんな
当時のイスラエル事情を知りながら聖書を読むと、読み物としてもとても興味深い本だと気づき
ます。

キリスト教は時代時代によって二転三転してきました。イエズス会が出来た頃から雲行きも次第
に怪しくなり、やがて新教と旧教にわかれて行きました。だからイエズス会を新教に対する防波
堤と見る向きもあります。これはちょうど豊臣秀吉のキリスト教禁止令や徳川家康の禁止令が
出された当時と重なります。イエズス会の経済封鎖によって秀吉の禁教策は有名無実化しまし
たが、新教国出身のウィリアムアダムス(三浦按針)を顧問に迎えた家康は、安心して旧教国
であるポルトガルやスペインの宣教師を国外追放し、新教国であるオランダとの宗教抜きでの
貿易を手に入れました。

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081 2013/08/03(土) 17:18:48 ID:bOp.v7FHjo
ちょっと誤解があるといけないので蛇足ですが、戦国末期に日本にいたキリスト教宣教師は
イエズス会が最も多かったのですが、他の会派、例えばフランシスコ会とかドミニコ会の
宣教師もいました。徳川家康のバテレン追放令におとなしく従ったのは、急進派と見られがち
なイエズス会士が最も多く、その他の会派は何とか地に潜ってでも宣教活動を続けようと
色々画策したようです。これも遠藤周作氏の本に教えられました。

今日、日本でのカトリック教会はイエズス会が最も多く、私の所属するイグナチオ教会も
イエズス会ですから、戦国時代のそんな話がとても身近に感じられてしまいます。
だから私は信長〜秀吉〜家康あたりの歴史がとても好きです。遠藤周作氏や司馬遼太郎氏や
津本陽氏の歴史小説を胸躍らせて読み漁りました。あげく素人の現地調査で、愛知や岐阜や
滋賀県も走り回ったりしたんですよ。蜂須賀屋敷跡や織田信長の息子が生まれた生駒屋敷跡を
発見して『ああ、ここにも遠藤周作氏が立たれたのだな』と感動したものです。

返信する

082 2013/08/04(日) 11:46:41 ID:86YHzcTscE
私のブログにようこそ!!

カトの皆さん、私は今日のミサの中で聖母マリア様に
『ポールのいい席が取れますように』ととりなしを願って
イグナチオ教会の波動が届くであろう四ツ谷駅前の
サンクスに駆け込み、10列目をゲットできました。

波動とかマリア様を私物化したりとか、電波な奴で申し訳ありません。
それほど私は、ポールをアニミズム的に、かつ盲目的に崇拝しています(苦笑)。

しかし今日のミサのテーマ『人間が苦労してみても何になろう』は意味が深いですよね。
キリスト者はオプティミストと教わっているのに、この言葉の何と悲観的なことか。

聖書朗読も例の『愚かな金持ちのたとえ』。これはちょっと実行が難しいです。
人間は貪欲でないと飯が食えないと思うんですがね。
会社で出世も出来ないし窓際族に甘んじるんですか?
普通だったら宝くじで五億円当てて、一生遊んで暮らしたい所ですが。

ある金持ちの畑が豊作で『今の納屋ではとても収まりきらないから、今の納屋を壊してもっと
大きな納屋を建てよう。そうすれば数年は遊んで暮らせる。しめしめ』と。すると神が『愚か者
め。今夜お前の命は取り上げられる』。でもその金持ちが豊作を神に感謝したらどうなるので
しょう。信仰の浅い生半可な私にはとても不思議な例えです。だから私もポールのチケットを
入手出来たことを神に感謝します。今夜ポックリ逝ったら目も当てられませんからね。

それはそうと、カトの皆さんはこの『聖書と典礼』をどうしてますか?
私は数回読み返したら断捨離!!、それじゃダメじゃん・・・ですか。
でも先週の物は教えを説くイエスの絵がかわいらしくて捨てられません(笑)。

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083 2013/08/05(月) 14:06:45 ID:RV1EdhFrpw
私のブログにようこそ!!
 
これはイコン(icon)といいます。イコンはギリシア語で、
英語読みではアイコンです。私たちはこの聖画像に向かって
祈ることが出来ます。しかしこの画自体が神様ではありません。
私たちはこのイコンを通して主なる神にアクセスしやすくなる
のです。何も無い空中を見つめながら、あるいは目を閉じて
祈ってもいいわけですけど、何か祈る対象がある方が便利でしょう?
 
ひるがえって、英語読みのアイコンですが、これはもうあなたのパソコンのデスクトップやスマホ
画面にいっぱい並んでいるはずです。これもアイコン自体がアプリではありませんよね。
私たちはアイコンをクリックしたりタップすることによって、アプリにアクセスできます。
昔はコマンドプロンプトに直接コマンドをタイプしていたわけですけど、それじゃ不便でしょう?
 
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を設計した時、このアプリへのショートカット
画像の名前に『アイコン』と付けたのも、やはりキリスト教文化が根強い欧米ならではじゃないで
しょうか。このように私たちは知らず知らずにキリスト教用語を使っています。三位一体とか。
そういった意味で欧米文化を知る上でもキリスト教を学ぶのは有益だと思います。
 
神にアクセスするicon、アプリにアクセスするicon。まことに含蓄のあるネーミングですね。
『アイコン』は『アイコンタクト』から派生したと思っていた人もいるくらいですから(笑)。

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084 2013/08/06(火) 02:58:21 ID:/7CkHao5Ac
SAROいなくなって寂しいんじゃないか?

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085 2013/08/06(火) 14:12:07 ID:R0HMAac.SY
私のブログにようこそ!!
 
>>83のイコンは三位一体の神のイメージを描いたものです。オリジナルはロシアの美術館にあって、
これはその模写です。印刷では無く、ひとつひとつ聖職者の方が彩色した物なんですよ。
 
キリスト教の神様というのは、3つの側面・お姿を持っているのです。すなわち父(父なる神)と
子(イエス)と聖霊です。この三者がひとつになったものが主なる神なのです。これを私たちは
三位一体(さんみいったい)と言います。福音書記者のヨハネによると神とは言葉だけの存在で
誰も姿を見た者は無く、神が肉となって顕れた者がイエスで、そして聖霊となって父の元に還ると
いうイメージです。また聖母マリアを懐胎させたのも聖霊で、聖霊は父なる神の遣いでもあります。
 
上のイコンで真ん中が父、左がイエス、右が聖霊です。どうして左がイエスと分かるかというと、
聖書の中に『父の右に座している』と書かれているからです。でも三者とも年恰好が同じですよね。
本来なら父が高齢で、子なるイエスが若いはずですが。これは父なる神を老人として描くのが禁止
されているかららしいです。それに神というのは無限の者ですから、永遠に同じ年齢なわけで、
三者とも同じ年恰好で何も矛盾は無いのです。三位一体とはややこしいものです。
 
ミサの中で司祭が『父と子と聖霊のみ名によって』とおっしゃったら、それに合わせて私たちは
十字を切って『アーメン』と応えます。『主に栄光』と唱える時も十字を切りますね。ミサに与る
時は最低3回十字を切ります。自分で何かの祈りを開始する時も、心の中で『父と子と聖霊のみ名
によって』と祈って十字を切ります。何も祈らずに十字を切ってもいいんですけどね。
 
この三位一体という言葉もすっかり日本語化してしまって、かなり誤用されていますよね。
ひところ自民党は三位一体の改革などとスローガンに使っていましたが、これは重要な3つの事案を
実行するというような意味に使っていて、あきらかな誤用です。まあ別に構いませんがね。

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086 2013/08/06(火) 14:41:42 ID:R0HMAac.SY
狭き門というのも日本語化してますが聖書の言葉です。狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は
広く、その道も広々していて、入る人も多い。しかし命に通じる道は狭く、その道も細い。その道
を見つける者も少ない。・・・狭き門をくぐって東大へ・・・は確かに正しい用法ですね(笑)。
SARO君の盗用大などは滅びに通じる広き門だったんじゃないでしょうか?

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087 2013/08/06(火) 16:26:01 ID:iN3msnlO7A
088 2013/08/06(火) 19:21:14 ID:R0HMAac.SY
主の変容の祝日を迎えた今日のイグナチオ教会では、広島原爆の日を忘れないことも
併せて祈念し、日曜日と同じように『天のいと高きところには神に栄光、地には善意
の人に平和あれ』の栄光の賛歌が唱えられました。
 
聖書朗読はルカの主の変容のくだりです。この時、いずれかの日に訪れるであろう、
エルサレムでの受難を予知していたイエスは弟子たちを連れてある山に登ったのです。
そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエス
がモーセとエリアとお話になっている姿を見たのです。いや彼らは幻覚を見たのかも
知れません。それは弟子たちがとても眠かったと言っているからです。
 
私たちはこの逸話から何を学ぶべきでしょうか。いずれ訪れる何物かを、喜んで受け
入れる準備をしておくということでしょうか。

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089 2013/08/08(木) 14:05:19 ID:SqLqKMKnuQ
私のブログにようこそ!!
 
私の好きなポールマッカートニーの曲に『Biker Like An Icon』というのがあります。
 
バイク野郎を愛した少女がいたんだ。
彼女は彼をアメリカ中追いかけ回した。
でもバイク野郎は彼女が好きじゃなかった。
 
でも彼女はお構いなしだった、まだ追いかけた。
彼女の兄弟は彼女がふらふらになってると言ったけど、
家族は兄弟に彼女を見失わないよう言ったんだ。
 
彼女はバイク野郎の写真を毎日イコンのように見つめて愛した。
彼女はバイク野郎をイコンのように愛して、ゆっくりと涙がこぼれ落ちて過ぎ去り・・・。
 
以上が歌の概略ですが、ここで『Biker Like An Icon』とは、ポールの亡き妻のカメラ、
ライカとニコンから発想して、『I like a Nikon』からもじったものだそうです。
Nikon の英語圏での読みはナイコンですから、『like an icon』も『like a Nikon』も
共に、英語の発音は『ライクアナイコン』です。
アルバム Off The Ground の中の曲です。
 
http://www.youtube.com/watch?v=run-Wgb--P...

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090 2013/08/08(木) 15:38:44 ID:OAxDUpxbCY
091 2013/08/08(木) 17:34:12 ID:oFtM9pn0tU
もう飲食板にはこないの?

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092 2013/08/08(木) 19:34:33 ID:SqLqKMKnuQ
食板は名無しで書いてます。
 
聖ドミニコ司祭の祝日を迎えた今日の聖イグナチオ教会では、ドミニコ会を祝うミサが行われ
ました。ドミニコ会はサレジオ会や我がイエズス会よりずっと古く、伝統のある会派です。
戦国末期の安土桃山時代、イエズス会やフランシスコ会らと共にドミニコ会の宣教師も活躍
しました。
 
その後のキリシタン弾圧では、急進派と見られがちなイエズス会士より、フランシスコ会や
ドミニコ会の司祭の方が、地下に潜行してでも日本での布教を続けようとしたことは以前にも
書きました。今日、ドミニコ会は、イエズス会に次ぐ信徒数を誇る教会になっているそうです。

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093 2013/08/08(木) 19:54:11 ID:oFtM9pn0tU
そーなんだ
でもまさか新潟スレあげてないよねw?

あんたにカオマンガイ教えてもらったんだけど
ありゃうまいね
ありがとよん

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094 2013/08/10(土) 12:54:25 ID:/U4QBXgYQE
私のブログにようこそ!!
 
みなさんは宗教というと迷信臭いとか、何か変な壺でも売る付けられ
そうで胡散臭い。あるいは○○学会やオウム真理教のように基 地 外
じみていると思いませんか。だいたい見えない神を信じろと言われても、
ちょっと常識人としては無理でしょう。私もそんな時期がありました。
 
幼稚園や小学生の頃は、それでも無邪気に神様なる物を信じていました。
でもこんなこともありました。ある時、母が私を告解室に連れて行ったんです。そして『今ま
でした悪いことを神父様に言いなさい。そうすれば頭をなでてくれます』と言うんです。私は
『僕は何も悪いことはしていない』と言いました。母は慌てて『歯を磨かなかったとか挨拶を
しなかったとか…あるでしょう』と言うのですが、私は頑なに『僕は何も悪いことはしていな
い』と言い張りました。それは私が本当のことを言えば、神父様にゲンコツでごつんとやられ
ると思ったからです。
 
次からは、告解室に連れて行かれると、私は黙秘権を決め込みました。口を真一文字に結んで
何も言わないのです。そんなことが何回か続いた後、母は私を告解室に連れて行くのをあきらめ
ました。
 
中学・高校は、私は美術が好きだったので、とりわけ日本の仏像の美しさに感動しました。あの
弥勒菩薩の知的なお顔はどうでしょう。なぞの微笑みを浮かべ指もしなやかで美しい。大日如来
はどうでしょう。虚空のある一点を凝視するお顔からは何物にも動じない信念が伝わります。
あの運慶・快慶作の阿吽の像は何とした素晴らしさでしょう。人間の躍動の瞬間を切り取った
ようなあの像はまさに動き出しそうです。
 
それに比べ、私が神と教わった像の何とみすぼらしいことか。その像は大抵、教会の祭壇の後ろの
壁に取り付けられているのですが、首をうなだれ、だらしなく十字架からぶらさがり、半裸で腰の
周りにしか衣が無く、視線も地面を見つめて美しさのかけらもありません。人間の躍動どころか
あばら骨の浮き出た痩せ細ったその体は、まるでアジの天日干しのようです。

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095 2013/08/10(土) 13:11:51 ID:20uWATXTQ6
096 2013/08/10(土) 16:43:21 ID:9NAGnDHsPg
お〜いSARO相手してやれよw

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097 2013/08/10(土) 23:43:41 ID:/U4QBXgYQE
私のブログにようこそ!!
 
アジの天日干しのような西洋人の神なんていやだ。神様なんていないに決まっている、と思いなが
らも、親の言う事をよく守る良い子を演技するため、中学生・高校生の私は両親と共に教会のミサ
に与っていました。
 
しかし大学に入ってからは、親からも独立したこともあり、私は教会に背を向けました。せっかく
出来た大学の友達に私がカトリックだと宣言することは、友達の好奇の目を受けることでもあり、
また反動的だと言われる可能性もあったからです。それにそんな線香臭い友達を持つなんて、誰でも
いやでしょう?
 
その頃、私たちのグループに一人の女の子がいました。ちなみに私の今の嫁ではありません。彼女
は自分をモルモン教徒だと宣言しました。そして聖人君子然として、高みから上から目線で、私たち
をさも年下のように扱い、何か人生論を語るのです。神を、信仰を持たないと、人生の高みに登る
ことは出来ないと。彼女は酒・煙草・コーヒー・コーラ・緑茶・紅茶など、思いがけぬ物を拒絶し
ます。そのくせ、私たちのコンパにのこのこついて来て、自分は水だけ飲みながらもっぱら食べる
ことに専念します。誰かが煙草を吸っても(私は吸いませんが)、ちらっと嫌な顔はするのですが、
聖人君子然として、私はあなたがたを許します…という顔をするのです。私はそんな彼女の高慢ちき
な鼻をへし折ろうと思い、『その唐揚げは味醂で味付けされているかも知れないぞ』と言いましたが
彼女は平然として『知らなければ良いのよ』と答えました。
 
そんな彼女は『モルモン教では教会に献金をするため働かなければならない』と言い、また『モル
モン教では収入の十分の一を献金するのよ』と言い、アルバイトを始めました。私たちの入った
大学は、アルバイトをしながら卒業できるほど安楽な大学ではありませんでしたから、その後の
彼女が大学を卒業できたかは私にはわかりません。たぶん神様のために大学を棒に振ったでしょう。
彼女が私たちを兄弟・姉妹と呼ぶのにも寒気がしました。これで私は一気にプロテスタントが嫌い
になりました。今、私はモルモン教が、プロテスタントではなく、カルトの一種だと知っています。
でも当時の私へはプロテスタントへの嫌悪感を残したのが事実です。

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098 2013/08/11(日) 10:52:17 ID:FccqklK7ho
私のブログにようこそ!!
 
そのようにして、のらりくらりと大学生活を送っていた時、
私は遠藤周作氏の本に出合いました。それは『私のイエス』と
いう本です。神を捨てたつもりでいた私ですが、本屋でこの本
を見つけた時は、思わず手に取ってしまいました。そしてそれ
を買って自分のアパートに帰りました。
 
そして読み進めるうち、私は感動を受けたのです。それは私が
幼い時、神父様に頭をゴツンと叩かれるのを恐れて、告解室で
『僕は何も悪いことはしていません』と言った日々を思い出させました。
氏は言うのです・・・・『信仰とは99%の疑いと1%の希望』。
 
私は神様なんかいないと心に決めていましたが、まだ10%くらいは神様の存在を期待していました。
私はこれを『信仰度数』と勝手に名づけました。私の信仰度数は10%だぞと。氏の言葉がどれほど
私のハードルを下げてくれたことか。また勇気付けてくれたことか。そして友達には内緒のまま、
平日の夜のミサに時々与るようになりました。日曜日は友達と遊ぶのに忙しく、また大学での活動
があったので、教会に行けなかったからです。

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099 2013/08/11(日) 11:05:02 ID:FccqklK7ho
でもこの本が私のプロテスタントへの嫌悪感を煽ったことも確かです。氏はあるプロテスタント
作家の言葉を引用しました。それは次のような言葉です。『キリスト教の洗礼を授かったからには、
これで痛いとか苦しいとか、死ぬのは嫌だと見苦しく叫びながら死んでいく覚悟が出来た』。
何というキザな言葉でしょう。プロテスタント者は『死ぬのは嫌だ嫌だ』と見苦しくのたうち回っ
て死んでいくことが出来ると・・・。もちろん遠藤氏は善意でこの言葉を引用しているのですが。
 
しかしカトリック者だからと言って、死に際して『みなさん今日までありがとう。私は死んで行き
ますが、また天国でお会いしましょう』と言い残すことが出来るか…というと私には自信がありま
せん。死は私個人の問題ですから、いざその場になったら神様もしょせん他人なわけで、70%程度
は自分自身で解決しなければならないでしょう。だから今の私の『信仰度数』は30%と言えます。
よくそれでイケシャーシャーと敬虔なカトリックを自称できるなとお叱りを受けそうですが、なん
とかこの度数を50%程度まで持って行きたいと悪あがきしているのが実態です。
 
私は死の時、イエスに習って次の言葉を言えるように修行したいと思います。『父よ、私の霊を
み手にゆだねます』あるいはヨハネ福音書の描く美しい最後の言葉『我がこと成れり…』。

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100 2013/08/11(日) 13:08:43 ID:ckR.uyRvQg
101 2013/08/11(日) 15:02:27 ID:Qh69Axk8hU
>>100
もし仮にそれが同一人物だとしたら、いつ寝てるというのか?
自分の意見も満足に言えない餓鬼は糞して死ね。

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102 2013/08/11(日) 20:53:07 ID:FccqklK7ho
>>98のミサで使う冊子の言葉
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです』も素敵ではないですか?

望んでいる事柄は確信し、
見えない事実を確認する。

その言葉の表すものは希望です。
キリスト教は絶望とは無縁の信仰です。

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103 2013/08/12(月) 12:06:56 ID:0KnHvcfw3Y
私のブログにようこそ!!
 
もしあなたが『神様なんて絶対いない』、『神様なんて迷信だ』と言う場合、それは『神への100%
の疑いと0%の希望』を宣言したことになります。それは『絶望』を宣言したことに他なりません。
 
あなたは人生における全ての問題を独力で解決して行けますか。ハイデッガーの言葉を借りるまで
も無く、人間は『死へ向かう存在』そのものですから、最終的に解決すべきは自らの死という事象
です。あなたはこの人生最後の時に、『我がこと成れり』と満足してつぶやくことが出来るでしょ
うか。
 
私は『私のイエス』という本を手にしてからというもの、遠藤周作氏の小説を読み漁りました。もち
ろん狐狸庵閑話シリーズもです。『こりゃ、あかんわ』をもじった狐狸庵閑話は、評論家各氏の言う
通り、氏の純文学の照れ隠しというか裏返しでしょう。これは当時の中学生当たりの読者を獲得する
にも効果があったことでしょう。
 
氏の小説のテーマのひとつに『神の沈黙』というのがあります。
イエスがゴルゴタの丘で十字架に懸けられた時、神はどうしましたか?
聖アグネスが13才という幼さで処刑される時、神はどうしましたか?
秀吉のキリシタン弾圧時、長崎で二十六聖人が火刑に処せられた時、神はどうしましたか?
奇跡は起きませんでした・・・。
 
神は何も手を出さないばかりか、ただ沈黙していました。それは神の恐ろしい沈黙だと氏は述べます。
神の冷たい沈黙だと。神は彼らを見捨てたのでしょうか。やはり絶望しか残らないのでしょうか。
 
でも私は答えを持っています。それは美しいイメージです。
『ある晩、私は夢を見た。砂浜を主と共に歩いている夢。私の人生で楽しい時や悲しい時、後ろを
振り返ると二人の足跡が残っていた。しかし私が最後の苦しい時、後ろを振り返ると一人の足跡しか
残っていなかった。でも私にはわかった。主が私を背負って歩いてくれたのだと』。

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104 2013/08/12(月) 18:33:12 ID:0KnHvcfw3Y
私のブログにようこそ!!
 
