人生は楽しんだ者勝ち


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001 2011/03/04(金) 21:01:00 ID:bOrJqe3WRM
そう思うのだが

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002 2011/03/04(金) 22:52:36 ID:Z/yErBN3aA
この世に犯罪者ほどつまらないものはない。

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003 2011/03/04(金) 23:56:53 ID:ewGdEQPGPU
>>2
んなこたーない

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004 2011/03/05(土) 03:38:48 ID:rfotyH4hCE
人間とは、知能とは、宇宙とは、世界とは、
なんて事をボーっと思考し続ける事が最高に楽しい。

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005 2011/03/05(土) 07:35:58 ID:XQqPW2crBQ:DoCoMo
犯罪者である以上は、他のあらゆる楽しみまでもが、
鼻の穴にカメムシを詰めながら楽しむ香水の如くなる。

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006 2011/03/05(土) 19:38:31 ID:orxHUNwt/o
自分は楽しんでいるつもりなのに
友達から「楽しそうじゃないね」とか「もっと楽しんだら?」なんて言われたり
自分より不幸なのに楽しそうに生きている人を見たりしたら
とても勝った気にはなれない

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007 2011/03/05(土) 20:54:34 ID:XQqPW2crBQ:DoCoMo
苦しみを楽しみだと勘違いする精神原理は「マゾヒズム」に尽きているが。

種の保全にとって、真に有益な事物を「楽しい」と感じ、
有害な事物を「苦しい」と感じるように、人間の脳はできているから、
その法則に逆らって、苦しみを楽しみだと思い込み続けていれば、
種を滅亡へと追いやる張本人ともなってしまうわけだね。

人類という種族が滅亡してしまえば、勝ちも負けもあったもんじゃない。

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008 2011/03/06(日) 09:10:14 ID:odCWubH3mM
人生がこれっきりのものならば楽しんだもの勝ち。
あの世や来世があってこの人生につながっているのならば、苦しんだもの勝ち。

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009 2011/03/06(日) 09:13:25 ID:2h/9sgdMHk
>>7
大半の人間はネットを楽しいと感じているわけだが、それ、種の保全と関係あるのか?

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010 2011/03/06(日) 09:43:14 ID:9jAk.sjggs:DoCoMo
上っ面が楽しそうかどうかが重要なのは、本当は苦しんでいる者同士でだけの話。

本当に苦しまずに楽しんでいる者同士の場合には、全くその限りでない。

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011 2011/03/06(日) 10:40:13 ID:qt.NpEkx4.
昔の日本の短歌や俳句などには、「なんでそんなのが面白いの?」っていうぐらいに
繊細で微妙な自然や生活のあやが丹念に描き込まれていたりする。
あれこそは、人生を苦しまずに楽しんでいるありのままの姿。
鼻の穴にカメムシが詰まってたりはしないから、些細な草花の香りすら楽しめる。

一方で、大枚はたいてセレブ同士の乱交パーティーに参加したりするのは、
苦しみをまぎらわすために無理やり楽しもうとしている姿。
鼻の穴にカメムシやら生ゴミやら犬の糞やらが詰まりきっているから、
その悪臭を紛らわすために、より臭みの強い香水をかごうとする。

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012 2011/03/06(日) 13:09:16 ID:9jAk.sjggs:DoCoMo
人生は苦しんだ者敗け

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013 2011/03/06(日) 14:46:38 ID:WOBCTdvw2Q:au
人生という認識自体に問題ありだと思います。

人間の高度な脳機能が生きることを有意義な社会生活にしようとしています。それは本来まったく必要ないもので、まるで優劣を競うように営まれています。

生き物における三大欲求-生きる実感に人間は見栄を付け加えた。

それは勝ち組負け組や自殺などと派生しています。

それは生き物としての主題を超えて、精神での幸福も望んでいるということ。それは形は異なるものの道徳的な安心感と似たようなものです。ただ、向いているほうが違うということ

資本家や権力者の設定に疑問も持たずに云々思うのは愚かしい
そこに高度な脳機能は必要あるのかね?
すべては他人の用意した世界観なんだぜ?
なんにでも迎合するのは一見すると道徳的だが、裏を返せば何も考えられない依存した人間性しか見られない。

こういった懐疑こそが哲学だ

そして哲学だという言説に-括りにこだわってはならない

要は人間が創り続ける現在進行形の物語だ

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014 2011/03/06(日) 14:57:30 ID:WOBCTdvw2Q:au
マゾヒズムは痛みを受け入れる-相手のすべてを受け入れることで支配するという逆転発想と考えられていますよ

たとえばイジメに堪える
堪えきったならばイジメる側をも支配コントロールする

まるで親のような
まるで孫悟空と釈迦のような

マゾを単なる痛み好きだと思っていると手痛いしっぺ返しを喰らう

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015 2011/03/06(日) 15:28:22 ID:9jAk.sjggs:DoCoMo
マゾヒストが、自業自他得で人類を滅亡さす。

それを免れる手段はただ一つ、マゾヒストたちが自重すること。
自他を害なう変態志向がこれ以上増長することに、何ら望みもない。

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016 2011/03/06(日) 20:25:39 ID:qt.NpEkx4.
マゾヒストは、まず苦痛が苦痛であることを感じない。

父親が誰かも分からない娼婦の子であるとかの、生まれつきからの激重の辛苦によって、
「苦痛を受け続けていることこそは自分にとっての普通の状態」であると受け止め、
苦痛から逃れ去った状態における安楽などを、その存在性の根本から関知しない。

