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聖書 Part10


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074 2013/03/09(土) 13:55:08 ID:BzBRKujSLs
別に小説文学が「あってはならないもの」として東洋で扱われて来たような事実もないのだが、
ことに西洋においては、自分たちの最大級のより所である新旧約からして架空の物語を列挙
しただけの小説止まりであるものだから、小説こそは至上のものとして扱われて来てもいる。
西洋で「表現の自由」というものが提唱されたのも、元はといえば新旧約なんぞを金科玉条に
掲げ続けて来た自分たちの性向こそを元凶としているわけだから、結局、比喩表現の悪用を助長
する諸々の正当化材料にしろ小説の祭り上げにしろ、全ては新旧約を元凶としているのだといえる。

フィクションとしての宮廷文学の金字塔である源氏物語なども、仏門の立場から「妄語戒に反する」
と批判されていたようなこともあったわけだが、それにしたって、家康公を始めとする多くの歴史上
の人物が源氏物語の愛読者でもあり続けて来てもいる。小説文学というものがその程度の扱いを受けて、
表現の自由などもそれなりの戒めの対象になりつつ、成人図書のような警戒的な受容に止められて行く
というのならば、完全に根絶されたりまでする必要もない。三国志演義も封神演義も小説文学には
違いないが、前者のほうがより史実に即している一方、後者のほうは怪力乱神を導入しまくった
濃厚なフィクションであるから、文学作品としての評価も三国志演義>封神演義だったりする、
その程度の扱いとしてフィクションだらけの小説作品が許容されていくことはこれからも可能である。

ただ、それにしたって、フィクションをノンフィクションの下に置き、不正な表現を適切な表現の
下に置く分別はしっかりと講じていく必要がある。新旧約なんぞは、不正な表現の限りを尽くした
完全なフィクション小説であるものだから、それこそ最低劣の文筆として扱われなければならない。
経書や仏典は適切な表現の宝庫だから尊重され、正史もフィクションの明記だから尊重される。
(正史「三国志」のように三国志演義以上にも出来の悪い正史も中にはあるので注意が必要)
それらの下に全ての不正な表現やノンフィクションまみれの文筆が置かれていくようにする。

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