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聖書 Part9


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264 2013/02/05(火) 12:28:15 ID:vDwKTz52M6
実際、孔子のような極度の不遇からの大成者が実在していればこそ、東洋社会においては不遇を
ひけらかしての人気取りなどは非とされて来た。特に、妾腹の私生児のような克服のしようの
ある不遇で同情を買おうなどとする人間には「甘ったれんな」という冷たい視線が注がれた。
それは別に間違ったことでもない、世界的に通用させても何ら問題のない常識的措置なのであり、
それにすら耐えられないなんていう薄弱者こそは社会的立場を追われたとしても仕方がないのである。

それが「ガサツ」だったりするのでもない。どちらかといえば、己れの精神の薄弱さのあまり
私利私益ばかりをむさぼって、遠方の他人を困窮や餓死にまで追い込んでおきながら、一向に意に
介さないでいたりすることのほうがよっぽどガサツである。そんなガサツさよりは、社会人として
最低限必要な厳しさとしての、克服可能な不遇に対する同情の抑制のほうを講じて行くべきである。

接ぎ木ではなく、種から生えた芽としてこれから育って行かねばならないものがあったとして、
「まだまだこれからだ」というような叱咤激励をかけてやるのが水遣りに相当するとすれば、
「大変だねえ」などと同情ばかりをかけるのは芽を無理に伸ばしたりすることに相当するといえる。
前者は成長を促す一方、後者はかえって芽を立ち枯れにさせる原因にすらなってしまう。これから
育って行こうとする芽に対する適切な助成のためにも、不埒な同情などは禁物なのである。

「災いを救いて鄰りを恤れむは道なり。道を行えば福有り」
「災いからの救いを企図し、隣りの被害者を憐れむのは道である。道を行えば福徳にも与れる。
(災いへの救助支援や憐憫は確かに人道に適っている。人道に適わなければこそ福もない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・僖公十三年より)

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