苦しみを受け続けているのが当然のことだから、まるで息をするようにして
苦痛を欲するだけで、欲した苦痛が得られたことをウレシがりもする。

それは、苦痛が苦痛であることを真摯に受け止めて、その苦痛を乗り越えていく
こととは全く異なるものであり、苦痛を乗り越えていくことが成長になる一方で、
苦痛を快楽だと思い込んで嗜好することは、ただ退化や腐敗を招くのみとなる。

一定量の炭素を含有した鋼は、打ち鍛えられることでより硬さを増していくが、
炭素含有量0%の軟鉄は、いくら叩きすえられても硬さを増したりすることはない。
苦難を乗り越えて成長していくことは、鋼が鍛えられるようなことである一方で、
苦を楽だと思い込んで受け入れるのは、鋼でもないのにただ打たれる軟鉄のようなもの。

孔子とイエスの場合を例に挙げるなら、孔子の場合は妾腹の私生児として生まれながらも、
自ら父親の身元を調べ出して、墓参りもしたところが「鋼」となる機縁となった一方で、
イエスの場合は、父親の身元も調べずに、自らを「神の子」だなどと触れ回ったところが、
打たれても鍛えられない「軟鉄」に終始する機縁になったのだといえる。

妾腹の私生児が「神の子(キリスト)」を名乗った当たりが、マゾヒズムの起源でもある。

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017 2011/03/07(月) 00:19:46 ID:P3mmPeIxBI:au
マゾはけして痛みが好きなわけじゃないんだ
ただ、そういった痛めつけられる自分を認めてしまうと自我が保てないから痛みを受け入れる

いわば無言の抵抗

ワタシはアナタのすべてを受け入れたのだから友達だよね?恋人だよね?という無言の圧力をかけることで、本来相手にもされていないであろう己の立場を確保している

生きる ソコに生き残るための手段なんだよ
駄々ともいえる

つまり人間性はみんなと大して変わらないよ

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018 2011/03/07(月) 09:00:37 ID:Y/iJdJHlNs:DoCoMo
また、言葉の定義を勝手にねじ曲げてやがる。

「苦痛を快楽と倒錯して好き好む」ってのが、
誰しもが「マゾヒズム」という言葉に対してあてがっている定義だ。
そこを勝手に改変するのなら、すでに俗にいう「マゾヒズム」
について論じているわけではないことになる。
言葉の定義をも歪めつつの物言いは、必ず不毛な妄想に終始する。

それに、苦痛を受け入れることが「相手の全てを受け入れること」なんかになるわけもない。
マゾヒストとして相手の迫害を受け入れるのは、ただサディストとしての相手からの仕打ちを受け入れているだけで、
相手をサディズムという極めて特殊で矮小な変態性向に追い込んでいるだけであるからして、
決して相手の全てを受け入れているなどとは言えず、むしろ相手の全てを受け入れたりはしないために、
サディズムの受け入れという、極めて狭量な変態性の受け入ればかりに固執しているのだといえる。

もしも相手が、たとえ恋人が犯罪者であった場合にも、私情を控えて恋人に自首を促すほどもの
道義心の持ち主であったとすれば、その道義心すら受け入れるのが「全てを受け入れる」ということにもなるはずで、
それほどもの道義心を受け入れるために自分に必要になのも、相手の迫害を無制限に受け入れるマゾヒズムなどではなく、
相手並みかそれ以上もの覚悟をもって刑事処分に臨む、公正な道義心でこそある。

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019 2011/03/07(月) 18:42:34 ID:P3mmPeIxBI:au
そんな一般的な認識のレベルで考えていることになるのか?
ボクが書いたのは心理学的な分析であって一般論とはちがう
しかし哲学的である

一般論でいいのなら考える必要性がない

ただの暫定的事実の報告はニュースに任せておけばいい

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020 2011/03/07(月) 19:17:33 ID:at.KxXDjYA
いい加減、その腐った根性を叩き直さないと、
いつまで経っても、あなたの通った後に草一本も生えやしねえぞ。

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021 2011/03/09(水) 19:42:00 ID:5CDCMiriRk:au
前原辞任についても宗教家は一般人と同じく違法献金を受けたためと そこで終わりだろう?
それも事実には間違いないが、もう少し考えてみたらどうなんだ?
献金を違法か合法かを分けているものの正体を…

それはとうぜん政治介入だ

外国人からの献金は、日本人のそれよりも更に不可視の権力となりうるために規制している。
それは裏返せば日本人の政治介入はどうぞいくらでもというもので、バレていなければ外国人の介入も日常的に容認しているということだ

そのくらいは推察しろよ宗教家!ニュースや四書五経を教科書マニュアルとしているヤツには荷が重いでつかね?

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022 2011/03/10(木) 08:00:54 ID:6vZW5X0V/k
無意識の状態は、実は楽しいのかも。
夢を見ない眠り、何かに夢中になって時間空間や自他を忘れている状態、ぼーっとした感じ、そして死…

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023 2011/03/11(金) 22:54:05 ID:.RJcNni96g
社会的成功者だけが人生の勝者ではない。
人生を楽しんだ者はみんな勝者だ。

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024 2011/03/11(金) 23:32:28 ID:D12IcFJT6.
楽しんでいいときに、楽しむんだ。

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025 2014/12/24(水) 23:14:46 ID:qRiOOdxpv.
24が正しいと思うな。
間違った違法な楽しみ方はだめ

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