8月15日が近付いて来ました。この日は終戦記念日でもあり旧盆でお休みの会社も多いとかと思い
ますが、カトリックではこの日を『聖母の被昇天』の祭日として祝います。教会では主日のミサ
と同様に、聖歌隊も参加する盛大なミサがあげられます。
 
聖母マリアといえば当然イエスの母なのですが、イエスの誕生の次第については、福音書作家の
マタイとルカしか書いていません。大体次のような話です。絵本などでご存知だと思いますが。
 
当時のイスラエル(パレスチナ)はローマ帝国の植民地でした。ローマ人の知事もいましたが、
名目ながら自治が認められていました。このローマ帝国の傀儡ともいえるユダヤ人の指導者層が、
聖書に頻繁に出てくるファリサイ派とかサドカイ派という人たちです。日本の自民党といったら
語弊があるでしょうか。これらの人々は律法学者を擁し、旧約聖書を自分たちに都合よく解釈し
人民を治めるのです。
 
さてその生誕の件ですが、パレスチナのガリラヤ地方の田舎町ナザレに、ヨセフとマリアという
婚約者がいました。もちろん敬虔なユダヤ教徒ですから婚前交渉などありません。ところがある
時、ガブリエルという天使がマリアの所に降り言うのです。
 
『アヴェ、マリア、恵みに満ち方、主はあなたと共におられます』。
 
マリアはそれが何の意味か分からなかったので、天使に問いただすと、聖霊がマリアに降って、
神のおん子が宿っていると言うのです。そしてその子をイエスと名付けろと。マリアは処女で
したので本来なら抗議すべきですが、神への信仰が厚い人でしたから、
 
『私は主のはしため、お言葉どおりになりますように』と答えました。
 
マリアはザカリアという女性にも祝福を受けます。
 
『あなたは女のうちで祝福され、ご胎内のおん子イエスも祝福されています』。
 
これらの言葉はアヴェ・マリアの祈りやお告げの祈りの一部としてカトリックでは唱えられます。
 
(つづく)

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105 2013/08/12(月) 22:07:28 ID:SiaD1hVIbY
106 2013/08/13(火) 14:15:21 ID:rSe1v7hZRo
私のブログにようこそ!!
 
マリアが臨月を迎える頃、ローマ帝国から、パレスチナの人々は全て生まれ故郷に戻って住民登
録をするようにと、命令が下ったのです。ヨセフとマリアは婚約者でしたから、共にヨセフの血
筋があるというユダヤのベツレヘムに向かいました。ベツレヘムの町は、そんな人たちが大勢集
まっていて、どこの宿屋も満員でした。その時マリアが産気づいたのです。なんとか宿屋の馬小
屋を借りることができ、無事男の子が産まれました。その男の子は布でくるまれ飼い葉桶に寝か
されました。
 
ちょうどその頃、ベツレヘム郊外で羊飼いたちが野宿をしながら羊の番をしていました。すると空
から天使が顕れ、主の栄光で周囲が明るくなったのです。天使は言います『今日メシアがお生まれ
になった。その方は布にくるまれて飼い葉桶にいる』。そして天使の大群が顕れ神を賛美しました。
 
『天のいと高き所には神に栄光、地には善意の人に平和あれ』。
 
『我ら主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ…』天使たちは歌い続けます。そんなわけで
羊飼いたちは、そのメシアを探しました。そしてヨセフとマリアを見つけ、赤ちゃんが天使の言っ
た通り、布でくるまれ飼い葉桶に寝かされていることに感動し、神をあがめ、賛美し帰って行きま
した。
 
八日後に、この赤ちゃんは天使との約束どおりイエスと名付けられ、そして夫婦はナザレに帰って
行きました。イエスとはあちらではありふれた名前です。日本でいう太郎(実際はそんな名前の人
もいないでしょうが)に当たります。

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107 2013/08/13(火) 14:18:24 ID:rSe1v7hZRo
ちなみに彼女たちの言葉や天使の歌は新共同訳聖書とは異なります。上記はカトリックで使われる
言葉です。また聖書がローマ人に読ませるのを前提に書かれた物だということを理解しておかない
と読み誤ります。当時のローマ人を刺激するような言葉は丁寧に排除されています。メシアという
語は救い主を意味しますが、これは当時のイスラエルにおいては、ローマ帝国から解放してくれる
人…すなわち革命のリーダーと理解して良いでしょう。盗賊として出てくる人はローマに反逆する
政治犯です。メシア…この言葉がその後どれほどイエスを苦しめたことか。
 
いずれにしろ『み言葉(父なる神)は人となり、私たちのうちに住まわれた』のです。
 
(つづく)

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108 2013/08/13(火) 15:20:17 ID:3Japa3xro.
109 2013/08/14(水) 14:23:18 ID:WanOjYJzKI
私のブログにようこそ!!

聖コルベ司祭殉教の記念日にあたる今日、聖イグナチオ教会では
彼を讃えるミサが行われました。

ポーランド人のマキシミリアノ・コルベ司祭は、日本にも来たことの
ある人ですが、第二次大戦中、あのナチスによってアウシュビッツ収
容所に入れられていました。おりしも脱走者が出たことが判明し、無
作為に選ばれた10人が、みせしめのため処刑されることになりました。

あるポーランド人軍曹が運悪く選ばれたのですが『私には妻子がいる』と
泣き出したのです。それを聞いたコルベ司祭は『私が彼の身代わりになり
ます、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから』と申し出ました。

処刑は、餓死刑と呼ばれる残酷なものです。飲み物も食べ物も与えられない受刑者は錯乱状態で亡く
なるのです。もちろん大勢は飢餓で亡くなりましたが、コルベ司祭は皆を励まし2週間を耐え抜きま
した。彼は薬物注射で殺されました。

それが8月14日です。コルベ司祭は生前、聖母被昇天の日である8月15日に死にたいと言っていました
から、たった1日及ばなかったのです。しかし彼の亡骸は聖母被昇天の8月15日に火葬されました。

今日のイグナチオ教会のミサでは、拝領唱としてヨハネ福音書のあの個所が朗読されました。
『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』。

さて前回のつづき、ヨセフとマリアは・・・私は聖書を語りだしてしまったようです。以降はグダグダ
になるので、クリスチャンの方は文句を言わないように。まあ、こんな板を見ている人もいないと思い
ますけどね。

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110 2013/08/14(水) 14:39:02 ID:WanOjYJzKI
で、そのつづき・・・と。

それから幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。ヨセフの職業は大工でしたから、イエ
ス少年も大工仕事の手ほどきを受たでしょう。もうすっかり大きくなったイエスは、ヨセフの仕事を手
伝い、一家は幸せだったでしょう。しかしそんな幸せな日々が永久に続くわけがありません。

イエスが19才の時、父ヨセフがこの世を去りました。イエスは一人っ子でしたから、マリアを支える
のはイエスが大工仕事でもらう賃金しかありません。イエスに兄弟がいたという記述が聖書にありま
すが、これは従兄弟を指すというのがカトリックの解釈です。それは中東では兄弟と従兄弟を区別す
る語が無く、また聖マリアは生涯処女を貫いたので、子供ができるはずが無いからです。聖マリアが
生涯処女を通したとは聖書のどこにも書いてありませんが、カトリックではそう考えるのです。

そうして幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。

ある日イエスは、彼が住むガリラヤ地方から100キロほど南の死海のさらに南方、ユダの荒野という
場所で、洗礼者ヨハネという人が革命的な説教をしているという噂を耳にしました。そしてユダヤ人
の革命家かも知れない彼の教えを、イエスも聞きたいと思うようになったのです。そしてマリアを捨て
て南へ向かいました。

その時の様子は聖書に書かれていませんが、例え話などの逸話で想像できます。ずっと後のことな
のですが、ある人がイエスへの弟子入りを許された時、では家族へいとま乞いをして来ますと言って、
『鋤に手をかけてから後ろを振り向く者は神の国にふさわしくない』とイエスに怒られています。

だからマリアとの別れの時も、イエスは泣いて引き止める彼女を振り払い、一度も後ろを振り返らず
ユダの荒野を目指したのではないでしょうか。あるいは、彼女が寝静まっているのを見計らい、こっ
そりと家を出たか…。

(つづく)

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111 2013/08/14(水) 19:41:43 ID:mkZRzKJrHU
私のブログにようこそ!!
 
私は仕事仲間やご近所様とは宗教の話など全くしないか、吹っかけられても
薄笑いをしてごまかします。それは信仰を持つ人の言葉がいかにウザいかと
いうことを、あのモルモン教の女に教わったからです。もちろん大多数のモ
ルモン教徒は慎み深いとは思います。しかしあの女を反面教師とし、以降の
生活では極力、抹香臭いことは避けるようにしています。だからこのような
場を与えられると指が止まりません。
 
死海とは皆さんもご存知のとおり塩分濃度がとても高く、人などが飛び込んでも浮かんでしまいます。
生物も住んでいない、文字通りの死の湖です。死海の周囲は塩害のため、草木一本生えていない荒
涼たる地が広がっています。この場所を当時の人々はユダの荒野と呼んでいました。
 
いずれにしろユダの荒野にやって来たイエスが見た物は、草木も生えてない荒野におびただしい小屋
が立っており、たくさんの人々が暮らしている風景だったでしょう。大勢の人々が洗礼者ヨハネの弟子
として暮らしていたのです。そしてその中には洗礼者ヨハネに洗礼を授かるために行列を作っている
人々もいました。
 
洗礼者ヨハネはといえば、驚くべき風体でイエスを驚かせたことでしょう。ヨハネはらくだの毛皮を着て、
腰に革ひもを巻いた異様な格好をしていました。彼は、いなごと野蜜を食べて生きているのです。
 
『洗礼』という秘跡はキリスト教独特のもので、ユダヤ教にはありません。しかし旧約のエゼキエル書に
『私は清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から
清める』とあります。これを文字どおり実行したのが洗礼者ヨハネです。
 
洗礼者ヨハネは教えます。『まむしの子らよ、差し迫った神の怒りをまぬかれると思うのか。斧は既に
木の根元に置かれている。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて火に投げ込まれる』。『私は荒れ
野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよ』。ヨハネの弟子たちは皆、彼こそメシア=ローマからの
解放者だと思ったし、イエスもそう思った事ことでしょう。
 
(つづく)

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112 2013/08/14(水) 21:17:41 ID:iFdc4Ajuig
113 2013/08/15(木) 15:09:15 ID:FFaZpFSdkM
私のブログにようこそ!!

聖母の被昇天の祝日である今日は、趣向を変えて英語ミサに与って
来ました。英語では The assumption of the B. V. Mary と言います。

B. V. Mary とは Blessed Virgin Mary、すなわち聖なる処女のマリー
ですね。ちょっと聖母というより乙女というイメージでしょうか。

英語ミサといっても、日本語のミサと式次第は一緒ですから、コツさえ
覚えれば簡単です。それに何かありがたみが増すような気も(*´ω`*)。

『また司祭と共に』は And also with you です。英語の方が司祭に親しみを感じるでしょう?
日本語のミサと違う点が一か所だけあります。それは『全ての誉れと栄光は世々に至るまで』を
会衆では無く司祭が唱えるところです。なぜかというと、これに続く会衆の応答『アーメン』が
ミサの中で何回も唱えるアーメンの中で一番重要らしいからです。英語だと『エイメン』ですが。

と思って『キリストと我等のミサ』の小冊子をたった今見たら、やはり日本でもこの言葉は司祭が
唱えることになってますね。じゃあ、今まで私たちは何を勘違いしてたんでしょう。あなたも唱え
ていませんでしたか?『全ての誉れと栄光は世々に至るまで、アーメン』って…。

まあその謎はネットでも調べればわかるでしょう。昨日お話ししたコルベ神父様には、日本滞在時の
伝説があります。それは彼が長崎に初来日したわけですが、日本語もおぼつかなかったであろう彼が
日本信徒の助けもあったでしょうが、聖母の騎士という雑誌を来日からたった一か月で出版している
のです。ちなみに聖母の騎士社は今も長崎にあり、キリスト教関連の書籍を発行しています。

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114 2013/08/15(木) 15:16:05 ID:FFaZpFSdkM
彼が長崎に来たのは1930年代でしょうか。その頃、日本には孤児院という施設がほとんど無かった
のです。そこで彼は長崎にそれを作ろうと思ったのですが、なにしろお金がありません。彼と日本人
修道士は、ある長崎の大工さんの仕事場に行って『材木を貸していただけないでしょうか。お金はい
つかきっと払います』と言ったのです。大工さんはキリスト教徒では無かったのですが、そのポーラ
ンド人の趣旨に感動し『よっしゃー、わかった、寄付するから全部もってけ、ドロボー』と気前よく寄付
してくれました。私は長崎弁を知らないので江戸っ子風に書きましたが。まあそんな感じだったでしょう。
他の長崎の大工さんたちも材木を寄付してくれ、あっというまに孤児院はできあがりました。

しかし第二次大戦が厳しくなり、日本での運営資金に困ったコルベ神父は、ポーランドで資金調達
すべく母国に帰国し、運悪くナチスに捕まってしまったというわけです。

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115 2013/08/16(金) 12:47:57 ID:3kzKcupA.s
私のブログにようこそ!!

そうそう、昨日の英語ミサ The Assumption of the B. V. Mary は、
私の好きなバッハのアヴェ・マリアのオルガンから始まる盛大なミサ
でした。某外人タレントも複名来てましたよ。

・・・イエスの続きです。

月日は過ぎ去りました。ヨハネの弟子の中でもイエスはだんだん頭角を現していき、ヨハネに次のよ
うに言わしめています。『私は水で洗礼を授けるが、後からもっと優れた人が来る。私は彼の履物の
紐を解く値打もない。彼は聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける』。

実際、イエスには洗礼者ヨハネが説く恐怖の神、怒れる神に納得がいかない思いがあったのでしょう。
この頃から、『愛の神』という思想がイエスの中に芽生えたのではないでしょうか。やがてイエスは
ヨハネの集団から離れました。

その後40日間、悪魔に荒野を引き回されたのです。この悪魔とはたぶんヨハネ派とは異なるもっと過
激な集団のことでしょう。この集団はカリスマ的指導者を(たぶん傀儡として)欲していたのです。

聖書は過激集団の誘いを悪魔の言葉として語ります。『この国々の一切の権力と繁栄を与えよう。そ
れは私にまかされていて、これと思う人に与えられるからだ』。革命が成功した暁には国を全部与え
ようと。さらに悪魔は試します。『神の子なら石をパンに変えてみせろ』と。イエスはここで、
『人はパンのみにて生きるにあらず』という有名な言葉を残しています。

ヨハネ集団にいる時から、ヨハネの弟子からイエスの弟子に鞍替えする者たちがいました。それは
ヨハネをして『見よ、イエスこそ世の罪を除く神の子羊だ』と言わしめているからです。イエスは、
そうして弟子になった者に聞いています『何を求めているのか』。イエスは自分がメシア=革命家
では無いことを言いたかったのでしょう。それは皆が『私はメシアに会った』と言ったからです。

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116 2013/08/16(金) 13:01:19 ID:3kzKcupA.s
イエスが悪魔の誘惑を受けている時、彼は洗礼者ヨハネが
逮捕されたことを知りました。ヨハネとその弟子たちがロ
ーマに反逆して一揆を起こすのを恐れた、ファリサイ派や
サドカイ派の連中が、イスラエルのヘロデ王(もちろんロ
ーマの息がかかった傀儡です)に、焚きつけたのでしょうか。

この頃、イエスは故郷のガリラヤに帰りました。イエスの弟子だった者やヨハネの弟子だった者など、
多くの人々が従ったでしょう。イエスの評判もガリラヤに伝わっていたでしょう。草木も生えていな
いユダの荒野に比べ、ガリラヤのなんと穏やかなことか。麦畑が風になびき、人々は葡萄酒が大好き
でしたから葡萄畑もあったでしょう。

イエスと弟子たちがガリラヤ湖のほとりを歩いている時、ペトロとアンデレという漁師が湖で網を
打っていました。イエスは水辺に立ち微笑んで『私について来なさい。人間を獲る漁師にしよう』。
彼らは即座に網を投げ捨てイエスに従いました。イエスの威光がそうさせたのでしょうか。あるい
は有名人イエスに声をかけられた喜びからでしょうか。この逸話から、私たちは物事に執着しては
いけないと教えられます。お金を稼ぐのは構わないが、それに執着してはいけないと。

その後ペトロはイエスの一番弟子となってやがてローマで殉教します。聖書の中では一番ドラマティ
ックでもあり、とても好人物と思われる人です。でも彼でさえ、イエスが亡くなるまで、イエスの
真意がわからなかったのです。しかし無学な漁師が偉大な伝道者に変貌するのですから、人生奥が
深いと言わざるを得ません。歴代のローマ教皇は彼の後継者なのです。

イエスはこのガリラヤ湖のほとりで四人の新たな弟子を得ています。

(つづく)

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117 2013/08/16(金) 19:35:29 ID:r8Ctt8YCiM
私のブログにようこそ!!
 
そしてイエスはナザレのマリアの元へ帰りました。泣いて引き止めた
イエスが帰って来た時、マリアはどうしたでしょう。聖書には記述が
ありませんが、まだ遠く離れているにもかかわらず、息子を認めて、
憐れに思い走り寄って接吻したでしょう。有名な『放蕩息子の例え』が
それを暗示しています。
 
ある男に息子が二人いて、ある時、弟が『お父さん、私がいただくことになっている財産を今くださ
い』と言うのです。そこで男は、財産を半分づつ兄弟に与えました。すると弟は何年かのうちに放蕩
の限りを尽くし全部使い切って食べる物にも困り始めました。そして父に謝ろうと思い立ったのです。
『お父さん、私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。息子と呼ばれる資格はありませ
んから、ただの雇人として受け入れてください』と謝ろうと。しかし父親は、『まだ遠く離れている
にもかかわらず、息子を認めて、憐れに思い走り寄って接吻した』のです。そして弟のために祝宴を
開きました。弟が放蕩の限りを尽くしている間、真面目に働いていた兄は面白いわけがありませんの
で文句を言いました。すると父親は『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。しかし弟は死んでいた
のに生き返ったのだ。いなくなっていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて当然ではないか』。
 
この逸話から私たちは神の愛を知らされます。怒れる神では無く優しく赦してくれる神。
 
しかしこの例えにも出てくるように、イエスが身勝手な理由で家を空けている間マリアの世話をして
いた従兄弟たちが、不満を言ったであろうことは想像できます。その後イエスは、母マリアと自分に
味方する従兄弟を連れてカファルナウムという村へ移ります。

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118 2013/08/16(金) 19:39:24 ID:r8Ctt8YCiM
さてイエスがナザレに帰ってから三日後、ガリラヤ地方のカナという町
で結婚式がありました。マリアもイエスも弟子たちも招待されました。
どんちゃん騒ぎの果て、ついに葡萄酒が無くなってしまいました。宴会
はまだ続いています。そこでマリアがイエスに言いました『葡萄酒が足
りなくなったわ』。
 
イエスは言いました『母さん、そんなこと私に関係ありません。私の時はまだ来ていないのです』。
 
でもマリアはお構いなしです。女中たちに命じ『息子が何か言ったらそのとおりにしてちょうだい』。
 
しかたなくイエスは女中にカメ一杯の水を用意するよう命じ、それを葡萄酒に変えて見せました。
これがイエスの起こした最初の奇跡です。病人や困った人のためでは無く、皆の楽しみのために奇跡
を行ったという所に、イエスの教える愛の神があります。それは罰する神ではありません。
 
その葡萄酒を味見した幹事役は驚きました。その葡萄酒がイエスの奇跡で出された物とは知りません
から、彼は花婿に言いました『だれでも一番最初に良い葡萄酒を出し、酔いが回ったら(もう味なん
てわからないから)劣った物を出すものだが、婿さんは後に上等の葡萄酒を用意しておくなんて粋で
すね』。これはすなわち、信仰が深いほど後に授かる物がより良い、という例えでしょうか。
 
いずれにしろ、ここにイエスの栄光が顕れたのです。弟子たちはイエスを信じました。そして皆はナ
ザレに帰りました。
 
(つづく)

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119 2013/08/17(土) 12:23:55 ID:WxgshcGVV6
私のブログにようこそ!!

