いじめの論理


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001 2010/07/31(土) 00:50:41 ID:PAaj.1./zY
自分以外の誰かを貶め、唾棄することで、
つまらぬ存在に過ぎない自分が生きた心地を得る。

ちなみに、この心理を最大限に活用して
信者数を増やして来たのがキリスト教でもある。

「総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。
そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、
また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って、
侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた」
(権力犯罪聖書——通称聖書——マタイ禍音書27:27-30)

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031 2010/08/08(日) 12:15:27 ID:lQtjpfyZSQ
確かに5人以上のリンチで「暴行傷害」を受けてきたものです。

でもね、私には「きちんとした仕事」がありまして・・・。

「有り難く、有り難い」と思えます。

ただねぇ、家の中にまでそういう恐喝・脅迫・強要するというのには

正直云って「辟易」しているんだ。

大体外へ働きに行って「ちんぼう出して踊れ」っていうのは何だい?

変態を匿っておいて「心の問題」はちょっと・・・。

私にも「喜びと感謝」ぐらいはあるんよ。

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032 2010/08/08(日) 15:41:57 ID:eq4Y/AZkTI
>>30
これは印象的な事件だ。

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033 2010/08/11(水) 01:35:43 ID:i3saNWLXvI
ダメオヤジたちは、いつだって自分のプライドの回復の仕方を探している。
近所の子どもに説教したり、妻を殴ったり、店員にクレームをいれたり・・・・。
そうやってプライドの回復を図っている。
しかし、その小さな努力も、石川遼という天才の登場によってすべて吹き飛んだ。
夢を叶えた人々の存在はダメオヤジをますますキレやすくする。
癒されないコンプレックスが肥大化していく・・・・。

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034 2010/08/16(月) 17:32:53 ID:78f0uigW0Y
被害者と言う「最強の盾」を手放させることは、
容易なことではない。

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035 2010/08/16(月) 18:03:27 ID:C3VN5hW4nU
加害者という「最弱の足かせ」を取り外すこともな。

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036 2010/08/18(水) 09:04:35 ID:0NpCkc33JE:SoftBank
最弱なら容易に外せるだろ。矛盾してる。

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037 2010/08/18(水) 10:28:36 ID:I7S2SlvBc6
それが、なかなか取り外せないんだな。

警察を貶めてヤクザを称えたりすることで、余計にその足かせも重みを増していく。

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038 2010/08/25(水) 16:22:09 ID:HNpGxA1dlo
苛めとか、どうでもいいから
お前ら、落ち着いて去勢でもしとけ。

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039 2010/08/30(月) 21:49:32 ID:rXkKKVFqWI
弱い者いじめはダメだよ!
ただし強い者いじめは時と場合によってはいい…のかな…?

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040 2010/08/30(月) 22:50:01 ID:bm1M8CkoUI
いいんだいいんだ、今のうちにできる限り気晴らししておけば。

それでこそ、見苦しい言い訳を次代に聞かないでも済む。

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041 2010/08/31(火) 01:35:10 ID:itGoMwczX6
>いじめとは
>相手の肉体的・心理的苦しみを快楽的に楽しむことを目的として行われる様々な行為
>実効的に遂行された嗜虐的関与(内藤朝雄「いじめの社会論」)(wikiより)

※いじめによって得られる「優越感」とその反対側に位置する「後ろめたさ」とが
 精神的な乖離を生みだしその乖離傾倒次第によっては、「いじめ」という行為より
 立ち直れるのか、それとも、づるづるとそのまま続けていってしまうのか、
 のその分岐点とは何なのか
 私の考えではいじめる側の人間にとって「いじめ」をやめる分岐点は「後ろめたさ」
 という心のシコリのようなものに隠されている気がしてならないのだ

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042 2010/08/31(火) 11:18:43 ID:TTMKko4dcY:DoCoMo
いじめの心理状態ってのは、サイコパスと同じだ。
ただ、子供同士でのいじめなどの場合は、その手法がまだ拙いために
犯罪行為として立件するまでいかないから、その心理的問題性が十分に察知もされない。

サイコパス状態にある人間は、そうでない人間と比べて、常時「後ろめたさ」という名の苦痛を抱き続けているんだが、
それは本人自身が記憶している限りにおいての、全ての人生において一貫して抱き続けているものであるために、
もはやそれが苦痛であるという自覚すらない。常人なら苦痛であると分かる苦痛を常時抱き続けているために、
その存在性に気づかない一方で、別段痛覚障害なわけでもないので、やはり潜在的には苦痛に喘ぎ続けている。
自分では気づいていないくせに、確かに苦痛に喘いでもいる。それがサイコパス患者に特有の残酷さが備わってしまう
原因で、自分自身も極重の苦痛に喘ぎ続けているからこそ、他者に苦痛を与えることにも罪悪感を抱いたりすることがない。

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043 2010/09/02(木) 21:33:40 ID:Ktm4S89BIM
いじめの首謀者の特異な精神を分析するよりも
いじめに加担する人達の集団心理を研究する方が
いじめの撲滅には役立つと思う

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044 2010/09/03(金) 18:46:31 ID:9zhzDe3mh6
大衆の下愚ってのは、孔子すらもその全救済を諦めているもので(上知と下愚は移らず)、
弘法大師のような完璧超人によってでもなければ、矯正も不可能なもの。
その、弘法大師の興した日本真言宗も、弘法大師並みの後継者は未だ生み出せないままでいる。

いつの時代にも少なからず発生する衆愚を、恒常的に矯正し尽くすことは、現実的に不可能なことで、
衆愚ゆえの迷妄な意志がルサンチマンへと発展して、他者への蔑みに転化することもある程度は避けられない。
ただ、その蔑みをそのままにしておくのではなく、悪や悪人への侮蔑意識へと方向修正させることで
善用する程度のことは恒常的にも可能で、実際、「論語」に書いてあるような、誰にでも分かる範囲内の
初歩的な人間道徳を頒布することで、老若男女誰しもに善徳への畏敬と罪悪への侮蔑を植えつけることができる。

確かに、それはそれであまり高尚でもないことで、犯罪者を愛刀井上真改で斬り伏せる鬼平の姿なども、
見るからには面白くても、あまり高貴であるなどとは言えない。ただ、その程度のあまり高尚すぎない、
誰にでも面白さが分かる程度のところに、醜悪ないじめの心理を「悪への憎悪」へと修正させて善用する、
誰に対しても恒常的な適用が可能な範囲での、いじめの撲滅にもつながる、現実的な善処がある。

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045 2011/02/06(日) 13:20:40 ID:Td8tvT0B.Y
パラリンピックはもっと注目すべき!
「障害者≒物」という考え方はまだまだ根強い!
もっと人間として見ろ!

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046 2011/02/06(日) 21:08:12 ID:F0xOJPxkfU
おれはいじめられっ子の言い分を認めない。

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047 2011/02/07(月) 14:56:40 ID:gJQ/QD25zo:DoCoMo
だけどもう、自首するしかないから自首するだけだよなあ。

その先にこそ、不可避なるが故に本物ともなる更正が待っているのだよ(^^)

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048 2011/02/16(水) 22:49:50 ID:J7OyQZQDgo
いじめられっ子嫌い。

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049 2012/04/25(水) 08:13:05 ID:BrKgyl68U6
さげまんこ

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050 2015/01/25(日) 13:43:08 ID:UHnYoC8vSY
無茶苦茶だなあ。
その引用で虐められてんのはイエスじゃねえか。

キリスト教はお前みたいに虐め批判してるんだろが。

どのみちキリスト教関係なくお前は虐められたんだから
違う事実を直視しないとダメだ。

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