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聖書 Part9


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091 2012/11/17(土) 14:50:56 ID:aD43CuCieM
それなりの実践修行が伴う仏門における学問こそは、そのような問題をも呈さなかったわけで、むしろ
仏門における学問こそは、今の大学などでの学問以上にも「最適」でいられるところがあったのだった。
(ちょうど実践修行が、情報処理を行うコンピュータにとってのデフラグのような役割を果たしていた)

宗教的には、日本も「仏教圏」とされるけれども、実情をいえば、日本の仏門は今の大学並みかそれ以上にも
「権威ある学門」としての立場を担っていた。宗教としての信仰に専らでいたのは浄土門などの一部の宗派
のみであり、むしろ寺といえば学門道場としての役割のほうが大きかった。仏門が信仰の場以上にも学門の場
として重要な役割を担っていた以上、日本は昔から信仰以上にも学問を重んずる国でもあったと言え、信仰一辺倒の
激化などは、僧兵や一向一揆や日蓮カルトなどへの制圧が試みられていたことからも、忌避されていたことがわかる。

そういった、日本の伝統的な教学のあり方こそは見習うべきものでもある。信教を信教だからといって
保護するようなことはしない一方で、学問振興のための絶妙なエッセンスとして信教を用いもする。
これが信教一辺倒なアブラハム教圏のあり方などよりはもちろんのこと、信教に対する冷遇や弾圧の過ぎる
中国などよりも優れている。今の日本ではなく、昔からの日本の教学に対する姿勢こそが模範的なのであり、
それは今の日本人自身もまた復興を心がけていくことによってのみ、また取り戻せることがあるものである。

「疑を稽する。択んで卜筮の人を建立する」
「疑わしきことにまでよく配慮を利かして精査する。そのためには卜筮者を厳選して擁立しもする。
(オッカムの剃刀的な配慮の怠惰を非としていたから、占筮にまで頼る所があったのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・洪範より)

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