そしてその後、イエスを快く思わない従兄弟たちを避け、イエスは母マリアを
連れてカファルナウムという村に行きました。彼の伝道はこの村から始まりま
す。『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』。

彼も洗礼者ヨハネに習い、信仰厚い人に洗礼を授けます。しかしヨハネのような
罰する神、怒れる神を彼は語りません。ヨハネの説教は『まむしの子よ』で始ま
りましたが、イエスは違います。

『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。
休ませてあげよう…。あなたを』。

『私は柔和で謙遜な者だから、私と共に荷を負い、私に学びなさい…。
私の荷は負いやすく軽いのです』。

そう言われた人々は、平和な顔で帰って行ったでしょう。また弟子入りを志願する者もいたでしょう。

こうしてガリラヤの村々を伝道して回ると、イエスの名声はいやが上にも高まりました。人々はイエス
のお姿を見ようと、聖書の言葉を借りれば『大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほ
どになった』のです。

イエスが伝道を開始してどのくらいの月日がたったことか。

もうこの頃はイエスは有名人です。彼をエリア=ローマ植民地からの解放者と見る者もいれば、逮捕
された洗礼者ヨハネの後継者と考える者もいます。ローマの傀儡であるファリサイ派やサドカイ派は
スパイを放っていますし、律法学者がイエスの失言を見つけて食い下がろうと狙い始めています。

(つづく)

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120 2013/08/17(土) 12:44:46 ID:WxgshcGVV6
私のブログにようこそ!!

イエスの言行からわかりやすい個所を書き出しましょうか。

『心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる』。

『憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の国を見る』。

『今飢えている人は幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人は幸いである、あなたがたは笑うようになる』。

これらの言葉は、神の前では絶望という状態が無いことを教えます。私たちは人生に絶望したと言っ
ても、まだどこかに希望の火はちょろちょろとでも燃えているはずです。愛の神がそれを、お見過ご
しになるわけはありません。私たちは神の前で謙虚にならないといけないのです。謙虚にもう一度、
自分を見直しましょう。そうして希望を見つけるのです。

『あなたがたは人殺しはいけないと教えられているだろうが、私は他人に腹を立てるのもいけないと
言っておきます。他人に馬鹿と言ってもいけないし、愚か者と言ってもいけません』。

『目には目を、歯には歯を、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。誰かが右
の頬を打ったら、左の頬も向けなさい。許しなさい、そうすればあなたがたも許されます。与えなさい、
そうすればあなたがたも与えられます』。

『隣人を愛し、敵を憎め、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。汝の敵を愛
せよ。敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことを
し、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあります。あなたがたの父が憐れみ
深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい』。

あなたが自分を大切に思うように、他人も同様に自分が大切なのです。これは世界中ありとあらゆる人
種にあてはまる真理です。相手を尊重する気持ち、敬う気持ちがあれば、争い事など起きるはずもあり
ません。しかし21世紀の今日でも、世界中に紛争が絶えません。これがどれほど父なる神を悲しませて
いることか。人類は全て父なる神がお造りになったのですから。

(つづく)

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121 2013/08/17(土) 14:29:39 ID:Vt/PuQFuzA
私のブログにようこそ!!

『地上に富を積むのは止めなさい。地上では虫が喰ったり泥棒に
取られたりします。だから富は天に積みなさい。そこには虫や泥
棒はいません。あなたの富のある所に、あなたの心もあるのです』。
 
『誰も二人の主人に仕えることはできません。神と富の両方に仕えることはできないのです』。
 
『人を裁いてはいけません。そうするとあなたも裁かれるからです。神聖な物を犬に与えても、豚に
真珠を投げつけても無駄です。彼らはそれを足で踏みにじり、あなたに噛みつくでしょう』。
 
豚に真珠というのは完全に日本語化してしまっていて、猫に小判と同様に使っています。ここで、な
ぜ犬と豚かというと、ユダヤ教の律法では犬と豚は穢れた不浄な物なのです。犬とか豚のような穢れ
た人間がいるとすれば、それは他人の忠告を無視するような傲慢不遜な人間です。そういった人は、
例え誰かに裁かれたとしても無視を決め込むでしょう。だから豚に真珠なのです。私たちは傲慢不遜
に陥らぬよう、謙虚な心を忘れないようにしなければなりません。『訓戒を無視する者は自分の命を
ないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る』のです。
 
『求めよさらば与えられん。探しなさい、そうすれば見つかります。門を叩きなさい、そうすれば開
かれます。例えば真夜中に友達の家に行き、パンを三つ貸してください。不意の客があって出す物が
無いのですと言って戸を叩いたとしましょう。するとその家の人はこう答えるでしょう。もう何時だ
と思ってるのですか。子供も寝かせたところだし、面倒をかけないでください。でもしつこく叩けば
起きてきて戸を開けてくれるでしょう。あなたがたは、自分が悪者だとしても、子供にだけは良い物
を与えるでしょう。そのように、天の父は求める者に聖霊を与えてくださいます』。
 
神様の思し召しを願ってもそう簡単にことが実現するわけがありません。実生活でも何かを求めて得
られないとすぐあきらめてしまいがちです。しかし神は違います。神は私たち子供を愛してくださる
良い父親ですから、ひたすら信仰すれば、物質的な願いはかなわないかも知れませんが、心に平安を
与えてくださいます。
 
(つづく)

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122 2013/08/17(土) 15:15:42 ID:Vt/PuQFuzA
私のブログにようこそ!!
 
『他人に見てもらおうとして人前で善行をするのは止めなさい。
あなたたちが施しやボランティアをする場合、人目につかない
ようにしなさい。偽善者たちは人からほめられようと、会堂や
街角でおおっぴらにします』。
 
『盲人が盲人の道案内をすることはできません。そうすれば二人
とも穴に落ちてしまいます。師よりまさる弟子はいません。でも
誰でも十分に修行を積めば、そんな師になることができます』。
 
私たちは知らず知らずに同類とつるみがちです。これは烏合の衆になりかねません。あるいは同病相
憐れむという言葉を思い出すかも知れません。ここでまず謙虚に自分を見つめ直す作業が必要です。
そして自分を、より高みに引き上げてくれる良い師(それはもしかするとあなたのそばにいる友達か
も知れません)を探すべきなのです。私たちは弱い人間ですから、ともすれば自分よりレベルの低い
友人、知人といるほうが楽でしょう。そういった連中と会社の悪口を言いながら一杯やるなどして、
日頃のうっぷんを晴らすという生活は楽です。しかし私たちはそのレベルに甘んじていてはだめなの
です。私たちは信仰という手段をとおして自己を見つめ、より良き明日を手に入れる術を知っています。
 
『狭き門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、道も広々しているので入る者も多いのです。しか
し命に通じる門は狭く、その道も狭いので人々はなかなかその道を探すことができません』。
 
私たちは、ともすれば安楽な方に流れがちです。それは人間ですから、誰でも楽がいいに決まってい
ます。でも広々した道を漫然と走っていたら、ネズミ取りにかかる可能性だってあります。漫然と無
為な日々を送るという一生もいいでしょうが、死を迎える時に後悔しないよう、日々の営みを神に感
謝し、充実した日々を送った方がより良いんじゃないでしょうか。でも充実した日々を送ると言って
も、これは言うは易く行うは難しです。でもその難しい『狭き門』を探すのも人生です。

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123 2013/08/17(土) 15:20:51 ID:WxgshcGVV6
『偽預言者を警戒しなさい。偽物は羊の皮を身にまとって来るが、
中身は狼です。羊の皮をかぶった狼。でも見分けるのは簡単です。
いばらから葡萄が、あざみからいちじくが採れることはありません。
悪い木が良い実を結ぶはずはないのですから、あなたがたはその実
で彼らを見分けられます』。

羊の皮をかぶった狼というのもイエスの言葉だというところに面白さがあります。まあこれは、
たいてい悪いことをする奴は最初は、羊の皮をかぶった狼、として来るでしょうから、今も昔も
変わらずといったところでしょうか。

(つづく)

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124 2013/08/17(土) 15:56:26 ID:lMqtYBOtss
125 2013/08/18(日) 11:30:45 ID:Q2LExXI5eU
私のブログにようこそ!!

春だったのでしょうか。ガリラヤ地方はのどかで、
麦畑の上ではヒバリが鳴き、道端には名も無い花
が咲き乱れていたのでしょう。その中心には静かに
水をたたえたガリラヤ湖があります。

『何を食べようかなどと思い悩むのは無駄です』とイエスは弟子たちに話し始めます。

『あの空を飛ぶ鳥をご覧なさい。あの鳥たちは働きもしないが、天の父はあの鳥たちを養ってくださ
る。この野に咲く花を見なさい。花は働きもしないが、あの栄華を極めたソロモン王でさえ、この花
のように美しく着飾ってはいませんでした。だから何を着ようかと思い悩むのも無駄です。明日は炉
に投げ込まれるような雑草でさえ、神はこんなに綺麗に装ってくださるのですから。あなたがたの父
は、何があなたがたに必要か良く知っています。だから、ひたすら神の国を求めなさい。そうすれば、
あなたがたが欲する物は、おのずとついてきます。明日のことまで思い煩う必要はありません。明日
のことは明日が思い煩います』。

これは明日は明日の風が吹く…と理解してはいけません。今日を充実して生きれば、きっと素晴らし
い明日が来るということです。

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126 2013/08/18(日) 11:52:46 ID:Q2LExXI5eU
この地図を見てください。カペナウムと表記されている村が
カファルナウムです。ガリラヤ湖のほとりにティベリアという
町がありますが、ここは時のイスラエルの王ヘロデが作った
ローマ風の町です。イスラエルは名目上ながらも自治が認め
られていましたから、名目上の王がいたのです。この町は彼が
別荘を構えるために作ったような町です。

イエスはマタイ・マルコ・ルカ福音書によるとガリラヤ地方の町しか伝道していないように書かれ
ていますが、ティベリアには寄った形跡がありません。

ヨハネの福音書だけが、この間、何かの祭りがある度、イエスが何度かガリラヤとイスラエルの間を
往復したことを語っています。

地図でガリラヤとユダヤと書かれている地方がユダヤ人の住む地区です。その間にあるサマリア
という地方は、なぜか聖書では悪人扱いされています。ユダヤ人から毛嫌いされています。もしか
してサマリア人とはユダヤ人と考え方も違う、イエスの死後にできるイスラム教徒になるべき人たち
だったのでしょうか。

ガリラヤ地方の人々というのは、ユダヤ地方より一段と民族意識が高い人たちなのです。イエスの
生前、および死後にローマ帝国に対する反乱が起きました。そういったことを念頭に置いていれば、
ローマに頭を下げている与党のファリサイ派やサドカイ派が、いかにガリラヤおよびイエスを警戒
していたかが理解できます。

また聖書というのも、イエス死後の反乱が鎮圧された直後に書かれています。特にマタイ・マルコ・
ルカ福音書は反乱鎮圧直後、西暦60〜70年代に、イエスの言行録やイエスを見たと言う人の証言、
ガリラヤ地方に残るイエス伝説を元に、イエスを直接見聞したことの無い作家が書きました。
ただしマルコの福音書の作者だけは、イエスに一緒に付き従った民衆の一人だろうという説も
あります。いずれにしろ、ガリラヤ反乱騒動の直後ですからローマ人への配慮があったことで
しょう。肝心な所がぼかされている形跡があります。

ヨハネ福音書はさらに後の西暦95〜100年に書かれましたから、ややユダヤ人の本音が語られている
部分もあります。それもオブラートで包んでありますが。

(つづく)

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127 2013/08/18(日) 19:31:48 ID:kqCQ0ykge6
私のブログにようこそ!!
 
こんなこともありました。久しぶりにナザレに帰ったイエスは
安息日(土曜日)に会堂に行きました。彼は聖書朗読を託され
イザヤ書の巻物が渡されました。そこに次の言葉を見たのです。
 
主の霊が私におられる。
貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。
 
イエスは巻物を巻いて席に座りました。『この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にした時、実現し
た』とイエスは言います。その時、会堂はどよめきました。ある者は『大工のこせがれがあんなに
権威あるように話すとは』と驚き、『あんな偉そうにしているが、私はあの者の母親や従兄弟を知っ
ているぞ』と言います。これらはスパイたちが民衆を扇動するために言ったのかも知れません。でも
イエスの真意は、この聖書の言葉に神の愛が、自由な神の愛があることを教えたかったのです。
 
またイエスは妙な言葉を言い出すのです『カファルナウムで私がいろいろ行ったのだから、私の故
郷であるこの地でも何かしてくれと、あなたがたは言うだろう。しかし預言者という者は故郷では
歓迎されないものだ。エリアは…イスラエルに重い皮膚病を患っている人が多くいたが…誰も清く
されなかった』。この言葉を聞いた民衆は怒ってイエスを崖から突き落とそうとしますが、彼はスル
リと人々の怒りをかわし、ナザレから立ち去ったのです。
 
聖書の中にはイエスの奇跡物語が数多く出て来ますが、聖書作家が聖書に忍ばせた何げないこの文章
が、実際の人間イエスを表現しているのではないでしょうか。愛の神を説くだけで、奇跡も起こせな
いイエス。貧しい人々の期待に応えられず、じっと彼らの手を握り締めることしかできないイエス。
民衆は彼に民族独立のリーダーを期待しますが、彼の真意はあくまでも『神の愛』の証明なのです。

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128 2013/08/18(日) 19:39:36 ID:kqCQ0ykge6
私たちは、友達や恋人、家族に対して甘えているのかも知れません。身近であればあるほど、気安く
ものが言えるでしょう。でもあなたのその一言が、もしかして相手を傷つけているかも知れません。
一日の終わりに今日の出来事を思い返し、何か悪い言動でも思い当たれば、電話なりメールなりで
一言『さっきは俺、変な事を言ったみたいだけど、そんなつもりで言ったんじゃないんだ』と言いま
しょう。この一言が相手を癒し、あなたもまた後悔が残らず癒されるのです。
 
(つづく)

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129 2013/08/18(日) 20:23:24 ID:FFTlo52Cq2
130 2013/08/19(月) 13:57:14 ID:MV09KPvy/2
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。イエスがある人の家で説教している時 
— そこにはガリラヤの村を始め、ユダヤの村やエルサレムから
来たファリサイ派や律法学者がいたのですが — 大勢の病人が
やって来てイエスに癒されていました。

そこに中風で動けない男をベッドに寝かせたまま運んできた人々が
いたのですが、あまり大勢の人が家の中に居たので入れないのです。

そこで思い余って、屋根に上り、瓦をはがして屋根から病人をイエスの前に吊り降ろしました。イエ
スはそれらの人々の信仰を見て、この病人に『あなたの罪は赦された』と言ったのです。

ところがファリサイ派や律法学者の連中はイエスに難癖をつけるのです。『これは神を冒涜する行為
だ。神のほかに、誰が罪を赦すことができようか』。イエスは言い返します。『あなたの罪は赦され
た、と言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらが簡単か』(もちろん、あなたの罪は赦されたと言
う方が簡単ですよね、言うだけなら誰にでもできますから)。

そしてイエスは病人に『起きて歩け』と言いました。すると病人は即座に立ち上がり、ベッドを担い
で神を賛美しながら帰って行きました。イエスはファリサイ派や律法学者の更に上を実行して、彼ら
の鼻を明かしたというわけです。

これは奇跡物語そのものより、本人の信仰ではなく、病人を運んできた人々の瓦をはがしてまでもイ
エスの癒しに与ろうとする信仰の深さも大事だということを私たちに教えます。信仰を持つものは、
例え赤の他人といえど、また他宗教の者に対しても、平安を祈る気持ちを持たなければいけないので
しょう。自分の愛する者を、神のみ手に委ねことが必要なのです。

(つづく)

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131 2013/08/19(月) 14:39:40 ID:MV09KPvy/2
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。イエスたちが歩いているとマタイと
いう徴税人が収税所に座っていました。イエスが『私に従いな
さい』と言うと、マタイは(あのペトロやアンデレと同じよう
に)何もかも投げ捨ててイエスに従いました。

前に言ったかも知れませんが、徴税人というのは、侵略者ローマ
帝国のためにという名目で、人々から金を徴収するから卑しいの
です。その何割かをふところに入れて生活しているのですから、世間の嫌われ者です。

マタイは喜んで、自分の家にイエスとその弟子たちを招待して大宴会を開いてくれました。しかし
ファリサイ派や律法学者の連中は、また難癖をつけるのです。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪
人と一緒に飲んだり食べたりするのか』と。

イエスは答えます。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは正しい
人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである』。

人を裁くな、そうすればあなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな、そうすればあなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい、そうすればあなたがたも赦される。

(つづく)

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132 2013/08/20(火) 12:33:44 ID:FBDn6W0nTc
私のブログにようこそ!!

私は>>119で嘘を書いてしまいました。イエスはご自身では
洗礼を授けてはいません。これは弟子(おそらく洗礼者ヨハ
ネの所から付き従った者)たちがやっていたことだと、ヨハ
ネ福音書4章は述べています。イエスはユダヤ地方にも伝道に
行ったのですが、イエスが洗礼者ヨハネより大勢の人々を弟子
にしているという噂がファリサイ派の耳にも入ったのを知ると、
身の危険を感じてガリラヤへ引き返しました。この時、通常の
ユダヤ人ならヨルダン川沿いを歩くのですが、追っ手を恐れた
ためか、あえてユダヤ人の嫌うサマリア地方を行く道を選んだのです。

サマリア地方のシカルという町で、イエスは井戸のそばで疲れて休んでいました。時は正午ごろで
暑かったでしょう。そこにサマリア人の女が水を汲みに来たのです。イエスは女に『水を飲ませて
ください』と言いました。弟子たちは皆、町に食料を買いに行っていて、イエスと女の二人だけが
いました。

女は『ユダヤ人のあなたが、(ユダヤ人の嫌う)サマリア人の私に水が欲しいと頼むのですか』と
最初は相手にしないのですが、だんだん打ち解けて行きます。そして女は言います。『主よ、あな
たは預言者だとお見受けします。私どもの先祖はあの山(ゲリジム山)を礼拝しましたが、ユダヤ
人はエルサレムを礼拝します。どちらが本当でしょうか』。

イエスは言います。『あなたがたは、あの山でもエルサレムでもない地で、父を礼拝する時が来る。
霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。それは今だ』。

女は驚いて言いました。『私はキリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています』。

イエスは言います。『それは私だ』。

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133 2013/08/20(火) 15:21:14 ID:FBDn6W0nTc
イエスが自分をメシアだと告白したのは、聖書の
全ページを見渡してもほとんどありません。ここ
とフィリポ・カイサリヤ地方でペトロが『あなたは
メシア』と言ったことにイエスが満足したという個
所くらいでしょうか。

ペトロの場合はイスラエル解放者としてのメシアと勘違いしていたようですから、そういった
意味ではこの箇所が唯一だと言えるでしょう。

イエスはメシアかと尋ねられると、たいてい無言で無視するか激しく否定します。それが、こ
のユダヤ人の嫌うサマリア人の女には打ち明けたという所に、何か不思議さを感じます。

あとこの板に関して苦言を呈したいのは、聖書の聖句をもてあそんでいるスレがあることですね。
聖書は先達が書いた偉大な物語なのですから、その聖句がどんな状況で発せられたかわからなければ
意味がありません。意味不明な小説なんて読みたくないでしょう?
カトリック信徒としては聖書への冒涜が残念でなりません。

(つづく)

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134 2013/08/21(水) 14:55:34 ID:8nwHN0RXSM
閑話休題。

私はカトリック司祭(たぶん大多数)が、閣僚の靖国神社
参拝と憲法九条改正に反対するのを悲しく思います。
彼らは言います。

『靖国神社は宗教法人としての法人格を有し、中身もれっきと
した宗教団体であるならば、誰を祀ろうと、それは信教の自由
だから、文句をつけるべきものでは無い』…と一定の理解は示しますが、そこから飛躍して、

『ではなぜ国内外の心ある方は、閣僚や政治家の靖国参拝に異議を唱えるのでしょう。
それはその参拝という純粋であるべき行動に、何か純粋でない下心を読み取るからではないで
しょうか』・・・と。

その下心とは憲法九条の改正です。私たちカトリック信徒は、
『この下心を見破り、戦争のできない国こそ普通の健全な国なのだということを、納得いくように
説明できる発想と理論を構築しなければならない』・・・と。

広島に落とされた原子爆弾を遠くから撮影したという写真家の言葉を引用して『悔しいけれど、
あのきのこ雲はとてもきれいでした』と、戦争という行為が美化される危険性があると煽り、あ
たかも現在の与党がすぐにでもどこかの国と戦争を始めるように脅します。

『哀悼の意を表すことがなぜ悪いという、とても普遍的(カトリック)正論の陰に、全く普遍的
ではない自分の国だけという排除の論理を潜ませ、よってもって政治道徳を踏みにじっている』。

この論法は一見とても正しい信仰者のあるべき姿のように見えますが、『心ある方は、閣僚や政
治家の靖国参拝に異議を唱える』という個所から、我々信徒を誤った考え方に導こうとする悪意の
誘導が感じられます。心ある方は閣僚や政治家の靖国参拝に賛成し、むしろ称賛すると思います。

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135 2013/08/21(水) 14:58:05 ID:8nwHN0RXSM
聖書の中に次のような話があります。

