カントの臨終間際の言葉「これでいい(Es ist gut.)」も、 
 紀元前の諸子百家の直筆の一つである「列子」に出てくる。   
 未開の僻地に、長男を家内安全の祈願のための生贄にして食ってしまう奇習 
 を持つ蛮族がいることなどを受けて、老荘に次ぐ道家の偉人として知られる 
 列子こと列御寇が「これでもいい(未だ異と為すに足らず)」と断じている。 
 (「列子」湯問第五・六を参照)   
 列子の場合は、長男こそを家督相続者とする正統な封建制の実在をも踏まえた上で、異端の 
 蛮族の悪習としての長男殺しにも「それはそれで別にいい」という判断を加えているわけで、 
 これは、優良なものも劣悪なものもあっていいのだという「万物斉同」の理念に即している。   
 一方で、カントのほうはといえば、人々を悩乱ばかりに陥れる、晦渋なわりに実質は不実な 
 机上の空論哲学を数多捏造しまくっておいて、挙句に「これでいい」といいつつ死んだわけで、 
 ひょっとしたら列子もまた「それでいい」とすら言うかもしれないが、正統な思想哲学も 
 わきまえた上で、異端の雑学なども「それはそれであり」とするのではなく、異端の雑学 
 ばかりしか知らないままの状態で「これでいい」とするのでは、真理からはあまりにも 
 程遠いというようなことをも列子はいっている(「列子」仲尼第四・十六などを参照)。
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