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聖書 Part5


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027 2010/09/11(土) 06:34:11 ID:JRSzI3eAAg
宗教は、存在論であり、絶対実在を論理や知覚(計測)ではなく、自らの存在における共振作用の如きもので知ることな

のではないかとおもう。

世界は、絶対存在が纏う物語、シナリオ、二次的以降の現象世界になる。
つまり、絶対存在ではない「現象世界」はシナリオとして、物語として、無限に展開して、変化する。
何故ならば、相対であり、物語は無限に書き加えることが可能だからだ。
その限界は存在の本質、神、意識の限界と等しいのだと思う。

その場合、サイコパスという「言葉」は現象世界に属する物語の一部になる。
一点だけ、サイコパスという姿だけを見れば、それは、正しいとも言える。
でも、現象世界に投影した神である意識の全体から見れば、無限分の一にしか過ぎない。

それは、顕微鏡で自分の体を眺めて、
「我は細胞なり」
「我は遺伝子なり」
「我は分子なり」
と見るのと同じなのだと思う。

瑣末の医学用語では、命の広大な世界を表すことはとても出来ない。

実は、命とは、人間とは、とてつもなく広大である可能性があるのだ。
何故ならば、人は、分子でもあるが、同時に、「愛」すら持っている。
それは、人間が神でもあることを意味する。
何故ならば、聖典は、神は愛なりと定義するからだ。

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