自分を正しい者だとうぬぼれて、他人を下に見るような者をいましめて
イエスは言います。『ファリサイ派の人と徴税人の人が、二人、祈るため
に神殿に上った。

ファリサイ派の人の人は心の中でこう祈った・・・神様、私は他の人のように、
他人の物を奪い取る者、不正な者、姦通を犯すような者でもなく、またこの
徴税人のような者でないことを感謝します。

ところが徴税人は祭壇から離れて立ち、伏し目がちに、胸を打ちながら言った…神よ、罪人の私を
憐れんでください。

言っておくが、義とされて帰ったのはこの徴税人であって、あのファリサイ派の人では無い。誰でも
高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高くされる』。

カトリックでは司祭が『全能の神と・・・』と言ったら続けて『兄弟の皆さんに告白します。私は思い、
言葉、行い、怠りによって、たびたび罪を犯しました。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟
の皆さん。罪深い私のために神に祈ってください』と祈ります。本来のラテン語の祈りでは、この間
に三度胸を叩いて『罪をくやみます』と言うことになっているそうです。これもこの逸話が元になっ
ているのでしょう。いずれにしろ、私には日本の司祭がこのファリサイ派の人のように思われます。

(つづく)

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136 2013/08/22(木) 13:52:22 ID:n825cATH6Y
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。あるファリサイ派の人の招待で、
イエスとその弟子たちがその人の食卓についていると、一人
の女が使用人たちの制止を振り切って入って来たのです。そ
の女は、石膏の壺に入った香油をイエスの足に塗ったのです。
彼女の目から涙があふれ、イエスの足を濡らしました。そして
自分の髪の毛でそっとイエスの足の涙をぬぐいました。

この女は罪深い女 — 売春婦 — なのです。ファリサイ派の人は思いました。『この人がまこと
の預言者なら、自分に触れている人が罪深い女だとわかるはずだ』。

しかしイエスは彼女の涙で全てを知りました。イエスは言います。『あなたの罪は赦された』。『こ
の人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛
することも少ない』。

イエスは優しいのです。突然入って来た女、その思いつめた目、そして彼の足を濡らした涙で、イエ
スはその女のかかえている悲しみをすべて知ったのです。女も好んで娼婦をしているわけではないで
しょう。彼女にはその仕事を選ばざるをえなかった多くの苦しみがあったわけです。
多く愛する者は多く赦される・・・愛の神を説くイエス。
でもローマ帝国を後ろ盾にしたファリサイ派などの人たちとの戦いは続きます。

(つづく)

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137 2013/08/22(木) 15:50:44 ID:n825cATH6Y
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。十二年も出血の止まらない難病を
抱えた女性がいました。彼女は全財産を医者に使ったのに治ら
なかったのです。そこにイエスと弟子たちが通りかかりました。
大勢の群衆がイエスを見ようと押しかけています。

するとこの女は、何とか自分の病から治りたい一心でイエスの服に
触れたのです。イエスは女の悲しみを一瞬に理解しました。彼は言
います。『私の服に触れた者がいる』。

ペトロが答えました。『先生、こんなにたくさんの人が居るのですから気のせいですよ』。

『いや、確かに触れた者がいる』。イエスが振り返ると、震えている女がそこにいました。彼は言い
ます。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』。

イエスは優しいのです。震える女の目、怯えた女の目を見てイエスは女の苦しみが全てわかりました。
実際のイエスはひざまずいている女に向き直り、じっと手を握ってあげたのでしょう。『そのひたむ
きさが、あなたを癒すのですよ』と優しく語りかけたのでしょう。

(つづく)

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138 2013/08/23(金) 15:02:44 ID:7c1g/DPASY
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。ある安息日(土曜日)にイエスの一行が麦畑
を通りかかった時、弟子たちが麦の穂を摘み、指先でもんで食べだした
のです。これはファリサイ派などイエスを快く思っていない連中にとって
は良い口実です。彼らは律法の禁止事項『安息日に仕事をしてはならない』
を破っているのですから。

どれほど安息日がユダヤ人にとって重要か。これは21世紀の今でも、イスラエルでは安息日が守られ
ていることからもわかります。この日になると、高層ビルのエレベーターでも各階停止の自動運行に
なるのです(エレベーターのボタンを押すのが仕事として禁止されているからです)。ホテルでは食
事が出されず、列車も満足に運行されず、飛行機だって飛ばないことがあるのです。車の運転ももち
ろんだめですし、ボタンを押すのが禁止ですから、この日はテレビも見ることができません。

さすがに現在ではこれを守らない人たちも出てきているようですが、ほんの数十年前までは国際線の
ジェット機でさえ飛ばなかったのです。車を運転すると石を投げられたのです。律法を破ると石打の
死刑になるからです。ですからファリサイ派の人がすぐにイエスに論争を挑みます。
『見よ、あなたの弟子たちは安息日に禁止されていることをしている』。

イエスは言います。『安息日は人のために定められた。人が安息日にあるのではない』。

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139 2013/08/23(金) 15:11:30 ID:7c1g/DPASY
私たちはよく、キリスト者は自由だと教えられますが、律法を踏まえた上での自由だということを忘
れてはいけません。例えば、自殺とか堕胎とか戦争とか、カトリックで禁止されていることは今でも
多くあります。一定のモラルをわきまえた上での自由です。

戦争といえば第二次大戦中、日本のカトリックの教会では戦勝祈願がなされていたということです。
ドイツのカトリック教会が反ナチスを唱えて多くの神父が収容所送りになっているにもかかわらずで
す。あきらかに日本のカトリック教会はモラルに反していたでしょう。そんな教会の司祭が(全員か
どうかはわかりませんが)今、憲法九条改正反対を叫ぶのですから、朝日新聞と似ていませんか?

(つづく)

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140 2013/08/24(土) 15:11:31 ID:/PU4dB8hTo
私のブログにようこそ!!

イエスは弟子たちの中から、これはと思う人を十二人、選びました。
これが最後の晩餐を共にした十二使徒です。この中には、あのガリラ
ヤ湖で漁師をしていたペトロも含まれます。ペトロは元々シモンとい
う名でしたが、この時イエスにペトロという名をいただきました。十
二使徒の中には、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダも含まれて
います。

そしてイエスは十二使徒を各地へ宣教に遣わすことにしました。その決まりはこうです(マルコ6-7)。
(1)二人づつ組になること。
(2)杖一本以外はパンも金も何も持ってはいけない。ただし履物は履いても良い。
(3)下着は1枚だけしか持ってはいけない。
(4)異邦人の所に行ってはならず、サマリア人の所に行ってもいけない(マタイ9-5)。
(5)『天の国は近づいた』と述べ伝えること。
(6)家に入ったら『主の平和』と挨拶する。もし受け入れられなければ足の埃を払って出てくる。

なぜサマリア人が駄目か謎です。イエス自身はサマリア人に好意を持っている様子があります>>132
この宣教活動が成功したかどうかは聖書に記載がありません。たぶんうまく行かなかったのでしょう。
というのも、弟子たちは皆、イエスの説く愛の神がわからず、イエスをローマから解放してくれるメシ
アだと思っていたでしょうから。はたせるかな、この年の過越祭には、そんなメシアを待望する人たち
が、エルサレムの神殿では無くイエスの元に集まってしまったのです。

私たちはミサの間で、司祭が『互いに平和の挨拶をかわしましょう』と言われたら、合掌して周囲の人
たちに『主の平和』と言いながら挨拶します。親しい者の間のミサの場合は、横一列の者たちが(まる
で幼稚園児がお遊戯をするように)手をつないだりします。周りの人とハグをする国もあるそうです。
いずれの日にか、全人類が敵味方なく『主の平和』と挨拶できる日が来るのでしょうか。

(つづく)

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141 2013/08/24(土) 15:14:17 ID:/PU4dB8hTo
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。律法学者がイエスに永遠の生命のために何を
すべきかを問いかけた時、イエスが逆に律法にはどうあるかと尋ね返した
のです。律法学者が答えた内容は『神への愛と隣人への愛』ですが、イエス
は『正しい、その通りにしなさい、そうすれば生きる』と答えました。これ
について律法学者が『では隣人とは誰か』と重ねて尋ねました。というのは、
律法学者は律法に『隣人を愛し敵を憎め』と書いてあるのを知っているので
イエスを試そうとしたのです。有名な善きサマリア人の話です。

イエスは言います。『ある人がエルサレムからエリコ(>>126の地図でジェリコとなっている地)に向か
う道中で、強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていました。ユダヤ教の祭司が
通りかかったが、道の向こう側を通って行ってしまいました。次にレビという神殿に仕事をする人が通り
かかったが、同じように道の向こう側を通って行ってしまいました。しかしあるサマリア人は(サマリア
人は>>126で書いたようにユダヤ人を毛嫌いしています)、この半死半生の人を助け、傷口の治療をした
ばかりでなく自分の馬にこの人を乗せて宿屋まで運び、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出した立ち
去りました。もし足りなかったら帰りに立ち寄って払いますと言って』。

そして律法学者に対してイエスは言います。『この中で誰が怪我人の隣人でしょうか』。

律法学者は『助けた人(彼らが軽蔑しているサマリア人)です』と答えざるをえません。するとイエスは
『行って同じようにしなさい』と言いました。

慈しみと憐みを必要とする者には、それが誰であれ、人種の壁を越えて助けるように、愛をそそぐように
とイエスは教えるのです。

(つづく)

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142 2013/08/25(日) 00:03:13 ID:QeoD1mrAOg
世界中の宗教家に告ぐ!


少しは働け!

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143 2013/08/25(日) 12:08:28 ID:JKUHWQjlCI
今日は日曜だから働きません!!

ついに、イエスの噂はヘロデ王まで届きました。イスラエルは名目上
ながらローマ帝国から自治が認められていました。そしてガリラヤには
分国王のヘロデ・アンティパス王がいました。王というより領主という
立場でしょうか。

ヘロデ王は焦りました。『イエスは私が首をはねた、あのヨハネが生き返ったのだ』。

そうです。あの洗礼者ヨハネは、ヘロデの罪を糾弾して獄に繋がれたのです。罪と言うのは、ヘロデ
が、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚したことです。これはオスカー・ワイルドの戯曲や古
今の絵画の題材になったサロメの伝説です。

『自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない』とヨハネはヘロデ王を非難しました。
しかしこれは、ローマ帝国の傀儡である彼らに良い口実を与えたのです。彼らにとって危険な存在だっ
たヨハネはすぐに逮捕され獄に繋がれました。

ヘロディアはヨハネを殺すようヘロデ王に頼みましたが、ヘロデ王はこれを拒否しました。それは、
ヘロデ王がヨハネの教えを聞いて、これはもしかしたら正しい聖なる人なのではないか、と迷ったた
めです。彼の教えを聞いたヘロデ王は、彼を恐れ、保護し、その教えに当惑しながらも、なお喜んで
耳を傾けたのです。

しかし絶好のチャンスが訪れました。ヘロデ王の誕生パーティーが開かれることになり、高級官僚や
ガリラヤの有力者など、大勢が招待されました。そこにヘロディアの娘サロメが登場して踊ったので
す。そのあまりにエロい踊りにヘロデ王も賓客も大喜びしました。

(つづく)

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144 2013/08/25(日) 12:10:41 ID:JKUHWQjlCI
私のブログにようこそ!!

そこでヘロデ王はサロメに言いました。『欲しい物があれば何でも
言いなさい。おまえにあげよう。もし望むならこの国の半分をやっ
ても良いぞ』。

それを聞いたサロメは母ヘロディアのところへ歩み寄り『お母様、
何をお願いしましょうか』と言うと母親は『洗礼者ヨハネの首を』と。
さっそくサロメは王のところに戻り『今すぐにヨハネの首を盆に載せていただきとうございます』と
言いました。ヘロデ王は言葉に窮しましたが、国の半分をやろうとまで誓った手前、また賓客たちの
手前、サロメの願いを退けることはできませんでした。

すぐに衛兵がヨハネの牢獄へ差し向けられ、ヨハネは直ちに首を切られ、その首は盆に載せられサロ
メへの褒美として渡されました。伝説などではその首を持ったサロメが前以上にエロっぽく踊るので
すが、いずれにしろこうして洗礼者ヨハネは世を去りました。

(つづく)

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145 2013/08/26(月) 15:04:12 ID:bW3v5fVcd2
神秘としての苦しみとは?

閑話休題、この板の『イエス・キリスト』スレで聖書の聖句が弄ばれているのが残念です。
例えば次の聖パウロの聖句を考えてみましょう。

そればかりではなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを(ローマの信徒への手紙5-3)。

表面的に俯瞰すると、まずこの手紙の筆者は苦難を味わっています。苦難とは苦しみの状態です。
以前、『一足す一はいくつ?』とか『ピタゴラスの定理などを使って解決できる』質問は『問題』と
いうカテゴリーに属すと言いました。例えば投薬や手術で治る見込みのある病人なども医者にとっては
単なる『問題』です。

しかし『私は何者か?』という質問は『神秘』というカテゴリーに属すと言いました。『苦しみ』も
神秘に属します。神秘に属すものは、例えば、愛、自由、自然、存在(私はなぜ猫じゃない
のか?)、誕生(なぜ猫で無く人間に生まれてきたのか?)、生きる(私は何者か)、死、信仰、等。

神秘の次元のものを、問題の次元のように客体化しようという試みは無意味です。哲学者ならぬ
我々凡人には、逆立ちしても不可能でしょう。

まずこういった神秘に対峙する時、自分の限界を認めることが大切なのです。どうしようもない
苦しみに遭った時、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、新た
な段階へと踏み出せる・・・と聖パウロは言っているのです。

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146 2013/08/26(月) 15:12:49 ID:bW3v5fVcd2
ルサンチマンの捉え方

苦しみという神秘の場合、往々にして周囲の人や物(たとえば不治の病)に対して敵意や恨みを持ち
ます。敵意や恨み、すなわち『ルサンチマン』は、スケープゴート(いけにえの子羊)を要求します。
例えば『誰も俺のことを分かってくれない』とか『藪医者だから病気が治らない』とか。

苦しみをルサンチマンとしてではなく、苦しみをあくまで神秘として、あるがままに受け入れる
という謙虚な姿勢が必要だということを、この文章から得なければならないのです。このように読
めば、聖書が単なる線香臭い書物では無く、現代にも十分通用する示唆に富む書物であることが
おわかりいただけるのではないでしょうか。

もちろん、私たちはこの苦難が初期の教会の産みの苦しみだという事を知っています。聖パウロは
ユダヤ教の専門家でありながらユダヤ教を乗り越え、さらにイエスまでも乗り越えたのですから
苦難もあったでしょう。それをルサンチマンとしてではなく、キリスト教の希望へと昇華している
点に彼の偉大さが見えます。今日のキリスト教は、イエスの教えを直接聞いた愛弟子によるのでは
なく、聖パウロのような当時のインテリが創り出したといっても過言ではありません。

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147 2013/08/26(月) 15:56:20 ID:LfQbAzf8tI
なんの脈絡も説明もなく、聖書のある個所だけを『意図的に』抜き出して提示する行為は
キリスト教の聖典である聖書を冒涜する行為だと言わざるを得ません。例えば、
 
神は、みこころのままに、

あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、

事を行なわせてくださるのです。 フィリピ2:13
 
この文章にどんな意味を見出せばよいのでしょうか…?
こういうキリスト教を冒涜する行為は糾弾されなければなりません。

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148 2013/08/27(火) 13:58:02 ID:A6CnklcEN.
私のブログにようこそ、先を急がないとダメですね!!

イエスが伝道を始めて半年が過ぎたでしょうか。多くても1年は
たっていません。その年の過越祭が近づいて来たのです。それは
年によって違うのですが、たいてい4月に行われます。これは昔々、
エジプトに捕えられていたユダヤ人たちが、モーセの導きによっ
てエジプトを脱出したという出来事を記念として行われるもので、
ユダヤ人の愛国心が最高に高まる祭りです。

過越祭には子羊がいけにえに供されます。一家の家長が子羊を連れて会堂に行き、中庭で動脈を切りま
す。あふれ出た血は祭司が集め祭壇にそそぎます。また家の戸口にも付けます。たいてい祭壇には白い
テーブルクロスと二本の蝋燭がつきものですが、この日ばかりは白いテーブルクロスが真っ赤に染まっ
たことでしょう。

『神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手をとおしてお捧げするいけにえ
をお受けください』と私たちカトリックはミサでお祈りしますが、血の臭いの立ち込める聖堂で、いけ
にえの子羊があげる断末魔の悲鳴が絶え間なく響く聖堂で、彼らもこのような祈りをしたのでしょうか。

この子羊は過越祭のご馳走となるのです。またパン種の入っていない、発酵していないパンを食べます。
そのためパンが誤って発酵しないように、発酵した食品を一掃する大掃除が何日も前から行われます。
今日、私たちカトリックでは、ミサの中でこのパンをご聖体としていただきます。それは(名古屋の方
ならご存知なのですが)坂角のえびせんべいの味無し版と言ったらよいでしょうか。

(つづく)

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149 2013/08/27(火) 14:02:58 ID:A6CnklcEN.
私のブログにようこそ!!

熱心なユダヤ人たちはエルサレムに巡礼するのですが、この年ばかりは
大勢の愛国心に燃えたユダヤ人たちが、イスラエル各地からイエスの元
に集まって来ました。十二使徒の誤った教えからでしょうか。彼らは皆、
イエスをメシア=ローマ帝国からの解放者と思っていたのです。聖書は
そんな人々が五千人に及んだといいます。

そんな愛国心に燃えた大勢の群衆を引き連れてイエスは山に登りました。そしていつものごとく説教を
したのです。これが聖書の最初のクライマックス、山上の説教です。

『隣人を愛し、敵を憎め、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。汝の敵を愛
せよ。敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことを
し、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあります。あなたがたの父が憐れみ
深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい』。

そして五千人をパンと魚でもてなしました。しかし愛国心に燃えた彼らがそんな説教で納得するはずは
ありません。イエスは人々が自分を王(メシア)に担ぎ上げようとしているのを知ると、ひとりで山に
逃げました(ヨハネ6-15)。

翌日も群衆はイエスを探します。そしてイエスと群衆の白熱した様子をヨハネ福音書だけが書いていま
す。

(つづく)

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150 2013/08/27(火) 19:08:02 ID:A6CnklcEN.
私のブログにようこそ!!

イエスは言います(ヨハネ6-26)。『あなたがたが私を探した
のは、「しるし」を見たからではなく、パンを食べて満腹した
からだ。朽ちる食べ物のためではなく、永遠に生きる食べ物の
ために働きなさい。このために父なる神が私をお遣わしになっ
たのだ。霊的に生きなさい。神の業(わざ)を行いなさい』。

群衆たちは言います。『神の業とは何ですか』。

イエスは答えます。『神がお遣わしになった者を信じること…それが神の業だ』。

群衆は食い下がります。『では私たちが信じられるよう、あなたの言う「しるし」を見せてください。
私たちユダヤ人の祖先たちが砂漠でさまよっている時、モーセは天からのパンを彼らに与えました。あ
なたも私たちにパンを出してください。モーセのように永遠にパンを出してください』。

イエスは答えます。『私が命のパンなのです。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じ
る者は決して渇きません。私が天から降って来たのは私利私欲を行うためではなく、私をお遣わしになっ
た神のみ心を行うためです。(私はあなたの腹を満たすために来たのではなく、心を満たすために来た
のです)』。

すると群衆に動揺が走りました。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷
い事を言い出すとは』。

イエスは言います。『信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先は荒れ野でモーセからいただいた
パンを食べましたが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食
べる者は永遠に死にません。私が与えるパンというのは、世を生かすための私自身の肉です』。

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151 2013/08/27(火) 19:11:12 ID:A6CnklcEN.
群衆はさらに動揺します。『自分の肉を食べろとは、
そんなことができるだろうか』。

イエスはなおも言います。『私の肉を食べ、血を飲ま
なければ、あなたがたは霊的に生きることはできません。
私の肉を食べ、血を飲む者は永遠の命を得るのです。
繰り返し言いますが、私は天から降ったパンなのです。
私たちの祖先たちが食べたけど皆、死んでしまった、そんなパンとは違います。私というパンを食
べる者は永遠に生きるのです』。

これはイエスがいつもカファルナウムの会堂で説いている話ですが、これを聞いた大勢の人々や弟子たち
は、(ああこれは私たちの期待するメシアでは無いなと)あきれて去って行きました(ヨハネ6-66)。

(つづく)

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152 2013/08/27(火) 19:28:03 ID:J87HSEApAM
私のブログにようこそ!!
 
