「詩経」七月でも「昼は茅を採り、夜は縄をなえ。屋根の茅葺きも急がないと、もうすぐ種まきも始まるぞ」という風に、
産業階級の庶民が、自分たちの領分をわきまえた仕事に専念することを奨励しているし、支配階級も支配階級で、民の教化などの
自分たちの仕事に励まなければならないことが以下の「孟子」の言葉などとしても提示されている。にもかかわらず、
五穀を実らせることに対しても傍観的であり、民を生育することにかけても他力本願であるもの、産業階級としても支配階級としても
己れの領分をわきまえることなく、心身ともなる怠惰に終始しようとするもの、檻の中で飼育すべき禽獣にも等しいものだ。
「后稷は民に稼穡を教え、五穀を樹藝う。五穀熟して民人育す。人の道有るや、飽食煖衣、逸居して
教うることなければ、則ち禽獸に近し。聖人之れを憂えて、契を使いして司徒たらしめ、教うるに人倫を以てし、
父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有らしむ。放勳日ごとに之を勞い之を來し、之を匡し之を直くし、
之を輔け之を翼けて、自得せしめ、又從いて之を振い鄹む。聖人の民を憂うること此くの如し。而に耕すに暇あらんや」
「舜の時代、農務官の后稷が民に農業の仕方を教えて、五穀を植え付けさせた。五穀はよく実って、人民もよく生育するようになった。
しかし、人の世の常として、衣食が足りて安逸でいられるようになっても十分な教育を受けないでいれば、禽獣も同然のままでいる。
そのため舜帝は契という者を教育官にして、民に人としてのあり方を教育させた。父子に親があり、君臣に義があり、夫婦に別があり、
長幼に序があり、朋友に信がある天下の達道に基づいて民を感化した。すでに舜帝に位を譲っていた堯も日ごとに民をねぎらい励まし、
時に正して真っ直ぐにさせ、補助翼賛もして、民が自ずから徳性を育むように仕向ける一方で、自らの恵みによっても救いとって
やっていた。聖人はこのように、自分たちの工夫で民を具体的に救い上げていくことに余念がないので、自らが耕す暇もないほどだ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句上・四より)
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