早い話が、西洋人は、善用か悪用かでいえば、専ら悪用するためにこそ、科学を発展させて来たのであり、
決して地球人類の福利厚生を目的とした善用のためなどに、科学を発展させて来たのではない。
人と、世と、自然とを損ない、汚すためにこそ、ついでに科学までをも発展させて来たのであって、
だからこそ科学を悪用することばかりに執心し、科学の善用はもはや、東アジアなどに任せきっている。
あくまで科学自体は善でも悪でもないから、科学技術もまた善用することも悪用することもできる。
悪用ができる以上は、必ずそれと同等か、それ以上もの善用ができる。しかし、科学技術の善用はもはや
西洋人の領分ではなく、日本人や中国人やインド人、台湾人や韓国人や東南アジア人などのほうの専売特許に
もなってしまっているから、自分たちのあらん限りの力を尽くしたとしても、もはや醜悪な科学技術の悪用
によってしか、「近代科学発展の主導者」としての、威厳の発揮を試みることすらできなくなってしまっている。
なまじ悪用に執心してしまったからこそ、悪行を清算してから初めて可能となる、科学の善用も覚束なくなっている。
かといってもう、科学を悪用していていい時機でもなく、悪用すればするだけ、地球人類の破滅を招くのみ。
悪用による科学発展の弊害としての災禍の増大量が、とっくの昔に地球上のキャパシティを上回ってしまっているから、
悪用込みの科学発展を企図すればするだけ、破滅に近づく。これは、西洋人が近代科学を発展させ始めた
十七世紀ごろには、まだ如実でなかったことであり、自分たちの行いが、引いては人類の滅亡にも結び付くのだと、
当時の西洋人が察知していたなどとは到底言いがたい。当時まだ西洋人も、人間道徳の教科書である
四書五経を輸入したばかりであり、「易経」の数理構造に着目して、ライプニッツが線形代数や計算科学を
発明するなどの事跡もあったにしろ(ただし線形代数の発明は、日本の関孝和のほうが先んじている)、
四書五経の肝要である善悪の分別への察知にまでは達しなかったために、
悪用も善用もくそみそな状態のままでの、科学発展を進めていってしまった。
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