聖書はローマ人の読者を想定して書かれた書物だということ
を忘れてはいけません。だからローマ人を不快にさせる言葉
は出て来ません。
 
だからこの時、愛国心に燃えたユダヤ人たちは次のように言っ
たのです。『先生、決起するのは今です。私たちの祖先がモー
セによってエジプトから脱出できたように、あなたもモーセの
ように私たちをローマから解放してください』。
 
イエスは答えます。『私は命を解放する者なのです。私が天から降って来たのはローマ帝国からあなたが
たを解放するためではなく、私をお遣わしになった神のみ心を行うためです。私はあなたの腹を満たすた
めに来たのではなく、心を満たすために来たのです』。
 
『私を信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先はモーセの導きでエジプトから脱出できたでしょ
うが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食べる者は永遠に
死にません。私が与えるパンというのはあなたがたを永遠に生かす物です。ローマ帝国から解放されたと
て、しょせん、あなたたちは死んでしまうでしょう。しかし私の肉を食べ、血を飲む者は、永遠の命を得
るのです』。
 
すると群衆は思います。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷い事を言
い出すとは。ローマ帝国から解放してくれるリーダーかも知れないと思っていたが、とんだ食わせ物だ』。
 
カファルナウムでいつも説いていた教え、『汝の敵(ローマ帝国)を愛せよ。敵(ローマ帝国)を愛し自
分を迫害する者のために祈りなさい』、これが過越祭で愛国心が最高に高まったユダヤ人たちをがっかり
させたでしょう。

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153 2013/08/27(火) 19:31:27 ID:J87HSEApAM
山上に集まった人々だけでなく、それまで弟子として従っていた多くの者たちも去って行きました。彼ら
もイエスのことをローマ帝国から独立させてくれる第二のモーセと思っていたからです。これを知ったエ
ルサレムの体制派は、これぞ良いチャンスとばかりイエスの命を狙い始めます。
 
(つづく)

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154 2013/08/28(水) 12:51:39 ID:0TCTTTaJzE
私のブログにようこそ!!

ヨハネ福音書だけがこの悲しい事実を述べています(ヨハネ6-66)。

このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなく
なった。そこでイエスは十二人の使徒たちに『あなたがたも離れて行き
たいか』と言われた。ペトロが答えた『主よ、あなたは神の子キリスト、
永遠の命の糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう』。

ペトロの言葉はカトリックの信仰宣言ですから、後から創造されたもので
しょう。しかしいずれにしろ、ローマ帝国から独立するためのリーダーに
なることを拒否したイエスに、付き従う者は日を追って少なくなっていった
でしょう。

最後まで付き従った弟子でさえも、イスラエルの解放者であるようにと、イエスに一縷の望みをかけてい
ました。そんな弟子たちの心情がイエスが亡くなったあとに告白されています。『私たちは、あの方こそ
イスラエルを解放してくださると、望みをかけていました』(ルカ24-21)。

もうこの頃になると、ファリサイ派やサドカイ派が意図的に流した悪い噂もイエスを悩ませます。イエス
が飲み食いすると『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う者もいます。

今の人たちは『笛吹けど踊らず、葬式の歌を歌ったのに泣いてくれなかった』と言う子供に似ている(ル
カ7-32)。

『狐には穴があり、天の鳥には巣がある。だた人の子には枕をする所がない』(ルカ9-58)。

イエスはフィリポ・カイサリヤという地に行った時、弟子たちに『人々は私のことを何と言っているか』
と聞きました。弟子たちは『洗礼者ヨハネだと言う人もいれば、エリアだとか、エレミヤだとか預言者の
一人だと言う人もいます』と答えます。

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155 2013/08/28(水) 12:54:09 ID:0TCTTTaJzE
『それでは、あなたがたは私を何者だと言うか』。

ペトロが言います『あなたはメシア、生ける神の子です』。
イエスは満足そうに答えた『ペトロよ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間では無く天の父なの
だ。あなたはペトロ(あちらの言葉で岩という意味です)。
私はこの岩の上に私の教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける』(マタイ16-16)。
こうして現代まで続くローマ教皇の権威が約束されたのです。

しかしイエスは思うのです。人々は私に奇跡を欲しがる。しかし私が癒した者たちは癒されるとすぐに立
ち去ってしまう。私が教えたいのは神の愛であって奇跡のような『しるし』ではない。真実の私は奇跡な
ど行えないのだ(マタイ16-4)。

だが私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない(ルカ13-33)。

そしてイエスはこの頃に、自分が将来、エルサレムで長老、祭司長、律法学者に殺されるということを弟
子たちに話し始めます。ペトロたちは動揺します。イエスに『そんなことがあるものか』と言うのですが
イエスは取り合いません(マタイ16-21)。

(つづく)

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156 2013/08/28(水) 17:45:06 ID:0TCTTTaJzE
私のブログにようこそ!!

それから六日後、イエスはペトロら数人の弟子たちだけを連れて
ある山に登ったのです。そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩
いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエスがモーセとエリアと
お話になっている姿を見たのです(マタイ17-1)。

いや彼らは幻覚を見たのかも知れません。それは弟子たちがとて
も眠かったと言っているからです。

しかしそれを見たペトロはあらぬことを口走ります。すると光り輝く雲の中から声がして『これは私の
愛する子、私の心にかなう者』と言います。ヨハネ福音書によると父なる神はお言葉だけで姿を見た者
は誰もいないとあるので、これはまさに父なる神のお声です。

これは主の変容と呼ばれる事件で、カトリックではこれをとても重要なものと見ます。しかしこれは、
イエスの死への覚悟を象徴するために挿入された逸話ではないでしょうか。

ガリラヤ地方を歩いている時、イエスは人に気づかれないようにしていました(マタイ9-30)。まさに
逃げるような旅です。イエスはまた言います。『人の子(イエス)は、人々の手に渡され殺される。殺
されて三日の後に復活する』。弟子たちは大いに不安がったのですが、怖くて真意を問いただすことが
できませんでした。

こののち、イエスは天に上げられる時期が近いと悟り、エルサレムに向かう決意を固めます(ルカ9-51)。

(つづく)

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157 2013/08/28(水) 17:52:09 ID:0TCTTTaJzE
私のブログにようこそ!!

エルサレムに向かう決意を固めた(ルカ9-51)にもかかわらずイエスは
慎重です。彼はファリサイ派などイスラエルの体制派が自分の命を狙っ
ているのを知りガリラヤ地方を伝道して歩き、ユダヤ地方へは足を向け
ませんでした。

しかし仮庵祭(かりいおさい)が近づいたころ、従兄弟たちに『こそこ
そしてないで、ユダヤに行き、あなたの業を見せてやったらどうだ。公
に知ってもらいたいなら、ひそかに行動すべきでは無い』と言われてし
まい、人目を避け、隠れるようにしてエルサレムに上って行きました(ヨハネ7-3)。

仮庵祭とは毎年10月ごろ行われる祭りで、ユダヤ人の祖先がエジプト脱出の時、荒野で天幕に住んだこと
にちなむものであり、仮設の小屋(仮庵)を建てて住むのです。ですからあの4月の山上の説教での挫折
から半年後です。

ユダヤ人たちは、この時にイエスも仮庵祭に来ると思い、探していました。ユダヤ人のある者はイエス
を『良い人だ』と言い、ある人は『いや、人心を惑わしている』と言います。そして祭りも半ばの頃、
イエスは神殿で説教を始めるのです。

それを聞いたファリサイ派の人々や祭司長は、役人にイエス逮捕を命じました。しかし神殿でイエスは
言うのです。『渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある
とおり、その人の中から生きた水が川となって流れ出す』。

この言葉を聞いた群衆は『この人こそメシアだ』とか『この人は本当の預言者だ』と言う者もいました
が、『メシアがガリラヤみたいな田舎から出るはずは無い。メシアはベツレヘムから出ると聖書に書い
てある』と対立しました。その中にはイエス逮捕に向かった役人もいたのですが、なぜか逮捕に踏み切
れませんでした。

イエスを逮捕せず戻って来た役人に、ファリサイ派の人たちは怒りました。『お前たちも惑わされたの
か。ファリサイ派や律法学者の人たちで、あの男を信じる者はいない。律法を知らない群衆は呪われて
いる』。イエスはこの夜は、エルサレム郊外のオリーブ山という所で野宿したようです。

(つづく)

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158 2013/08/29(木) 14:09:50 ID:Y7l1wqV/qQ
今日8月29日は洗礼者聖ヨハネの殉教の記念日です。その様は>>144のとおりです。

洗礼者ヨハネはヘロデ王に『仕方なく』殺されました。
その場の雰囲気が罪を産んでしまったのです。
ヘロデ王は思ったでしょう。『あれは仕方なかったのだ』と。

私たち人間は日常でも仕方なく罪を犯しています。
その場の雰囲気で仕方なく同級生のいじめに加わる子供たち。

仕方なくの究極は日本に落とされた原爆です。
戦争を終わらせるため、それは『仕方なく』落とされた、とアメリカ人は言いました。

まさに、仕方なくは大きな罪を作る可能性がありますから、私たちも注意する必要があります。
そういった意味で、イエスも仕方なく殺された人です。
ですから、私たちもキリストの信仰にあずかれば、
この仕方なくの罪も許されるのではないかと思います。

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159 2013/08/29(木) 16:17:25 ID:lmLEbxpdfY
160 2013/08/30(金) 14:19:43 ID:P530RrXNLA
私のブログにようこそ!!

次の日、イエスはオリーブ山から、朝早くエルサレムの神殿に入りました。
オリーブ山(オリーブ畑)という地は、新約聖書に度々、出てくる地名な
のですが、これはエルサレム城外(この聖都は城壁に囲まれているのです)
ですが市街から極めて近く、安息日でも歩くことが許される程の距離にあ
るのです(使徒言行録1-12)。安息日は仕事をしてはいけないばかりか、
歩く歩数まで制限されているんですね。この立法を破ると石打の死刑にな
るんですよ。安息日については>>138にちょっと書きました。

神殿にやってくると大勢の人々が集って来たので、イエスは座って彼らに教えていました。すると、律
法学者やファリサイ派の人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱって来て、民衆の中
に立たせてイエスに言ったのです(ヨハネ福音書8-1)。

『先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女は石で打ち殺せと
命じられていますが、あなたはどう思いますか』。

彼らがそう言ったのは、イエスを試して、訴える口実を得るためでした。昨日はイエスにうまく逃げら
れたからです。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていました。 彼らが問い続けるの
で、イエスは身を起こして彼らに言いました。

『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』。

そしてまた身をかがめて、地面に物を書き続けられました。これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひ
とりひとりとその場から出て行き、ついにイエスだけになり、女はだけが残されました。そこでイエスは
身を起こして女に言いました。

『女よ、みんなはどこに行ったか。あなたを罰する者は無かったのか』。

女は言いました。『主よ、誰もいません』。

イエスは言いました。『私もあなたを罪としない。お帰りなさい』。

こうしてまたも、ファリサイ派の人々はイエスを逮捕できなかったのです。

イエスはこの祭りの後、直ちにガリラヤに戻ったでしょう。彼の『受けねばならない洗礼』の時はま
だ来ていないので、逮捕されるわけにはいかないのです。
『罪無き者、まず石を投げよ』という有名な話です。

(つづく)

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161 2013/08/30(金) 16:47:32 ID:P530RrXNLA
私のブログにようこそ!!

イエスは弟子たちに言います(ヨハネ10-7)。

『私は羊の門です。私より前に来た者は皆、盗人であり、強盗でした。
しかし、羊は彼らの言うことを聞きませんでした。

私は門です。私を通って入る者は救われます。私が来たのは、羊が命
を受けるため、しかも豊かに受けるためです。

私は良い羊飼い。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。
私は良い羊飼い。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っています。
私は羊のために命を捨てます。

私の囲いに入っていない羊もいます。その羊を導いてやらなければなりません。
その羊も私の声を聞き分けるはずです。こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群になるのです。

私は命を、再び受けるために、捨てます。それゆえ、父は私を愛してくださいます。

誰も私から命を奪い取ることはできません。私は自分でそれを捨てるのです』。

生きている羊というのは、まず臭くて汚いです。まったく主体性が無く、すぐ群れてしまい、集団で
右往左往します。個性というものが無いようです。少なくとも猫や犬より頭が悪いです。数頭の牧羊犬
がいれば、そんな羊の群れを誘導するのは簡単です。人間も集団化すれば没個性の烏合の衆になるでし
ょう。でもイエスはそんな羊(人間)を良く知っていると言うのです。

(つづく)

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162 2013/08/30(金) 21:01:22 ID:P530RrXNLA
私のブログにようこそ!!

イエスは弟子に言います。『私が来たのは、地上に火を投ずるためである。
(あなたたちの内に)その火が既に燃えていたらと、どんなに願っている
ことか』(ルカ12-49)。

『しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私は
どんなに苦しむことだろう』。

『あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。
言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、
二人は三人と対立して分かれるからである』。

『父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる』。

これは難解な言葉です。まずこの文章で分かる点は、受けなければならない洗礼…というのがエルサ
レムでの受難を予言しているということです。次に、火とは人々の信仰です。人々が正しい信仰をし
ていれば、どれほど良かっただろう。しかし今の信仰は堕落していると言いたいのでしょうか。

平和でなく分裂だ…についてですが、信仰とは旧来のモラルに従った漫然とした善を行うものではな
い、という宣言です。イエス以降は、それぞれの人間が自己に目覚め、神と直接向き合うという生き
方が必要だと言っているのだと思います。人が自己に忠実であろうと欲すれば、それはいっとき周囲
との摩擦を生じさせる物と映るかも知れません。しかしそれを乗り越えた時、初めて人間は素直な気
持ちで神と向き合うことができるのです。

(つづく)

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163 2013/08/30(金) 21:03:45 ID:P530RrXNLA
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。徴税人や罪人たちが、イエスの話を聞こう
と集まって来たのです。するとさっそくファリサイ派や律法学者の連
中が論争を挑みました。『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒
にしている(ルカ15-1)。

するとイエスは言いました。『あなたがたが100匹の羊を持っていたと
しましょう・・・。もしそのうちの1匹でも居なくなれば、あなたは残りの99匹を置いてでも、迷った羊
を探しに行きませんか。そうして見つけたら、あなたは喜んでその羊を担いで帰って、友達や近所の
人に言うはずです。私は迷子の羊を見つけました、喜んでください…と。だから私は言いたいのです。
悔い改める1人の人の方が、99人の悔い改める必要のない正しい人より、天にとって大切なのです』。

そうです。神にとって人間は迷える子羊なのです。

『あるいは銀貨を10枚持っている女が、もしその中の1枚でも無くせば、ともし灯を点けて家中を掃除
し夢中で探すはずです。そうして見つければ、彼女はとても喜ぶはずです。このように一人の罪人が
悔い改めるだけでも、神の天使たちに大きな喜びがあるのです』。

(つづく)

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164 2013/08/31(土) 03:50:12 ID:XCK4Yyfe3g
隔離されたら、これだ
結局人にみられたいだけの二人だったんだ

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165 2013/08/31(土) 12:21:26 ID:KPmKSD9A76
私のブログにようこそ!!

さて、いよいよクライマックスの始まりです。

イエスが天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに行く決意を固めま
した(ルカ9-51)。その時が来たのです。去年の過越祭での山上の説教の
失敗から1年が立とうとしていました。2〜3月頃でしょうか。今年の過越祭
が近付いてきたのです。

しかしここで、ルカ福音書によりますと、イエスが七十二使徒を選定し各地
へ宣教の旅に出したとあります(ルカ10-1)。しかし私は(まったく勝手な
独断ですが)これは宣教の旅に出したのではなく、弟子たちの多くがイスラ
エル独立運動に身を投じたのではないかと思います。

この時期、バラバとその一味が、イスラエル独立の武装蜂起をしたのです。結局ローマ兵に鎮圧され
バラバと何人かの手下たちは牢獄に繋がれることになりました。バラバの正式な名前はバラバ・イエ
スです(マタイ27-16)。奇しくもここで、二人のイエスが登場することになったのです。

過越祭を控え、大勢の群衆がイスラエル各地からエルサレム近郊へ集まって来ました。過越祭にはこ
の聖都へ巡礼する人々も多かったですし、また過越祭には、囚人を一人釈放するという習慣があった
からです。群衆は『バラバを釈放しろ、バラバを釈放しろ』と叫んでいました。

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166 2013/08/31(土) 12:30:28 ID:KPmKSD9A76
この時、イエスが弟子たちを連れて、『ヨルダン川の向こう側、
ヨハネが最初に洗礼を授けていた所(ユダの荒野)』に登場し
たのです(ヨハネ10-40)。群衆たちは、今度こそメシアの登場
だと思ったのでしょう。大勢の群衆がイエスに従いました(マタ
イ19-1)。数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合
うほどになったのです(ルカ12-1)。

イエスは言います。『もう一度ユダヤに行こう。エルサレムに行こう』。弟子は答えます。『ユダヤ
人たちが、ついこの間にもあなたを石で打ち殺そうとしたのに、また行くのですか』(ヨハネ11-7)。

『私の友ラザロが眠っている。私は起こしに行くのだ』。ラザロとは人の名前ですが、この場合はエ
ルサレムと言い換えてもいいでしょう。弟子たちは言います。『主よ、眠っているのであれば助かる
でしょう』(ヨハネ11-11)。

『いやラザロは死んだのだ。…さあ彼の所に行こう』。弟子の一人が言いました。『私たちも行って、
いっしょに死のうではないか』(ヨハネ11-14)。こんなに勇ましかった弟子たちなのに…その後…。

(つづく)

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167 2013/08/31(土) 16:48:09 ID:KPmKSD9A76
私のブログにようこそ!!

まずここで基礎知識を。ユダヤ人の政治を行うのは最高法院で、
そこの一番偉い人は大祭司とか祭司長と呼ばれる人々です。福
音書ではカイアファという名が良く出て来ますが、他にアンナ
スやヨハネやアレクサンドロの名が見えます(使徒言行録4-6)。
ヨハネという名前は非常にポピュラーな名前なのでとても混乱
します。イエスの弟子にもヨハネがいますし、洗礼者ヨハネも
いましたし、ヨハネの福音書の著者ヨハネもいます。しかしこれは全部別人です。

その上には、ローマ人知事のポンティオ・ピラトがいますが、一応イスラエルは自治が認められてい
るので、ピラトは普段はイスラエルには住んでいません。しかし過越祭はユダヤ人の反ローマ感情が
高まる時でもあるので、この時期はエルサレムに滞在していました。エルサレムの市街のあちこちに、
警備のローマ兵が駐留していたでしょう。

他に国王というのもいます。以前、洗礼者ヨハネの処刑で出て来たヘロデ・アンティパスはガリラヤ
の領主です(名目ですが)。この人も過越祭を祝うためエルサレムに滞在していました。

そしてこの年(それは西暦30年だったそうです)の過越祭は4月の14日か15日、いずれにしろ金曜日
でした。ですから以降は曜日順にイエスの行動を追って行きましょう。

群衆の数は日を追うごとに増えて行きました(ルカ11-29)。イエスはもう群衆が自分をローマ解放の
リーダーだと思っていることを否定しません。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、
しるしというのは昔のヨナだけが与えることができた。しかし今ここに、ヨナにまさる者がいる』とイ
エスは宣言します。

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168 2013/08/31(土) 17:56:38 ID:KPmKSD9A76
また以前と同じように律法学者やファリサイ派の人々が、
イエスに論争を挑みます。律法学者やファリサイ派の人々
は激しい敵意を抱き、色々の問題でイエスに質問を浴び
せ始め、何か言葉尻をとらえ逮捕に踏み切ろうとします
(ルカ11-53)。

また祭司長カイアファはファリサイ派の人々と最高法院を招集して協議しました(ヨハネ11-48)。
『このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。するとローマ人が来て、我々の神殿も国民も
滅ぼしてしまうだろう』。

カイアファは言います。『一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなた
がたに好都合ではないか』。こうして彼らはイエスを殺そうとたくらみ始めたのです。

これに気づいたイエスとその弟子たちは、サマリア地方のエフライムという村に身を隠しました(ヨ
ハネ11-54)。

しかし過越祭を目前に控え、またイエスと弟子たちはエルサレムに向かいます。多くの群衆が『エリ
アだ、エリアだ』と叫びながら合流したことでしょう。エルサレムでは人々が『あのナザレのイエス
は祭りに来るだろうか』と言い合い、祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを逮捕するため、
彼の居所がわかれば届け出るよう、お触れを出します(ヨハネ11-55)。

(つづく)

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169 2013/08/31(土) 18:08:24 ID:dpUz16cIwA
私のブログにようこそ!!
 
過越祭を来週に控えた土曜日、イエスと彼らをとりまく大群衆はエリ
コという町にさしかかりました。そこに徴税人の頭のザアカイという
人がいたのですが、彼は大群衆が『エリアだ、エリアだ』と叫ぶイエ
スの姿を一目でも見ようと思ったのです。でも彼は背が低かったので、
群衆に遮られて見ることができません。そこで走って先回りし、いちじ
くの木に登りました(ルカ19-1)。
 
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言いました。『ザアカイよ、急いで降りて来なさい。今日は、
ぜひあなたの家に泊まりたい』。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。これを見
た人たちは皆つぶやきました。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった』。
 
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言いました。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施し
ます。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』。イエスは言いました。
『今日、救いがこの家を訪れた。人の子(イエス)は、失われたものを捜して救うために来たのである』。
 
イエスは優しいのです。ザアカイは金持ちだと聖書には書かれていますが、精神的には満たされない悲し
みがあったのでしょう。人々に散々蔑まれ、罪人だと罵られていたのです。この時も、背が低くてイエス
を見ることができなかったのではなく、本当は群衆に『罪人はあっちに行け』と跳ね飛ばされたのでしょ
う。ザアカイもやむにやまれぬ事情があって、徴税人に身を落とすことになったのでしょう。そんなザア
カイの心情をイエスは一瞬で見抜いたわけです。
 
イエスを取り巻く大群衆も、そこで野宿したのでしょうか。
 
(つづく)

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170 2013/08/31(土) 18:10:39 ID:dpUz16cIwA
私のブログにようこそ!!
 
