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聖書 Part5


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257 2010/12/08(水) 13:29:02 ID:BSoWUvPEWc
元号事典をパラパラとめくっていて気づいたが、
明和水産の語源になっている「明和(1764-1772)」も、実は「書経」からの引用なんだな。

虞書・堯典の「百姓を昭明し、萬邦を協和せしむ」という部分。
これは「昭和」の引用元でもあり、「平成」の出典も「書経」の虞書・大禹謨。
禁中並公家諸法度で、幕府も「天子諸芸能ノ事、第一御学問也」と取り決めるなどしていたが、
確かに朝廷は古来から学問を重んじていて、その最大の学問対象はなんといっても四書五経、
次いで史書、詩歌の順となっている。日本文化の通奏低音ともなっている儒学。
あまりにも常時響き渡り続けているために、誰もそれをそれと意識することすらない。

「子、磬を衛に撃つ。蕢を荷ないて孔氏の門を過ぐる者あり。曰く、心有るかな、磬を撃つこと。
既にして曰く、鄙しきかな。硜硜乎たり。己れを知ること莫くんば、斯れ己まんのみ。
深ければ則ち﨤し、淺ければ則ち掲す。子曰く、果なるかな。難きこと末きなり矣」
「先生が衛で磬という打楽器を演奏されていたとき、もっこを荷なって家の門を通り過ぎようとする者がいた。
一聴して『心ある音だな、この磬の音色は』と言った。しかししばらくしてまた言った。
『しかし卑俗なものだ。自分を分かってもらいたいあまりの緊張感をも帯びている。
誰も自分のことを分かってくれないのなら、ただ活動を控えていればいいだけのこと。
深い川では着物を脱ぎ、浅い川では裾を上げる(詩経・匏有苦葉からの引用)。
そのようにして、世の乱れに対しても適当に対応すればいいだけのことさ』
先生は言った。『思い切りのいい人だね。しかし、別に難しいことでもないさ』」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・憲問第十四・四一)

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