さて次の日(日曜日)、イエスと弟子たちはベタニアという村に至り
ました(ヨハネ12-1)。ベタニアはイエスが『私の友ラザロが眠って
いる』(ヨハネ11-11)、と言ったそのラザロの家です。この村からエ
ルサレムは徒歩でも1時間弱の近さです。
 
この前に、ラザロはイエスの奇跡で生き返っていました。この家には
マルタとマリアという姉妹も住んでいます。イエスと弟子たちのため
マルタが夕食の給仕をしていると、マリアがとても高価なナルドの香
油という油を持ってきて、イエスの足に塗って自分の髪でぬぐいました。家中が油の良い香りで満たされ
ました。
 
なぜマリアがこのような行為をしたかというと、彼女の家を取り巻く大群衆(ヨハネ12-9)が『メシアだ、
メシアだ』と叫んでいたからです。メシアには救世主という意味の他に、『油を塗られし者』、という意
味があるからです。
 
その時、十二使徒の一人で、のちにイエスを裏切ることになるイスカリオテのユダが『なぜ、この香油を
三百デナリオンで売って、貧しい者に施さなかったのか』と言うのです。するとイエスは『この人のする
ままにさせておきなさい。…貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけ
ではない』と言います。
 
これをユダの偽善と一般的には言いますが、ユダの真意は『あなたはメシア気取りで油を塗られていい気
になっているが、実際には何もできなかったではないか。現実を直視しなさい。現実は貧しい者が泣き、
多くの子どもが飢えているではないか』とも解釈できます。
 
この日、イエスと弟子たちはこの家に一泊しました。彼らを取り巻く大群衆も、そこで野宿したでしょう。
 
(つづく)

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171 2013/08/31(土) 18:26:04 ID:KPmKSD9A76
私のブログにようこそ!!

ベタニアに一泊した次の日(月曜日)、イエスは不思議な言動を
します。弟子の二人に命じて、言いました(マルコ11-1)。

『向こうの村に行きなさい。その村にはまだ誰も乗ったことの無い
子ロバがいます。それを連れて来なさい』。

弟子たちがその村に行くと、確かに表通りに子ロバがつないであり
ます。これだと思い、綱をほどいていると、人々が見とがめました。
『その子ロバをほどいてどうするのか』。弟子はイエスに教えられたとおり答えます。

『主がお入り用なのです、すぐお返しします』。見とがめた人も悟りました。ユダヤ人はたいてい敬虔なユダ
ヤ教徒ですから、メシアがロバに乗って来るというゼカリヤ書を知っていたはずです。すぐ了承しました。

娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝
利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って(ゼカリヤ書9‐9)。

弟子たちが子ろばを連れて来て、その上に自分の衣服をかけると、イエスはそれに乗りました。イエスに付い
て来た大群衆も自分の服を脱いでイエスの歩む道に敷きます。イエスを取り巻く大群衆は叫びます。

『聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。主の栄光は天地に満つ。天のいと高き所にホザンナ。
誉むべきかな、主の名によりて来たる者、天のいと高き所にホザンナ』。

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172 2013/08/31(土) 18:31:03 ID:KPmKSD9A76
ベタニアからエルサレムへ至る道は、オリーブ畑という地を
通ります。そこにはオリーブ山という、山というよりむしろ
丘があります。このオリーブ山はイエスらがたびたび野宿して
いる、彼らに馴染みの場所です>>160。オリーブ山の麓には搾
油所(ゲッセマネ)があります。

オリーブ山を過ぎるとすぐにエルサレムが現れます。こうして
イエスはエルサレムに入城しました。エルサレムという聖都は周囲を城壁で囲まれているのです。
だから文字通りの入城です。エルサレムには、ナザレのイエスというメシアが来るという話を知ら
ない者たちもいました。

『いったいこれは、どういうお方だ』。大群衆は答えます。『この方はガリラヤのナザレから来た
預言者だ』。予言者はユダヤから出るものと決まっているのに、よりによって辺鄙なガリラヤとは…
と人々は思ったでしょう(マタイ21-10)。

イエスはこの日、神殿の境内に入って辺りの様子を見まわった後、またベタニアに帰りました。そう
です文字通り威厳をもって辺りを睨みつけたのです。大祭司カイアファらに対する威嚇でしょうか。

この日、イエスと弟子たちはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました。

(つづく)

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173 2013/09/01(日) 13:55:25 ID:UjQqKveQS.
私のブログにようこそ!!

さてベタニアに一泊した次の日(火曜日)、イエスと弟子たちはまた
エルサレムの神殿にやって来ました。そして乱暴狼藉を働くのです。

両替商人の台、鳩を売り買いしている商人の腰掛、あらゆる商人たちの
商売道具をひっくり返したのです(マルコ11-15)。

イエスは言います。『私の家は、すべての国の人の、祈りの家である。それをあなたたちは強盗の巣にしてし
まった』。あなたたちとは大祭司カイアファらです。大祭司らは商人から寺銭を取って稼いでいましたから、
これはあからさまな挑発です。

祭司長たちや律法学者はこの言動を見てイエスを如何に殺そうかと図りました。しかし大勢の群衆がイエスた
ち一行に群れていたので手出しできませんでした。

この日もイエスはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました(マタイ21-17)。

(つづく)

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174 2013/09/01(日) 14:39:39 ID:UjQqKveQS.
私のブログにようこそ!!

さて次の日(水曜日)、イエスと弟子たちはエルサレム
の神殿でファリサイ派や律法学者と論争をして過ごしま
した。体制側は何とかイエスの逮捕の証拠を得ようとす
るのです。

大群衆が取り囲んでいる中で彼らはイエスに論争を挑みます。『皇帝に税金を納めるのは、律法にかなってい
ますか。納めるべきですか。納めなくてもいい金ですか』(マタイ12-13)。

もしイエスが、税金を納めるべきだ…と言えば大群衆は失望するでしょう。納めなくても良い…と答えれば
ローマへの反逆罪で逮捕できます。イエスは答えます。

『その貨幣には誰の肖像が彫られているか』。ファリサイ派は答えます『皇帝です』。

するとイエスは『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返そう』と名言を残しました。

しかしイエスはこの日、大きな失言をしてしまいました。神殿を出て行くとき弟子が『先生、なんとすばらし
い石、なんとすばらしい神殿でしょう』と言ったのに対し、イエスは『この大きな神殿も、石も、崩壊する時
が来る』と言ったのです。これは完全な神殿侮辱罪です。イエスの周りにいた大群衆の中には、体制側のスパ
イもいましたから、彼らは大祭司の元に走ったでしょう。でもこれを聞いた大祭司たちは『群衆が暴動を起こ
すといけないので、過越祭が終わるまで逮捕は待とう』と思いました(マルコ14-1)。

この神殿は、実際、西暦70年にローマ軍の攻撃により炎上崩壊しました。福音書の作家はこれを知っていて書
いていることは明らかです。だからこのイエスの予言伝説は創作されたものと言えるでしょう。今現在、この
神殿跡は一部が残っていて、嘆きの壁としてエルサレムの名所になっています。

イエス一行はこの日は野宿したのでしょうか。

(つづく)

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175 2013/09/01(日) 17:33:30 ID:UjQqKveQS.
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176 2013/09/01(日) 17:38:55 ID:LHojwP.qKY
私のブログにようこそ!!
 
さて次の日(木曜日)、この日は除酵祭(じょこうさい)と
いって、発酵する食品を全て家庭から取り除く日です。過越
祭の期間中(それは一週間続きます)はパン種の入っていな
いパンを食べなければならないので、誤ってパンが発酵しな
いようにするためです。
 
また過越祭を明日に控え、いけにえの子羊を午後に殺すのです。大勢の人々が子羊をかかえて神殿に集まり、
神殿からは子羊の苦痛にうめく声と人々の祈りの声が響き渡り、ユダヤ人の愛国心を高揚させます。人々は
子羊の血を自分の家の戸にも塗りつけます。弟子たちは言います。『先生、過越祭の食事はどこに用意しま
しょうか』(マルコ14-12)。
 
ここでひとこと。ユダヤ教でもキリスト教でも一日の区切りは日没です。例えば12月24日の夜(クリスマス
イブ)は12月25日が始まる、まさに聖なる夜そのものなのです。だから前夜祭という日本語訳は間違いです。
カトリックでは日曜日(主日と呼びます)のミサを重視しますが、この主日のミサの第一回も土曜日の18時
から行われます。
 
そんなわけで、弟子たちが言った過越祭の食事というのは、日没後の金曜日を指しているわけです。時は西
暦30年。この年の過越祭は14日か15日だったそうです。過越祭の食事はユダヤ人にとって最も重要な宗教的
食事です。その感覚は、日本の正月、まさにおせち料理といえるでしょう。
 
ただし、決まった料理を決まった順に食べて行くのです。おせち料理みたいに適当に突っつくというわけに
は行きません。で、弟子たちの『先生、過越祭の食事はどこに用意しましょうか』の質問に対して、イエス
は、もうそれは用意されていると言います。弟子たちが行ってみると、(たぶん)豪邸の二階に大広間が準
備されていました。エルサレムの有力者がイエスたちに提供したのでしょうか。

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177 2013/09/01(日) 17:42:48 ID:LHojwP.qKY
そして日が暮れ、最後の晩餐がとうとう始まりました。
時間は午後7時くらいでしょうか。私たちはレオナルド
ダビンチの最後の晩餐の絵からのイメージか、イエスと
十二使徒が静かな空間で粛々と食事をしたかのように錯
覚してしまいますが、実際はそんなはずがありません。
 
十二使徒の他に大勢の弟子がいますし、十二使徒にも弟子がついています(マルコの福音書を書いたマルコは
ペトロの弟子です)。聖なる食事ですから彼らが除外されるはずはありません。またイエスを『メシアだ』、
『ホザンナ!!』と叫んで取り巻いていた群衆も忘れてはいけません。たぶん彼らの中から有力者が代表とし
て何人も出席していたでしょう。家の周りは『我等のメシア』『ダビデの子』と叫ぶ群衆が取り巻く、そんな
喧騒の中での食事です。彼らは食事中にイエスが何を宣言するか固唾を飲んで見守ったことでしょう。
 
がしかし、イエスは意外な事を言い出します。『十二使徒の中に私を裏切る者がいるだろう』。十二使徒は動
揺します。『まさか私のことでは』。『いや、もうその者は決まっている。私を裏切るその者は不幸だ』。
 
もちろん、私たちはイスカリオテのユダが裏切り者だと知っています。果たして本当でしょうか・・・
 
(つづく)

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178 2013/09/01(日) 17:48:10 ID:UjQqKveQS.
私のブログにようこそ!!

さて過越祭の食事は続きます。今日、私たちカトリックでは
この食事の有様を毎回ミサで再現しています。ここからちょっ
と新約聖書から離れて、ミサではどのように食事が再現されるか
司祭の祈りを書きましょう。

主イエスは渡される夜、パンを取り、割って弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である』。

食事の終わりに同じように盃を取り、弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の盃。あなたがたと多くの人のために流されて、罪の許しとな
る新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行いなさい』。

こうして、新しい永遠の契約、すなわち旧約に対する新約が成ったのです。

この食事中、イエスは上着を脱いで十二使徒の足を洗いました(ヨハネ13-4)。これは師であり主であるイエ
スがそうしたのだから、弟子たちも洗い合わなければならない、という意味です。すなわち人々は皆兄弟であ
るという愛の教えと言えます。お互いに愛し合いなさいと。

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179 2013/09/01(日) 17:50:30 ID:UjQqKveQS.
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180 2013/09/01(日) 17:54:39 ID:LHojwP.qKY
この時、イスカリオテのユダが突然、席を蹴ったのです。
なぜでしょう。聖書ではサタンが彼の中に入ったとして
いますが(ヨハネ13-27)、実際はそうでは無いでしょう。
イエスは皆の希望であるメシア(ローマからの解放者とし
ての)を拒否したのです。足を洗い合いなさい。汝の敵を
愛しなさい。私はこのまま去って行く。もう皆とこの世で
一緒に葡萄酒を飲むこともあるまい(マルコ14-25)。ユダは言ったかもしれません。
『先生は偽善者だ。皆の期待に応えられないではないか。マルタの家で高い油を塗られたのは何だったのか』。
 
イエスはユダに言います。『あなたのしようとしていることをしなさい』。
 
イスカリオテのユダだけでなく、『メシアだ』『ダビデの子』と叫んでいた群衆の代表者も、この時、席を蹴っ
たでしょう。彼らは非難したでしょう。『ローマを愛せよとは、とんだ食わせ者だ、何という茶番劇だ!!』。
 
そしてユダと群衆の代表者たちは、家を取り巻く大群衆に叫びます。『ナザレのイエスはメシアなんかじゃな
い。我々は彼に騙されていたのだ。ローマの解放者はやっぱりバラバしかいない』。幻滅した大群衆は汐が引
くようにいなくなりました。まさに去年の過越祭における山上の説教後の様子そのものとなったのです。
 
群衆にまぎれていたスパイたちは大急ぎで大祭司カイアファの所に走ったでしょう『もうイエスは見はなされ
た。いつでも逮捕できます』。そして辺りは静寂に包まれました。
 
(つづく)

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181 2013/09/01(日) 18:41:18 ID:LHojwP.qKY
私のブログにようこそ!!
 
しかし残された使徒たちは何が起こったかわからないのです。
私たちの先生こそメシアだという考えが抜けないのです。それ
はイエス死後の彼らの言葉からもわかります。『私たちはあの
方こそイスラエルを解放してくれると望みをかけていました』
(ルカ24-21)。
 
そして、まったく呑気なことに、使徒たちの間で誰が一番偉いか
と論議した(ルカ22-24)のです。革命が成功した暁には、誰が
一番の幹部になるか、論争したというのです。なかなか俗人というのは、野心が抜けないものです。
 
イエスは言います。『あなたがたは皆、私につまずくだろう』。ペトロは慌てて答えます。『たとえ、
みんながつまずこうとも、私はつまずきません』(マルコ14-27)。やっと事の次第に気づいた彼は
叫びます。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』(ルカ22-33)。
イエスは悲しそうな目でペトロを見つめ、『いや、あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知ら
ないと言うだろう』(マルコ14-30)。
 
そして、イエスと弟子たちは、その家を後にしました。さっきまでいた大勢の群衆は去り、辺りは静
まり返っていました。おそらく午後10時頃でしょう。月が明るかったのでしょう。彼らはオリーブ山
へ向かいました。そこで野宿するのが彼らの常でしたから。

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182 2013/09/01(日) 18:45:10 ID:LHojwP.qKY
ちょうどその時刻、『バラバを釈放しろ』と叫ぶ群衆に
囲まれて、ユダが大祭司カイアファの所に出頭しました。
しかしカイアファにとってユダはどうでも良いのです。
群衆がイエスから離れたことの方が重要なのです。カイ
アファはイエスの居場所を案内する報酬として、ユダに
銀貨30枚を渡しました(マタイ26-14)。それは普通の人
のひと月程度の賃金というはした金です。
 
今のカイアファの思いは決まっていました。過越祭が本格的に始まる明日の朝の前に、イエスを逮捕
し処分することです。過越祭期間中は騒ぎを起こすわけにはいきませんし、この機を逃すとイエスに
逃げられる可能性があるからです。すぐに追手が差し向けられました。案内役はユダです。
 
さてイエス一行はオリーブ山に到着しました。そこにはゲッセマネ(搾油所)があるのです。そこに
到着するとイエスは言います(ルカ22-40)。『誘惑に陥らないように祈りなさい』。そしてご自分は、
石を投げれば届くほどの距離(ルカ22-41)でひとり祈ります。『父よ、思し召しならばこの苦悩の盃
を取り除きたまえ。さりながら我が心のままにはあらずとも、思し召しのごとく成れかし』。イエス
は苦しみ悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた(ルカ22-42)といいます。
 
イエスが苦しみの祈りをささげている時、弟子たちは眠りこけていました。
 
(つづく)

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183 2013/09/01(日) 18:49:50 ID:UjQqKveQS.
私のブログにようこそ!!

するとエルサレムの方角から松明の群れが見えて来ました。それはユダを
先頭とした大祭司の部下たち、およびさっきまでイエスを『メシアだ』と
言っていた群衆です。

弟子たちも驚いてとび起きたことでしょう。ユダはイエスに近づくと、
『先生』と言って接吻しました(マルコ14-45)。

それが合図でした。人々はイエスを取り押さえました。ペトロは勇敢にも剣を抜いて大祭司の手下に
切りかかり、ひとりの耳の片方(右耳だったそうです)を切り落としました。

しかしイエスがおとなしく引かれていくのを見ると、みんな怖くなってちりじりに逃げてしまいまし
た(マルコ14-50)。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』と叫
んだペトロでさえも(ルカ22-33)。

この時、ひとりの青年が人々に衣服をつかまれました。するとその青年は衣服を脱ぎ捨て、裸で逃げま
した(マルコ14-51)。これがマルコの福音書を書いたマルコの若い時の姿です。マルコはペトロの弟
子なのですが、こののち、あの聖パウロと共に西アジアへの伝道旅行にも行きました。しかしその弱さ
のためか、里心がついたのか、途中で脱落して帰ってしまいました。そのためパウロの2度目の伝道旅行
の時、パウロから同行を拒否されています。

マルコの福音書は彼が老年になった時(イエスの死後40年くらいたった西暦70年以降)に書いたもので
す。またマタイの福音書も、十二使徒に選ばれた元徴税人のマタイが書いたものという説もありますが、
年齢的に見てもちょっと無理でしょう。だからマルコは、福音書を書いた作者の中で、ただひとり生き
ているイエスを見た者といえます。

マタイの福音書もルカの福音書も、共にマルコの福音書を参考にして書かれたものと言われています。
ですから最も古い福音書です(と言ってもこの3つの福音書はみな10年くらいの間に書かれています)。

(つづく)

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184 2013/09/01(日) 20:38:28 ID:UjQqKveQS.
私のブログにようこそ!!

イエスはまず大祭司アンナスの所へ連れて行かれました。時間
はもう午前0時を回っていたでしょう。金曜日の未明です。この
時、大祭司の知り合いだという弟子の仲介で、ペトロが大祭司
の屋敷に偲び込みました(ヨハネ18-15)。

そこで門番の女に言われます。『あんたもあの人の知り合いじゃ
ないかね』。ペトロは『違う』と打ち消します。すると一番鶏が鳴きました。

大祭司アンナスがイエスへ尋問している間、ペトロは火にあたっていたのですが(ヨハネ18-25)、
女中に(マルコ14-69)『この人は、あの人の仲間です』と言われ打ち消しました。しかしまた
『確かにお前はあの連中の仲間だ、ガリラヤの者だから』と言われ、呪いの言葉さえ口にしながら
『そんな人は知らない』と誓ったのです。するとまた鶏が鳴きました。

はっと気づいたペトロはイエスの『あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知らないと言うだろ
う』と言われた言葉を思い出し、屋敷の外に走り出て激しく泣きました。

これは本当はペトロも弟子の代表として尋問を受けたことを暗示しているのでしょう。とりあえずは
その場をしのいだペトロですが、今まで先生として尊敬していた人を、結局、裏切ってしまったわけ
です。裏切り者はユダだけではないのです。ユダ以外の十一使徒、多くの弟子たちは皆、罪人となり
ました。彼らはあなたであり私です。人間というのは、かくも罪深いのです。

(つづく)

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185 2013/09/02(月) 14:25:46 ID:sVu7h41iIw
200まであとちょっとだ頑張れ

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186 2013/09/02(月) 15:06:15 ID:EGz8YALogU
私のブログにようこそ!!

金曜日の真夜中、たぶん午前1時ころから大祭司アンナスの尋問は始まっ
たでしょう。アンナスの尋問に対してはイエスは無実を主張しています。
『私たちは公然と話していたし、ユダヤ人が集まる会堂や神殿で教えた。
逃げも隠れもしていない(それなのにあなたがたは私を捕えなかったで
はないか)。私が話した内容などは、私の話を聞いた人に問えばいいで
はないか(証人を出せ)』(ヨハネ18-20)。

それを聞いた下役が『この無礼者』と言って、イエスを平手打ちしました。大祭司アンナスは大祭司
カイアファの元にイエスを送ることにしました。その間もイエスは見張り役たちに暴行されたり屈辱
されたりしました(ルカ22-63他)。

金曜日の早朝。やや開け始めた空はそれでもまだ夜の闇を残していました。大祭司カイアファの元に
送られてきたイエスを受け、カイアファは長老会、祭司長、律法学者を招集しイエスを裁く最高法院
を開きました。

彼らはなぜこんなに早急に事を急いだのでしょう。それは過越祭が本格的に始まってしまうと裁判を
開けなくなるからです。それより何よりも明日は土曜で安息日ですから当然裁判は行えません。なに
しろ彼らの目的はイエスをいかに殺すか>>173という事ですから、イエスが『メシアだ』『ダビデの子』
と叫んでいた大群衆から見放された今こそ、それは絶好のチャンスです。なにしろ人間の心理という
のはうつろいやすいものですから、また人々がイエスを支持する事態が起こることだって考えられます。

ここでイエスは『私は神の子だ』と宣言します(ルカ22-70)。これはユダ他教徒にとって神を冒涜す
る発言です。この時、全会衆が一致して立ち上がり(ルカ23-1)、イエスを有罪としました(ルカ22-
66他)。

山本七平によると『ユダヤ人は全員一致の議決は無効とする』という旨のことを彼の著書に書いていま
すから、山本の説をとるなら、この有罪判決は違法ということになります(ただし山本の説は誤りとい
う説もあります)。

(つづく)

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187 2013/09/02(月) 15:10:58 ID:EGz8YALogU
私のブログにようこそ!!

神を冒涜した者は石打の死刑にしてもいいわけですが、
ローマ帝国の植民下における彼らには、人を死刑にする
権限がなかったらしいです。しかしこれを破ってリンチ
という形でそれを行っても、たぶん彼らは責任を取らさ
れることはないでしょう。

だが彼らはイエスを政治的に利用しようと図りました。それはローマ軍に捕らわれているバラバ・イエ
スを恩赦してもらう代わりに、ナザレのイエスを私刑にしてもらうことです。バラバ釈放を、過越祭の
巡礼で興奮した群衆のカンフル剤にしようとしたわけです。

そんなわけでカイアファらはイエスを、この時エルサレムに滞在していたローマ人知事のポンティオ・
ピラトの元へ送ることにしました。

その頃、イスカリオテのユダは、イエスが大祭司カイアファらに死刑の判決を受けたらしいと知りまし
た。彼は、まさか師が死刑になるとまでは思っていなかったので、銀貨30枚を祭司長や長老たちに返そ
うとしました。

『私は罪の無い人の血を売り渡し、罪を犯してしまった』。

しかし祭司長たちは、『私の知ったことでは無い』と受け取りませんでした。

ユダは銀貨30枚を神殿に投げ込み、首を吊って自殺しました。

(つづく)

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188 2013/09/02(月) 18:29:13 ID:6kMlXu/foA
あと10ちょいでsaroがでてきたらおもしろいのにな

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189 2013/09/03(火) 00:17:51 ID:BITGHA0TB.
SAROは明和から消えたね
寂しい限りだわ

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190 2013/09/03(火) 00:49:46 ID:VlOnyib6eo
191 2013/09/03(火) 13:59:26 ID:c3vcg2XHc.
今日9月3日は聖グレゴリオ(グレゴリウスとも)一世の記念日です。

金曜日の日も明けた早朝6時頃、大勢の人に連行されてきたイエスに
ポンティオ・ピラトは当惑したでしょう。またこの時間には、昨日ま
でイエスを支持していた群衆もピラトの宿所に集まり『バラバを釈放
せよ』と叫んでいたことでしょう。

ここでカイアファ側は言います。『この男は人心を惑わし、皇帝に税
を納めるのを禁じ、ユダヤの王たるメシアを名乗った』(ルカ23-2)。

そこでピラトはイエスに尋問します。『お前はユダヤの王なのか』。『それは、あなたが言っているこ
とです』。ピラトは思います。これはユダヤ人内部の問題ではないか。私に下駄を預けられても面倒な
だけではないか…と。

そこでピラトはカイアファらや群衆に呼びかけます。『私はこの男に何も罪を見いだせない』。しかし
群衆は答えます。『彼はガリラヤから出てきて、この都を始めユダヤ全土に自分の教えをふれて回り、
民衆を扇動した』。

またピラトはイエスにたずねます。『お前はガリラヤ人なのか』。『そうです』。これは有難い。ガリ
ラヤ分国王もエルサレムに滞在しているので、そちらに問題を預けよう。これで厄介払いができる。こ
うしてイエスはヘロデ・アンティパス王の元へたらい回しされました(ヨハネ23-6)。ヘロデ王とはあ
の洗礼者ヨハネを処刑した人です>>144

金曜日の日も明けた7時頃、大群衆に囲まれて連れて来られたイエスを見て、ヘロデ・アンティパス王は
喜びました(ルカ23-8)。というのも、同じガリラヤ住人で、噂にもよく上るイエスに面会し、奇跡のひ
とつでも見せてもらいたいと思っていたからです。

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192 2013/09/03(火) 14:06:28 ID:c3vcg2XHc.
しかしイエスは黙秘権を使い何も話そうとしません。イエスはヘロデ王
が大嫌いなのです。かつてヘロデ王を『あの狐(ルカ13-32)』と呼んだ
こともあるのです。イエスが何も話さないので、律法学者や祭司長がイ
エスの罪状をヘロデ王に激しく訴えました。ヘロデも自分が馬鹿にされ
たことを怒り、兵士たちと共にイエスを罵り、派手な衣を着せて、ポン
ティオ・ピラトの宿所にイエスを送り返しました。

ヘロデ王と知事ピラトの間は今までうまく行っていなかったようです。イスラエルの占領者であるロー
マ人知事にとって、お情けながら王様と名乗らせてやっているヘロデ王は蔑むべき存在だからでしょうか。
しかしこの事件をきっかけに彼らの仲は良くなったそうです(ルカ23-12)。

金曜日の朝8時頃、せっかく厄介払いができたと思っていたのにすぐ送り返されてきたイエスを、見てポ
ンティオ・ピラトは当惑したでしょう。すぐに大祭司や群衆に向かって声を張り上げます(ルカ23-13)。

『さっきも言った通り、私はこの男に罪を見いだせない。ヘロデ王もこうして私の所にこの男を送り返
してきた。この男を死刑にすることはできない。むち打ちの刑で釈放しようと思うがどうか』。

大群衆は叫びます。『その男を殺せ。バラバを釈放せよ』。群集心理というのは恐ろしいものです。昨
日まで『メシアだ』『ホザンナ』と叫んでいた群衆は、その期待をイエスに裏切られたと思い、今や憎
悪に燃えているのです。まさに大祭司カイアファらが望むとおりに事が進行しつつあるのです。

ピラトは言います。『何度も言うが、いったいこの男がどんな悪事を働いたと言うのか。私はこの男を
死刑にする理由が見当たらない。むち打ちでいいではないか』。

しかし群衆は叫びます。『十字架につけろ、十字架につけろ』。十字架刑というのはユダタの習慣では
ありません。これはローマの処刑方法です。人々はイエスをローマ帝国への反逆者として、政治犯とし
て処刑せよと、ピラト知事に迫ったのです。

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193 2013/09/03(火) 14:20:26 ID:T4V/B0.JY2
ピラトはもう一度イエスを尋問します。『お前はやはり王なのか』(ヨハネ18-37)。
イエスは言います。『私は真理についてあかしするために、この世に生まれて来た。
真理に属す者は皆、私の声を聞く』。ピラトは皮肉を込めた言葉をなげかけます。
『真理とは何か』・・・お前はこの期に及んでもまだ自分を真理だと言うか。皆が
お前の死刑を望んでいるではないか。お前の言う真理とは何か…。
 
ピラトは群衆に叫びます。『過越祭には囚人を一人釈放することになっている。お前
たちはどちらを選ぶか。ナザレのイエスかバラバのイエスか』。
 
『ナザレのイエスを殺せ。十字架につけろ。バラバを釈放せよ』。
 
しかたなくピラトは配下のローマ兵にイエスをむち打たせ(ヨハネ19-1)、茨で編んだ冠をイエスの
頭に載せ、紫の派手な衣装を着せました。ローマ兵はかわるがわる『ユダヤ人の王、万歳』と言いな
がらイエスを平手打ちしました。そして群衆の前に引き出して言いました。『見よ、この男が望みか』。
 
祭司長や群衆は言います。『十字架につけろ、十字架につけろ』。
 
ピラトは言います。『そんなに言うならお前たちで十字架につけるがよい。私はこの男が罪人とは思
えない』。ユダヤ人たちは答えます。『私たちには律法があります。この男は私たちの律法では死罪
に当たります。神の子と自称したからです(それに私たちには十字架刑にする権限が与えられていま
せん)』。
 
ピラトはこの言葉を聞くと逡巡しました。神の子を自称する者を自分の権限で処刑することにためら
いもあったし、またこれらはユダヤ人の間だけの問題で、ユダヤ人の神の子を自称したからと言って、
それはローマ人の彼には全くあずかり知らぬ事でもあったからです。そこでまたいくつかイエスを尋
問し、再び祭司長たちに提案しました。『やはりナザレのイエスを釈放しよう』。

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194 2013/09/03(火) 14:27:04 ID:T4V/B0.JY2
祭司長たちの答えはこうです。『もし、この男を釈放するなら、
あなたは(ローマ)皇帝の友では無い。王と自称する者はたいて
い皇帝に背いているからです』。これはピラトに対する脅しです。
被占領民のくせに、このユダヤ人たちは、ローマ人知事に、この
男を釈放するならあなたもローマ帝国の反逆者と訴えますよ…と
脅したのです(ヨハネ19-12)。
 
しかたなくピラトはイエスを敷石の上に引き出しました。そこが裁判の席です。
 
ピラト『見よ、これがあなたがたの王だ』。
大祭司たち『殺せ、殺せ、十字架につけろ』。
ピラト『あなたたちの王なのに、私が十字架につけるのか』。
大祭司たち『私たちにはローマ皇帝以外に王はいません』。
 
こうしてピラトは十字架につけるためイエスを彼らに引き渡しました。そして、牢獄に入れられていた
バラバを直ちに釈放しました(ルカ23-25)。
 
もう金曜日の日は空高く登り、過越祭が本格的に始まりました。時は西暦30年。4月14日か15日だったそ
うです。この頃のエルサレムは、日本の春と違って赤道に近いですから、ギラギラとした太陽が地上を
照りつけます。
 
そんな中を、イエスはここから重さ70キロにも及ぶ十字架を背負わされて、エルサレム城外のゴルゴタ
の丘に向かいました。今、エルサレムでは、イエスが死の道行きをしたといわれる道が、観光名所とな
っているそうですが、それが本当にイエスが歩かれた道かどうかは疑わしいようですが。
 
いずれにしろ木曜日から一睡もしていない彼の苦痛はいかばかりだったことか。何度も道に倒れ込んだ
でしょう。あまりの遅さに、イエスに憎悪を燃やすユダヤ人たちは、田舎からたまたま出て来たキレネ
人のシモンという男を捕まえて、イエスの代わりに十字架を彼に背負わせたそうです(ルカ23-26)。シ
モンにとったらとんだ災難だったでしょう。しかしイエスの後には嘆き悲しむ多くの婦人たちが従いま
した。それはあのラザロの家のマルタやマリア。過越の巡礼に来ていたイエスの母マリア。今後出てく
るマグダラのマリア等、イエスと触れ合った多くの女性が悲しみながら従いました。

返信する

195 2013/09/03(火) 14:40:53 ID:c3vcg2XHc.
イエスの他にも政治犯が二人、十字架を背負わされて歩きます(ルカ23-32)。
彼らはおそらく釈放されたバラバの手下でしょう。

十字架を背負う囚人はローマ兵からむち打たれるのです。そのため、処刑場
に到着する頃には衣服もほとんど無いような裸になってしまいます。こうし
て金曜日の昼近く、イエスらはゴルゴタの丘に到着しました。十字架刑に処
せられる囚人は(もし衣服が残っていた場合は)裸にされます。場合によっ
ては腰の周りに布をまとうことが許されます。

そして十字架の上に寝かされ両手両足を釘で打たれます。この時イエスは呪いの言葉ではなく、神に祈り
ました。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです』(ルカ23-34)。その後
イエスたちを釘付けにした十字架は立てられました。それは金曜日の正午でした。まさに過越祭の当日。

ポンティオ・ピラトはイエスの罪状書きを書きました。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で3種の
言語で書かれ『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』というものです。これをイエスの十字架に掲げました(ヨ
ハネ19-19)。この罪状書きを見た祭司長たちは『ユダヤ人の王、ではなくユダヤ人の王と詐称した者、と
訂正してくれ』とピラトに要求しましたが、ピラトに一蹴されました。これは祭司長らに『もし、この男
を釈放するなら、あなたはローマ皇帝の友では無い』。と脅迫された事>>194に対する意趣返しです。

金曜日の12時からイエスの苦難が始まります。たいていの囚人は3時間もすれば絶命するのですが、それで
も死なない場合は棍棒で足を折るのです。そうすれば、たいていの囚人は絶命するのです(ヨハネ19-32)。

十字架上のイエスは色々な祈りをつぶやきます。

『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』(マタイ27-46)。

これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味ですが、これは神への呪いの言
葉ではありません。これはユダヤ人なら誰でも知っている詩篇第22篇の冒頭の句です。最後は神を褒めたた
えているのです。例えば日本人なら『色は匂へど』と言ったらすぐに『散りぬるを』が出てくる感覚です。

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196 2013/09/03(火) 14:46:16 ID:c3vcg2XHc.
わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか、
   ・
   ・
私の魂は必ず命を得、
子孫は神に仕え、
主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業(みわざ)を、
民の末に告げ知らせるでしょう。

そののち、午後3時近く、イエスは『渇く』と言いました(ヨハネ19-28)。急いで番兵が酸い葡萄酒、すな
わち酸化して不味くなった葡萄酒を含ませた海綿をイエスに差し出しました。イエスはこの葡萄酒を受け取
ると、

『我が事は成れり』。

と言って頭を垂れて息を引き取りました。明日の土曜日は安息日で、これは過越祭の特別な安息日ですから
遺体を十字架上に放置しないため、午後3時にイエス以外の2人の足を棍棒で折って絶命させました。イエス
は既に絶命していて、ローマ兵のひとりが槍でイエスの脇腹を突くと、少しの血と水が流れ出たということ
です。

イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が埋葬を願い出ました。この人はイエスの弟子だったのですが
その身分を隠しこの場にいたのです(ヨハネ19-38)。ゴルゴタの丘にはまだ誰も埋葬されていない墓があり
イエスの遺体は亜麻布で包まれて、その日のうちにこの墓に納められました。

この時は西暦30年。西暦の数え方で言えば、この時イエスは28才か29才ということになります(西暦0年とい
うのはありません)。しかしおそらく35才前後だったと思われます。イエスがマリアの家を飛び出してから
3年とカトリックでは教えます。しかしガリラヤで伝道を始めてわずか1年半。思えばイエスが人々の支持を
得られた、云わばガリラヤの春は、わずか半年。最初の過越祭での失敗からは、まるで逃げるような1年でし
た。この1年はまるで死を迎える準備の期間であったように思われます。そして次の過越祭で死を迎え、まさ
に…過越祭に供されるいけにえの子羊のように、イエスは人々のいけにえとなったのです。

(つづく)

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197 2013/09/03(火) 15:01:50 ID:T4V/B0.JY2
私のブログにようこそ!!
 
さて翌日の土曜日となりました。この日は過越祭の特別な安息日です。
イエスが死んだにもかかわらず、またいつものように4月のギラギラし
た太陽がエルサレムの町を照りつけていたでしょう。安息日ですから
人々は自由に歩くことも出来ず、静まり返った町からは、あちこちの
ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で人々の祈る声だけが聞こえていたこ
とでしょう。
 
さて、この間、使徒や弟子たちはどうしていたでしょう。新約聖書には何も記載がありません。それはたぶ
ん、この金曜日の出来事が、彼らのトラウマになっていたからでしょう。まず使徒や弟子たちが恐れたのは
自分たちも逮捕されるということです。およそテロリストのリーダーが捕えられたとき、その幹部や兵士に
追求が及ばないことがあるでしょうか。彼らはおそらく少人数ごとに分散して隠れたでしょう。全員が固まっ
ていたら一網打尽になるからです。
 
しかし裁判も終わり、自分たちへの追及が無いことを人手によって聞いた時、次に恐れたのは自分たちが裏
切った師が、十字架上で自分たちを呪うのではないかということだったでしょう。およそ自分を裏切って見
捨てた者を呪わない人がいるでしょうか。しかしイエスは使徒や弟子たちを呪いませんでした。それは彼ら
にとって衝撃的ともいえることだったでしょう。彼らは皆、ペトロのように泣いたに違いありません。
 
そして今日は土曜日。彼らもユダヤ教徒ですから、安息日に歩くことが許される歩数を知っている彼らはエ
ルサレムから逃げようとは思いませんでした。例え逃げようとしても、ローマ兵が非常線を張っているかも
知れません。この日も彼らはじっと息をひそめていたに違いありません。
 
そして復活へ!!
安息日が終わると(とマルコの福音書は書きだします16-1)、という事は土曜日の日が暮れてからという事
ですが、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメという3人の女性がイエスの遺体に塗る油(香料)を
買い求めました。

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198 2013/09/03(火) 15:18:34 ID:UGsvaZqFPk
そして週の初めの日、すなわち日曜日の早朝、日が出るとすぐ
にイエスの墓に向かいました。彼女たちは『誰か、あの墓の入
り口から、石をどけてくれないだろうか』と話し合いながら墓に
向かいました。というのも、その石はとても重い物だからです。
 
しかし彼女らが墓に着くと、既に石はわきに転がされていました。不審に思いながらも彼女らが墓に入ると、
中に、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、非常に驚きました。若者は言います。
 
『驚くことは無い。あなたがたが探している十字架にかけられたナザレのイエスは、復活されたのでここに
はいない。さあ行って、弟子とペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。か
ねて言われていたとおり、そこでお目にかかれると』。
 
婦人たちは墓を出て逃げ去りました。震えあがり正気を失っていました。そして誰にも何も言いませんでした。
恐ろしかったからです。
 
と、ここでマルコの福音書は終わります。この後に『結び』という章があるのですが、これは後世に追加され
たものだそうです。これによると、ペトロの弟子として、生きているイエスを間近に見たはずのマルコは、あ
たかも復活したイエスを見ていないようでもあります。
 
復活…などということが本当にあったのでしょうか。以前『ピタゴラスの定理』などを使って明確な答えが出
来る問いは『質問』というカテゴリーに属し、生・死・存在・自然など、明確な答えが出せない問いは『神秘』
というカテゴリーに属すと言いました。イエスの復活というのも神秘なのです。これを私たちは『信仰の神秘』
と呼びます。この神秘に属すものを質問に属すもののように客体化するというのは、宗教家の仕事であり哲学
者の仕事です。ですからカトリックの私は教えに従って復活はあると信じます。がしかし、もしかしたら無い
のかも知れないという思いもあります。

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199 2013/09/03(火) 16:17:48 ID:c3vcg2XHc.
日曜日にイエスが復活されたことにより、今や全世界で日曜日がお休みの
日になったわけです。この日を私たちは主日と呼んで、土曜日の安息日と
区別します。といってもカトリックでは安息日は特別な日ではありません。
ただの平日です。しかし図らずも、多くの会社が土日と二連休になってい
るのも不思議な事ではないでしょうか。

その日曜日、あちらこちらに復活したイエスは出現します。例えば、エルサレムから無事脱出して
故郷のガリラヤに向かってとぼとぼと歩いている二人連れの弟子に…。弟子たちが今までの衝撃的
な出来事を話しながら歩いていると、そっと寄り添うように男が近づいて来て二人に何の話をして
いるか問うのです。弟子が『ナザレのイエスのことです。彼は立派な預言者でしたが、死刑にされて
しまいました。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると、望みをかけていました。
(ルカ24-21)。ところがある婦人たちが墓に行くと遺体は無くなっていました。天使がイエスは
生きておられると告げたんだそうです』。袖すりあうも多生の縁とばかり、この三人は同じ宿屋に
泊まったのですが、食事の時にイエスの約束の儀式>>176をこの男がやり始めたのです。あっ、この
人こそイエス様だ…と思ったところ、その男は消えてしまったと。

また、あの墓から慌てて逃げ出した婦人たちの前に現れ『おはよう』と言ったとか(マタイ28-9)。

またこの日曜日もエルサレムを脱出できない臆病な弟子の元へも。弟子たちが人を恐れ、戸口に鍵
をかけていると、『主の平和』と挨拶しながらイエスが部屋の真ん中に現れたと(ヨハネ20-19)。

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200 2013/09/03(火) 16:20:39 ID:c3vcg2XHc.
ユダを欠いた十一使徒も、この日曜日にエルサレムを脱出できな
かった組ですが、彼らの前にも『主の平和』と言いながら現れた
と(ルカ24-36)。当然ながら彼らは、これは亡霊ではないかと恐
れました。しかしイエスは焼き魚を食べて見せ、生身の人間であ
ることを証明したと。

いずれにしろイエスが復活した姿を見た弟子と、見なかった弟子とが、ここに現れたのです。見た
弟子にも、見なかった弟子にも『復活』という問題が宿題として提示されました。

宿題は他にもあります。イエスは預言者には違いないが、その伝道中、ご自分をメシアだとなぜ言わ
なかったのだろう。たった2年弱しか弟子たちと触れ合わなかったのに、なぜこんなに熱い気持ちを
私たちに残したのだろう。残りの1年を、あたかもご自分の死を望むがごとく行動されたのはなぜ
だろう。この面長の、8等身で痩せていて、手足だけが妙に長い不思議な男が残した謎は多いのです。

(つづく)・・・ああもう残り無い・・・どこか別のスレにでも引っ越しますか。

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201 2013/09/03(火) 19:06:30 ID:BITGHA0TB.
乙!
引っ越さずもう終わりにしとけw

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202 2013/09/03(火) 19:13:47 ID:BITGHA0TB.
朗報!
上限500レスだってよw
引き続き頑張れよw!

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203 2013/09/03(火) 20:05:45 ID:c3vcg2XHc.
まだ続きが書けるのね。まだこの時点でイエスはキリストにはなっていません。
復活を見た…とは言っても、結局イエスは天に上げられてしまいました。
もう師はいません。
十一使徒も弟子たちも、ローマ兵の目を恐れながら、とにかくガリラヤ目指して逃げたことでしょう。
特にペトロなどは兵士の一人の片耳を切り落とした位ですから、これは立派な傷害致傷犯です。
それも占領国のローマ兵を傷つけたのですから重罪です。
逃げおおせたことが不思議なくらいです。

(つづく)

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204 2013/09/03(火) 20:27:49 ID:VlOnyib6eo
205 2013/09/04(水) 22:16:26 ID:ns44a9xPJ2
ルドルフ・カール・ブルトマンという二十世紀を代表するドイツの新約
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。

しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。

すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。

突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。

で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。

では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。

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206 2013/09/04(水) 22:19:38 ID:N.YTerfOOM
ところでルカによるとイエスの最後の言葉はこうです。『父よ、私の霊をみ手にゆだねます』。
 
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
 
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
 
(つづく)

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207 2013/09/08(日) 18:32:40 ID:9OX7ZZpHR.
谷川の水を求めて、あえぎさまよう鹿のように、
神よ、わたしはあなたを慕う。
わたしの心はあなたを求め、神のいのちにあこがれる。

イエスの続きは月曜日から考えていきましょう。

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208 2013/09/10(火) 14:26:20 ID:hZD1nTshP.
今日9月10日は、日本205殉教者の記念日です。彼らは安土桃山時代から
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。

ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。

『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。

『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。

『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。

『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。

『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。

『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。

しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。

(つづく)

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209 2013/09/11(水) 14:24:44 ID:oAcLRCab0k
マリアは途方にくれました。『貯金もあまりないと言うのに、私は
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。

そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。

『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。

『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。

マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。

それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。

(つづく)

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210 2013/09/12(木) 13:59:21 ID:vR8k8AolWI
はたせるかな、その年の秋の頃から、イエスはそわそわし出したのです。
マリアが眠っているうちに、彼は家をそっと抜け出し、1週間も10日も
帰って来ないのです。そして帰ってくる時は、決まってうなだれて、憔
悴しきって帰って来るのです。そして家に帰っても仕事をするでもなく、
ひたすら部屋に閉じこもり祈っているようでした。そしてある日、マリ
アが目覚めると息子はいなくなっている。そんな繰り返しの日々が続き
ました。イエスはまるで『ふうてんの寅さん』のようでした。

そのような放浪癖のあるイエスを、母親のマリアはとても心配しました。

そんな晩秋のある安息日(サバト)、久しぶりにナザレに帰って来たイエスを連れて、マリアはヤコ
ブら従兄弟と共にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に礼拝に行きました。すると息子がいきなり立ち上
がって人々に呼びかけたのです。

『主の霊が私におられる。貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫
されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである……この聖書の言葉は、今日あなたがた
が耳にした時、実現した』。

人々は一斉にイエスとマリアの方を注目しました。『大工ヨセフの子のくせに何を偉そうに言うのか』。
『お前はメシア(油をそそがれた者)を気取るのか』。

『それはあなた方が言っていることだ』。高飛車な息子の言葉にマリアやヤコブは、はらはらしました。

『じゃあ、メシアだったら何か奇跡をやって見せろ。預言者なんだろう…大工の息子よ』。

『あなたたちは私を歓迎しない。預言者という者は故郷では歓迎されないと聖書にも書いてあるからで
ある。私はあなたがたに奇跡を見せることは出来ない。あなたがたは清く無いからである』。

この言葉に怒った人々は、イエスをシナゴーグから引きずり出し、ナザレの町外れにある崖から突き落
とそうとしましました。この時、マリアやヤコブらが泣いて土下座しなかったら、人々は本当にイエス
を崖から落としていたでしょう。

(つづく)

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211 2013/09/12(木) 14:20:35 ID:vR8k8AolWI
来たる10月4日(金曜日)の19時から、四谷の聖イグナチオ教会で
アシジの聖フランシスコの記念ミサが行われます。主日のミサと
同様に、聖歌隊も出る盛大なものです。

アシジの聖フランシスコはフランシスコ会(修道会)の創始者と
言ってもいい人物ですが、聖パウロのように宣教を重視しました。
現在のローマ教皇はイエズス会出身ですが、あえてフランシスコ
を名乗りました。

金曜日はキリストがご受難に遭った聖なる日でもあります>>177
カトリックにご興味のある方はぜひ見学に来てください。
私ももちろん行きます。

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212 2013/09/12(木) 16:35:16 ID:82ctcjxJr.
こんな、誰も読んでいないような場末の掲示板の
さらに路地裏めいた、閑散とした思想板で。

なんのリアクションも無いのに
長文を書き続けられる、根気強さに心を打たれます。

これが信仰の力と言うものでしょうか。

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213 2013/09/13(金) 14:41:45 ID:e6kraLznig
>>212
過疎ってるから書き込み放題w

それからというもの、親子はイエスを先生と慕う者の紹介で、カファルナウム
というガリラヤ湖畔の村に引っ越しました。イエスを心配する従兄弟のヤコブ
とヨハネは一緒に付いて来ましたが、他の従兄弟たちは知らぬふりでした。

イエスの放浪癖は止まりませんでしたが、母マリアをとても驚かせたことがあ
ります。それはイエスが旅立つ朝、大勢の男女が息子を迎えに来たことです。
彼らは息子の弟子だというのです。もっと彼女を驚かせたことは、この弟子たち
の中に、彼女の嫌う元徴税人や娼婦が、更には熱心党の者がいるということでした。

熱心党、それは革命家グループで、ローマ帝国から独立を勝ち取ろうと常に不穏な動きをしているので
す。マリアが幼いころ、熱心党の何人かがガリラヤで、ローマ帝国への一揆を起こしたことがありまし
たが、すぐにローマ軍に鎮圧されました。しかし彼らは懲りもせず、まだどこかに武器を集めていると
いう噂です。こんなことがファリサイ派のラビに知られたら、と思うと気が気ではありませんでした。

イエスは仕事をしないばかりか、朝暗いうちから家を出て行き、数週間も家を空けることが度々でした。
イエスはガリラヤ湖のほとりの村々を訪ね、人々が集まってくると草原に腰を下ろし説教を始めるらし
いのです。

『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。休ませてあげよう…。あなたを』。
『幸いなるかな、泣く人。かれらはなぐさめを得るであろう』。

ガリラヤ湖を渡って来るすがすがしい風のように、それは貧しいガリラヤ湖畔の村々の人々にとって、
染み入るような説教でした。弟子たちはそんな息子をとても自慢にしているようでした。

(つづく)

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214 2013/09/13(金) 14:55:55 ID:e6kraLznig
今日9月13日は、カトリックでは聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士の
記念日です。

この聖人は、350年頃にアンティオキアで生まれました。当時、アンティオ
キアは東方(ギリシア語圏)の教会の中でアレキサンドリアと並ぶ中心的
な都市でした。その中で、ヨハネは厳しい隠遁生活に惹かれていったよう
です。数年間、アンティオキア郊外で隠遁生活を送りました。しかし、その
後、彼はアンティオキアに戻り、381年に助祭に、386年に司祭に叙階されま
した。ヨハネは、すぐにそのすばらしい説教によって、広く知られるように
なりました。6世紀頃にさかのぼるとされるヨハネの呼称「クリゾストモ」
(ギリシア語で「金の口」という意味)が、そのことをよく表しています。

しかし彼は体制側に反発したため、民衆の支持は得たのですが、権力者から弾圧されました。
彼は司祭の座を追放され、失意のうちに客死しました。しかし彼の死後、その功績が讃えられ
るほどになり、聖人として列聖されました。

返信する

215 2013/09/16(月) 13:13:51 ID:dBDBvvn5.Q
しかしヤコブらには、そんな従兄弟のイエスが『気が変になっている』
としか見えなかったのです。彼らはイエスを捕えて、まっとうな仕事に
つけようとしたこともありましたが、徒労に終わりました(マルコ3-21)。

人々の噂によると、イエスは悪霊に憑りつかれて高熱を出している人の手
を握り、徹夜で看病しているとのことでした。イエスが汗に汚れた病人の
体を拭いてやっていると、不思議なことに、翌朝には病人がすっかり快方
に向かっていることもありました。そんな時、人々は『奇跡だ』と言って
イエスを褒め称えました。

もちろん、イエスが懸命に看病しても、亡くなっていく者もありました。悪霊に憑りつかれた子供をイ
エスは抱きしめて神に祈りましたが、にもかかわらず呼吸が止まり、冷たくなっていく子供。そんな時、
イエスは苦悩の表情を見せました。人々はそんな彼を無能な預言者だと罵りました。石を投げつけられ
たこともあります。人々の期待に応えられなかった時、イエスは憔悴しきった顔で母マリアの家に戻り、
神に祈るのでした。

『天におられる私たちの父よ。み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われる
とおり、地にも行われますように…』。

『悪事千里を走る』『Bad news travels fast.(悪い噂は早く伝わる)』という諺どおり、奇跡よりも、
イエスが病人を治せなかった、とか、盲人の目に手を当てて祈ったが目が開くことは無かった、という
噂がガリラヤの村々に広まりだしました。エルサレムの体制派の人々が、預言者を警戒して放ったスパ
イたちがそんな噂を広めたのかも知れません。

イエスは嘆きました。『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう』(マルコ8-12)。

(つづき)

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216 2014/01/15(水) 02:23:08 ID:Di9JMR1zms
ふたりともきえちゃったな

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217 2014/03/07(金) 19:22:35 ID:rNpKhoUduE
消えてないよ。名無しに戻った。
ところで、灰の水曜日、教会に行った?
私はイグナチオ教会に行きました、しっかり。
ただし断食は怠ったw 魚と肉を食ってしまった、油もたっぷりねww
でも、キリスト教じゃ、罰は当たらないんだ、いいだろ?

カトリックでは、これから復活祭まで特別の日々なんだ。
詳しくは、灰の水曜日でググれ!!

返信する

218 2014/03/07(金) 21:51:20 ID:rNpKhoUduE
カトリックの場合、断食と言っても少しは食べていいんだ。
例えば、肉、魚のような動物製の物を食べていけない日でも、
蛸やイカは食べていいという変な規則。

だから、油はいけない、肉はいけないという日は、イカ塩辛とタコ酢でウマー。

これでいいのだろうか。

返信する

219 2014/03/08(土) 23:00:53 ID:maIlZ8.CvU
人は全て神の息子、娘なので、全人類はいわば「兄弟」なのだ。
少なくともキリスト教徒は「兄弟」だ。
聖パウロも聖書の中で度々「兄弟たちよ」と呼びかけている。

人類愛という言葉があるが、これはキリスト教由来の概念だろう。
キリスト教的には「兄弟愛」ということだ。

ここでちょっと情報を付け加えると、新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。
聖パウロもギリシア語で手紙を書いた。聖書の作家はみんな(おそらく)ユダヤ人だが、
ヘブライ語では文書を書いていない。もっとも当時ヘブライ語なんぞは無かっただろう。
当時のイスラエルではアラム語というシリア系の言葉が話されていた。
イエス・キリストもアラム語を話したことだろう。

ところがキリスト教はイスラエルではなく、ギリシア語圏に暮らすユダヤ人、つまり祖国を
飛び出た「離散ユダヤ人」の間に広まった。だからそれらの人々が書いた聖書の中の全文書が
ギリシア語になったわけだ。

ここで前の「兄弟愛」に戻ると、これはギリシア語の聖書では「フィラデルフィア」という語で
表現されている。そう、アメリカのフィラデルフィアという都市は、まさに兄弟愛、人類愛を
街の名前に選んだわけだ。

キリスト教由来のアメリカの都市名はサン・フランシスコだけではない。

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220 2014/04/04(金) 15:22:02 ID:81//xBwaUo
久しぶりにマイ・ブログを更新!!
今日は「初金」っていうめでたい日でミサに行く日なんだよ。
こんなことを言うとプロテに「だからカトリックはぁwww」って
笑われるんだけどね。

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221 2014/04/05(土) 18:44:00 ID:gmElbxGaOs
引き続き、4月のカトリック暦一覧・・・

6日(日) 四旬節第5主日
11日(金) 十字架の道行き
13日(日) 受難の主日(枝の主日 聖週間) ・・・この日にイエスがエルサレムへ入城した。
17日(木) 聖木曜日(主の晩餐の夕べ)・・・この夜にイエスが最後の晩餐をした。
18日(金) 聖金曜日(主の受難)・・・この日の昼にイエスが十字架に付けられ死す。

カトリック教徒は聖金曜日は盛大に断食をしなければならない。

19日(土) 聖土曜日(復活の聖徹夜祭)・・・キリスト復活前夜祭。
20日(日) 復活の主日(復活祭・イースター)・・・イエス・キリスト死者から復活!!

復活祭はキリスト教にとってクリスマス以上に重要な日なのだが、日本の商業主義に乗らない
ためか、あまり日本では話題にならぬのが残念だ。有名なところはイースター卵くらいだから。
しかし多くの人は復活祭か聖土曜日に洗礼を受けるのが習わしになっている。
ただしクリスマスに洗礼を受ける人もいるにはいる。

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222 2014/04/27(日) 16:45:35 ID:coV9SUAfSQ
わたしを知らないのは、本質的なことを知らないのである。
すべてはわたしのために創られ、わたしなしに創られたものは一つもない。
わたしは世の光であり、わたしに従う者は闇の中を歩まない。

あなたは魂の花びらを一枚一枚はぎとって、
ついには、あなたの手のひらには、
裸になった色も形も香りもない哀れな茎が残った。

わたしはあなたの存在のアルファでありオメガである。
あなたの存在の封印はわたしの手中にあり、
わたしなしには空(から)となり意味もなく陽の光に消える露となる。

あなたの孤独を満たすことができるのはわたしである。
あなたが逃げて行った時も、あなたを愛したのはわたしである。
そして、この世界の何よりもあなたを愛している。

なぜなら、友のために生命を捨てるわたし以上に、
あなたを愛する者は誰もいないからである。
わたしはこの世の終わりまでも、日々あなたと共にいる。

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223 2014/04/27(日) 17:02:37 ID:Ugbv2OTVFs
『カトリックでの最後の晩餐』
 
主イエスは渡される夜、パンを取り、あなたに感謝をささげて祝福し、
割って弟子に与えて仰せになりました。
 
「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしの体である」
 
食事の終わりに、同じように杯を取り、あなたに感謝をささげて祝福し、
弟子に与えて仰せになりました。
 
「皆、これを受けて飲みなさい。これは血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、
罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血。これをわたしの記念として行いなさい」
 
信仰の神秘・・・。
主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。

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224 2014/04/27(日) 17:24:38 ID:coV9SUAfSQ
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。

私の心はあなたを求め、神のいのちをあこがるれる。
わたしが行ってみ前に至り、み顔を仰げる日はいつか。
わたしは日夜、神を問われて、明け暮れ、涙を食物とする。

谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。

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225 2014/04/27(日) 21:21:58 ID:coV9SUAfSQ
[YouTubeで再生]
聖歌657番 いつくしみ深き 森山良子版
(小学校で習ったきらめく銀河の元歌だからみんな知ってるよ)


いつくしみ深き友なるイエスは
罪、とが、うれいを取り去りたもう
心の嘆きを包まず述べて
などかは降ろさぬ、負える重荷を
アーメン

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226 2014/04/28(月) 14:58:38 ID:/XXG1R3s36
[YouTubeで再生]
世界的ヒットになったカトリック聖歌・・・ペスカドール・デ・オンブレス
(Pescador de Hombres)。スペイン在住のカトリック司祭が作って、今や
スペインでは色んなCDが出て、ロック版まである。もちろん世界中の
カトリック教会に伝わって各国語になって教会で歌われている。

プロテスタントが勝手に翻訳して色んな日本語版があるらしいが、以下がカトリック「正式版」。

主は水辺に立ちて、わたしに声をかけた
ただついて来て欲しいと。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。

主よ、わたしの舟に、剣も富も無く
ただ網と仕事だけ。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。

主よ、わたしの心、この手と熱い力
ひとのためささげよう。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。

主はほかの海にも、仲間を求められる
愛の神、とわの友、
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。

「主よ!!」 はスペイン語では「セニョール!!」なんだね。
英語では「ロード」なんだけどね。

以下は前半は英語版
http://www.youtube.com/watch?v=41rSYIhjGO...

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227 2014/04/29(火) 00:54:28 ID:8sFRBI9ZNE
ペスカドール・デ・オンブレスは初代ローマ法王になったぺトロ目線の曲なんだ。
曲の中で「わたし」とはぺトロのこと。
ぺトロの元の職業は漁師。
主イエスはぺトロが漁をしていた湖の岸辺に立って、
ぺトロに「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にしよう」と呼び掛けた場面が
聖書の中で印象的。その場面を歌にした。

ペスカドール・デ・オンブレスとは日本語に訳すと人を捕る漁師。

なんとなく昔の漁師というとなにか貧しい印象があるが、
実際は大金持ちとは言えないまでも、舟や漁の道具などを所有していたのだから、
当時としては資産家。

その時、一緒に弟子になった者の中には、舟を数隻持っていて、人も雇っていた
資産家もいた。そんな彼らがなにもかも捨ててイエスに従った。

キリスト教は人生のしがらみを、なんの躊躇も無く棄てることから始まる、という教えだ。

だからカトリックの神父が属す修道会は、どこも入る資格を、私有財産をまず棄てること
とする。
実生活でも神父や修道師は小遣いすらも持っていない。

なにしろキリスト教入門講座を開いている神父もいるわけだが、
そんな神父にも教会の施設を無料では貸さない。資料を作る費用も出さない。
修道院の人たちは本当にお金をもらえないのだ。

ちょっと考えると講座を開くのは、信者獲得に好都合なようだが、
カトリックは積極的に信者獲得はしないのだ。
だからそんな入門講座も信者のボランティアで運営される。
誰も信者になる時、つまり洗礼を受ける時、一円もお金を取られることはない。
信者をやって行くのだって、一円も教会に入れなくても、
督促状が届くことはない。
そこが事あるごとに金銭を要求されるプロテスタントとの違いだ。

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228 2014/04/30(水) 13:48:20 ID:8kXFPZ96zs
聖書の中で一番古いマルコの福音書を書いたマルコも、金持ちのぼんぼんだったらしい。
(聖書の中で一番古い文書はパウロの書簡だ)。
彼はぺトロの弟子として(つまりイエスのまた弟子として)、おそらくずっとイエスの共を
した。最後の晩餐の後、イエスが逮捕された時、
彼も衣を掴まれたが、それを脱ぎ捨て裸で逃げた。

最後の晩餐が出たが、この最後の晩餐はマルコの家の二階で行われたという説が有力だ。
彼の家は母子家庭だったが、エルサレムの街中の大きな住宅に住んでいたのだ。
だからたぶん彼はぼんぼんだと思ったのだ。

マルコは初代教会が出来る際も活躍をした。
あの有名なパウロの宣教旅行の共もしている。
でも生来がわがままなぼんぼんだから、途中で帰ると言い出した。
それでやはりもう一人の同行者バルナバ(彼も初代教会の立役者だ)とパウロいての仲が
気まずくなったりした。

と、かなり面白そうな人物だが、やはり彼の功績は福音書というイエスの行動録を残した
ことだろう。マルコの福音書を元に、その後、マタイとルカの福音書が書かれた。
もっとも、マルコ福音書はマルコ自身が書いたものではないという説もある。
でもその場合でもストーリーを語ったのはマルコに間違いない。

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